2020年10月17日土曜日

018*2020.10




作品

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▶︎#関ヶ原2020 関悦史   twitterより

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散文/告知

日記(2020.9.15~2020.10.14)  関悦史

9月15日(火)  
近所のMさんがマスク姿で講中(町内の葬儀互助組織)の行司引き継ぎ中止の知らせに来る。無論コロナのためである。  
「石田三成」アカウント他が毎年9月15日恒例の関ヶ原の合戦再演ツイートを始めたので、それを見つつ即吟。  
ツイッターで《#出版物の総額表示義務化に反対します》タグの書き込みをまとめてRT。大売れする本以外みな絶版品切れになりかねない。私がいま古本屋で買い集めているのは89年の消費税導入と90年代の不況で大量絶滅に追い込まれた本たちである。国内SFでいえば星新一、筒井康隆を除くほとんど全作家、全作品が品切れ、絶版、入手難になったのだ。  
尾崎放哉『尾崎放哉随筆集』、森田智子句集『今景』、原嶋光代句集『生絹』読了。 

 9月16日(水)  
原稿書けず、朦朧と句作し「土曜俳句倶楽部」の選者投句「翻車魚ウェブ」の句を送る。昨日の「#関ヶ原2020」の句もこちらに回す。  
柿本多映さんから電話。「俳句αあるふぁ」の最新号の特集《全集を楽しむ》に『柿本多映俳句集成』のことも出ていたらしい。「俳句」編集長他が異動になるという。交代が激しい。 

 9月17日(木)  
池田澄子句集『此処』評を書いたが厳しいものになった。  
「俳句」立木編集長から離任を知らせるメール。  
巫依子句集『青き薔薇』読了。眉村卓『ショート・ショート ふつうの家族』『まぼろしのペンフレンド』再読。安藤美佐江句集『螢の夜』、田上比呂美句集『休暇明』読了。 

 9月18日(金)  
年金事務所に電話。  
原稿書けず。外にも出られず。  
フリッツ・ライバー『妻という名の魔女たち』、デイヴィッド・ジェロルド『H・A・R・L・I・E』、モルデカイ・ロシュワルト『レベル・セブン』、フレドリック・ブラウン『フレドリック・ブラウン傑作集』、アーシュラ・K・ル=グイン『辺境の惑星』読了。 

 9月19日(土)  
墓参に戻ってきた小野村とその辺の廃ビニールハウス、草だらけの道等でオリビア撮影。小野村のカメラはジャンク寸前のニコンの初期デジカメに替わった。後続車に追われて知らない道に迷い込み、つくば市の古い商店街へ。産婦人科医院跡の建築美が圧巻。  
ブックオフで110円本を買い込む。  
アーシュラ・K・ル=グイン『幻影の都市』読了。頭に入らず。 

 9月20日(日)  
田中光二『勇者の血』読了。  
つちうら古書倶楽部で古本を買い込み、喫茶店に入ったが隣に喫煙客がいてすぐ出る。  
生駒大祐さんから電話。「俳句界」8月号の原稿は聞いてみたら批判の意図だった。 

 9月21日(月)  
誕生日。51歳になった。放置しているフェイスブックで池田澄子さんからメッセージが来ているのにたまたま気がつき返信。  
リイ・ブラケット『地球生まれの銀河人』のみ何とか読了。 

 9月22日(火)  
近所のSさんが梨などを持ってきてくれる。店の売上はコロナで3割まで落ちたという。3年後に始まるはずのインボイス制度のことは全然知らなかった。  
日本現代詩歌文学館に自作の震災関連句を送る。  
南うみを句集『凡海』読了。  
添削2通終わらせる。  
ツイッターの「#ジブリで学ぶ俳句」なるタグで遊んでしまい、以後何も進まず。 

 9月23日(水)  
睡眠ズタズタ。  
豊里友行句集『宇宙の音符』読了。 

 9月24日(木)  
台風は逸れ、風雨ほぼなし。  
遅れていた「円座」の原稿をやっと書く。  
『定本 右城暮石全句集』年譜の大正12年(1921年)22歳のところに《後年、「一生懸命に俳句をやるべきだと思いつつも、仕事のストレス解消のために、撞球(玉突き)、宝塚少女歌劇に無駄な時間を過ごした」とふりかえっている》との記述あり。暮石、宝塚にはまっていたらしい。  
ブログを数本まとめ上げ。  
レイ・カミングス『宇宙の果てを超えて』読了。  
「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完」最終回。ここで初めて接点が生じたいろはと小町が二次創作ネタの爆薬庫。 

