2023年5月15日月曜日

049*2023.5




10句
LOST ILLUSIONS   高山れおな


散文
ゼロ年代生まれの句から  関悦史

散文

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  NEWS
5月12日(金)午後より約1ヶ月間、紀伊国屋書店国分寺店にて選書フェア「のんべえ大学 詩歌学部」(佐藤企画)が開催されます。詳細は→こちら

最近飲んだ酒と笹川諒歌集『水の聖歌隊』   佐藤文香

紀伊國屋書店国分寺店で「のんべえ大学詩歌学部」というふざけた選書フェアを企画した。身近なのんべえにお酒に合う一冊とおすすめコメントをもらい、その人に著書があれば並べて売ってもらうというシンプルな企画だ。短歌に力を入れている書店なので、最近仲良くしてもらっている魚村晋太郎さんはじめ、歌人に多く協力を仰いだ。
推薦してもらったのは必ずしも詩歌の本ではなく、それがかえって詩歌への導入にもよいのではないかと思うが、せっかくなのでここでは、最近飲んだ酒に合う一冊をおすすめしたい。


たまに連れて行ってもらう「燗酒嘉肴 壺中」というお燗のお店で、今日は二軒目に行くのであと少しにします、と言ったら、出してもらったのが「生酛のどぶ」の上澄みだった。にごり酒なので普通は攪拌してから出す酒なのだが、お燗番の理絵さんはあえて混ぜずに、濁っていない部分をくださったのだ。この場合はもちろん常温である。

水みたい、で美味しい。でも、ふつうの清酒の「水みたい」とは違って、イオンウォーターに近い。酒と体の水分とが求め合うような味だ。天国ではこれが水にあたるのだよ、と言われたら、信じてしまいそうだ。「どぶ」という名前とはいえ、いかに素性のいい酒かがわかる。

そこで思い出したのが、今回フェアでお酒に合う一冊をおすすめしてくれている一人でもある笹川諒の、歌集『水の聖歌隊』(書肆侃侃房)。タイトルにすでに「水の」とあるとおり、澄んだ流れのかんじられる歌が多い。

  あなたがせかい、せかいって言う冬の端 二円切手の雪うさぎ貼る
  水を撒くきみを見ながら知ることが減ることだとは思わずにおく
  たとえば夜が生徒のように慎ましく麦茶を飲んでいる いや僕が 

一首目、何もない白い冬の、切手の縁に囲われたうさぎの白さ。二首目、水は弧を描いて落ち地を濡らし、濡れて色の変わった側の地面は、きみの知ってしまった部分と呼応する。三首目、僕は夜であることもあり、慎ましい生徒だったこともあっただろう。適当にめくったページから引いたが、たまたまどの歌も内容的に水分を含んでいる。

一冊を通して、作者が現実を離れたがっているさまは、静かに溺れ、もがいているようにも見え、そんな彼のまわりもまた水で溢れている。彼は夢と書けばそこに夢の世界が現れることを知り、自らの書くものに救われてきたはずだ。表現上も中性的で澄んだ現代語の文体を志し、「笹川諒」という清しい名前の歌人らしさを実現し得たのが『水の聖歌隊』だと思う。

「生酛のどぶ」の上澄みだけを出してくれる店はあまりないだろうが(壺中ではソーダ割で出しているので、少々上澄みが減っても大丈夫らしい)、一升瓶で買うことがあれば(ないか?)ぜひ試してみてほしい。それが無理でも、「生酛のどぶ」は濁り酒だが爽やか、コクはあるのに甘くないいい酒だから、機会があればどうぞ。短歌読者としては、いつか笹川の濁りの側をも読む機会に恵まれるといいなと思う。


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パイクのけむり XXⅦ ~余子句集感想~  高山れおな

新潮社のPR誌「波」に「掌のうた」という見開きの連載コラムがあって、短歌の筆者が三枝昂之、俳句の方は小澤實である。これまであまり読んでいなかったが、最近、まじめに目を通すようになった。五月号は小杉余子の句を取り上げている。タイトル風に大きく掲げられているのは、 

