2023年8月15日火曜日

052*2023.8




10句

10句

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散文

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一句鑑賞〈吸入器君が寝言に我が名あれ/佐藤文香〉

一句鑑賞〈吸入器君が寝言に我が名あれ/佐藤文香〉

 君は生まれつき気管支が弱かった。笑いすぎると途端に君の喉はびゅうびゅうと鳴って、喉の狭まりは君の呼吸を妨げた。布団の中に潜って遊ぶと、埃に反応して発作が出た。友達とかけっこをしても苦しくなった。発作が出るたびに君は神さまに祈った。学校で神さまというものの存在を教えてもらう前から、君は神さま(それは純粋に「君の中の」神さまだった!)に、病気を治すよう祈った。

 村に一人だけの医者は、よくある喘息だといった。けれども病状がひどくなるにつれ、医者はただしかなり重ためのだ、と言い直すことになった。この村を出た方がいいとも言った。村は海沿いで、曇る日が多く霧が立ち込める日もあった。もっと空気の綺麗な内陸の田舎へ行くべきだ。お子さんの将来のことを考えてご覧なさい。内陸の田舎もそう悪いところではない――。そう勧められ、君の両親は俯くしかなかった。 

 君の両親はその村で代々商店を営んでいた。君を連れて引っ越すことは、店を畳むことを意味していた。君の両親は自転車から駄菓子まで何でも売った。小さい店ながらも何世代にも渡って村の人々の生活を支えてきたことは、君の両親にとって誇らしいことだった。

 しかし幸か不幸か、医者の意見は、あろうことかまだ幼い娘の――君自身によって却下された。君は、家の窓から見える景色が好きだった。だからそこの家を離れたくなかった。君の娯楽はその家の東側の窓からもたらされていたのである。窓からは海が見えた。それに灯台も見えた。岬の先端に立つ、白く小さな灯台が見えた。

 霧がかった日は灯台は見えなかった。けれど、晴れた日は白壁の照り返しが眩しいほどだった。距離にして二百メートルくらい。夜はくるくると回る光の帯に見とれた。君自身は病弱で、灯台へ行くことはほとんど出来なかったけれど、その灯台の存在は間違いなく君の精神を明るくし、君を支えていた。灯台の光が届かないところに引っ越すことは、君には考えられなかった。君は以後、ずっとこの村で暮らすことになる。

 君の喘息の発作は遺伝的なものだった。君の父が喘息もちだったのである。だから、母が困惑気味に喘息の君を見守るのに対して、父は、彼自身の経験を基にした冷静さをもって君の喘息に対処したし、深い愛情を惜しみなく君に注いだ。発作が出て寝付けないときに背中をさするのも、吸入の薬を調合するのも、吸入の間に絵本を読み聞かせてくれるのも、君の父だった。

 君は、読み聞かせが大好きだった。君が吸入器から出て来る薬品入りの水蒸気を吸って手持無沙汰なあいだ、君の父は、吸入器に負けないような大きな声で、絵本を読んでくれた。吸入器から溢れ出てくる水蒸気が、絵本の頁を濡らした。君は吸入器を咥えながら笑い、悲しみ、泣いた。

 小学生になり文字を覚え、君が本をひとりで読めるようになってからは、君の父が読み聞かせをしてくれることはなくなったけれど、君が本の虫になったのは確実に父のおかげだった。君は書物の中に友達をたくさん作り、多くのことを彼らから学んだ。

 また君は現実でも、友達に恵まれた。君が学校を休んでいる日は君のことをみんなが心配した。プリントを届けてくれる友達もいれば、クラスに戻ってきたときに仲間外れにならないよう、学校の出来事を意識的に君に教えてあげる(しかし意識的であるというそぶりは見せない)友達もいた。彼らに感謝しながら、君は小学校を、中学校を、そして高校を卒業した。休みがちだったけれど、君の成績は優秀だった。

 それから君は恋もした。君の初恋は君が中学生のとき、それは窓越しだった。君はいつも窓辺に座り、ぼんやりと灯台を見ていた。決まって午後――それは放課後くらいの時間――、君の家の前を通り、岬へ、灯台の方へ向かう自転車があった。自転車に乗っているのは同い年くらいの男の子、彼は自転車の籠の中に膨らんだ手提げのトートを入れて、三日に一度くらいの頻度で、君の窓の前を通過した。彼がなぜ灯台へ向かうのか、君は知るすべがなかったけれど、トートの中に詰まっているのがたくさんの本だと知ってから、ますます彼に惹かれるようになった。彼とはほんとうに仲良くなれそうな気がした。 

