2021年11月27日土曜日

031*2021.11



俳句
▶︎何の名残り  高山れおな 

俳句

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散文

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俳句雑誌「翻車魚」Vol.5 獅子(ライオン)号  好評発売中!

俳句雑誌「翻車魚」Vol.5 獅子(ライオン)号  好評発売中!

去年までは毎年文学フリマ東京に出すためにつくっていた俳句雑誌「翻車魚」。この1月から高山れおなが加入したため、正式に年1冊刊行の同人誌といたしました(紙の雑誌とデータ版のハイブリッドです)。
今年は佐藤が日本にいなかったこともあり文フリには出店しませんでしたが、最新号ができましたのでご報告いたします。


(BOOTHショップ)
現状、こちらBOOTHのサイトにて電子版のみ販売しております。
※今後、紙バージョンも小部数販売する可能性があります。

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俳句雑誌「翻車魚」Vol.5 獅子(ライオン)号

 |巻頭エッセイ 箱入り猫と箱入り男と 佐々木幸喜
 |招待作品 luminol 森本孝徳
 |コメンタリー 自註俳諧曾我 高山れおな
 |エッセイ 秋晴なのでどこかへ行きたい 関悦史
 |詩 少年君 佐藤文香
 |俳句 関悦史 高山れおな 佐藤文香

 *pc版、pdf版がございます。 

*データの転送、画面コピー等のweb上への無断アップロードはご遠慮ください。 

2021年11月15日月曜日

Hazyな日々  佐藤文香

酒を飲むくらいしか趣味がないので毎日酒を飲んでいる。もっとも、今に始まった話ではない。日本にいるときも毎日飲んでいた。また、飲むといってもほとんどの日はビールを1缶とワインか日本酒をグラス1杯程度で、飲み過ぎたと言っている日でさえ、+1〜2杯、くらいのものだ。要するにめちゃくちゃ酒好きなわりにそこまで強くないので、いろいろな種類を飲むために毎日せっせと飲みこなしているということである。

現在家で飲んでいるのは缶ビールと赤・白ワインとバーボン。酒は近所のスーパーで購入する。中でもTrader Joe’s は素晴らしい。安くて(1缶$1程度〜!)さまざまな種類があるのはもちろんのこと、ビールを1缶単位で買えるのがいい(こちらではほとんどの場合缶ビールは6缶セットになっており、好きな味かどうかわからないものをはじめから箱買いするのはためられわれる上、うちは車がないから持ち帰るのが重い)。

カリフォルニア州やそのまわりにはクラフトビールの醸造所が多く、特にIPA(インディアンペールエール)がよくつくられており、ちょうど去年あたりからIPAにハマった私にとっては天国である。Twitter上に何人か存在するIPA友達に報告したり助言を得たりしながら、好きなものを探している途中だ。(ちなみに、カリフォルニアのワイナリーといえば言わずと知れたナパ、そしてソノマやリバモアがあり、私の住むBerkeleyにもあってそこにはすでに行った、というのは先月の記事をご覧ください→ワイナリーと蠅

わかってきたことにはどのブリュワリーのものでも、とくにヘイジーIPAという種類が私好みだということ。聞くところによると、ヘイジーIPAはまさに西海岸のビールだというから、これらを飲むために私は今ここにいるんだとさえ思う。

ヘイジーとはhazy、かすんだ、もやのかかったという意味で、グラスの向こうが見えないほど濁っているものもある。シトラス、またはトロピカルな香りと味が特徴。普通のIPAは苦くて飲めないという人でも、たとえば日本酒のフルーティーな生酒が好きという人などは、きっと好きになる味わいである。

家で飲んだ缶ビールについてはすべて写真を撮ってInstagramにアップし、近所の薬局で購入した「Beer Journal」なるノートに記録を残している。今のところのイチオシはこれ。

- Sierra Nevada Brewing Inc.

