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2020年1月1日水曜日

2019年12月31日火曜日

しゃべらなくなるときだけがほんとう  佐藤文香


遠足「生翻車魚」。季節に1度はやると意気込んで4月に初回「関さんの森」へ向かったのだったが、案外関さんも私もいそがしく夏・秋が過ぎてしまい、気がついたら12月になっていた。

私は私単体に価値がある、と思うのが苦手だった。誰かと作り上げるとか、誰かを補佐するとか、そういうことで自分に価値を感じ、元気を出してがんばってきた。なので、今回のスカパー「Edge」(2020年4月ごろ放映予定)でも、私ひとりを追ってもらうことは自分らしくないと思った。そこで、展示「句の景色」の準備のときにカメラに入ってもらったり、遠足「生翻車魚」に関さんに来てもらったりした。

誰かとしゃべっていたい。

私はどんなときでも誰かといたい。ひとりのときは仕方ないので頭の中でずっとしゃべっている。しゃべる速度で考えるし、考える速度でしゃべる。自分の中に言葉が湧き出すことが、イコール考えることで、昔からずっとそうだ。だからよくしゃべるし、ずっと考えている。あるときまで書くのはずっと苦手だったのだけど、頭の中でしゃべっているのを写すようにしたら書けるようになった。文字起こしはわりと得意なので、自分の言葉を文字起こしする感覚で書いている。脳で考えを音読しながら書いている。私の言葉が文字になるのは必ず体の中で音に変換してからだ。


俳句を書くときは、音や色、軽さなど、ある語を多面的に認識して、体の内側のどこかに当てて、その反響のようなものをつかって言葉同士を結びつけるような感覚がある。しゃべりは止めて何度も句の言葉を心内音として繰り返す。このとき、思考の意味のつながりも塞きとめておくことになるというところに、自分の句作らしさがあるのかもしれない。要するに俳句を書くとき(いや、書き直すときだろうか。私は書き始めながら推敲する)というのは、しゃべるのとは違う回路をつかっている。もし私単体に作家としての価値があることもあるとすれば、このしゃべらないときの自分のような気がする。じっとスマホの画面を見ていたり、だらだら歩いているときに、そういうことをしている。電車や風呂でもだ。それはしかしなかなか、テレビ映えするものでないので、やはりマンボウを見たり、海辺を歩いたりするしかない。

誰かとしゃべると、そしてしゃべりながら何かできると、思い出になる。思い出は、句作の際の、体の内側の反響の具合などに関わってくる。思い出づくりの最中は、そこにある素材から語彙を得ることができる。そういった意味では、句作ではあるのだ、マンボウを見て、海辺を歩くことも。私が、それでは不安なだけだ。しゃべらなくなるときだけがほんとうな気がするから。

でも、誰かとしゃべっていたい。



(撮影;関悦史) 

翻車魚、マンボウに会う  関悦史

 「Edge」というスカパーのアートドキュメンタリー番組があって、いま佐藤文香編を制作している最中である。この番組、ふだんは詩人に密着取材していることが多いのだが、俳人を取り上げた回もあって、今までに髙柳克弘編と関悦史編(私だ)が放映されている。 



 私のときは、ゴミ屋敷寸前の自宅室内とか、思い入れのある場所を訪ねている模様とかを撮影され、特に行きたいところもないので、自分の出た土浦湖北高校の図書室を再訪したりした(あと、なぜか物を食っているところをディレクターが撮りたがる。そこにふだんの暮らしぶりがかいま見える気がするためか)。 

 今回の佐藤さんは、それが大洗水族館になった。同人誌の誌名が「翻車魚」だから、一度実物を見に行って吟行しようという話は前からあったのだが、それをテレビの取材を兼ねてやることにしたものである。前は池袋の水族館にもマンボウがいたのだが、死んでしまって関東では大洗水族館だけとなったらしい。 

 大洗というと、私は小学高低学年の頃までよく連れていってもらっていた場所だ。祖母の妹が総合病院の事務長をやっていて、その病院が持っている別荘のようなものが大洗にあったのだ。二階に上がる階段の脇に、大きな木の板を透かし彫りにした人の顔が並んでいた。アフリカかどこかの民族芸術のようにも見えたが、日本人作家の作品と聞いた気がする。美術館別に編集された大判の世界美術全集なども置いてあって、ここで人の顔が気球のように宙に浮いた白黒の奇妙な絵を見た記憶があり、これは後で考えたらルドンだった。 