 彼はなぜ灯台へ通うのか。一度にたくさんの本を持っていくのはどうしてなのか。どこの国の文学が好きなのだろうか。歳は幾つなのだろうか。それから、名前は――。知りたいことが君の中に渦を巻き、寝ても覚めても、自転車で灯台へ向かう彼のことを考えるようになった。君は毎日窓辺で彼が通り過ぎるのを待った。彼は三日に一度来た。そして彼は君の視線には全く気付かず、ただ灯台へと続く坂をゆっくりと降りていった。そして少し時間が経つと、引き返してくるのだった。 

 恋は突然終わりを迎えた。半年ほどたったある日、彼が姿を見せなくなったのである。何日待っても、彼は銀色の自転車で、君の家の窓の前を通ることはなかった。一切の事情は分からなかった。突然のこと過ぎて淋しくもなんともなかった、自転車の彼とはそれっきりね――君はいたずらっぼく、わたしにそう教えてくれた。

 わたしは君の狙い通りに少し嫉妬したから、曖昧に笑って、もう寝たら、と促した。手元の電気スタンドの灯を消して、覚醒状態のまま天井を見上げる。やはり寝る前に飲んだ珈琲がよくなかった、ミルクにしておけばよかった、と思う。だんだんと君の呼吸がゆっくりになり、一息一息が長くなる。おだやかに寝息へと変わってゆき、寝息に変わった。君はいま寝ている。静かに夢を見ている。枕元には、君が高校生まで使っていた吸入器が埃を被ったまま置いてあった。

 わたしは、君の寝言を聞き取る前に眠りについている。



ーーーー
この鑑賞文は、佐藤文香のDropboxに入っていた。
佐藤文香の文章、ということでいいのかもしれない。

耽美俳句逍遥     関悦史

 少々前のことだが、さる雑誌から耽美性俳句なるテーマを与えられて論評を書いたことがあった。俳句史にそういう流派がまとまってあるわけでもないので雲をつかむようなテーマに困り、とりあえず例句になりそうなものを集めたらけっこうな量になった。紙幅の都合でほとんど触れずに終わってしまったのだが、これをもとに50句選か100句選程度のアンソロジーを組んだらそれなりに面白くなったのかもしれない。そういう目で例句を見返してみよう。

   少年の死神が待つ牡丹かな   永田耕衣 

 耽美というテーマを与えられてはじめに思い浮かんだのがこの耕衣の句である。ただ美しいのではなくて美に“耽る”からには、あまり晴れやかではなく、句に何がしかの翳りや、ときによっては悪魔的な魅力もあってしかるべきだろう。これは悪魔ならぬ死神の句だが、その死神があろうことか若々しい少年の姿をしていて、その条件を充分みたす。出会う場も百花の王と呼ばれる牡丹のそばである。
 
 他者にはうかがい知れない密会の風情となるのは、おのれの死であれば当然のこと。エロスの極まりとして死を描くといえば三島由紀夫「憂國」その他いくらでもあるありきたりの発想にきこえるが、しかし発表当時に夭折とは到底呼べない齢にいたっていた作者の名が付された句である。句の主人公にも老齢の影は落ちるが、とはいうものの「ヴェニスに死す」の主人公アッシェンバッハのように、美少年の面影を追い求めながらあえなく病死するといったものさびしさはない。それどころか少年の死神との出会いは確実に果たされるであろうという予感があり、待っている時間そのものに充足がある。アレゴリカルに少年の死神とされているもののその内実は己の死なのだから、これ以上確実にやってくるものはない。

 死を美によって悦楽に転じる概念の力技をやすやすと成し遂げているこの句が、五七五定型わずか十七音に過不足なくおさまっていることはあらためて奇観とすべきだろう。その先には、少年と牡丹のイメージをまつわらせた若返りと再生すらもが予感される。

    *

 少年や青年がテーマの句は以前、BL俳句についての連載をしていたので、この句のほか、〈怒らぬから青野でしめる友の首 島津亮〉や藤原月彦の作品などもそちらで取りあげてしまっていて、私としては二番煎じの感がある。

 耽美というよりはゴシック趣味に近づくかもしれないが、アンソロジー的に並べるのならば「人形」「迷宮」「怪物」「変身」「百合」等、ほかのテーマも探ってみるべきなのだろう。次回以降、気が向いたら続けてみる。

