青木亮人氏には個人的恩義(具体的には「週刊俳句」の「切字と切れ」特集のメール座談会に参加していただいたことですが)もあるのであまり言いたくはないのだが、彼の時評的な文章には、んっ?となることが少なくない。たとえば青木は、朝日新聞の俳句時評を二〇一八年五月から二年間担当しており、これは全部読んでいるが、不思議な文章が多かった。そうなる理由は一概には言えないとしても、短いスペース(原稿用紙で一・六枚ほど)で無理に趣向を立てようとするためだろうとは感じていた。
では、もう少しスペースに余裕がある場合はどうか。最近眼に入ったのは「文藝年鑑2021」の俳句についての年間回顧の欄。じつは前年の同欄の筆者も青木で、これはちょうど原稿を頼まれた「WEP俳句年鑑2021」でかなり長文の批判を書いた。青木のその文章は、目利きの不在がどうのこうのという話に始まり、俳句自体についての判断を欠いたまま各種の贈賞儀礼だけが空しく繰り返されているのが俳句の現在だと論じる虚無的な趣旨だったが、前提となる目利きの不在云々の部分からしてほとんど俗論としか思えなかった。
さて、2020版の青木の文章がほぼ全面的に不快であったのに比べれば、2021版の方に感じた違和感は限定的ではある。しかし、限定的ではあってもかなり強烈な違和感を思えたのは間違いない。その所以はひとことで言えば、青木の俳句甲子園中心史観にある。青木は、二〇二〇年の句集として、安里琉太『式日』、津川絵理子『夜の水平線』、鴇田智哉『エレメンツ』を、〈二〇二〇年の俳句表現の特徴〉を示すものとして特筆する。それはいいとして、安里の句集の性格を俳句甲子園に直結させてしまう手つきは、私にはずいぶん安直・雑駁なものに思えた。青木は、俳句甲子園の仕組みを説明したあと、結果的にそこで醸成された気風を次のように概括する。
ゆえに俳句甲子園はゲーム性の高い世界観を有し、価値が点数化され、明快に勝敗がつくため、誰もが納得しうる作品を成立させる技術を尊ぶ俳句観が色濃い。例えば昭和戦後俳句が重んじた「境涯」「人間」といった価値観、つまり作品以前に存在し、点数化が困難な世界像を後ろ盾に句を詠み、鑑賞するという俳句観を完全な遺物として葬ることを決定付けるものだった。
この一節に続いて青木は、〈やや極端な例だが〉とことわりながら戦後俳句の境涯詠のサンプルとして「鶴」誌で活躍した小林康治の名を挙げ、その句集『四季貧窮』に石田波郷が寄せた文章を引くなどした上でさらにこう述べる。
「貧窮」に満ちた「境涯」や「俳句的人間」云々といった、言葉や作品以前に存在する「境涯・人間」等の重みを評することは俳句甲子園では存在しない(というより、教育上できない)。あくまで点数として可視化しうる技術――季語をいかに巧く詠んだか、瞬時に理解しうる句意をいかに詠むか等――を重視する俳句甲子園の感性は、平成俳句を彩る大きな存在となった。
正直言って、唖然たらざるを得ない。私は俳句甲子園には、十数年前に一度、審査員として参加しただけで、もはや記憶もおぼろだ。松山で大学教員の職にある青木は毎年参観しているのだろうから、現場を見ている実感は実感として尊重するが、それにしてもこれでは平成の俳句がまるきり俳句甲子園を中心に回ったかのごとくではないか。
俳句甲子園はすでに二十年以上続いており(第一回は一九九八年)、そこへの出場をきっかけに俳句にのめりこみ、俳人として活動を続けている顔ぶれも、今や二人や三人ではきかないことはもちろん承知しているし(だいたい、本ブログのオーナーの佐藤文香が代表的な一人である)、今後ともその人数は加算されてゆくのだろう。したがって、俳句界の人材の供給源としての俳句甲子園の意義を認めることには当方としても異存はない。後世から振り返って、二十一世紀の最初の二十年なり三十年なりに登場した新人の相当部分が俳句甲子園出身者のように見えるという状況も、可能性としては充分あり得る。しかし、〈俳句甲子園の感性〉が〈平成俳句を彩〉ったというのは、どう考えても話が逆立ちしている。
〈言葉や作品以前に存在する「境涯・人間」等の重みを評すること〉の不在、〈季語をいかに巧く詠んだか、瞬時に理解しうる句意をいかに詠むか〉の重視といった、青木が俳句甲子園の特徴として挙げる要素は、じつのところ俳句界の多数がここ三、四十年来(あるいはもっと前から)、めざしてきた方向性に他ならない。もちろん、あくまでおおざっぱな方向性であって、境涯・人間の重みが全く排除されたわけでもないし、瞬時に理解されることだけをめざして俳句が作られてきたわけでもない。
しかし、私自身の実感としても、自分が俳句を始めたころ(一九九〇年前後)には、人間探求派的なるもの(師系の話ではなく、「境涯・人間」等を尊重する態度の問題としてこう言っておく)が少なくともまだ気風的に主流派・多数派と言えるだけの重みを持って存在しており(金子兜太・森澄雄・鈴木六林男・佐藤鬼房はもちろん、加藤楸邨や能村登四郎だってまだ生きていたのである)、一方でより身近な先行世代(攝津幸彦・坪内稔典・長谷川櫂・夏石番矢・中原道夫・田中裕明・岸本尚毅・小澤實etc.)は、まさにそうした人間探求派的なものからの離脱をはかっているように見えた。もちろん、自分としては後者の驥尾に付すつもりだったのである。かくて幾星霜。身近な先行世代として上に挙げた人たちが俳句界の中枢を占め(攝津・田中は故人だが、彼らはむしろ没後に存在感を高めている!)、他方、境涯や人間を作品の上にみずから体現している(ように見える)最後の大物俳人である金子兜太が逝ってしまったところ、というのが現在の段階であろう。