 バルコニーからは松林が見え、その先が海岸である。祖母たちに見守られながら、芋を洗う混雑の浅瀬で遊んでいるうちに、しらずしらず潮流に横に流され、ずいぶん離れてしまって、従兄に回収に来られたこともある。あの建物もどうなったかわからないし、管理人のお婆さんはとうに亡くなっているだろう。私の家からは車で一時間以上かかる場所だったはずで、義叔父の運転する車で連れていってもらっていた。帰りは毎回、疲れ果てて夜の後部座席で寝ていた。 

 その後、車も免許も持たないまま来てしまったので、再訪する機会はなかった。海にもほぼ行かないうちに人生の過半が過ぎた。学生のときの合宿で熱海に行ったことがあるくらいである。そのうちになどと思っていると、だいたい人生が先に終わる。 

 今回の大洗再訪は、そうしたわけで40何年ぶりかということになる。俳句を始めて、佐藤さんの取材につきあうことにでもならなければ来ないまま終わっていただろう。 


その間に大洗はアニメ「ガールズ&パンツァー」の“聖地”となり、ファンが押し寄せる町に変わっていたので、いかにもさびれた田舎の駅舎が美少女キャラのポスターや立て看板だらけになっていたのは隔世の感。美少女キャラたちは昭和のままの町なかの個人商店などにもはびこっていた。いかにも日本の現在という感じで、「ブレードランナー」の「わかもと」の看板シーンなどよりも、鄙びたキッチュなエキゾティシズムが味わえる。



 水族館は、鮫が多かった。 

 マンボウは数匹がさほど大きくはない水槽に一種だけまとめて入れられていて、意外なことにみな活発に動き回っていた。垂直に上を向いたまま、底に開いた穴に沈んでみたり、こちらに寄ってくるときも直進してくるのではなく、体を斜めに倒した体勢のまま横へ移動するように寄ってきたりで、しばらく眺めていても、何を考えているのかわかる気には一向にならない。われわれが誌名を「翻車魚」としたのは、ただ浮いているだけでいかにもやる気がなさそうだからというのが理由のひとつだったはずだが、どうも思っていたのと様子が違う。ぐるぐる動き回りながらも、目つきは虚無そのものであった。マンボウと見つめ合っているところを、佐藤さんと撮影スタッフにそれぞれ撮られた。 

見つめ合う二人(撮影:佐藤文香)

 クリスマスツリーの他、ロビーにはなぜか炬燵のセットも出してあった。物販コーナーは水生生物のぬいぐるみが種類が多くて充実していた。佐藤さんは、あまり擬人化を感じさせる、見るからに可愛らしいデザインはダメだったが、エイが比較的写実的で許容範囲のようだった。どうデザインしようがさして変わりようもない、もともとシンプルな姿のチンアナゴの抱き枕サイズのぬいぐるみは欲しい気もした。 

 その後、風で冷え込む大洗海岸に出た。佐藤さんともども胸にマイクを仕込まれたまま、いかにも自然そうに適当に話しながら、冬の砂浜をうろうろするのである。 

 水の透明度が低く、あまり綺麗に見えないのが以前のままで懐かしい。貝殻が昔に比べると激減していて、ろくに見当たらなかった。海藻は点々と落ちていたので、第一句集を『海藻標本』と名づけた佐藤さんが拾ってみせたりした。 

 流木や竹(意外と多い)、その他のゴミがちょうど回収作業期間らしくて、一ヶ所にまとめられて分類され、何メートルにもわたって山積みになっていた。現代美術のようである。見に寄って行ったら、スタッフが慌てた。ゴミの山は映したくなかったようだが、俳人が連れだって吟行していたらまず寄っていくのはこういう物件である。名所旧跡や表通りばかり見ていても面白くない。 



 私は途中で引っ込んで、コンクリート造りのトイレ兼休憩所の古めかしい造形を見たりして、ワゴン車に戻った。佐藤さんは砂浜で一人、スタッフたちに撮影されていた。曇天の海岸での撮影風景で、遠くから見る分にはアンゲロプロス監督作品の一場面のようである。「ユリシーズの瞳」に海岸のシーンがあった。 

