2019年5月15日水曜日

001*2019.5


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レポート
▶︎第一回生翻車魚 関さんの森から
関悦史・佐藤文香・トオイダイスケ・ごしゅもり

ご説明
▶︎「翻車魚」と「翻車魚ウェブ

***

作品
▶︎溜まっていた句  関悦史

作品
▶︎肌は鋏に  佐藤文香

散文
▶︎日記(2019.5.1~5.14)  関悦史

散文
▶︎フェイスマスクの話  佐藤文香


photo by ごしゅもり

***

おしらせ
▶︎『柿本多映俳句集成』(深夜叢書社)刊行のおしらせ

フェイスマスクの話  佐藤文香

「鏡」31号(2019年4月1日発行)より転載

フェイスマスクが流行っている。風呂上がりなどに化粧水をほどこす代わりに顔面に貼ってしばらく置く、あのシートである。

三十歳を過ぎて肌のケアに危機感を覚えるようになった私は、デパートで販売されているまずまずいい値段のする拭き取り化粧水と保湿化粧水の二刀流でがんばっていたが、30歳を過ぎた友人2名(お肌つるつる)、口を揃えて曰く「LuLuLunがいいよ」。まじか。LuLuLunとは、たいていどのドラッグストアにも売っているフェイスマスクである。

早速近所のお店で購入した。LuLuLunは36枚入り1500円(1枚あたり約42円)、ちょっと高級なLuLuLunプレシャスは32枚入り1800円(一枚あたり約56円)と、微妙に差があった。どちらも試してみたところ、圧倒的にプレシャスの方が肌のもっちり感がよい。これだ、というかんじがあった。

10分程貼り付けておくのが良いとされるが、20分以上貼ったままのこともよくある。顔から外したら、そのシートで脚や腕などを拭いて、全身の保湿につとめる。時間がないときは普通の化粧水で済ますのだが、貼っておくだけなので、家にいる日はいつでもできる。飲んで帰宅して風呂に入らず寝た翌日の昼、シャワーを浴びたあとマスクを貼り付けて家事を一通りやるのもオススメだ。最近は少し肌がやわらかくなった気がする。ご当地LuLuLunも販売されているので、旅行のお土産にも使えます。

以上、フェイスマスクLuLuLunの宣伝でした。

**転載ここまで**

後日談。
LuLuLunに似た別のフェイスマスクが、近所の薬局で売れなかったらしく半額になっていたので購入。貼り心地がまったくダメ。安物買いの銭失いだと反省するが、貧乏性なのでなくなるまでは使おうとがんばって消費している。
やはり、クイックルワイパーのドライシートとLuLuLunは正規品に限る。

日記(2019.5.1~5.14) 関悦史

  5月1日(水)
  昔飼っていた猫が窓から飛び込んでくる夢。撫でていてこいつは死んだはずと思い出し、覚醒。
  雨。後頭部鈍痛。
  吉行淳之介『面白半分のすすめ』『樹に千びきの毛蟲』『不作法対談』読了。つくば市のブックセンター・キャンパスなる古本屋、ずいぶん前に廃墟になったものと思っていたら再開していて、そこで一山買ってあったもの。
  令和改元の日だがテレビは見る気力なし。

  5月2日(木)
  柿本多映さんと長電話。『柿本多映俳句集成』の内輪の祝賀会の日程などについて。

  5月3日(金)
  『エラスムス=トマス・モア往復書簡』を読む。論敵多いこの二人も、今ならばツイッターでクソリプまみれになっていたのではないか。

   5月4日(土)
  不要不急の本ばかり何冊か読む。

   5月5日(日)
  「童子」の句評、最終回を送稿。

  5月6日(月)
  城戸朱理さんの誘いで鎌倉の澁澤龍彦の家へ。
  龍子夫人ほか数人で食事会。澁澤邸の裏に出るというタケノコ以外は、だいたい玄人はだしの城戸さんの手料理である。
  澁澤邸内、四谷シモンやベルメールの人形、加納光於、横尾忠則、金子國義の絵画といった、いかにもな物件にまぎれて、文ストのキャラになった「澁澤龍彦」までテーブルに立ててあった。
  皆が見学に回ったり、キッチンで次の料理を支度したりしている間、からになった応接間で、龍子さんの愛犬モミジが皿を嗅ぐ。タマネギなど毒になるものを食わないよう、モミジを撫でて気を紛らわせつづける。

   5月7日(火)
  桂子さんから昨日の写真を送ってもらう。
  自分の撮った文スト写真も、ツイッターに上げたらそこそこリツイートされた。文ストで澁澤龍彦を知って読みはじめた層というのはどの程度いるのだろう。