 9月25日(金)  
大井恒行さんのブログで、伊東宇宙卵さんが去年87歳で亡くなっていたことを知る。本人の意思で伏せられていたとのこと。
十数年前「豈」に論評を書き始めた頃によく電話をいただいていたが、ある時期から連絡が絶えていた。  
ツイッターは昨日辺りからベーシックインカム悪用案の件で竹中平蔵への批判一色。別に中曾根康弘の葬儀に公費9,000万円も投じられるとの報。  
開封して忘れていたお茶っ葉で珍しく緑茶を淹れる。  
金井美恵子『柔らかい土をふんで、』読了。ウィリアム・ホープ・ホジスン『異次元を覗く家』再読。倉橋由美子『完本 酔郷譚』読了。 

 9月26日(土)  
「100年俳句計画」の選句選評を送る。  
矢野徹『自殺潜水艦突撃せよ』、ロバート・シルヴァーバーグ『不老不死プロジェクト』読了。  
眠気、動悸、不眠。 

 9月27日(日)  
夢のなかで大量のゲラを校正していた。私が夢校正した本はこのあと夢編集と夢印刷と夢流通を経て夢書店で夢販売されるのだろう。  
俳優の竹内結子自殺の報。名前は知っていたが顔がわからず。  
午後一杯、某動画企画の収録。 

 9月28日(月)  
ツイッターは「まちカドまぞく」シャミ子の誕生日でファンが盛り上がっていた。  
大岩雄典氏からメール。私も参加した「Emergency Call」展のレビューがウェブ版美術手帖公開されたとの知らせ。→こちら   
瀬戸正洋句集『亀の失踪』、佐藤健『マンダラ探険―チベット仏教踏査』読了。

 9月29日(火)  
連日睡眠ズタズタで不安感。  
通帳記帳に行けた。ドコモ口座の不正引出の類はなかった。  
木村屋でパンを買って亀城公園で食いサイクリング。桜川沿いの道祖神神社、知らない新興住宅街などを迷走。  
文化庁HPの「文化芸術活動の継続支援事業」の給付金申込が明日までというので一応見てみたら資格はあったが、申請しうる企画等が該当時期になかった。 

 9月30日(水)  
ゲラや急な依頼メールのやり取り。  
藤本美和子句集『冬泉』、荒俣宏・松岡正剛『月と幻想科学』読了。  
「NAVERまとめ」が今日でサービス終了。使ったこともなく検索の邪魔になっていただけだった。 

 10月1日(木)  
宗左近『芸術家まんだら―世阿弥から野坂昭如まで』読了。  
先日の仕事について請求書を出さねばならず、エクセルの請求書テンプレを適当に見繕って作成したものに電子印鑑のソフトをダウンロードして「押印」し、pdf化して送るという面倒なことをやる。  
資料の山に目を通し始める。  
菅政権が6名の学者の日本学術会議への任命を拒否。ツイッターで《#日本学術会議への人事介入に抗議する》タグがトレンド入り。その最中にツイッター不具合発生。 

 10月2日(金)  
ひたすら資料を読む。 

 10月3日(土)  
NHK文化センター「土曜俳句倶楽部」出講のため青山一丁目へ。車中でも電話帳のようなコピーの束をひたすら読む。  
古書ドリス等を覗く。  
翌日も都内で仕事のため府中の安宿に1泊。長方形ではない角部屋にユニットバスとベッドが無理矢理詰め込んであり、床がほぼない狭さ。

 10月4日(日)  
朝から晩まで会議室に缶詰にされて選句作業。  
普段来られない東京西部のブックオフを2軒見たが数冊買ったのみ。 

 10月5日(月)  
国勢調査の記入を済ませる。この手の書類、職業を詳しく書かされると毎回微妙にひっかかる。結社主宰でもないのに俳句以外の収入なしでともかく生存している人が日本に私しかいない可能性もあり、これで通るのかと。  
赤川次郎『夢から醒めた夢』、田辺聖子『ほとけの心は妻ごころ』、滝口康彦『悪名の旗』読了。阿刀田高『コーヒー・ブレイク11夜』再読。 

 10月6日(火)  
資料の荒選りだけようやく終わる。  
ノーベル物理学賞にロジャー・ペンローズの報。学術会議弾圧の話題と一緒にTLに流れてくると進んでいく世界を沈む船から見ている感。  
森奈津子『西城秀樹のおかげです』読了。 

