12月15日(水)
藤井丈司『YMOのONGAKU』読了。
郵便局。買い物。
12月16日(木)
蛇笏賞・迢空賞の贈賞式はまたコロナのため延期になるらしい。
後藤繁雄編著『TECHNODON』再読。植草甚一『フリー・ジャズの勉強』、池田澄子『本当は逢いたし』読了。
財務省の赤木俊夫さん自殺で妻が損害賠償を求めた訴訟、賠償責任を「認諾」しカネだけ払って情報開示はしない判決が出た。
12月17日(金)
雨。少量だったためか雨漏りはせず。
「俳句四季」1月号届く。青木亮人さんの連載は私について書かれた5回目。Zoomで取材に答えたもののなかなか伝わりにくいことが多い。
12月18日(土)
『俳壇年鑑2022年版』の自選一句、「翻車魚」の追加謹呈、私信、推薦状等をまとめて投函。
柿本多映さんに久々に電話。
ゾラ・ニール・ハーストン『ヴードゥーの神々―ジャマイカ、ハイチ紀行』、クロード・レヴィ=ストロース『仮面の道』読了。
12月19日(日)
地元の古本市最終日で文庫本9冊買う。
石牟礼道子『石牟礼道子全句集 泣きなが原』読了。
12月20日(月)
工事の騒音で起床。
Yahoo!メールは年明け、見たこともないほど不便な新デザインへの移行を強制される。憂鬱。
西村我尼吾さんから電話。来年、第6回芝不器男俳句新人賞を開催する、ついてはまたシニアフェロー・特別賞選者を頼むとのこと。直ちに受ける。
某社から電話で、来年長期間かかりそうな仕事の相談が来る。
バーナード・マラマッド『テナント』読了。
12月21日(火)
図書館、歯医者へ。削った歯の尖端が舌に刺さって邪魔になってきたが、口内をいじられているうちにどこだかわからなくなり、手を着けず。
添削進まず。
俳壇は若い者向けの年齢制限付きの賞ばかりというツイートを見かける。私が俳句を始めた頃は、逆に俳句で賞を取るにはまず80歳まで生き延びなければスタートラインに立てない印象だった。
12月22日(水)
二松學舍大学から「卒業生ネットワーク強化のための調査票」なる封書が来ていたのでメールで問い合わせて回答フォームから回答。
添削をようやく済ませる。
夜、焼いた塩鮭を床に落とす。
12月23日(木)
眠気で何も出来ず、寝付けもせず。古紙整理。
その後、古井由吉『われもまた天に』、三浦哲郎『いとしきものたち』読了。
12月24日(金)
諸連絡無闇に立て込む。
12月25日(土)
黒田杏子さん宅を初訪問。
12月26日(日)
さらに諸連絡立て込む。
12月27日(月)
某社から電話。私に一任すると関係者全員で決めた話を執拗に引っ繰り返そうとされ苛々。
楠本奇蹄句集『おしゃべり』、堤宗春句集『鍬』、月野木若菜句集『夜光貝』、松波美惠句集『繕ふ』読了。
12月28日(火)
小野村と都内をぶらつき、東大周辺で数枚オリビア撮影。途中の古本屋で古本計8冊ばかり買い込む。
12月29日(水)
神保町を歩き回り、また本が増える。
12月30日(木)
フレデリック・ポール『22世紀の酔っぱらい』読了。
不眠。
12月31日(金)
杉本苑子『二条院ノ讃岐』読了。
神棚の水、米、塩、神酒の交換と簡単な掃除。
本局へ出向いて不在配達の資料を引き取る。
Sさんが食料を玄関先に置いていってくれる。
不器男賞のHPが更新され、応募フォーム他が公開されていたのでツイッターで告知。
午前0時の年越しのあと、家の前で若い初詣客たちがケチャじみた奇声をあげはじめた。
今年は体調不良の度が増し、読了冊数が例年よりほぼ100冊減った。
年賀状は頸椎への負担になり、手が震えるので何年か前から書くのを諦めた。
2022年1月1日(土)
寒風。冷え込む。
佐藤文香が近所っぽい写真が見たいとツイートしていたので散歩に出て、近所の神社数ヶ所を回る。家の前を通る初詣客はずいぶん減った。
レッシング『一人の男と二人の女』、アンナ・カヴァン『鷲の巣』、杉本苑子『隠々洞ききがき抄』読了。
杉本苑子『隠々洞ききがき抄』は大震災後にこそ真価が見える、変わった題材の時代小説。八百屋お七の大火で運命を狂わされた被災者ひとりひとりを描くにとどまらず、さらには声をあげることも出来なくなり忘却される被災者と、逆に罪を問うべきお七を一種の人気者に祀り上げてしまう群集の愚かしさまで、大災厄後の人心が容赦なく書かれていた。
1月2日(日)
山田正紀『阿弥陀』読了。
朝、斜向かいのCさんと土浦警察署から続けて電話。昨夜寝ている間に、私の家のブロック塀に車が激突する事故があったという。
警察に教えられて事故車の運転者に電話。若い男で一応謝罪の言葉あり。居眠り運転で激突し、車の右半分が大破して目覚めたという。損保会社を聞き出してそちらにも電話。山梨の代理店の男性が出て、4日の仕事始めに社の方から電話を入れさせるとのこと。
午後、修理を頼んだOさんが来宅。破損箇所の撮影等をされ、今後の段取りを相談。
黒田杏子さんと先日の件で電話。
冷え込みのためかボイラーが最低温度に設定しても数分ごとに焚き直しを続け、灯油の消費量増大が心臓に悪い。