  5月8日(水)
  「扇翁堂」または「扇央堂」なる本屋の夢。夢の中では昔通っていたらしい。
  メールでの連絡いろいろ。

  5月9日(木)
  なぜか小松左京についてのメールが来て、延々返信。
  NHK文化センターに「土曜俳句倶楽部」用の投句を送る。講師も投句しているのである。

   5月10日(金)
  田中裕明賞のホームページが更新され、選考委員の言葉が出た。次回からわれわれの番となる。良い句集が出てほしいものである。

  5月11日(土)
  私も栞文を書いている山本敦子句集『八月四日に生まれて』の出版記念会のため四ッ谷へ。
  寄り道してまた何やかや古本を買い込む。
  会の中盤で祝辞が回ってきたが、なぜか呂律が回らず。そうこうしているうちに、笛と鼓の演奏の最中に、腹や背が異様に重苦しくなり、トイレまでは移動できたものの、そこで立ちあがれなくなった。高山れおなさんに心配して様子を見に来られた。帰宅できる状態ではないので、周りが部屋を手配してくれ、ホテルマンに車椅子で運ばれてそのまま会場に一泊。不眠。

  5月12日(日)
  何とか帰宅。昨日の関係者等に無事戻ったと連絡。

  5月13日(月)
  不調続きでわけがわからず。

  5月14日(火)
  病院に行けず。
  夕方、買い物には出られた。
  「翻車魚ウェブ」は半月おきに雑文と句を出すことになっているが、まとまったものは書けそうにないので今回はこの日記の抜粋でごまかす。

2019年5月1日水曜日

溜まっていた句   関悦史


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つやつや  関悦史


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「関さんの森」を抜けて  関悦史

松戸に「関さんの森」なるところがあって、たまたま私と名前が同じだからというだけの理由で、佐藤文香さんと行ってきた。地主の名前が残ったものらしい。トオイダイスケさん、ごしゅもりさんも同行。平日に時間が自由になりやすいメンバーである。

新松戸駅を出ると、新興住宅地なのに大きく共同菜園の畑が割り込み、起伏の多い細い坂道が網状にかかっていて迷走を誘う。車も自転車も使いにくそうで、私などすぐ買い物難民化しそうである。
例によってサトアヤのスマホを見ながらの道案内についていくだけの行程だったが、これをやっているといくら歩いても道順は一向に覚えない。今回のコースなど二度とたどれる気がしない。

車道を渡ると「関さんの森」の門が見えた。
閉まっていた。
私のためだけの門なのに入れないとなると、まるっきりカフカの「掟の門」ではないか(ちなみに私は恋愛小説のひとつの極致として思い浮かべるのがこの「掟の門」である。主人公の男と門番のBLということではない)。

門の前で生涯をつぶすわけにもいかないから横手から森にぞろぞろ入り込み、ビニールシートを広げてピクニックとなった。いつ以来であろうか、この種の地べたに皆で座るような行楽。

アスレチックが設置されていて、トオイさんが律儀に一渡りした。

上空に木の枝が張り出し、カラスが鳴きわたり、下に座ってものを食べていると身体が小さくなった気がする。
子供の頃の家は大きく、天井が高く、薄暗く、謎に満ちた空間だったが、こちらの身心が育ってしまえばどうということもない。いっぺん子供の身体のサイズに戻って日本家屋を探索してみたいと思うが、それに似た感覚は森で得られた。

この後、ゆきあたりばったりによく知らない電車に乗って古墳をめざしたが、台地の上はまだ何も建っていない造成地がしらじらと広がっているばかりだった。
吟行と言っていた気はするが句会はなしで、明るいうちから一杯呑んで夕方解散。


三百六十五連休の身とはいえ、こういう一日はわざわざ設けないとなかなかない。何かしたのか何もしなかったのかよくわからない、明るいなかを皆で浮遊しただけの一日。

セルフタイマー  ごしゅもり

関さんの森に誘われたのでフィルムのカメラを抽斗の奥から引っ張り出した。森と対峙するためになにか風格のあることをしたかったのだ。デジカメと違って、その場で画像を見れないのでとても奥ゆかしい。

さてフィルムはどこから入れるのだったか。いろんな部品を押したり引いたりしてたら急に裏蓋がパカッと開いた。ここだ。フィルムの先を差し込んでレバーを親指でひねるとカリカリと巻きついた。そう、あとは撮ってる最中に蓋を開けたくなる衝動と戦うだけだ。

撮影も記念写真の作法よろしく三脚を立ててセルフタイマーでやることにした。それはゼンマイ仕掛けで、じいいいいいいいいいいいいいいいいいいカシャッとシャッターが切れる。セットしてみんなのところに走りこめば、自分も一緒の写真に収まる。


関さんの森や流山電鉄、近くの寺でたくさん撮った。帰りがけに駅前のスーパーに現像を出し、翌日ネガとCDを受け取ったら、知らないおじさんが真ん中に大きく写っていた。関さんではなかった。