 10月7日(水)  
資料読み続ける。  
不調。  
森奈津子『耽美なわしら1』読了。 

 10月8日(木)  
台風接近のためか数日息が浅く、しんどい。  
資料読みを続けていた原稿を一応書く。  
ノーベル文学賞、邦訳のない米詩人ルイーズ・グリュックに決定。 

 10月9日(金)  
昨日の原稿をチェックして送る。  
珍しく缶チューハイなど飲みつつパソコンを触っていてフォルダの表示をひとつ消してしまい、復元は出来たがよけいな表示も増えた。 

 10月10日(土)  
首、腕やたらに凝る。  
森奈津子『耽美なわしら2』、ガードナー・ドゾア『異星の人』、岸田理生『水妖記』、半村良『ガイア伝説』読了。 

 10月11日(日)  
野中亮介句集『つむぎうた』、荒俣宏選『異彩天才伝―東西奇人尽し』読了。  
しんどくてメール等の誤記多発。 

 10月12日(月)  
NHK文化センターから24日のオンライン講座「日曜俳句倶楽部」が予約満席になったとのメール。「オンライン」なのに「満席」というのが意味不明に見えるが、句会講座は出席者全員からコメントをもらいつつ進めるので100人も200人も入れるのは無理なのだ。  
田中裕明賞冊子のチェック用データがメールで来る。  
オンライン講座用の選者投句と、宮城県俳句協会の「東日本大震災句集」用の自作句を送る。 
「美術手帖」がツイートしていた文部科学省の「文化芸術活動に携わる方々へのアンケート」にHPから回答。
 藤原暢子句集『からだから』、橋本健二『階級都市―格差が街を侵食する』、東浩紀編『日本2.0―思想地図β vol.3』読了。 

    *

橋本健二『階級都市―格差が街を侵食する』(ちくま新書、2011年)は以下のエピソードが印象的。  1930年代の映画『綴方教室』の、親方から金を払ってもらえず、大晦日を一文無しで迎えることになった父親が家で暴れるシーンは、丸の内の映画館では場内爆笑、ところが浅草の映画館では観客は静まりかえってすすり泣きが漏れた。  
一方、小津安二郎監督の『生まれてはみたけれど』は、偉いと思っていたサラリーマンの父が重役の前で道化じみたゴマすりをしているさまを見た息子が父を責め、父はこうしなければ生きられないのだと怒って息子を叩く。こちらは中産階級には深刻な映画と受け止められ、貧乏人の多い下町では屈託のない笑いを引き起こしたという。立場によって事態の受け取り方は自然に逆になってしまうのだ。今でも似たような食い違いはあちこちで起こっているはずである。 

 10月13日(火)  
石川真澄・山口二郎『戦後政治史 第三版』、橋爪大三郎・大澤真幸『げんきな日本論』、遠山美都男『壬申の乱―天皇誕生の神話と史実』読了。体を起こしているのがしんどいので本を読んでばかり。 

 10月14日(水)  
自分で作ったものを食うのに嫌気がさして珍しく刺身を買ったら凍っていた。買う刺身というのはこういうジャリジャリものだったと思い出す。大洗からトラックで行商に来る魚屋のはさすがに違っていたが、東日本大震災と原発事故のあと廃業せざるを得なくなったのか来なくなってしまった。
サトアヤからDM。作ろうと話していた「翻車魚」グッズは予想外なものになる模様。  
井上章一『阪神タイガースの正体』、夏木久句集『「組曲*構想」』、渡辺誠一郎句集『赫赫』読了。

第13回フェスティバル/トーキョー20 『移動祝祭商店街 まぼろし編』 「その旅の旅の旅」 佐藤文香『逢瀬逢引』手引



佐藤文香『逢瀬逢引』手引  

1 
俳人・正岡子規の紀行文「旅の旅の旅」から着想を得た企画なので、ぜひ俳句の人にも参加してほしいとお声をかけていただいて驚いた。そんなラッキーな依頼、あっていいんでしょうか。 6人の旅人がそれぞれ豊島区の8つの景を選んで作品をつくって、その情報が掲載された地図を頼りに、参加者が誰でも街歩きし追体験ができるという、パフォーミングアーツ。
しかし、俳句入り紀行文を書いたのでは子規のなぞりになってしまう。そこで、子規がしてなさそうなことをしよう、と考えた。

2 
25歳になったばかりの正岡子規は旅をしていた。 大磯で仲秋の月を見、引網を見て、さらにそこから箱根へ出向いた様子が紀行文「旅の旅の旅」として記されている。明治25年10月のこと。 
そうか、今、「旅の旅の旅」の128年後の秋か。  