要するに、俳句甲子園の俳句観なるものが存在するとして(しかし、本当にそんなものがあるのか)、それはあくまでも俳句界が総体として進めてきたプロジェクト(?)の内側の現象にすぎない。なんであれば、俳句甲子園の産みの親たる夏井いつきの句集を見てみよ。そこに境涯や人間があるか? それはまさに〈季語をいかに巧く詠んだか、瞬時に理解しうる句意をいかに詠むか〉に注力してものされた俳句ではないか。こう言って、私は夏井を批判しているのではない。作品の表面は似ても似つかないようでも、私自身だいたい彼女と同じようにやってきたのである。青木はまさか、夏井のそうした句風が、俳句甲子園をきりもりしてきた結果、高校生たちの俳句観に影響されて生じたものだとでも言うのだろうか。夏井は余裕派的な山口青邨の孫弟子だから例として不適切だというのなら、大石悦子がまさに昨年に出した『百囀』はどうか。大石の先生は石田波郷であり、彼女はつまりは小林康治の相弟子にあたるが、この句集のどこに境涯や人間があるのだろう。私は大石の若いころの作品をよく知らないので、ここでは適切に過去との比較ができないのであるが、俳句界全体の潮流と軌を一にした変化があったのではないのかと推測する。
さて、青木は、安里琉太の『式日』から、
寒雲の蒐まつてくる筆二本
能登は雨さんせううをと女学生
夏を澄む飾りあふぎの狗けもの
編みさしの竹白みたる雨水かな
といった句を挙げて、
この老成ぶり、俳句らしさ、しかも臨場感を失わない個人的な実感が宿った表現のあしらいは並ではない。
と賞賛している。いや、実際その通りでしょう。しかし、
かような俳句甲子園のあり方は、安里琉太の句集『式日』に如実に反映している。
というのはどうなのだ。先ほどから述べているように、〈言葉や作品以前に存在する「境涯・人間」等の重み〉との関係が希薄で、〈季語をいかに巧く詠んだか、瞬時に理解しうる句意をいかに詠むか〉に注力することは、現在の俳句のごく普通のあり方であって、安里の俳句もたいへん上手であることを除けばごく普通の俳句である。その上での話だが、はたして安里は、青木が言うような〈価値が点数化され、明快に勝敗がつく〉〈ゲーム性の高い世界観〉を内面化してこうした俳句を書いているのだろうか。私にはいささか信じ難いのだが。青木の論を読んでいると、空があんなに青いのも郵便ポストが赤いのも、みんな俳句甲子園のせいなのよという感じがしないでもない。
ここで、やはり昨年出た、俳句甲子園出身者(しかも団体優勝の立役者にして今も人口に膾炙する最優秀句の作者)の句集でありながら青木の年間回顧には登場していない本に言及しておいてもいいだろう。それはもちろん神野紗希の『すみれそよぐ』だが、青木が無視した理由はよくわかる。なぜなら、この句集が、結婚や妊娠・出産・子育てといった、〈「境涯」「人間」といった価値観、つまり作品以前に存在し、点数化が困難な世界像〉に全面的に依拠して展開するタイプの作品だからである。ついでにさらに一年前に出た、別の俳句甲子園出身者による句集を思い出しておいてもいいだろう。それは藤田哲史の『楡の茂る頃とその前後』で、やはり恋愛などの「境涯・人間」を背中に貼り付けた作品である。
俳句界の長らくの志向にもかかわらず、当たり前ながら、境涯も人間も死滅したわけではない。しかし、それが前面化する場合でも、戦後俳句とは異なるスタイルをとるだろうことも言うを俟たない。安里は俳句甲子園の俳句観を体現するが、神野や藤田はそうではないとする根拠は那辺にあるのだろうか。安里が高校教師となり、引率者として俳句甲子園にかかわりつづけているから? しかし、高校の教員でこそなけれ、神野だって俳句甲子園とのかかわりは保っているはずである。私としては、俳句甲子園経験は経験として、彼らはそれぞれに自分の俳句観を育て、人生の中に位置づけてきたのだろうという、ごく常識的な結論しか導き出せないのだが。
* * *
たくさん句集をいただきながら、全然読めておらず忸怩たるものあり。来月は少しは句集のことを書ければと思う。ネットの方では、櫻井天上火という人の「終焉する歴史、無限」という五十句からなる面白い作品を読んだ。
表象の眠りどこまでも象の皮膚
速度より駿馬の産まれ青嵐
ここに茸あそこに茸のくらい夢
不可解な低さを兎どこまでが春
物質の起源に蜂の音混じる
蜜垂らす蛇を解剖けば割れ鏡
古の正三角を犀がゆく
真夜中を透けつつ歩く哲学の鳥
その後八足の猫は戻らない
磔刑の霧に循環する思想
これらの句に感銘した。作者の年齢も性別もわからないが、たぶん若い人だろう。引いた句はそうでもないけれど、加藤郁乎風の語彙、レトリックも散見。この動物たちの跋扈ぶりからすると、安井浩司も読んでいる? そういう意味では、古風な美学的前衛系の俳句を想起させもするが、温度が低くてすっきりしたところはやはり今という感じがする。映像的でありながら映像化しきれない抽象性を帯びるといったあたりが一貫したスタイルのようだ。意味は必ずしもよくわからないものの、てにをはや構文の操作による曖昧化とは異なり、文章構造がシンプルで明快なのがすがすがしいと思った。