散文
2021年10月18日月曜日
パイクのけむりⅩ ~趣味と反省~ 高山れおな
自分の趣味はなんだろうかと考えると御朱印集めということになる。ふつうに一番楽しく、また時間を費やしているのは読書であるが、これは生業とも俳句ともかかわってくるので純然たる趣味とは言い難い。資料として読んでいるのでなくとも、潜在的にはいつもネタ探しないしお勉強をしている感じが拭えないからだ。もちろん、それでも楽しいのですが。
御朱印の方はおよそ何かネタになりそうにないうえに、良くも悪くも努力とか競争とは縁が無いところが文字通りに趣味的と言えよう。と、断わったそばから、競争的言辞を弄するのはなんであるが、私の御朱印集めは、近年の御朱印ブームに乗ったものではなく、格段に年季の入ったものです。いちばん古いものが昭和五十四年(一九七九)十一月四日付けで、東大寺大仏殿と同じく戒壇院、新薬師寺、興福寺南円堂のものだ。翌々年の十二月にも奈良に行っていて、法隆寺、中宮寺、法輪寺、法起寺、薬師寺、唐招提寺で御朱印をもらっている。この頃はまだ小学生だから、奈良には弟と一緒に、父親に連れていってもらったのである。
私の御朱印歴はつまり四十年を超えることになる。しかし、そのわりに御朱印帳は十四冊を数えるに過ぎず、コレクションとしてはいささか迫力に欠ける。この間、コンスタントに御朱印集めを続けていたら、少なくとも四、五十冊にはなっているのが本当だろう。それがこのていたらくなのは、要するに御朱印熱にはなはだしい波があるためだ。小学生時代に二回奈良に行ったあと、私は神社仏閣にすっかり興味を無くしてしまったらしく、中学・高校時代には御朱印を一つもゲットしていない。中学二年から高校一年にかけては、長野県の諏訪市に住んでいたのに、諏訪大社の御朱印さえいただいていないのだ。
御朱印熱が再燃するのは大学生だった平成二年(一九九〇)で、自動車免許を取った私は、父にもらった中古の三菱ミラージュで奈良まで行っている。この時の御朱印熱は、社会人二年目の平成六年まで続き、特にピークの平成四年には六十九個をゲットしている。これは夏休みに和歌山に帰省するゼミの友人を、車で送ったのが大きい。この時、滋賀・奈良・和歌山の寺をかなり回ったのである。それから鎌倉の寺も軒並みという感じで参拝している。
これが一転、平成七年はゼロ、平成八年には二個と低調になる。平成九年は六個、平成十年は十五個、平成十一年は七個で、その後もだいたいそんな調子のいささか煮え切らない状況が続く。平成初期に匹敵する大きな波がやって来たのは平成十八年(二〇〇六)で、この年は二十八個。平成十九年七十二個、平成二十年十一個、平成二十一年二十個と続く。この、平成十九年の七十二個というのが今のところ、私の御朱印年間レコードである。ところがここでぱたりと風がやんでしまい、長い凪がやってくる。令和元年(二〇一九)に至るまで十年に及ぶ完全なブランクが生じてしまうのだ(正確には、平成二十三年に耶馬渓の羅漢寺で一個だけもらっている)。
令和元年五月に京都の貴船神社に参拝した。そこで売っていたオリジナル御朱印帳がたいへん綺麗なものだったので久しぶりに御朱印をいただくことにした。ただし、この年が七個で、令和二年はゼロだから波に乗る感じではない。今年、令和三年の三月に筑波山に行ったのは、独り吟行のつもりだったのだが、句は一つも出来ず、御朱印ばかり六個ゲットした(筑波山神社と大御堂のもの)。しかしなお、本格的に御朱印熱のスイッチが入ったわけではなかった。スイッチが入ったのは、八月十五日に三鷹市美術ギャラリーで開催中の「諸星大二郎展 異界への扉」を見に行き、ショップで諸星先生が表紙絵を描きおろした御朱印帳を入手したのがきっかけである。「諸怪志異」シリーズの阿鬼ちゃんが提灯を持って、化け物たちが潜む夕暮れの森を行くという絵柄。これに胸を撃ち抜かれた私は、この子(←御朱印帖をさす)のために素晴らしい御朱印をゲットしてあげなくてはと心に誓ったのである。