1月3日(月)
黒田杏子さんから電話。先日の現俳青年部勉強会のインタビュー動画、意外とあちこちに見られているらしい。
堀越孝一『いま、中世の秋』、山田正紀『氷雨』読了。
1月4日(火)
ブロック塀破損事故の件で損保会社から電話。以後は修理を頼んだOさんと損保で直接やり取りしてもらうことにする。
眩暈。
南条範夫『城と街道』読了。
車をぶつけた運転者が海苔を持ってお詫びに来る。おっとりした感じの青年だった。損保との対応も済んだし、こちらに金銭的な損害はない、怪我がなくてよかったと言って帰す。
水道料明細が異様な金額に上がっていた。注意書きがあり、漏水が起こっているらしい。
相子智恵句集『呼応』読了。
1月5日(水)
市の水道料金徴収事務委託者になっている会社に電話し、調査に来てもらったが、漏水箇所はわからず。地下の配管から漏れている場合はまず見つけようがないという。最悪、地下配管を塞ぎ、地上で繋げ直す手はあるらしいが。
市の指定工事店に片端から電話したが人員不足なのかどこも来ず、やっとつかまったI商会のお爺さんが来てくれて漏水が疑われる箇所を全部聴診器で点検。私が茂みを切り払って裏手の灯油ボイラーまで案内し、ボイラーの減圧弁からの漏水と判明した。出張点検費5,500円支払う。
水道業者の手には負えないのでボイラーのメーカーに電話し、修理を依頼。明後日来てくれるらしい。
漏水騒ぎと並行して、ブロック塀修理の件でOさんとやり取り。
資料を読む暇がない。
1月6日(木)
洗濯物を干したら雪になった。
雪が積もり続ける中、損保からの依頼で来た調査会社の担当者と、修理を頼んだOさんとでうちのブロック塀の穂存状況調査。調査会社の人は阿佐田哲也の小説にでも出てきそうな風体。この人が「グーグルアースで確認したが向かって右の門柱の傷は以前からあった」などと見た目にミスマッチなことを言いだしたが、反対側の門柱が車をぶつけられて傾いており、不揃いになるので両方直すしかないというこちらの言い分は通った。Oさんによるとブロック塀のメーカーが商品を一挙に廃番にしてしまっており、サイズやデザインの合う代替品がなかなか見当たらないという。これは私が選ぶことになるらしい。
資料少し、無理矢理読む。
1月7日(金)
ボイラーの減圧弁、安全弁の交換修理が来る。工費25,960円支払う。電話したときの音声ガイダンスが、コロナの感染状況によっては修理に行けない場合もあると言っていたので、来てくれるかどうかがわからなかったが。
水道料金徴収事務の会社とI商会に電話してみたが、漏水分の料金減免は通らない模様。
体が冬眠に入ったような重い疲れ。ときどき身じろぎも出来なくなるほどの腰痛。
不器男賞の公開選考会日程調整のメール。
日付が変わる前にたまたま目が覚め、週刊俳句に新年詠を送信。
1月8日(土)
本局等を午前中に回り、こちらに来ていた小野村と合流。市内を少し撮り歩く。古本計5冊買う。猫路地に行ったが積雪のせいか猫はおらず。
1月9日(日)
軽い腰痛続く。
資料読みは一向に進まず。
夜、 ジョン・ミルナー『象徴派とデカダン派の美術』無理矢理読了。
1月10日(月)
病的なしんどさ。
原稿ひとつ何とか書く。
夜中に目が覚めるパターンが定着し、中川米造・星新一『手当ての航跡―医学史講義』、フランツ・カフカ『ある流刑地の話』読了。
1月11日(火)
眩暈で起き出せずにいたら、ツイッターで岩波ホール閉館の知らせ。
『演劇界』も休刊の報。この雑誌、2003年10月号で木本公世という人の劇評に、不器男賞に出した拙句〈魂トイフノモ寄生蟲デアラウ〉を引用されたことがあった。
不器男賞の日程が決まったとの一斉メール来る。
終日雨で図書館に行けず。
宮下健三『ミュンヘンの世紀末―現代芸術運動の源流』読了。
1月12日(水)
津本陽『最後の相場師』読了。
図書館に寄ってから、学習センターで資料を読む。現在の感染状況ではまだこの辺の施設は閉鎖されていないが、再閉鎖も近いか。
マンガ新刊、クール教信者『小林さんちのメイドラゴン12』を買い、寒風の中を帰る。
1月13日(木)
また学習センターへ。資料の続きを読む。
図書館に寄ったら、半径数メートル誰もいない静まりかえった一隅に陣取った女が突然ダンッと机を叩き「うるせえな。頭おかしいんじゃねえか」と毒づき始めた。その後もコピーの束をいじりつつ「めんどくせえ……」ダンッ(また机を叩く)「ハァアアアアアア、めんどくせーーー」と一人で苛立たしげにわめき続けていた。うるさくしている者はその女以外館内にいなかった。
1月14日(金)
ツイッターで安井浩司さん、岡田日郎氏、海部俊樹元首相の訃報が立て続けに入る。安井浩司さんにインタビューする企画が動きかけていたが時期を失した。第一句集の帯文を書いていただいたりもしたが、直接お話しする機会は生前一度だけだった。
Oさんが玄関前にブロックの見本2種を置いていく。
家周りの修理に追われ、原稿進まず。