3 
私の作品はこんなかんじ→「逢瀬逢引 一 かの旅の」
一つの景に対して二句。一方は穴埋め形式で、歩きながら自分で句作できるようになっている。私との吟行デートというわけだ。
川沿いを歩くから「逢瀬」の水気もいいし、ふたりで引き合う「逢引」もいいな、ということで、合体させてタイトルにした。子規の短文「旅」には、「逢瀬」という言葉が出てくる。この短文は、お題で書いた創作のようである。

34歳で死んだ正岡子規より、すでに長く生きてしまっている。 

5 
セノ派の杉山さんから「景」という言葉を聞いたとき、ちょっと嬉しくなった。「景」って俳句でつかいますよね。簡単にいえば景色や情景のことで、その作品について「景が見える」といえば、句に描かれた情景がありありと思い浮かぶ、ということ、だと思う。 
俳句は五感をつかって書こうなんていわれるけれど、実際には視覚をつかう句がかなり多い。子規が唱えた写生論が、その後方法として確立されたからでしょう。 
でも、見えなくても、感じられればいいかな。あと、本当のことだけが「景」じゃないし。 

6 
正岡子規による「旅の旅の旅」は、30句以上の俳句を含む紀行文。 
その一句目、〈旅の旅その又旅の秋の風〉は表題作なんだけど、新聞連載の初出では〈はつきりと行先遠し秋の山〉だったらしい。一句目で「行き先が遠い」って言っちゃうのは、たしかに野暮かも。これ以外にも『増補再版 獺祭書屋俳話』(明治28年)は初出である明治25年の新聞「日本」からの句の異同が多くあって、即興の方はナマっぽいというか練れてない感がある。それも悪くないけど。
 推敲し続けると、別の句になっちゃうこともよくある。今回の「逢瀬逢引」は、穴埋めしながら推敲して、新しい句にしてみるのもアリです。 

7 
子規の「旅の旅の旅」は、「旅(この世に生まれて25年)の旅(愛媛から東京に出て10年)の旅(から今旅に出てきて10日)」、ということのようだ。 
ちょっと飛躍するけれど、今回の「その旅の旅の旅」は、芭蕉(俳諧の時代)の旅、子規の旅、そして私たちの旅、くらいに捉えてみてもいいかもしれない。発句から俳句へ、俳句から我々の……(今私たちが書いているものは何と呼ぶべきなのか?我々はまだ仮に俳句と呼んでいるが)。  

8 
誰かが歩いたところを自分も歩く。誰かが書いた作品の上に、自分が書く。 
”ふまえる”ということの面白さは、いかにも俳句でした。お疲れ様。 
で、ここからだ。 “ふまえない”俳句が、あるとすれば。 

 *参考文献 『子規全集 第十三巻 小説 紀行』,講談社,1976年

2020年10月1日木曜日

(1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ   関悦史



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(1)落下する水、(2)照明用ガス、が  与えられたとせよ   関悦史  

荒脛巾(アラハバキ)滴りみちのくとは半島 
轟ける差延(ディファレンシア)を落ち来る滝 
雷に覚め大雨に老い胎児に帰る 
日本民主主義人民共和国残暑の雨 
太陽の塔立つ国の秋の暮 
満月やヒトデのやうに眠るとき 
をりもせぬ姉跳ねまはる月夜かな 
押入に姉の四肢積む月夜かな 
脚のみの姉歩み去る月夜かな 
妹の生首のごと茸かな 
楽園は人なきこの世春の地震

#関ヶ原2020     関悦史



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 #関ヶ原2020     関悦史
秋朝まづZoom軍議や関ヶ原 
霧はれゆく狼煙やLINEや関ヶ原 
朝露のスマホ鳴り通しの三成 
毛利の陣へUber Eats秋の野を 
秋風や金吾にブロックされ三成 
秋昼の金吾のアカウントが凍結 
予防完璧常のマスクの刑部死す 
爽やかにGo to東軍キャンペーン 
Get Wild退却島津秋の興 
毎年よ西軍九月敗るるは

Laptop  佐藤文香



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 Laptop     佐藤文香 

大学と途中のカフェと百日紅 
藤の実にあかるき雲の迫るなり 
半袖や秋の貴重な涼しさを 
蓮根の穴を洗ひぬ獺祭忌 
九月尽君を句作に付き合はす 
  君は
「月代に舞ふトランプや絵柄なし」 
栗、林檎 LINEするとは愛すること 
洋梨熟れてBackSpace keyなきLaptop 
鳥ごゑに身ぬちの秋思くらべけり 
真顔即豊麗線か暮の秋