パイクのけむり XXX ~写生文ネオ 雑賀あたる篇~  高山れおな

 1 鳥の名前 
雑賀あたるは俳人の看板を掲げているものの、季語の知識となるとかなりあやふやである。中でも泣きどころは鳥の名前で、たまに山中の寺社に詣でて良い声が聞こえても、名前がわからないためにせっかくの句材をみすみす逃してしまうのが毎度のことであった。

あたるが姿と名前をあやまたず一致させられる鳥となると、雀に鶏、鳩、鴉、燕、鸚哥、鸚鵡、梟、みみずく、鶴、鷺、雉、孔雀、鶉、白鳥、鷗、海猫、鴨、鳶、鷹、鷲、ペンギン、ペリカン、フラミンゴ、七面鳥、駝鳥……。特別な鳥好きでもなければ、まあこんなものかなと思う一方で、野鳥で声を聞き分けられるのが鶯と鵯だけというのはやはり情けない。 

じつは山寺などに行かなくても、あたるの家の前の公園にも野鳥は来るのである。ただ、色の綺麗な鳥が二、三日姿を見せたかと思うといなくなり、声の良い鳥が数日鳴いていたかと思うと聞こえなくなるというふうで、およそ規則性というものが無い。それはこの公園の植生に巣作りして棲みつく程の奥行きがないため、彼らが棲息地から別の棲息地に移動する際の、ちょっとした骨休めの場所になっているからではないかとあたるは想像しているが、実際のところはわからない。

ここ数日見かけるのは、体が雀の二、三倍程あって、尾羽の長い、白と黒のツートンカラーの鳥である。ほとんど鳴くことはなく、蟬の屍骸を狙って来ているらしい。今朝は雨上がりの、水蒸気でもやった公園の芝生に二、三十羽が降り立って、歩き回りながら、地面に嘴を突き刺すような動きを繰り返していた。ふと上を見ると、防球ネットの支柱のそれぞれに一羽ずつ鴉がとまって、時々、首だけをぐりっぐりっと回してあたりを睥睨している。なんだか凶悪な感じの素敵なみなさんだな、あたるはそんなことを思いながらタバコに火を点けた。 

 
2 秋の暮
あたるは記憶が飛んだことがある。もう数年経っていて、すでにコロナの渦中であったから、おそらく二〇二〇年の秋であろう。たしかに勤めが忙しい時期で疲れてはいたのだが、手洗いに行って席に戻ってパソコンに向かうと、そこに書きかけてある原稿に全く覚えがない。正確に言うと、覚えがない推敲が施されていたということになるのか。自分が書いていた原稿には違いないのだが、途中から書いた覚えのない文章に変わっていたのである。

もう、二十年からの昔、Aという先輩の原稿の後半を、Aが席をはずしたすきに、さらに先輩のMデスクが珍妙に書き換えて、それを知らずにプリントアウトしたものをAが編集長に見せて大騒ぎになったことがあった。あたるは一瞬そのことを思い出したが、いま職場にいるのは真面目な女性たちばかりで、そんないたずらをする者はいない。これは記憶が飛んだのだと思い到って、ぞっとしたのだった。 

あたるは数日後、大病院へ行き、MRIやら何やらの検査をしたものの特に悪い病気も発見されず、疲れのせいだろうということで一件落着した。その後は何事もなく過ぎていたところ、最近またちょっとしたバグが生じた。あたるはこの数週間、先日亡くなったS氏の作品を鑑賞する文章を書いていた。そのうち下五に「秋の暮」を置いた句を鑑賞するのに他例と比較しようとして、頭の中に秋の暮の句の記憶が全く無いことに気づいた。此の道や行く人なしに秋の暮も、枯枝に烏のとまりたるや秋の暮も、日のくれと子供が言ひて秋の暮も、秋の暮山脈いづこへか帰るも、拭ったように消え去っていたのである。もともと記憶力薄弱なあたるのことだから、暗記している句もたかが知れているとはいえ、この場合はあるはずのものが消えていたのでとても嫌な感じがした。俺の頭が秋の暮だとあたるは頭を振って、やむなく大歳時記を取り出した。


3 シャンブルな人
あたるは長い間ほとんど夢を見なかった。そんな時期が二十年以上続いて、自分はもう夢を見ない体質になったのかしらんと思っていたところ、再び夢を見るようになった。夢をしばしば見るようになると、それが一種の楽しみになってきた。以前、明恵の夢日記については少し読んだし、俳人のN氏も夢日記の本を出している。自分もああいうものを書けないものかと思いながら、方法がよくわからずにいる。ああ、これは面白い夢だから記録しておこうと思っても、目が覚めて、スマホのメモ帳に書き付けようとするそばから、夢はたちまち輪郭を失って、春の淡雪のように溶けてしまうのだった。