菖蒲引て藺草の水を濁しけり

で、文中にはさらに以下の六句が引かれている。なお、二句目の「債メ」に小澤はルビを振って、「おいめ」と読ませている。

坐業の身およそいとひぬ二日灸
小さく住んで債メありけり蚕飼ふ
纜の濡れて陽炎ふ重さかな
海苔船のありとは見えでありにけり
山表焼く山裏の木の芽かな
送らるゝ虫を泣くなり山の虫

いずれも大正一〇年(一九二一)刊行の『余子句集』に所載とある。時代色も含めてどの句も面白いのと、「ホトトギス」ではなく「渋柿」の俳人というところに興味が湧いて句集そのものを読んでみたいと思った。調べると国会図書館でインターネット公開もされていたが、ネット古書店に手頃な価格で出ていたので取り寄せると、文庫サイズの小ぶりな本である。ただし、一頁に最大十句入っていて百七十頁以上あるので、句数はかなり多い。四季別に編集し、季語をいちいち見出しに立てた古風な体裁。こうした場合、季語を級下げして句の上に置くのが普通のところ、季語の末尾の一字と句の一字目が同じ高さに揃えてあるのが変わっている。つまり季語と句が互い違いになっているのだ。興に入った句を少し引く。 

元日になる乾鮭や山の宿
農具部屋けさ閉ぢてある初日哉
織初も同じ糸なる五百重かな
廻礼の本両替に諸藩かな

以上、新年。四句目は、越後屋のような両替商の大店へ、諸藩の江戸詰の侍が年始に行く場面。近世の正月の様子を想像して詠んでいるわけだ。ちなみに、余子は銀行員だったので、ひとつ前の時代であればと、我が身の上に興を働かせている部分もあろう。

庖丁に三月の芹応へけり
春惜む女ばかりや聚楽御所
行春や焚いてしまゐしつぶれ垣
糸買は軒端伝ひや春の雨
山影をかぶる草家の雪解かな

聚楽御所の句もやはり詠史の想像句で、この種の作が他にもまだまだある。明治・大正の俳句に目立つ要素の一つだろう。

糸買の句もこの時代の俳句ならではのもの。小澤が引いた中にも「蚕飼ふ」云々とあったが、養蚕業は絹製品の最大の市場であったアメリカとの戦争によって壊滅的な打撃を受けることになる。現在でも養蚕関係の季語で句を作ることはあるが、仮にほそぼそと養蚕を続けている現場に取材した場合でも、社会的背景が失われてしまっている点はどうしようもない。

山影の句は典型の域に入った名吟だろう。向井潤吉の絵のようだとも言えるが。

広重の矢立沸きけり雲の峯
徴兵検査ある日のさまの小駅かな
うたかたや菖蒲漂ふ引きあまし
山の根を焦がして更くる鵜舟かな
羅や珠数をかけたる袖の内

一句目は、スケッチ旅行する歌川広重の矢立の墨が、あまりの暑さに煮えてしまったというのだ。広重の句は他にもあり、余子の好尚をうかがわせる。

二句目は、本籍地の部隊で行う徴兵検査のため、各地からそれらしい壮丁が集まってきた様子を詠んでいる。いつもは乗降の人も少ない田舎の小駅に、目立つほど若者たちが降り立ったという場面。アナクロな人が多い俳句の世界でも、昨今、徴兵検査で作っている例はさすがに見たことがない。『ホトトギス雑詠選集 夏の部』には五月の句として、〈肥料焼け徴兵検査合格す〉という昭和一二年(一九三七)の句が見えるが(作者は佐藤暁華)、「肥料焼け」がよくわからない。肥料小屋が火事で焼けたということ? 余子の句の方が、ともかく情景の想像がつくという点では勝っていよう。

三句目のうたかたの句は、小澤のコラムで取り上げられていた〈菖蒲引いて藺草の水を濁しけり〉と共に、「菖蒲葺」の項に並んでいる。同じ時の作かも知れない。

けさ秋やあかしのもとの経一巻
染物につゞく日和や天の川
鵙なくや空間ばかりに湖の宿
荷をつける馬の列飛ぶとんぼかな
鬼灯を打つ雨土を飛ばしけり

けさ秋の句は、余子自身や親の姿などとしてあり得ないわけではないものの、やはり詠史の想像句ではないか。建礼門院や兼好法師のような人物の面影と見たい。

染物の句、鵙の句、とんぼの句は、いずれも空間性の表出にすぐれる。特に、とんぼの句は傑作かと思う。明治後半から大正初年にかけては、まだこういう光景が残っていたわけだ。