- Destutes Brewery


ヘイジーIPAは缶でもうまいが、生だとさらにすこぶるうまい。今のところ3つのレストランでヘイジーIPAを頼んだがどこのものも最高だった。すでにツイート済みではあるが、飲みに行った店の情報と写真を掲載して終わりにする。現在このあたりでは、ワクチンの接種証明があれば店内で飲食可能。

Language Exchangeで知り合ったScottと。Scottとは音楽の趣味がめちゃ合う。



Language Exchangeで知り合ったSeanと。Seanは手作り石鹸をくれた。



Language Exchangeで知り合ったEmmaと。Emmaとはローズガーデンへも行った。


↑とくにこのビールが濁り切っていてうまかったです。


追記
North Berkeleyの IJO IZAKAYAにも行ってきました。
語学学校で同じクラスになった日本人のTakaと。


 
わりとうまいが串焼きの値段がえらい高い。

ローマでつくられたスーパードライ

夜はこんなかんじ



パイクのけむりⅪ ~写生文ネオ 広沢池眺望~  高山れおな

写生文には山がなくてはならないというので、「ホトトギス」の写生文の互評会が山会と呼ばれているのはご承知のとおりだ。本稿も写生文ネオと銘打つからには山があってしかるべきところ、山はどうも作れそうにない。その点は最初から白旗を掲げておくとして、一方で実際の山はたくさん見たのだった。

十一月一日の月曜日、カメラマンのH君と七時に車で会社を出て、八時の新幹線に乗った。少し時間の余裕を見過ぎたらしく、私は電車に乗る前に、駅のホームで弁当を使ってしまった。昨年来がらがらにすいていた新幹線も、この日は品川で座席の八割方が埋まる。それにも驚いたが、品川駅を発車するや否や、ビル群の上に大きな真っ白い富士山が浮かび出たのには目がさめる思いがした。 

昔は調布市や川崎市の多摩区から都心の高校・大学に通っていたから、晴れた冬の日には京王線の窓から富士山を見ることも珍しくなかった。しかし、東京の東の端に住むようになってからはそれもなくなった。もちろん、新幹線から富士山を見る機会は折々ある。しかし、富士の裾野から富士山が見えても、それはあたりまえというものだろう。この朝の富士山が殊に印象的だったのは、場所がまだ品川なのにもかかわらず山容が眼前に迫ってくるかのようで、しかもパウダースノウ(たしかにそんな質感だった)に厚く覆われたみごとな白富士だったためだ。しかし、白富士というのはじつは誤解だったらしく、防音壁やビルに隠れては現われる山の姿がだんだん大きくなるにつれて、冠雪した部分に続く土色の山肌がちらちらしはじめる。それでもまだ丹沢や箱根の山並みに半ばを隠されていた山容も、列車が静岡側に入ってとうとう全体をあらわにすると、雪を被っているのは七合目あたりから上に過ぎなかった。その点は拍子抜けしたものの、空気が澄んでいて稜線がくっきりと出ているのがすばらしく、後方に消え去ってしまうまで飽きずに見ていた。 

この日は終日、京都市内を動きまわった。愉快といえば愉快、多忙といえば多忙。しかし、仕事について事細かに書いても仕方がないので以下略。泊まった京都駅前のホテルの部屋が819号室だったので、夜は俳句ができるかと思いきや、疲れ切って早々に沈没する。なお、御朱印は三か寺(安楽寿院・北向不動院・建仁寺両足院)で三個をゲットした。

翌日はS先生ご夫妻も合流し、六人の集団になって山陰本線で福知山へ向かう。前日に続いての快晴である。丹波路に入ると、はっきりした紅葉こそ目につかないものの、こんもりと丸い山々がそれでも秋色を帯びて車窓に畳なわる。おのずと、〈遠山に日の当りたる枯野かな〉を思い出したものの、午前の陽気が山々ばかりか手前の平地にもあまねく満ちて、虚子の句の冷え冷えとした冬の暮方の構図とはだいぶ様子が違う。しばしば柿の木が目に入るのがいかにも関西の田園地帯らしく、たわわになった柿の実が秋日和につやつやと輝いているのが貴石細工めいて見える。 

福知山では威徳寺観音堂を訪ねた。山を見るというよりは、お堂そのものが山の中である。威徳寺などと厳めしい名前を冠してはいても、寺ははるか昔に廃絶しており、周辺地域の古仏数十体が取り集められ祀られているお堂を、地元集落の人びとが管理している。この日も当番の男性がお堂をあけて待っていてくれた。集落でいちばん若いのだそうだが、昭和二十三年生まれというから七十三歳のはずである。S先生が、僕と同い年だと言って盛り上がっていた。 