そんなあたるが、ある夢からかろうじて書き取ったのは「シャンブル」という言葉だった。その夢は、甘美というのでもなく、悪夢というのでもなく、あれこれあった後に偉そうな人が出てきて、何か心外なことを言われたのである。すると、知人の彫刻史家のSさんが横に現われて、「あの人も、ああ見えてシャンブルな人ですから」と言って慰めてくれたのである。 

シャンブルという言葉を調べてみると、フランス語にchambreという単語があって、これは部屋という意味らしい。しかし、あたるは全くフランス語を解さず、基礎的な単語とはいえこの言葉を知っている理由もないし、「部屋な人」というフレーズも意味をなさない。ただ、Sさんとフランスの間に、一つだけ脈絡があるといえばある。それは夢を見る前日、Sさんの顔が数学者のアンリ・ポアンカレとよく似ていることに気づいたあたるが、Sさんにショートメールを送ってそれを伝えたことだ。しかし、そのメールには応答が無かったし、あたるがSさんとフランス人数学者の間にある関係性を見出したからと言って、そもそも脳内に存在しないはずのフランス語が、Sさんの口を通じて出てくるのはおかしい。しかし、夢はやっぱり面白い。なんとか夢日記をつけるノウハウを開発しようとあたるはいよいよ思うのだった。


4 名は体をあらわすこと、あらわさないこと
雑賀あたるというのは本名で、戸籍上の表記もこの通りだし、クレジットカードにはATARU SAIGAと印刻してある。妻は雑賀らんで、両親が仮名の名前なのに子供が漢字表記ではバランスが悪かろうと思って、息子は雑賀ひかると名付けた。

この夫婦は仲が悪いといえば悪い。あたるのつもりでは、原因はさておき、攻撃を仕掛けてくるのはいつも妻の方だと思っている。攻撃には熱戦もあれば、冷戦もある。名前の画数がどうこうという話は全く信じないあたるであるが、名前の暗示が人生に影響することは疑っていない。現に、自分たちは「妻が乱」と「妻が当たる」で、まさに名は体をあらわしているではないか。 

遺憾なのは「才が光る」でなくてはならない息子の方にこの原則が当てはまらないことだ。二十一世紀生まれなものだから、頭が小さくて腰の位置が高いことには感心するが、熱心なのは筋トレばかりで、これだけはもう何年も続けている。かと言ってジムに通うわけではなく、就職して給料が入るようになったおかげで、居間に置かれたダンベルの数と種類が無闇に増えてゆく。体に贅肉のひとかけらもないのは結構ながら、いつもパンツ一丁で家の中を歩き回るなどその行動は謎めいている。 


5 ある男?の話
雑賀あたるは最近、樫本由貴氏の「俳句における原爆遺構―水原秋櫻子の「聖廃墟」とその受容―」(「原爆文学研究」20 2022年3月)という文章を読んで驚いた。これは秋櫻子が原爆で廃墟と化した浦上天主堂をはじめ、戦後の長崎を巡って詠んだ旅吟の連作を論じたもので、本体部分はたいへん面白く、勉強になった。驚いたのは、「終わりに」において〈本稿では踏み込むことができなかった〉〈俳句における「みなす」行為の倫理的な問題〉について述べた部分。秋櫻子が〈浦上天主堂を聖なる廃墟とみなしたこと〉が〈浦上天主堂と被爆の被害に苦しむ人々を切り離している〉という、本編で論じられた問題点を再確認したあとで、筆者はこの「みなす」行為を〈俳句表象全体の問題として考えなければならない〉と述べて、次のように続ける。

例えば、西山泊雲の〈傘さして水落し居る男かな〉は、書き手が傘をさす対象を「男」とみなしている。(中略)秋の雨の降る中、傘を差した男が稲の生長に不要になった田の水を抜いている光景を描いている。掲句には装いやふるまいといった要素から男性とみなす力学が働いている。手法としては写生の句だが、この句は対象の性自認を置き去りにしており、書くという行為が孕む暴力性を読み取ることができる。

この一節に継いで、照井翠の〈双子なら同じ死顔桃の花〉への言及があるが、そちらの件はさておき、なんでよりによって泊雲のこの句が、性自認とか書く行為が孕む暴力性といった話題の引き合いに出されるのか、あたるはうたた茫然となったのであった。 