雪積む夜梁染むる爐の火かな
土間の鶏に風吹き添へば粉雪かな
城の崎の温泉によそなれや神の旅
書を読みて詩の糞ひるや冬籠
火事の火の中に黄に湧く火の子かな

雪積む夜、土間の鶏、火事の火。いずれも、精度の高い描写力が光る。

三句目は、東京から見て出雲へ行く途中に城崎温泉があることを想起しつつ、神々は温泉になど目もくれず旅路を急いでいることだろうと思いを遣っている。この作者には珍しいユーモアがある。

四句目。用語は汚いようだけれど、意外や自嘲めいたニュアンスは帯びない。卑下するでもなく、自分に酔うのでもなく、あくまで客観的な自恃を感じる。

ここのところは他に、星野石雀『薔薇館』を購入再読し、星野麦人『草笛』の到着を待ち、篠崎霞山『霞山集』をプリントアウトして目の前に積んでいるような案配。近刊の句集では千葉皓史の『家族』を読んだが、気分的に現代の句集は遠く、五十年、百年前の句集は近く感じられる。気分の問題だから、この倒錯に特に理由はないと思うが、もしかするとあるのだろうか。

ゼロ年代生まれの句から   関悦史

 先日、水野結雅の手製の冊子「不器用」と、俳句甲子園の常連校でもある名古屋高校文学部の部誌「文學帖」第十三号を受け取りながら、感想も返せないままになっていたので数句ほどここで鑑賞する。
 作者はみな高校生なのでゼロ年代生まれとなる。(※水野結雅はこの4月から高校1年生)

 以下は名古屋高校文学部「文學帖」第十三号(二〇二二年十月)から。 

  草餅の餡の仄照る夜行バス   幸村遥都(高二) 

 「草餅」と夜行バスの取り合わせの間を「餡の仄照る」が繋ぐ。これで長旅のさなか、間食に草餅を食べたという事柄ではなく、車内の灯りや外の街、あるいはトンネル内などの灯を浴びた草餅という物件にピントが合う。
 移動中に食べそうなものとしてはあまり思い浮かばない草餅のかじられて晒されたしっとりとした中身が、無機質な人工の灯りとふれあうさまが清新。
 まわりの乗客が寝静まっているなか、誰と話すこともなく食べる草餅に、ふと己の分身のような旅の孤心が宿りもする。

  薔薇の芽やチーズケーキを二口で   永井宏征(高二) 

 何の変哲もない内容から豊かな瑞々しさが引きだされている。薔薇の芽が予感させる花の美しさを瞬時にチーズケーキの味覚に転じ、それをためらいもなく二口で食べてしまう少しももったいぶらないスピード感が通り過ぎた後、世界は美しく、そして食べ得るものでもあるという錯覚のような認識の余韻が生じ、後にはもとのままの薔薇の芽が残る。もとのままとは言いながらも薔薇の芽が担うイメージは句のなかで明らかに変容し、「チーズケーキ性」とでも呼ぶべきものを帯びた薔薇の芽となっている。
 咲いてしまった薔薇の花や、甘い一方のケーキであったら締まらない句となっていた。

   空蝉や金具の軋む革鞄   近藤荘良(高二) 

 幼虫の姿をそっくり残した蝉の殻の動かないゆえにかえって際立つ生命感と、鳴き声を立てるかのように金具を軋ませる革製の鞄は、どちらも生きものの体組織を素材とする容器という共通点をもってひそかに互いを認めあう。
 しかし「金具の軋む」なる措辞からは、重く荷の詰まった革鞄も想像され、空蝉のように鞄のなかが今うつろとなっているのか否かは判然としない。もし荷が詰まっていた場合、その中身は殻を抜け出た蝉の成虫のように、独自の生きものとなって鞄から旅立ちそうなイメージもひそかに生じる。
 金具の軋みはあらゆる生けるものと、そのなれの果てたる空蝉や革鞄の苦痛のかすかな記憶のようにも思える。 