仏像はほとんどが平安時代のものらしく、多くは躯体が腐朽し、目鼻も溶けてしまったような高さ一メートル内外の立像(いわゆる三尺像にあたるか)である。それらが階段状になった檀上に数十体もひしめいているさまは、ちょっともの凄い。同行のK県立K文庫のSさん(S先生とは別人)によれば、古美術業界ではこの種の古仏を「流れ仏」などと呼んで、廃仏毀釈の折に川に捨てられたせいで摩耗したのだなどと説明されることもあるが、実際は、諸処の小堂に祀られたまま、メンテナンスも受けずに何百年も経ったものだろうという。いや、しかし、仕事の話は省略に任せるというのが本稿の方針でした。威徳寺レポートもこのくらいにしておこう。

私とSさんだけが帰りの京都行きの特急を亀岡で降り、鈍行に乗り換えて嵯峨嵐山駅まで進む。佛教大学の宗教文化ミュージアムで威徳寺の仏像群についての調査報告書を入手するためである。Sさんが知り合いの学芸員を呼び出したものだから、こちらも挨拶をするなりゆきになる。佛教大学といえばネンテン先生。名前を出したら、先日も講演会にいらしていただいて云々といった話になる。私も俳句をやっておりましてと振ってみたけれど、その方面には関心のない人らしく、そこからの展開はなかった。 

以上が長い枕で、ようやく標題の「広沢池眺望」へ到達したわけだ。というのも、その佛教大学宗教文化センターの正門を出たすぐ目の前が広沢池なのである(なお、佛教大学の本部キャンパスがあるのは紫野)。読者諸賢においては、なになに、じゃあこれから広沢池の眺望を写生しようというのだなと思われるに違いない。なるほどそのつもりもあるにはあるが、「広沢池眺望」というのはじつは歌題、しかも四季の題なので、まずはその話をしなくてはならない。

昨年末の「豈」六十三号に「百題稽古」というタイトルで百句出した。タイトルの通り百句の題詠で、題は「堀河百首」に拠った。「堀河百首」は、堀河天皇の長治二年(一一〇五)頃、源俊頼と源国信をとりまとめ役として百の題を定め、十六人の歌人に詠進させた百首歌の集成である。題は春二十首、夏十五首、秋二十首、冬十五首、恋十首、雑二十首からなり、たいへんバランスよくできていたことから中世の組題百首の規範になってゆく。藤原定家たち新古今歌人の家集を見ると、初学百首とか二見浦百首といった具合に、○○百首というタイトルの百首歌がずらずらと並んでいるが、その多くは「堀河百首」の題を使っている。こうしたことは知識としては知っていても、自分でも同様にやってみるといろいろなことに気付かされる。立春とか霞とか鶯とか、現代の俳句でもふつうに季語として生きている言葉も少なくない一方で、子日とか照射とか駒迎のように早くに実体が失われてしまった題もあれば、苗代のように近過去数十年のうちに実体が失われないまでも非常に希薄化してしまった題もある。

この最初の取り組みが面白かったので、今年の「豈」六十四号用には、同じく「百題稽古」のタイトルで、「永久百首」の題に拠る百句を作った(雑誌は本稿のアップまでには出るかと思っていたが、間に合わなかったようだ)。こちらは永久四年(一一一六)、やはり源俊頼が題を定め、七人の歌人が参加している。永久二年に亡くなった堀河天皇中宮の篤子内親王の追善に加え、さらにそれ以前に世を去っていた天皇自身の追善をも企図した催しだったらしい。「永久百首」の題は「堀河百首」とまったく重複しないのが味噌だが、題詠にあたって往生したのは春日祭・石清水臨時祭・稲荷詣といった、王朝貴族の祭事や習俗に強く結びついた題が「堀河百首」以上に多かったことだ。しかし、春日祭や石清水臨時祭は現在でも続いている行事ではあるし、伏見稲荷も何度か参ったことがあるので取り着く島くらいはある。にっちもさっちもという感じだったのが志賀山越という題で、「永久百首」の七首については、四首が霞、二首が桜との取り合わせで詠まれている。 