「みなす」行為の倫理性を問うのはわかるとして、こんな句で書く行為が孕む暴力性を云々するのはいささか的外れなのではと思い、あえてこの「男」の性自認を問題にすることに付き合えば、泊雲は「男かな」とそっけなく客観的に書いているけれど、じつはこの人物をよく知ってた可能性はないのか、とも思った。泊雲は農村地帯で造り酒屋をやっている旧家の人なので、実際、その可能性は低くないだろう。名前も顔も家族関係も全部承知した上での「男かな」かも知れないのだ。もちろん、それは具体的には確認しようがないし、たとえその人物が妻子持ちの一家の主人だったとしても性自認を確認してないことに違いはないからやっぱり表現の暴力性は免れない、とか言われた日にはどうしたらいいんだと気が遠くなったのであった。 

とにかくこの場合の例示が適切とは考えられなかったものの、あたるにとってもあながち興味の無い問題というのでもなかった。男かなとか女かなとかやっている句を大量に並べたら、なにがしか面白い光景が見えそうな気もした。あたるの頭にすぐ浮かんだのは、高浜虚子の〈女涼し窓に腰かけ落ちもせず〉であったが、これなどはミソジニーが露骨で、性自認云々以前の問題なのかも知れなかった。

風呂に入ったあたるは、目薬をさしてから寝たのであった。

2023年8月1日火曜日

パイクのけむり XXⅨ ~掃除日記より「別記 七月の十日間」~  高山れおな

七月半ばにアップできなかった文章を、半月遅れになりますが掲出します。「掃除日記」というのは、二〇二一年四月からつけている日記のタイトルです(そもそもは部屋の掃除の記録だった)。この七月の半ば過ぎ、たまたま立て続けに旅行することがあったので、その間の日記に俳句を付して、別記としました。 

 7月14日(金)
八時半、起床。十時、出社。八月号の校了二日目。本来、昼近くまでかかるはずが、進行が順調で大部分のページを昨日のうちにおろせたため、この日の作業は一瞬で終わった。見通しよりだいぶ早く、十一時には退社。十一時半、朝日新聞東京本社の選句会場に入る。すでに選句を始めていた長谷川櫂氏、大串章氏に挨拶。コロナ禍のため、選者が会しての選句は二〇二〇年春以来となる(この間は高山のみ朝日新聞社で選句、他の二ないし三選者のもとに、順次、投句ハガキを回していた)。選句会再開が急だったため、小林貴子氏は予定を入れてしまっており、やむなく昨日のうちに来社して選句を済ませたとのこと。お目に掛かるのは二週間後になる。長谷川氏は午後一時半、大串氏は三時までには選句を終えて退出。当方が選を終えたのは、三時半過ぎ。担当のNさんとしばらく雑談して四時に退出。

五時、東京都現代美術館の「デイヴィッド・ホックニー展」内覧会へ。十年来のiPadによる風景画には共感し難く、今展にも全く期待していなかったのだが、肖像画の部屋で思いがけず感動を覚える。iPad絵画そのものはやはりいかがなものかと思ったものの、見せ方には感心した(成功した富裕なアーティストならではという言い方もできるが)。

七時より、ABC本店で、東京国立近代美術館主任研究員・成相肇(なりあい・はじめ)氏の『芸術のわるさ コピー、パロディ、キッチュ、悪』刊行を記念したトークイベントを聞く。時に辛辣な成相さんと、本の中で描かれた時代をリアルタイムで知る(本で扱われているのは多くは成相さんが生まれる前のこと)写真家・石内都氏の掛け合いが愉快。学生時代の逸話などプライヴェートにわたる話題も出て興味深い。成相さんがまだ東京ステーションギャラリーの学芸員だった頃、「芸術新潮」の展評欄を三年にわたりご執筆いただき、その間はもちろん頻繁にやり取りしていたものの、個人的な話はほとんどしていなかったことに改めて気づく。イベント終了後、(謹呈本とは別に)本を買って、サインをしてもらう。当方の名前の代わりに、「芸術のわるさ 神農の教へ」と書いていただく。トークの最後に、同書に入っている「神農の教え」というエッセイのことが俎上にのぼっていたのだ。
 