御朱印は御朱印、素晴らしいも素晴らしくないもないのでは、そういうご意見もありましょう。しかし、寺社には格というものがございます。東大寺や興福寺と、そこらへんの町寺を一緒にはできんのであります。平成十九年の御朱印七十九個ゲットというのはやはり少々無理もしている数字で、あえて数を取りに行っております。どうすれば数を稼げるのか。それは、観音霊場とか薬師霊場とかの札所を、できれば車を使って、集中的に回ることです。観音霊場の中でも、西国三十三観音は由緒の重さからして別格です。第一、ルート総延長が二千キロもあって、効率的に数を稼ぐのには向きません。ここで言っているのは、地方地方にあるマイナーかつコンパクトな霊場巡りのこと。都内だとほにゃらら七福神というのが何か所もありますから、それを回ると効率的です。平成十九年の御朱印を見返していて反省されたのは、そういう数字を目的化した御朱印集めをしてはならないということでした。たとえばこの年の十月六日、私は東北某県某市でレンタカーを借り、この種の霊場巡りをして御朱印を十個ゲットしております。しかし、それらの寺の記憶は、全く、何一つ、完膚なきまでに残っていません。要するに、格別の見どころがあるわけでもない、ごくふつうの田舎のお寺ばかりだったのです。御朱印だけあっても、ひと欠片の記憶も残っていない。この虚しさ、つまらなさ……。五十歳を過ぎて知る人生の真実でございます。
九月半ば、半分私用、半分仕事みたいな感じで関西に行く予定があった。大阪市立美術館で開催中の「聖徳太子 日出づる処の天子」展を観て、四天王寺にも参拝するつもりだった。四天王寺の御朱印ならば、まさに阿鬼ちゃん御朱印帳の使いおろしにふさわしい。じつは四月から五月にかけて、四天王寺には仕事で何度か参っていて、谷町通りから石鳥居を入った左側に納経所があるのも承知していたのだが、まだスイッチが入っていなかったので覗いてみることすらしていなかった。それがこのたび初めて納経所に入って驚いたのは、御朱印書きの専属職員が三人もいて、御朱印の種類は二十三個もあるのであった。三百円乗ずることの二十三で六千九百円。全部もらうことも可能な金額だが、それだとまた数字至上主義になってしまうし、なんか違うと思って四個だけいただきました。今後もお参りする機会ごとに、数個ずついただくというのが筋でありましょう。続いて住吉社(一個)、大聖勝軍寺(一個)、叡福寺(二個)、達磨寺(四個)、頂法寺六角堂(四個)、行願寺革堂(二個)、祇園社(一個)、一泊二日で締めて八箇所十九個。大聖勝軍寺、叡福寺、達磨寺はあまり有名ではないかも知れないが、いずれも聖徳太子関連の寺で、特に叡福寺は廟所である。六角堂と革堂は西国三十三観音の札所(二十番と十九番)で、住吉と祇園は二十二社(平安中期以降に朝廷の尊崇が特に厚かった畿内の重要神社)。まさに精選されたラインナップと言えよう。
東京に戻ってからも御朱印熱は続いており、そちらは阿鬼ちゃんのものではない、まだ空欄が残っている御朱印帖を使って集めている。今年いただいた御朱印は、春の筑波山神社以来、二十箇所四十二個になった。それにしても、現今の御朱印ブームのお蔭で、各寺社が御朱印の種類を増やしているのにはやや呆れるところもある。大きな寺の場合はもともと複数種類の御朱印の用意があることもあったが(多数のお堂があり、お堂ごとに本尊が異なるため)、神社はいわゆる名神大社であってもかつては御朱印は一種類だけだった。ところが、さして大きくも古くもない都内某神社に行くと、今や御朱印が五種類もある。初穂料も五百円で関西よりずいぶん高い。五種類の御朱印は書かれている文言も印も同じであるが、紙を模様違いにしているのである。数字至上主義に取りつかれていた頃だったら、全部ゲットしてしまったところだよ。今後は、無理なく、コンスタントに、を原則に、ブランクを作らないようにして集め続けたいものである。
2021年10月15日金曜日
ワイナリーと蠅 佐藤文香
Diary for October 8, 2021: Three Wineries and a Silver Fly
朝はベーグル。スーパーのベーカリーコーナーで買ったもの。ふつうに棚に陳列されているものを買うよりはうまいが、たぶんもっとうまい店があると思う。Tは仕事へ、私はまずはhousehold。アメリカ版クイックルワイパーSwifferの水拭きでリビングの床を拭き、これで玄関以外家全体を土足でなくすることに成功。仕事を少ししてから、Berkeley市が主催する工場見学ツアーへ。ひとりで。