じつは私は志賀の山越えの現地を知らないわけではない。これも仕事で、何年か前、大津市の崇福寺跡の写真を撮りに行ったのである。別名を志賀寺といった崇福寺は大津京時代に天智天皇が創建した大寺院ながら、中世には廃絶してしまった。昭和期に発掘がなされ、現在は遺跡公園風に整備されているのだが、少し山に入ったところにあって、地元のタクシー運転手すらその存在を全く知らず、たどり着くまでが大変だった。もちろん、永久の頃には寺はまだ存続しており、京都側から山を越えて崇福寺の横を通って大津に出るのがつまり志賀の山越えである。にっちもさっちもというのは、こうしてせっかく現地は知っていても、シガノヤマゴエの音数の多さと読者サイドがまったく連想を喚起されない言葉であると予想されることからして、どう手をつければよいのか見当もつかなかった点をさす。まあ、それでもなんとかでっち上げて作品は出したのであった。

そうして次。来年の「豈」で最後にもう一回この百句題詠をやろうと考えて、こんどは「六百番歌合」の題を使う予定にしている。「六百番歌合」は、建久三年(一一九二)に、当時は左大将兼権大納言だった藤原良経の主宰で行われた歌合で、十二人の歌人に詠ませた百首歌(つまり計千二百首)を六百番に組んで、藤原俊成が判者を務めた。題は一部が「永久百首」と重複するが、「堀河百首」とは重複なし。当時すでに組題百首のスタンダードになっていた「堀河百首」に対して、良経が(おそらくは定家の助力を得て)新風を打ち出そうと企図して題を定めたのではないかという(篠崎祐紀江/「六百番歌合」歌題考――四季の部をめぐって――)。春十五、夏十、秋十五、冬十、恋五十という構成で、恋の題がなんと五十もある。恋の句ばかり五十句も作れるのかという不安はさておき、この歌合の秋の題の一つがつまり広沢池眺望にほかならない。そしてそれは春の志賀山越と対になっているのだ。

上記、篠崎論文によれば、「永久百首」の題の選択・配列にはやや荒っぽいところがあって「堀河百首」より完成度が低いのに対し、「六百番歌合」は非常によく練られた構成で、題と題の間のシンメトリカルな対応関係が随所に見られるという。すでにふれたように、「永久百首」では志賀山越は霞および桜と取り合せられており、性格付けに曖昧なところを残していた。これに対して、「六百番歌合」では春の題に桜(花)が無く、秋の題に月が含まれない。その代わり、「志賀山越=花」「広沢池眺望=月」という形で、春秋を代表する景物を名所題と固定的に結びつけて対に仕立てているのである。

佛教大学宗教文化ミュージアムの正門前は、小さなロータリーになっていて待合室付きのバス停もある。ただし、学芸員の人が、バスが来ないバス停と言っていたので、いよいよ帰る時にはタクシーを呼ぶことになるだろう。それはいいとして、広沢池の側に道を渡ろうとするのだが、これがなかなかおそろしい。片側一車線でさして大きい道でもないのに交通量が多く、おまけにどの車もかなりスピードを出している。信号はなく、道がゆるやかな弧を描いているため見通しも悪い。私はまだしも、資料がぎっしり詰まったキャリーバックをごろごろ引いたSさんが一緒であるから、よほど気を付けて道を渡った。

渡ってから右手へ四、五十メートル行くと、そこが広沢池の西南の隅になる。池の北側に低い山並みが連なっているのは遍照寺山で、宇多天皇の孫の寛朝僧正がその麓に遍照寺を開いた際に池の方も掘削したのだという。しかし、池といっても庭園の池の範疇におさまるサイズではないので、この説は怪しいだろう。寺は早くに廃れたものの、我々がいる地点から南に少し下がった地点に再興され、創建時のものと考えられる十一面観音像と不動明王像が現存しているらしい。その辺のことはSさんの専門であるから事細かに教えてくれる。聞いているうちに拝観したくなってきたが(御朱印ももらえるだろうし)、もう五時を回っているのでそれはさすがに遠慮した。 

渺として広い池の周囲はただアシやオギが深く生い茂っている。我々がいる南側の道を車が激しく行き交っている他は、果たして道がめぐっているのかもわからない。学芸員氏は、池の東側には新興宗教の施設があって、池を一周することはできないはずだと教えてくれた。ただ、西側の池畔には道が北に伸びていて、池に突き出す形で祠らしきものが建っているのも見える。その周囲では何人かが釣糸を垂れている。空気は黄昏の気配を濃くしながらも、朝からの好天はそのままで、アシもオギもそよりとも動かない。水面は暗く、遍照寺山の下辺にもその翳りが及んでいるが、山の上半分には夕日が当たって赤く、黄色く、温かそうな色に染まっている。枯野を水面に置き換えさえすれば、これこそ〈遠山に日の当りたる枯野かな〉だよと思った。