毒にして毒消しの夜話涼しけれ


7月15日(土) 
九時半に起床。正午から東銀座の徳うち山で、両親の喜寿の祝いの食事会。店を選んだのは妹で、選択の基準は、料理の最後に出てくる鯛茶漬けとのこと。いつの間にか鯛茶漬け大好き人間になっていたらしい。それも結構ながら、私としては焼き胡麻豆腐に感心した。俳人協会からの近刊『新房総吟行案内』では、能村研三氏から頼まれたとかで、父が「千葉はうまいよ何もかも」というエッセイを寄稿している。内容は自分が住む千葉の食材の品数と新鮮さは、広州にもプロヴァンスにもひけを取らないといういつもの持論だが、本人は中国にもフランスにも行ったことがないのである。文字通りの夜郎自大。とはいえ食に満足して暮らしているなら、それ以上結構な話はないに違いない。

二時に散会。渋谷区立松濤美術館で開催している「私たちは何者? ボーダレス・ドールズ」展を観るため、神泉に向かう。群馬県立館林美術館でかつて観た「再発見! ニッポンの立体」展のようなものかと予想していたが少し違う。舘林の展覧会は、西洋から入ってきた彫刻という制度と日本の伝統的な立体造形物の間のずれの問題を考えるもので、野心的な目標と実現した調査や展示の乖離という意味では失敗していたが、目標設定の壮大さや高邁さは言うを俟たない。一方、松濤の展覧会はあくまで日本の歴史の中の人形の展覧会であって、「ニッポンの立体」のような風呂敷の広げ方はしていない。古代の呪術で用いられたヒトガタから、近世の雛人形、幕末明治の生人形、現代のラブドールや村上隆の大型フィギュア作品まで、展示品はそれなりに多彩で楽しめるものの、コンセプト的には小ぢんまりとしている。どちらにせよ、この種の展覧会は世界の事例との比較抜きではもはや成り立たないのではないか、というのが個人的な意見である。

も祝も笑める人形国の夏


7月16日(日)
十一時半、起床。「オリジナリ」の原稿を見直して送付。午後は、部屋の掃除、家人に頼まれた食材の買出しなどに終始する。夕食の際、たまたまテレビが点いていて、名古屋場所の上位の対戦に三十分程見入るなりゆきとなる。相撲に関心を失ってやや久しく、名を知っている力士が一人もいない。いや、正確に言うと、知っている名前があっても、別人に代替わりしているのだ。たとえば琴ノ若がそうだ。琴ノ若と若元春が対戦するものだから、若と若でややこしい。豊昇龍と宇良の対戦は、相撲自体もさることながら、豊昇龍の面魂が気に入って、相撲好きイラストレーターの伊野孝行氏にショートメールしたら、それは朝青龍の甥です、とすぐにレスがあった。結びに出てきた霧島ももちろん旧知の名だが、現在の霧島はこれもモンゴル人。霧島も相手の翠富士も今場所は絶不調らしいのに、対戦自体はまわし待ったが掛かる熱戦となり、思いがけず堪能したのだった。

知らぬ顔相撃ち七月場所沸けり


7月17日(月祝)
六時に起床して家を出る。明日、花巻で取材の予定なのだが、前入りして、まだ行ったことのない遠野に足を伸ばそうという計画。寝不足のため、新幹線の車中では新花巻まで爆睡した。現地ではレンタカーを借りて、早池峰(はやちね)神社、遠野市立博物館、伝承園、カッパ淵などを回る。博物館の馬の展示が面白い。K県立K沢文庫のSさんから、遠野はジンギスカンが美味いとすすめられていたのに、研究不足のためジンギスカンの店にはたどり着けず。一日中、降りみ降らずみの空模様で、早池峰山が見えなかったのは残念だった。素晴らしかったのは遠野郷八幡宮の蜩。透明な声が無限に湧き出し、潮のように高まっては引き、引いては寄せ、重なっては流れて、その響きは何に喩えようもない。夜は花巻温泉のホテル紅葉館に泊まった。

ひぐらしの香水海(かうずいかい)の底にゐる


7月18日(火)
七時に起床。眠りは浅く、ずっと悪夢を見ていた。九時にチェックアウト。ホテルの向かいにあるばら園に入った。花の盛りとは言い難く、ややがっかりする。大野林火の句碑に、〈直立に南部赤松遠郭公〉とあり。宮沢賢治設計の日時計花壇などを見る(花はベゴニア)。引き続き、宮沢賢治イーハトーブ館、宮沢賢治記念館、花巻市博物館を回る。記念館の展示はさすがに充実。恐れを知らない言葉のほとばしりにおののく。真にオリジナルな天才であることはもとよりとして、ほとんど狂気に近いものを感じる。「銀河鉄道の夜」の自筆原稿の展示を見られたのは収穫だった。 