 その後、スタッフが苦労して探し出した喫茶店(田舎町に個人経営の喫茶店などそう残っているわけがない)で、私が佐藤さんの句について、「翻車魚」2号の佐藤文香特集を開きつつ解説しているさまを撮られた。番組でどれだけ生かされるかは知らない。 

 大洗駅の売店で「栗満月」なる菓子を土産に買った。ネットで検索してみても、沼津市の製菓会社の全然別の品しか出ない。 

 帰りの特急車内で佐藤さんに缶ビールをもらった。冬季鬱でしんどいせいか、無闇に酔いが回って真赤になった。

(撮影:関悦史)

2019年5月1日水曜日

つやつや  関悦史


画像をクリックすると大きくなります。

「関さんの森」を抜けて  関悦史

松戸に「関さんの森」なるところがあって、たまたま私と名前が同じだからというだけの理由で、佐藤文香さんと行ってきた。地主の名前が残ったものらしい。トオイダイスケさん、ごしゅもりさんも同行。平日に時間が自由になりやすいメンバーである。

新松戸駅を出ると、新興住宅地なのに大きく共同菜園の畑が割り込み、起伏の多い細い坂道が網状にかかっていて迷走を誘う。車も自転車も使いにくそうで、私などすぐ買い物難民化しそうである。
例によってサトアヤのスマホを見ながらの道案内についていくだけの行程だったが、これをやっているといくら歩いても道順は一向に覚えない。今回のコースなど二度とたどれる気がしない。

車道を渡ると「関さんの森」の門が見えた。
閉まっていた。
私のためだけの門なのに入れないとなると、まるっきりカフカの「掟の門」ではないか(ちなみに私は恋愛小説のひとつの極致として思い浮かべるのがこの「掟の門」である。主人公の男と門番のBLということではない)。

門の前で生涯をつぶすわけにもいかないから横手から森にぞろぞろ入り込み、ビニールシートを広げてピクニックとなった。いつ以来であろうか、この種の地べたに皆で座るような行楽。

アスレチックが設置されていて、トオイさんが律儀に一渡りした。

上空に木の枝が張り出し、カラスが鳴きわたり、下に座ってものを食べていると身体が小さくなった気がする。
子供の頃の家は大きく、天井が高く、薄暗く、謎に満ちた空間だったが、こちらの身心が育ってしまえばどうということもない。いっぺん子供の身体のサイズに戻って日本家屋を探索してみたいと思うが、それに似た感覚は森で得られた。

この後、ゆきあたりばったりによく知らない電車に乗って古墳をめざしたが、台地の上はまだ何も建っていない造成地がしらじらと広がっているばかりだった。
吟行と言っていた気はするが句会はなしで、明るいうちから一杯呑んで夕方解散。


三百六十五連休の身とはいえ、こういう一日はわざわざ設けないとなかなかない。何かしたのか何もしなかったのかよくわからない、明るいなかを皆で浮遊しただけの一日。

セルフタイマー  ごしゅもり

関さんの森に誘われたのでフィルムのカメラを抽斗の奥から引っ張り出した。森と対峙するためになにか風格のあることをしたかったのだ。デジカメと違って、その場で画像を見れないのでとても奥ゆかしい。

さてフィルムはどこから入れるのだったか。いろんな部品を押したり引いたりしてたら急に裏蓋がパカッと開いた。ここだ。フィルムの先を差し込んでレバーを親指でひねるとカリカリと巻きついた。そう、あとは撮ってる最中に蓋を開けたくなる衝動と戦うだけだ。

撮影も記念写真の作法よろしく三脚を立ててセルフタイマーでやることにした。それはゼンマイ仕掛けで、じいいいいいいいいいいいいいいいいいいカシャッとシャッターが切れる。セットしてみんなのところに走りこめば、自分も一緒の写真に収まる。


関さんの森や流山電鉄、近くの寺でたくさん撮った。帰りがけに駅前のスーパーに現像を出し、翌日ネガとCDを受け取ったら、知らないおじさんが真ん中に大きく写っていた。関さんではなかった。

  写真機のなかに三人土匂ふ  ごしゅもり

遊び、弁当を食べてくる  佐藤文香

この春は夫とかんたんな花見を2回おこなった。ふたりで食べる分だけの食べものと、100円ショップの薄いブルーシートを買って行った。シートは一度敷いたら使い捨てにするというのがラクでよかった。ただ歩いてみるだけでなく、そこで飯を食うのは楽しい。関さんの森でも、皆で弁当を食べるのがよいだろうと思ったので、「昼ごはん持参で12時半に新松戸駅集合」と連絡した。