10/1からCaliforniaのBerkeleyにいる。自分が選んだ生活というわけではなく。
いや、選んだか。
1年間住むと思う。
初めてバスに乗るべく、すでに入れてあったLyftというアプリの公共交通機関運行検索で見ながら最寄りバス停に向かうが、なぜか思っている52番バスがそこに停車しそうにない。もう少し遠くのバス停になら停まりそうなので、走ったりしながら向かう。で、待っていたのだが、アプリを見るとなぜかもう行ってしまったことになっていて、そんな馬鹿な、と周りを見まわしどこからどうやれば行けるか考えていたら、すごい勢いで52番バスが通過してしまった。
途方に暮れていてもしょうがないので、気を取り直し、Lyftの本来の用途である配車サービス(Uberとほぼ同じ)で車を予約。Univercity Ave.の見知らぬ場所で10分間じっとしていた。ようやく来てくれた運転手はいい人で、Lyftは初めてなんですと言うと、僕も初めてです、ハッハッハうそうそ、みたいな具合。運転もすごくうまかった。3分遅刻くらいでワイナリーに到着。場所が合ってるかわからなかったのだが、人が集まっているところまで運転手が行ってくれて聞いてくれ、どうにか参加となった。参加者への一斉メールのアドレスをすべてTo欄に入れてしまいさらに開催場所の番地をtypoし送り直してきたインターン生が市の側の人間で、イケメンだったが仕事はできなそうだった。先週来たので日本のものですが、と言いつつワクチンの接種証明をインターン君に見せ、グラスに注いである白ワインをもらって飲む。重めすっきり。私より遅れて来た人もいたので、まぁそんなもんだよなと思った。
まず主催者の女性の話を聞く。ほとんどわからないが、地域活性化の仕事をしている人のようだった。次にここCovenantのワイナリーのおじさんの話。
ワインの横に細長いクラッカーがグラスに用意されてあり、それとワインのマリアージュが素晴らしいとしゃべりながら食べて見せるので、私がグラスごと持って皆に配ったら主催者の人にありがたがられた。こういうことはインターン君がやるべきだろう。そして参加者一人ずつの簡単な自己紹介。想像通り高齢者の友人グループ、リタイア後の夫婦、起業家、地域の仕事をしている人など。私は先週東京から来て英語はあまりわかりませんが友達がほしいです、ワインは好きですと言ったら、日本でもうちのワインは売っている、山崎と取引している、日本に帰って美味さを広めてくれ、カンパイ!と言ってもらって注目された。そのあとの赤ワインはカベルネらしい味。工場に入って圧搾の機械や樽、葡萄殻を見せてもらう。途中、30代くらいの一人で来ている女性が声をかけてくれ、少し話す。あまりわからなかったが、Chicago出身、このあたりで地域の仕事などもしているらしく、日本だと参天製薬と取引をしたことがあると言っていた。オタクっぽいかんじで、こっちがあまり理解できないことがわかっていてもつい早口になってしまうといったかんじだった。
3つのワイナリーをまわるうちの1つ目なのにのおじさんの話が長く時間を食ってしまい、名刺をあげるから持って遊びに来るようになどと私たちにも話しかけてきて、主催者女性がありがとうありがとうと話を遮り、次のワイナリーDonkey and Goatへ。
ここでもワイナリーの、こちらはまだ若そうな醸造家の説明を受けるが、例によってほとんどわからず。シンプルな作りをしているのと、東京やパリでも売っているというのだけわかった。飲ませてもらった赤ワインはピノノワールで、なるほど案外繊細なつくり。品のいい夫婦が声をかけてくれた。夫の仕事で1年来ていると言うと、その間あなたはワインテイスティングなのね、と笑われたので、ここで私がやりたいことはカリフォルニアワインを味わうことだけです!と答えたら、Alamedaのワイナリーもいいと教えてくれた。NapaやSonomaはどうかと聞くと、Napaのは一つ一つが大きく、ツアー客がたくさんだからLivermoreに行くといい、と教えてくれた。今日一番の知っ得情報だったと思う。