一時四十一分新花巻着の新幹線で写真部H君到着。本来はK沢文庫のSさんも同じ列車で来るはずだったのだが、小田原駅での切符購入に手間取って一本遅れる旨、ショートメールで連絡があった。ただちに成島毘沙門堂へ向かう。昨日来の天気はいよいよ悪化して本降りの様相である。

毘沙門堂のある三熊野神社の境内は丘陵の中腹に位置し、目的の兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)立像は、本来の毘沙門堂からさらに急斜面を上がった収蔵庫に安置されている。まずは神社本殿をはじめ境内をスナップ。その後、参道下に止めた車からブツ撮り用の撮影機材を運び上げようとする折しも、雨はいよいよ強くなり、H君も当方もずぶずぶのどろどろとなった。こんな取材はじつに久しぶりだ。なんとか態勢を整え、撮影にかかろうかというところでSさんも到着。Sさんは東北大学の出身だからここは何度も来ているのでしょうと尋ねると、平泉は調査で通ったけれど成島に来るのは二十年ぶりくらいだとのこと。

兜跋毘沙門天立像は像高五メートルに近く、両腕や天衣は別材ながら、頭体幹部(とうたいかんぶ)を一木から彫り出している。ずどんと大きな丸太さながらの物質感の一方で、彫刻的なバランスもよく取れている。平安中期十世紀の作というところまでは諸家の見解が一致しているものの、十世紀のどこに置くかが問題。毘沙門天を支える地天の顔の表現などから定朝様(じょうちょうよう)に近いと判断して時代を下げる人もいるが、Sさんはむしろ時代を上げたいようだ。北上市にあった極楽寺(廃寺)に祀られていた、成島像のさらに一・五倍程の法量があった兜跋毘沙門天像をプロトタイプとしているのではないか、というのがSさんの考え。この規模の造立には、当地の社会的動向が深く関わっているはずで、つまりは前九年の役・後三年の役の前史をどう考えるかの問題になるのだろう。

千年の巨像も虚像梅雨に立つ


7月19日(水)
九時半、起床。昨晩は十時前に帰社したものの、台割を確定させる作業のため、退社は十二時近かった。洗濯してから出社。台割を仕上げて送付した後、九月号のニュース関係の打合せが続く。夕方からはルネサンス特集の原稿をチェックする。木・金と代休を取るため、済ませなくてはならないことが多い。十時に退社。明日からの旅行の準備をして一時に就寝。

三伏の灯に見る稿の堆く


7月20日(木)
代休と言い、旅行と言っても、じつは九州に行く十月号の取材チームに私費でくっ付いて行くのである。昨年の暮に亡くなった磯崎新先生の特集を組むのだが、私もかつて少しご縁があり、これを機に九州にある作品を見ておこうと思ったもの。この日はまず大分に飛び、旧県立図書館(現・アートプラザ in 1966)と現在の県立図書館(豊の国情報ライブラリー in 1995)を撮影した。細かくは記さないが感銘は浅くない。最後に回った岩田学園も校舎や体育館、学生寮などの建物ごとに、1960年代のブルータリズムから2000年代のポストモダンまでを展望できる稀有の場所だった。校地は大分川のかつての中州にあたり、脆弱な地盤を補強するため、ぐるりにクスを植えている。現在地への移転からすでに数十年を経て、木立は亭々として茂りが深い。夜は、別府駅前ホテルアーサーに泊まった。

すれ違ふ声みな若き樟落葉


7月21日(金)
ビーコンプラザ(別府国際コンベンションセンター in 1995)を撮影した後、小倉へ移動し、北九州市立美術館(in 1974)、北九州市立中央図書館(in 1974)を取材する日程。ビーコンプラザのグローバルタワーは、エレベータが入った円筒に、巨大な円弧の一部を組み合わせたデザインで、高さは百メートルある。頂上部の展望デッキには昨夕のうちに登ったが、この日は外観の撮影のため、周囲をロケハンした。裏手の山に観覧車らしきものが見え、そのあたりからの眺望はどうだろうかと近くまで行ってみると、燃えるような緑の斜面の果てに異形の塔が聳える案配ですこぶるシュール。くだんの観覧車は、ラクテンチという遊園地のもの。山上の盆地状になった敷地に、さまざまなアトラクションが点在しているのが見える。人の気配が無く、営業しているのか廃墟なのかいぶかしかったが、十時になると観覧車が動き始めた。廃墟ならば、それはそれで磯崎先生の若き日のヴィジョンそのものなのだが。夜は、JR九州ステーションホテル小倉に泊まった。