追記
池畔にあった案内板には、〈現在は鯉などの養殖が行われており、年末に池の水を抜いて成長した鯉を収穫する「池ざらえ」は、京の冬の風物詩となっている〉との記述があった。今春に出た井上弘美さんの句集『夜須礼』に、〈嵯峨野鯉上げ 三句〉と前書きして載るのは、この「池ざらえ」の情景であろう。 

 底冷えの池底に組めり鯉生簀 
 寒鯉を摑みて素手のなまなまし 
 ざりがにの愛宕颪に乾びゆく

日記(2021.10.14~2021.11.14)  関悦史

10月14日(木)
しんどくて何も出来ず。 

 10月15日(金)
「まのあたり句会」の投句。  
野党候補の選挙ボランティアに行く。  
日本民俗建築学会70周年記念シンポジウム実行委員会からメールで明日のオンライン学会の資料等が来たが、裕明賞の授賞式と重なってしまい、聴講断念。
スラックスを買い、図書館、皮膚科へ。こめかみから目蓋へ広がった吹出物は汗疹のようなものらしく、瞬時に診察が終わって軟膏を出される。
先日収録した《【SF・暴力・文学】サイバーパンクの世界で俳句を100本くらい詠んできた【ゲームさんぽ/Cyberpunk2077】》がYouTubeで公開される。 

 10月16日(土)
第12回田中裕明賞授賞式に出席するため、小石川後楽園の涵徳亭へ。JR飯田橋駅が五輪前後の大改装で以前と似ても似つかぬ構造になり、迷う。
後楽園で吟行。途中、腹痛で早めに涵徳亭へ引き上げる。会場での飲食はなし。
道中、ブックオフ3軒に寄って110円本計8点買う。
疲れが尋常でなく、久々に上京したのに神保町の古書店街には寄れず。
コロナが下火になって緊急事態宣言も解除され、マスクなしで声高に話す男らも少数ながらいた。 

 10月17日(日)
吉田秀和『クライバー、チェリビダッケ、バーンスタイン』読了。
昨日の裕明賞吟行の投句をまとめて送稿(今回も現地での句会は行われなかった)。 

 10月18日(月)
裕明賞吟行の選句選評。
沼野雄司『現代音楽史―闘争しつづける芸術のゆくえ』、伊藤晴子句集『さくらさくら』、ユーリー・ボリソフ『リヒテルは語る』読了。

 10月19日(火)
睡眠ズタズタ。腹は落ち着きかけたが、夕方からまた悪化。
久保純夫句集『植物図鑑』、川口晴美『やがて魔女の森になる』、草上仁『5分間SF』、坂本龍一・後藤繁雄『skmt 坂本龍一とは誰か』読了。 

 10月20日(水)
細野晴臣『アンビエント・ドライヴァー』、ケネス・クラーク『名画とは何か』読了。
深夜、YouTubeでショパン・コンクール決勝の生中継も見始めたが2人目の途中で疲れて入眠。 

 10月21日(木)
難渋していた添削を終わらせる。
共産党から投票のお願いの電話が来る。フリーランスなのでインボイス制度が不安と言ったら、勉強会を重ねているからと民商を紹介される。 

 10月22日(金)
指揮者ベルナルト・ハイティンクの訃報。こちらがクラシックを聴き始めた頃に壮年だった演奏家がCD退潮に合わせるように退場していく。
「まのあたり句会」の清記来る。
「ゲームさんぽ」吟行「サイバーパンク2077」の没カット集動画がYouTubeで公開される。
句作少し。 

 10月23日(土)
激しい肩凝り。
鈴木貞美『日本人の生命観―神、恋、倫理』のみやっと読了。 

 10月24日(日)
図書館に本を返し、市役所で衆院選の期日前投票。
市内のブックオフまで久々に足をのばす。買取の方針が80年代以前の本はほぼ廃棄となってしまったようで、品揃えがさらに平板化し何も出ない。店内をナチのコスプレをした中高年男性がうろうろしていたのでぎょっとする。都内ならともかくこんな田舎で見たのは初めて。

 10月25日(月)
内科へ。腹痛治らず、薬を再度2週間分処方してもらう。長引くなら胃腸科に行った方がいいと匙を投げられる。
市の北部、工場街を適当にサイクリングして帰宅。 