3つ目は、hammerling wines、ここは新興ワイナリーらしく、道沿いにテーブルと椅子がたくさん出してあり、そこでテイスティングしている人が多くいた。
ここでは話を聞くだけでテイスティングはなく、ショップカードだけもらった。東京にはまだ進出していないそうだ。
大幅に時間を超過した上、最後シメの話もなく流れ解散で、見学中スマホばかりいじっていたインターン君もどこかに行ってしまい、行きにLyftで来たものの帰りはバスで帰ろうと、少し話しかけてくれた大柄な紳士にバス停の場所を聞くと、北側に向いて歩いて行けばいいということだったのだが、その連れのたぶん中国系の中年の小柄な女性が、downtownに帰るなら私たちの車に乗せてあげると言ってくれて、ありがたく乗せてもらうことにした。自分の家の住所を打ち込むようにスマホを渡される。それにしたがって連れて帰ってあげるわ、と。こういうときにお金などを渡した方がいいのかもわからなかったが、とにかく感謝を伝える。中国なまりの英語で聞き取りにくかったが、日本食が恋しいでしょ、とか、東京に行ったことがある、とか、私のわかりそうなことをいろいろ話してくれた。APAホテルの社長に似ていたがそれは伝えなくてもいいことだ。
車内で名前を今一度聞かれ、Ayakaです、と言い、こちらもお聞きしたら二人はDavidとシュリン(?)だとわかる。この週末はFleet weekだからSan Franciscoにくるといい、と教えてもらう。検索するとFleet weekは航空機のショーで、Berkeleyからも見えるか聞くと、海沿いなら見えるだろうけど、やはりSan Franciscoがいいとのこと。この週末はゆっくりしようと思っているので行けないなとは言わず、San Franciscoで好きなレストランはありますか、と聞くと、Waterbarかな、シーフードと景色がいいと教えてくれた。私のアパートの通りは狭いから、近くならどこで降ろしてくれてもいいと言ってあったが、家の前まで来てもらえた。うちの通りは面白い家が多いので、シュリンはこれもこれもと写真を撮りたがっていた。礼を言い、日本語で「ありがとう」とも言い、帰宅。私がいない時間、夫は家に帰って来ていた。PCとテーブルが受け取れてよかった。夫はまた職場へ。
こちらは日差しが強すぎて、サングラスをかけていても目がやられる。マンゴージュースとヨーグルト、ミルクでラッシーを作って飲み、チョコを食べて少し寝た。 夕方、狭いダイニングにて、遠山陽子『三橋敏雄を読む』の3校のチェック。届いた折り畳みテーブルは脚が短く、今ある椅子だと猫背になる。買い物に失敗した感がある。再校時期がちょうど渡米と重なっていたものだから、そこを人任せにしていたら、3校でまだかなり赤が出てしまった。これは11月に刊行される『遠山陽子俳句集成』のおまけのようなかたちで遠山さんが「弦」に連載していたのをまとめたもので、版元を通さず私家版、デザイナーの佐野さんと私でつくっているもの。
昨日買ったクッキーにデカい銀蝿が入っていたのでしょんぼりしながら葬ったのだが、それをLINEで澄子さんに連絡すると、「蠅はマズいけど、あ、その蠅、トシオかも。お通夜の前に蠅が来て、あんまり側に纏い付くから、パチンとやろうとしたら、「いらしたのかも」って、葬儀屋さんが。」と返って来た。そうか、敏雄が銀蠅になってアメリカまで「ちゃんとやってるか?」と見に来たのだと思い、夕飯を挟んで3時間半ちゃんと仕事。夕飯には豚を焼く。豚はうまかった。この時間は日本の日中にあたるので、今後も昼は遊んで夜仕事するのがいいのかもしれないなと思う。上階からの英語を聞きながら敏雄作品を読んでいると、いつどこにいるのかわからなくなって面白い。
めんどくさくなったので、シャワーを浴びずに寝ることにする。あったかブランケットだけだと寒くて、シーツがわりに敷いていた掛け布団とブランケットをチェンジして寝る。まだ床に直にマットレスを置いて寝ている。明日はベッドを組み立てられるだろうか。