よく灼けて昭和の夢の遊園地


7月22日(土)
午前中に西日本総合展示場本館(in 1977)と九州国際会議場(in 1990)を取材してから福岡へ移動する日程。福岡では薬院のやま中(in 1997)で撮影。磯崎先生の作品には、美術館や図書館、コンサートホール、スタジアムなど大型の公共施設が多く、住宅でさえごく限られる中で、個人飲食店のデザインは稀有であろう。磯崎先生とは、大将がまだ独立する以前から、六十年程の付合いになるという。中国に出張する際など、よくここで鮨を摘まんでから空港に向かったらしい。カウンターは木曾ヒノキの巨大な一枚板で、職人たちの背後はインド砂岩を砕いた粒子を塗り込んだという赤い壁だ。頭上には、イサムノグチのAKARIを思い切り長く引き延ばしたような、和紙を張った照明が浮かんでいる。撮影後、いったん町へ出て、夕方ふたたび店に戻って食事にする。先生がよく食べていたという鯨が出る。酒もこの店での先生に倣って。

晒鯨と焼酎をもて偲ぶなり


7月23日(日)
取材班は昨夜八時四十五分発の飛行機で東京へ帰ったのだが、当方は一人残り、ホテルアクティブ! 博多に泊まった(この頃はホテルの名称もきらきらネーム化している?)。主目的は例の御朱印巡り。宗像大社中津宮(なかつぐう)が鎮座する筑前大島と往来する船便が限られるため、五時前に起きる仕儀となった。 

神湊(こうのみなと)より大島に渡る。
 
近づくと見えで近づく夏の島

恐ろしき緑の島の神へ参る


宗像大社中津宮。七夕祭の設け、早やきらきらし。 
 
星祀る飾りに高き夏日かな


レンタサイクルで、大島北岸の
宗像大社沖津宮(おきつぐう)遥拝所へ。 
この日、沖ノ島は見えず。 
 
浜木綿の沖に霞みて坐す神 


宗像大社辺津宮(へつぐう)の高宮祭場は、宗像三神のうち
市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)の降臨したところといふ。
社殿を築かず、矩形の石囲ひに砂利が敷き詰めてあるばかり。 

思へたゞ沙踏み鳴らす御裸足 


神宝館で収蔵・展示する沖ノ島出土の神宝類は、
一括して国宝に指定されてゐる。無慮八万点を数ふ。
 
国宝充満照度抑制冷房強


福岡市内に戻り、香椎宮、筥崎宮、承天寺、櫛田神社を回る。句無し。
七時四十分の飛行機に乗る。九時過ぎ、羽田に着く。

*「句無し」と記したが、その後、追加して作った。
別掲の俳句10句のうちにあり。

旱天旅信     高山れおな



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旱天旅信     高山れおな

  九州の旅より五句。旅の詳細は、

  小倉・平和通り CAFE DE FAN FAN
モカ淹るゝ美青年ゐて夏の灯よ
  香椎宮
ひそと語る香椎の宮と炎帝と
  筥崎宮 亀山上皇筆〈敵國降伏〉額
宸筆の筆路の金も油照り
  承天寺
禅院を出る日盛りの脚二本
  櫛田神社
お櫛田さんに灰皿多き西日かな
日日草そこらに溢れ梅雨明けぬ
  築地場外市場 きつねや 三句
大暑来ぬ泥々に煮て黒きもの
鍋に泡浮き弾け浮き朝ぐもり
夏の日の始まる七味振りにけり
新聞社裏雌待宵草(メマツヨイグサ)に道干割れ

夜も夏      佐藤文香


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夜も夏      佐藤文香

夏霧や桃園に駅ひとつあり
昼の月日傘に風はかたおもひ
カランコエ寝て減らす夏のかがやき
大暑以後君は櫟の葉の栞
ひまはりをちひさく育て光ヶ丘
故郷なし雨後の日差に糸蜻蛉
虹を見て一輪挿をふたつ買ふ
虹を辞めたる一束の空気かな
鼻の利く獣となりぬ夜も夏
月へゆくにも香水を霧にして

ピカソの女          関悦史



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ピカソの女      関悦史

泳ぐとき馬たちのごと光る水
ピカソの女太く壊れて日の盛
蛇よ壁の目地の直角なぞり上がる
扇風機のみを〈汝〉とせる〈我〉とは
身の奥の涼しさチェレンコフ光の
蟇カンボジア史を知り尽くす
シャワーあとシャドーピープルうつろふ家
スリングショット水着干されてゐるところ
ぼんやりとインボイス迫る我鬼忌かな
目を閉ぢて顔無くしける大西日