 10月26日(火)
「まのあたり句会」のZoom打ち合わせ。
低気圧で眠気ひどい。
永田満徳句集『肥後の城』、江夏豊『野球はアタマや』読了。江夏豊『野球はアタマや』は徳間文庫の日暮修一のカバー絵が懐かしくて買ったもので、読むには読んだが野球は全くわからない。 

 10月27日(水)
朧月あき『婚約破棄された悪役令嬢は、気ままな人生を謳歌する』読了。作中の悪役令嬢が最終的に蕎麦打ちを始めたので昼に蕎麦を食う。
寝そびれ、本阿弥書店編集部『俳句の杜 2021―精選アンソロジー』読了。

 10月28日(木)
宮澤伊織『裏世界ピクニック ふたりの怪異探検ファイル』読了。アニメ未視聴で知らなかったが、『ストーカー』に女子二人を投入して百合化したような作品で、「ゾーン」に仕掛けられた見えない危険を探るために、進む方向にまずボルトを投げるところなどほぼそのまま。
インボイス制度反対のツイートをRTしまくる。 

 10月29日(金)
「まのあたり句会」の選句。
また皮膚科へ。前回とは別に右脇の吹出物が痛みだしたため。
外出するたびに市内の至るところで顔を合わせる何かの障害を持っているらしいごま塩頭の老人がいて、もう4,50回は偶然出くわし続けているのだが、今回は皮膚科へのエレベーターが開いたらその中にいた。同乗したら、ゴロゴロ唸りながら行き先案内らしいことを口走っていた。私はこの老人と終生顔を合わせ続けることになるのだろうか。

 10月30日(土)
NHK文化センター「秋のまのあたり句会」に大高翔、塩見恵介、日下野由季各氏とZoomで出講。 

 10月31日(日)
連休が取れた小野村の家へ。
午後から雨のため神保町には行かず、車でブックオフ巡り。
小野村宅で衆院選開票速報を見る。全体としては自公維圧勝。テレビなど久々に見たが、選挙特番をハシゴしてもインボイス制度もDappi問題も触れられていない模様。
選挙と同時に京王線で放火殺人未遂事件発生。車内を逃げ惑う乗客の映像が居合わせたツイッタラーに撮られていて、各局で繰り返し放映された。死刑目的の無差別殺人も、自公維への投票(及び棄権・白票)も、他者を道連れにしての無理心中である点変わらず。 

 11月1日(月)
小野村と神保町古書店巡り。
途中2枚だけ仮面オリビア撮影。 

 11月2日(火)
午後帰宅。何故か小野村宅にいるうちに腹の膨満や下痢がかなり治ってきた。
土浦市の「CD・LDの店とうごう」が遂に閉店してしまい、テナント募集中になっていた。レコードの時代からあった店だが演歌専門に見えたので幼少時から一度も入らないまま。
熊谷ユリヤ『記憶の翼は果てしなく交錯し』、森田純一郎句集『旅懐』読了。
この数年続いていた仕事が一つ、事実上“契約終了”になってしまった。 

 11月3日(水)
加藤瑠璃子句集『雷の跡』、髙橋玉舟遺句集『初がすみ』、豊田有恒『改体者』、小谷野敦『夏目漱石を江戸から読む―新しい女と古い男』読了。
先日中古で買ったピーター・ガブリエル「プレイズ・ライヴ」が激しい音飛び。キズ盤だった。 

 11月4日(木)
二村ヒトシ・金田淳子・岡田育『オトコのカラダはキモチいい』、ツカサ『ノノノ・ワールドエンド』、五味康祐『小説長島茂雄―五味一刀斎が贈る惜別の詩』読了。
夜中また腹痛で起床。

 11月5日(金)
津原泰水『ヒッキーヒッキーシェイク』、野田昌宏『宇宙からのメッセージ』、平井和正『メガロポリスの虎』読了。
体の強張り、気持ち悪さが続き、入浴出来ず。

 11月6日(土)
NHK文化センター「土曜俳句倶楽部」(兼題・ぶよぶよしたもの)にZoom出講。
凝りひどく、目が利かず、豊田有恒『核ジャッカー追跡』やたら時間がかかって読了。昭和末期の作品なので当時の中国観などは面白い。