(→ベッド、組み立てられました)
日記(2021.9.15~2021.10.13) 関悦史
9月15日(水)
ひどい肩こりで起床。膏薬だらけになって再入眠。
置き薬「みみず一風散」の交換が来たが使っていなかったので補充なし。
コロナの影響で外国の空港に数日閉じ込められている知人とDM。
若桜木虔『アポロンの剣闘士』『ブラックホールの彼方で―アポロンの剣闘士2』、飯島洋一『37人の建築家―現代建築の状況』読了。
腹痛治まらず。
9月16日(木)
夢枕獏『ねこひきのオルオラネ』、加藤又三郎句集『森』読了。
「翻車魚」5号用の50句やっと揃う。
9月17日(金)
夢。鍵が開いていたと言いつつ小野村が入ってきて、夢でのみ飼っているインコを逃がしそうになっていたことに気付く。
深見けん二氏の訃報。「俳句」の合評鼎談をやっていた頃だったか、礼状を頂いたことがあった。
庭のヤブガラシ等を抜き汗だく。
打ち込み作業少し。
低気圧のためか何も読めず苦しむ。
9月18日(土)
台風接近による雨。
「円座」連載「平成の名句集を読む」の41回目を書く。
9月19日(日)
酒井邦嘉『言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか』やっと読了。
「翻車魚」5号用の表紙絵のライオンを例によってペン画で描き、スキャン。
写実画は見ていると細部と全体、タッチとイメージの間を往復して視線が迷宮化する。
9月20日(月)
「翻車魚」5号用の雑文を書く。無内容なまま字数だけ埋まる。
野坂昭如『生誕の時を求めて』読了。
9月21日(火)
誕生日。3巡目の17歳を昨日で満了した。
腹痛続く。胃腸薬等買い込む。
西村寿行『修羅の峠』読了。
9月22日(水)
「翻車魚」5号の表紙用に描いたライオン絵を高山れおなさんが買ってくれたので発送。
「土曜俳句倶楽部」用の5句を作る。
瀬名秀明『パラサイト・イヴ』読了。ミトコンドリアが日本語で演説していた。
9月23日(木)
小野村が墓参にこちらへ来るついでに会う予定だったが、双方不調のため中止。
9月24日(金)
『暗夜行路』4分の1程度読み、疲れひどくて断念。
腹痛続く。
9月25日(土)
サトアヤのツイートで「Edge」生駒大祐編の無料公開を見逃したことに気付く。
YouTubeで第一部だけ無料公開の現代俳句協会青年部第171回勉強会「戦争を生きた俳人たち」生配信を見る。
志賀直哉『暗夜行路』、冲方丁『蒼穹のファフナー ADOLESCENCE』やっと読了。
9月26日(日)
広渡敬雄『俳句で巡る日本の樹木50選』、髙柳克弘『そらのことばが降ってくる―保健室の俳句会』読了。
樹木の句はあまり作っていない。
9月27日(月)
眠気。腹痛。
9月28日(火)
行きつけの内科に電話してみたが、午後の枠は全部ワクチン接種にあてているため診察不可とのこと。
ゲラひとつ返送。
上野犀行句集『イマジン』、酒井弘司句集『地気』、加藤哲也『概説 筑紫磐井・仁平勝』読了。
9月29日(水)
漫画家さいとうたかを死去、自民新総裁に岸田文雄の報。
添削済ませる。
ABEMA TVで配信していた「転生したらスライムだった件 OAD 全話一挙」他見る。
9月30日(木)
眩暈ひどく、歯医者をキャンセル。
10月1日(金)
銅大『SF飯 宇宙港デルタ3の食料事情』読了。
台風16号による暴風雨が本格化する前に雨戸を閉めたが、庭に知らない木がかなり生えていた。
よろけて顔からアコーディオンカーテンにぶつかり眼鏡が広がる。更に施錠したつもりの洗面台の窓がずれて開いていた。
依頼の電話1件。
台風で離陸が遅れたがサトアヤ、無事渡米出来たらしい。
しんどさ。現代音楽を聴き続ける。
10月2日(土)
ドラッグストアを出たところで隣のおばさんに会い、区費が未払いになっていると言われて払う。
午後、オンライン「土曜俳句倶楽部」出講。
ラファエロ・ブリニェッティ『黄金の浜辺』読了。
腹痛続く。
10月3日(日)
ゲラ等のやり取りのみ。
10月4日(月)
故鈴木明さんの夢。
腹痛、凝り、気持ち悪さがあまりにひどく、死ぬのではないかと思う。