  南風腹筋の溝深くあり   幸村遥都

 南風と健康な身体というさして遠くない題材が取り合わせられているにもかかわらず、「腹筋の溝深くあり」と、密着する視線でもって身体をなぞりつつ句に彫りつけてゆくような言葉の流れが、句を読み下したときに充実感をもたらす。
 そして腹があらわになっているので、描かれていなくとも海が自然に想像されるがその部分は句からは省略されている。密着する視線と省略された外光のはざまで腹筋が南風になぶられる。それはあたかも世界から掘り起こされ膚の官能性そのもののようだ。
 なおこの句は特集「日間賀島合宿十句連作」なる企画のなかのもので、同じ一連に《級長の足が綺麗で夏深し》《合宿の友の寝顔や月涼し》といった句があり、器物のように見られた身体の一部と外光とのはざまに清潔な色気と生気が生まれる点で同趣向。

 以下は水野結雅「不器用」から。  

  子規の忌のふりかけの黄のほぐれけり   水野結雅

 子規というとその克明な食事の記録から強烈な食欲の人との印象が強くて、ふりかけ程度で納得してくれるだろうかとの思いが過ぎりもするのだが、ここではほぐれる「黄」のふりかけの慕わしさと「子規の忌」とが連なるキ音によって結ばれていて、そういえばニュアンスの複雑微妙さに乏しく目に刺さる警告色の「黄」の明るさは子規の句風に通じるところがあるのかもしれないと思わせられもする。
 質素ながら飽きがこない柔和にほぐれるふりかけの食事が子規を親しく誘い出すさまには、やせ蛙相手に見得を切る一茶のような嫌みはなく、新鮮な古拙といった撞着語法を用いたくなる素直なよさがある。

  再婚の父に日永の浮子流れ   水野結雅 

 実体験としての親の再婚は、ある程度以上の高齢の作者にはあまり起こらぬ事態だろう。現実にいくらでも起こりうる事態であるにもかかわらず、まずその点で俳句に入りにくかった題材。
 句はドラマのワンシーンのようにまとめ上げられているが「日永の浮子」が、それを見やる父と子の、想いとも無想ともつかない視線と意識を淡々と受けとめつつ流し、図式的でない含みに富んだ清澄な明るさを句にもたらしている。

2023年5月1日月曜日

海峡土産      佐藤文香


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海峡土産      佐藤文香

唐揚のおほきなおこぜ暮の春
小郡を出でて小倉へ竹の秋
散る花や雨後の曇りを小倉城
門司港の春や沖までみどりなる
海峡の土産の河豚や春の顔
仕立屋の出窓に小さき鯉幟
雀の頰しろつめくさに触れてゐる
ビール瓶よもぎの岸に割れてあり
那珂川の別れ出会ひの柳の芽
ホットドッグは春の風街珈琲店

LOST ILLUSIONS   高山れおな



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LOST ILLUSIONS   高山れおな

  しまなみ海道・大島にて観潮船に乗る。三句
渦見んと海賊の島つたひ行く
観潮船一夫婦のみ吹きさらす
船渠(ドック)また船渠(ドック)こゑなく冴え返る
暮れながら人に揉まする昭和の日
初映画四月三十日『幻滅』
ありてなきメーデーの街水を買ふ
春惜しむ最後はカットグラスかな
水は空憲法記念日の雲が
みどりの日詩歌いよいよ緑さす
こどもの日胎内くぐりしに行かん

   註……『幻滅』はグザヴィエ・ジャノリ監督。
       傑作である。念の為。

スポメニック      関悦史



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スポメニック      関悦史

おみくじ器十二星座を容れあたたか
春の山踏みしだかれて皺寄るや
人むごくスポメニックと化す草萌
     スポメニック=旧ユーゴスラヴィアの戦争記念碑
リニアモーターカーよりつばくらを見下ろせり
牢獄的春光三井不動産
ブルックナー大音量でかけ春思
わが神経拡がり吹かれ春の空
本つかみ捨つる群衆から万緑
自動車に起こる性欲南風
百年前ダダ・未来派や青簾