 11月7日(日)
アンダスン『ワインズバーグ・オハイオ』読了。新潮文庫の旧訳(橋本福夫訳)で、カバー絵が木村光佑だからという理由で買ったもの。木村光佑は角川文庫の眉村卓作品の装幀を手がけていた版画家なので、非在の眉村卓作品のようにも見える。
J-WAVE「RADIO SAKAMOTO」聴く。坂本龍一が療養中のため、代わって浅田彰がBTS(防弾少年団)について解説。
豊田有恒『聖徳太子の叛乱』読了。 

 11月8日(月)
腹痛、眠気ひどく、断続的に眠ってばかり。
和久峻三『多国籍企業殺人事件』読了。 

 11月9日(火)
森村誠一『カリスマの宴』読了。
先日の「土曜俳句倶楽部」欠席投句の添削。 

 11月10日(水)
大きなハンバーグになって寝ていたら安楽死の注射を打たれる夢。
体重く、息が荒い。
何も読めずにいたが、山田正紀『弥勒戦争』再読して勢いをつけ、オルコット『花物語』、森村誠一『日本アルプス殺人事件』読了。 

 11月11日(木)
瀬戸内寂聴の訃報。野口る理さんが俳句を始めるきっかけが瀬戸内寂聴の文学塾だった。
市街に出たら、土浦名店街の横にあったラボも廃業していた。十数年前、市内の神社でオリビア撮影をしていたら小さい三姉妹に寄ってこられてしまったことがあり、そのときフィルムから現像してもらった店。
図書館で「俳句」11月号の角川俳句賞選考座談会に目を通す。
本局に寄って、不在配達になっていた小澤實『芭蕉の風景(上・下)』を受け出す。
飛浩隆『象られた力』読了。 

 11月12日(金)
疲れひどい。
三宅榛名『アイヴスを聴いてごらんよ』読了。 

 11月13日(土)
熱もないのにやたら気持ちが悪い。
西村寿行『鬼狂い』読了。老婆集団が活躍する小説は大体面白い。
電気毛布が壊れて電源が入らなくなった。

 11月14日(日)
某誌の依頼のため近くの神社で少し吟行。七五三の親子連れがいた。
気持ち悪くて市街までは出られず帰宅。

2021年11月1日月曜日

大衆らしく      佐藤文香


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大衆らしく      佐藤文香 

檸檬の花むらさき生涯孤独知らず 
干草に坐して南瓜の山眺む 
走る栗鼠毎に尾の形その影 
芝に小径に栗鼠は立つ又すぐ立つ 
常秋を大衆らしく口閉ぢて 
居酒屋恋し華府山楂の熱き赤 
桑港を巡り思索にかなしき艶 
Powell Street 教はりて知る香は大麻 
臍出しの十一月は我に来るか 
ブラシの花残るや明日もどうせ晴

何の名残り    高山れおな


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何の名残り    高山れおな

秋澄むや桜を抜ける風にゐて 
黄落やたましひしばし揺れて立つ 
秋風や我が干せば鳴る物の数 
秋の山一縷の滝を身に這はす 
読んで寝る『三好一族』凄まじき 
鵙鳴けり鎖連歌のあたら夜は 
夕映を行けば飛蝗の馬鹿が跳ぶ 
木犀や何の名残りの空でもなく 
ばらばらに桜紅葉は地に帰る 
秋惜しむ後ろの顔が歯を剝けり

ゲームさんぽ「サイバーパンク2077」吟行抄    関悦史

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ゲームさんぽ「サイバーパンク2077」吟行抄   関悦史

警官も鍋も撃たるる旱かな 
都市に浮く大金魚見え人を撥ね 
墓参とは壁面に向かふのみ 
いろいろの染みある部屋の暑さかな 
螺子バットもて人殴り花火とす 
裸にはあらぬ者らの皆無気力 
ほぼ裸なれど夏帽子は欠かさず 
鳳凰像小林幸子めく真夏 
夕日浴びピアノの上に寿司がある 
ダンベルも酒瓶もある布団かな 


【奇蹟の傑作が爆誕】サイバーパンクな暴力世界で俳句を詠み 倒してみた【ゲームさんぽ/Cyberpunk2077】 

【ギリOK】本編ではカットしたけど出しても大丈夫なシーン を集めた俳句集【ゲームさんぽ/Cyberpunk2077】