10月5日(火)
近所のSさんが米等を分けてくれる。
10月6日(水)
連日しんどくて病院行けず。
尾崎秀樹『歴史文学夜話―鴎外からの180篇を読む』読了。
深夜2時半、郵便受けから重い物を引き出されたような異音で起床。見に行ったが何か盗られたのかは不明。
10月7日(木)
玄関前の枝切り少し。
賀川豊彦『死線を越えて』読了。
洗濯。
ようやく内科を受診出来た。
レントゲンを撮られ、薬を出してもらう。
久々に図書館へ(コロナで閉館が続いていた)。貸出カードを更新し、本5冊借りる。
歯医者と郵便局を回り、メガネ屋でぶつけて広げたフレームの修理。
夜、やや大きい地震で起床。物の落下等はなし。
ノーベル文学賞は予想に挙がっていなかったタンザニアのアブドゥルラザク・グルナが受賞。
西村寿行『君よ憤怒の河を渉れ』読了。
10月8日(金)
昨日借りてきた吉井亜彦『演奏と時代 指揮者篇』、イサム・ノグチ『イサム・ノグチ エッセイ』、ジャック・デリダ、豊崎光一『翻訳そして/あるいはパフォーマティヴ』読了。
10月9日(土)
アンナ・カヴァン『あなたは誰?』読了。
K代さんが来たので、こちらにまとめて送られてきた選挙チラシを半分引き取って分担してもらう。
不調続きで迷っていた依頼を受ける。腹痛続きで夜も年中起きているので衰弱するばかり。
総合誌のアンケートの回答を送る。
10月10日(日)
青木亮人さんからZoomで「俳句四季」連載のためのインタビューを受ける。2度目。
10月11日(月)
夢の中で知らない猫が普通に口をきいていて、コーヒーにはマヨネーズを入れていた。次の夢で突発的洪水が起こり、家の周りを北から南へ深さ10センチほどの水が通り過ぎていった。
10月12日(火)
豊里友行句集『ういるす籠り』、成田一子句集『トマトの花』、原満三寿句集『迷走する空』読了。成田一子は第3回芝不器男俳句新人賞大石悦子賞の受賞者だった。
依光陽子さんから、ツイートの夢の記述が面白いから夢日記を出せとリプが来る。
出演した動画のチェック作業。
古井由吉『書く、読む、生きる』やっと読了。
10月13日(水)
注文したユンケルの錠剤が届いて肩凝りはやや軽減。
翻車魚」5号のゲラを済ませる。
「まのあたり句会」に出す5句がなかなか揃わず。
2021年10月1日金曜日
菊は何 佐藤文香
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I am on sabbatical for a year starting in October 2021.
澄子に父の美しかりき牽牛花
淋しさは夢の冷夏の残暑かな
歩み来て気軽な秋の青鴉
渡る鳥見えて心に残りけり
映しけり白菊にこのひととせを
てのひらに菊応ふるや光りつつ
しんじつの菊や刺身に枯るるなく
思へどもすでに忘れて菊は何
ひのもとに吾のあらざるを寒がれよ
君来たまへ加州に雪の降る季に
碧玉集 高山れおな
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大和川澄むとなけれど秋の旅
幻獣のごとし西日の紫薇(さるすべり)
手花火をせざる幾とせ草の花
名月やあらしのごとき虫の声
使ひ魔の鴉来て去る秋日和
碧玉を黒玉(ジェット)を秋を並べ売る
黒葡萄甘くあやしき露の玉
佐藤文香さん渡米壮行 三句
太陽の旗星の旗月ひとつ
雲の上ゆく船ならば宝船
君を待つ虫もあめりか物語
全歴史 関悦史
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秋麗のパフェぞ活け花面(づら)に立つ
秋渇きかなボマルツォの怪物の
秋の声負ひ細胞は増殖す
虫の闇人類現れて絶ゆる
胎内にて全歴史見し秋思かな
介護手すり祖母死後わが手に冷えぐらつく
かなしみは茸のごとくよろこびぬ
白湯飲んで秋の虚空を食つてゐる
佐藤文香さんが十月一日から渡米してしまうので二句
アヤカ・サトウにアメリカヤマシギ踊り来るや
アメリカの遠くて無距離秋澄める
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