ここで思い出したのが、「週刊俳句」2010.4.4の平井照敏 編『新歳時記』(河出文庫) につっこむ (春) ハイクマシーン(佐藤文香・上田信治)で、「遠足」という季語にもつっこんだことだった。

春、秋によく行われるが、野遊、踏青などとの関連で、春の季語となっている。学校、会社、工場、官庁など、さまざまのグループの遠足があり、団体で、景色のよいところ、史跡、遊園地などに行き、遊び、弁当を食べてくる(中略)最近はバスがよく使われるが、自然にふれて弁当を食べて帰るのは、いかにも春らしい楽しい行事である。

そうだ、生翻車魚は遠足だ。
遠足といえば、おやつだ。
100円ショップで、薄いブルーシートとビスコ、ココナッツサブレを買って行った。

  目玉焼を鋏で切つて遠足へ  文香

関さんの森は本当に森だったので、明るくひらけたところはなく、関さんの森アスレチックという名の木の遊具の横に、薄いブルーシートを敷いて、おのおの弁当を広げた。ごしゅもりさんと関さんは買ってきた弁当、トオイさんと私はつくってきたおにぎりと少しのおかず。おやつは私しか持ってきていないかと思ったら、関さんがルックチョコレート、ごしゅもりさんがマシュマロを持ってきていたので、ココナッツサブレを開けるのはやめて、ビスコを開けた。私はビスコが好きで、大人になってからもたまに食べる。今回持参した味は「発酵バター仕立て」である。


おやつを食べ終わったころ、作業着のおじさんが現れた。「関さんの森ってあるから入ってみたんですが」とおじさんは言う。われわれも関さんの森初体験なので「とくに何があるわけでもなさそうですね」と返す。このへんの人かと思ったが、この森を知らないということは、どこかから仕事のためたまたま訪れたということだろうか。おじさんはあたりを見渡している。われわれはもう少し奥まで行ってみようと、腰を上げた。

「あー腹いっぱいや」とのびをしながら私が言ったら、おじさんが「何か残しといてくれたらよかったのに」と言う。「ビスコいりますか?」と聞くと「あるならもらいます」と、人懐っこいおじさんだ。ビスコの箱には小分けの袋が3つ入っていて、みんなで2袋食べたので、1袋余っていた。その袋をあげると、「ありがとうございます、お腹すいてたんです」と言って、さっそく袋を開けた。このおじさんは知らない人にもらったものを食べちゃいけないと習わなかったのだろうか。おじさんは、「ははあ、1袋にいくつも入ってるんですか」と言いながら食べ始めた。おじさんは、ビスコを知らなかった。

われわれはおじさんと別れ、森を奥に進んだつもりが、別の出口にたどりついてしまい、その出口にはさっきのおじさんがいた。「まっすぐ伸びてますね」とおじさんが呼びかけてきた。なんのことかと思ったら、大きな木が途中で折れ、地面と平行に伸びているところから、地面と垂直にどんどん枝が伸びているのだった。

  篁の湿りを春の鴉どち  文香

無い、がある日  トオイダイスケ



新松戸駅前に降り立ったとき不意に前方に幸谷駅と書かれた看板と小さな駅舎が見えた。「ぱらのま」という漫画でその存在を知って意識していた流鉄流山線の駅である。わたしは小規模の私鉄が好きでこの機会にこの路線にもぜひ乗ってみたいと思った。関さんの森で弁当を食べのんびりしたあと新松戸駅前に戻ってきたときにわたしは迷わず流鉄に乗りたい、と口にした。

幸谷駅の小さな駅舎の壁に道路地図を大きめにコピーした紙が貼ってあり、流鉄の線路部分を見やすいように太くなぞってある。乗るとは言え目的地の当てもない。鰭ヶ崎という駅ならばJR武蔵野線の南流山駅に歩いて行ける距離だ、とあやかさんがスマホを見ながら言った。わたしは壁の地図に見入っていて鰭ヶ崎という駅名の不思議さを思いつつ(内陸なのに魚の部位か)その近くに「古墳」と書いてあるのを見つけた。わたしは古墳がある、と口にした。今思うとわたしの生まれ育った北関東は古墳や単線の私鉄に恵まれている地域だった。あやかさんと関さんが用意した場に遊びに行ったこどものような立場でこのイベントに参加していたわたしは童心に必要以上に帰っていたのかもしれない。

鰭ヶ崎駅で降り古墳を目指してあやかさんが引き続きグーグルマップを見ながら道案内をしてくれた。わたしはスマホを取り出すこともせず晴れた空の下をのんきに歩いていた。駅からそう歩かないうちに新たに造成している住宅地のような地域に入った。土浦では古い建物がどんどん無くなっていると関さんが話す。新松戸駅の近くも古い区画の狭くうねった道の間に多くの新しい一戸建てと少しの古い人気の少ないアパートが混在していて、高架の線路を見上げる近さにそれらの家々が込み入っている様子はわたしの生家近くの東武佐野線の高くなっているあたりの景色を思い出させた。やはりこの散歩でわたしは必要以上に童心に帰っていたと思う。

やがて緩やかに上り坂になった長いカーブに差し掛かったが、前方を見上げても古墳らしきものは見当たらない。今歩いているここがもう古墳の麓なんじゃないかと思ったがそんなに大きな古墳なのだろうか。古墳のこんな近くにこんなに家を建てようとしてしまうものなのだろうか。あやかさんがスマホを見つつこのへんだよ、と言う。それらしきものは全然見えない。 さらに少し坂を上るとショベルカーが停めてある造成工事現場のようなところの端に、唐突にお稲荷さんと道祖神と彫られた石碑とが見えた。このあたりに古墳もあるのかと辺りを見回したが、木々がいくらか生い茂っていてそれらを切り開いて住宅地を新たに造成しようとしている様子にしか見えない。

結局古墳本体を見つけることができないまま来た道と別の道で南流山駅まで向かうことにして、その途中の小高いところにあるお寺を見て帰った。家に着いてからインターネットで検索してみると、なんとこの探していた三本松古墳はどうやらすでに取り壊されて形がなくなってしまっているらしいことが分かった。また鰭ヶ崎という地名が最後に寄った東福寺に現れた竜が残していった背鰭の逸話に由来することも分かった。

わたしは写真を撮ることがあまり好きではない。写真を撮ろうと思いながらものを見ていると自分が今ここにいなくなるような、カメラが目の前のものを捉える代わりに今この瞬間の自分の目や体はものや光景から遠ざけられてしまうような気がするからだ。旅行の前に下調べをするのは好きだ。これから見ることができるかもしれない場所や光景を自分の想像のなかでふくらませることができて、ほとんどの場合実際にそこに行ったときに現実の光景の魅力も想像のなかの光景もいずれもより肉付きを豊かにするからだ。今回はそのどちらも全くせずに参加した。そしてその場でただ行きたいと思ったところにはありそうだと思ったものは何もなかった。何もせずをし何もないを見たというようなものだ。ただ無為に午後を過ごしに行っただけのような時間を味わえてとても幸せな春のある日だった。

  人覆ふ土の消えたる春の昼 ダイスケ



第一回生翻車魚 関さんの森から


2019年4月15日(月)
関悦史・佐藤文香・トオイダイスケ・ごしゅもり

タイトルをクリックすると読めます。

▶︎遠足「生翻車魚」とは

▶︎第一回生翻車魚記念作品10句 つやつや  関悦史

▶︎「関さんの森」を抜けて  関悦史

▶︎遊び、弁当を食べてくる  佐藤文香

▶︎セルフタイマー  ごしゅもり

▶︎無い、がある日  トオイダイスケ

photo by ごしゅもり・佐藤文香

関さんの森 千葉県松戸市幸谷→Wikipedia
鰭ヶ崎三本松古墳 千葉県流山市鰭ケ崎(大字)
東福寺 千葉県流山市鰭ケ崎1033

遠足「生翻車魚」とは

遠足「生翻車魚(なままんばう)」とは 

・翻車魚メンバーである関悦史・佐藤文香と、ごく仲のよい友達のみで散歩をする。
(参加者は募集しておりません)
・季節に1回程度。
・記念写真を撮影する。
・当日句会は行わない。
・終了後、俳句1句を含むレポートを提出、【翻車魚ウェブ】に掲載する。

※両唇音が重なるのを避けて【翻車魚ウェブ】にしたのに、「ママ」と言いたいがために「生翻車魚」にしている。「翻車魚メンバー」もいい言葉である。