  写真機のなかに三人土匂ふ  ごしゅもり

遊び、弁当を食べてくる  佐藤文香

この春は夫とかんたんな花見を2回おこなった。ふたりで食べる分だけの食べものと、100円ショップの薄いブルーシートを買って行った。シートは一度敷いたら使い捨てにするというのがラクでよかった。ただ歩いてみるだけでなく、そこで飯を食うのは楽しい。関さんの森でも、皆で弁当を食べるのがよいだろうと思ったので、「昼ごはん持参で12時半に新松戸駅集合」と連絡した。

ここで思い出したのが、「週刊俳句」2010.4.4の平井照敏 編『新歳時記』(河出文庫) につっこむ (春) ハイクマシーン(佐藤文香・上田信治)で、「遠足」という季語にもつっこんだことだった。

春、秋によく行われるが、野遊、踏青などとの関連で、春の季語となっている。学校、会社、工場、官庁など、さまざまのグループの遠足があり、団体で、景色のよいところ、史跡、遊園地などに行き、遊び、弁当を食べてくる(中略)最近はバスがよく使われるが、自然にふれて弁当を食べて帰るのは、いかにも春らしい楽しい行事である。

そうだ、生翻車魚は遠足だ。
遠足といえば、おやつだ。
100円ショップで、薄いブルーシートとビスコ、ココナッツサブレを買って行った。

  目玉焼を鋏で切つて遠足へ  文香

関さんの森は本当に森だったので、明るくひらけたところはなく、関さんの森アスレチックという名の木の遊具の横に、薄いブルーシートを敷いて、おのおの弁当を広げた。ごしゅもりさんと関さんは買ってきた弁当、トオイさんと私はつくってきたおにぎりと少しのおかず。おやつは私しか持ってきていないかと思ったら、関さんがルックチョコレート、ごしゅもりさんがマシュマロを持ってきていたので、ココナッツサブレを開けるのはやめて、ビスコを開けた。私はビスコが好きで、大人になってからもたまに食べる。今回持参した味は「発酵バター仕立て」である。


おやつを食べ終わったころ、作業着のおじさんが現れた。「関さんの森ってあるから入ってみたんですが」とおじさんは言う。われわれも関さんの森初体験なので「とくに何があるわけでもなさそうですね」と返す。このへんの人かと思ったが、この森を知らないということは、どこかから仕事のためたまたま訪れたということだろうか。おじさんはあたりを見渡している。われわれはもう少し奥まで行ってみようと、腰を上げた。

「あー腹いっぱいや」とのびをしながら私が言ったら、おじさんが「何か残しといてくれたらよかったのに」と言う。「ビスコいりますか?」と聞くと「あるならもらいます」と、人懐っこいおじさんだ。ビスコの箱には小分けの袋が3つ入っていて、みんなで2袋食べたので、1袋余っていた。その袋をあげると、「ありがとうございます、お腹すいてたんです」と言って、さっそく袋を開けた。このおじさんは知らない人にもらったものを食べちゃいけないと習わなかったのだろうか。おじさんは、「ははあ、1袋にいくつも入ってるんですか」と言いながら食べ始めた。おじさんは、ビスコを知らなかった。

われわれはおじさんと別れ、森を奥に進んだつもりが、別の出口にたどりついてしまい、その出口にはさっきのおじさんがいた。「まっすぐ伸びてますね」とおじさんが呼びかけてきた。なんのことかと思ったら、大きな木が途中で折れ、地面と平行に伸びているところから、地面と垂直にどんどん枝が伸びているのだった。

  篁の湿りを春の鴉どち  文香

無い、がある日  トオイダイスケ



新松戸駅前に降り立ったとき不意に前方に幸谷駅と書かれた看板と小さな駅舎が見えた。「ぱらのま」という漫画でその存在を知って意識していた流鉄流山線の駅である。わたしは小規模の私鉄が好きでこの機会にこの路線にもぜひ乗ってみたいと思った。関さんの森で弁当を食べのんびりしたあと新松戸駅前に戻ってきたときにわたしは迷わず流鉄に乗りたい、と口にした。

幸谷駅の小さな駅舎の壁に道路地図を大きめにコピーした紙が貼ってあり、流鉄の線路部分を見やすいように太くなぞってある。乗るとは言え目的地の当てもない。鰭ヶ崎という駅ならばJR武蔵野線の南流山駅に歩いて行ける距離だ、とあやかさんがスマホを見ながら言った。わたしは壁の地図に見入っていて鰭ヶ崎という駅名の不思議さを思いつつ(内陸なのに魚の部位か)その近くに「古墳」と書いてあるのを見つけた。わたしは古墳がある、と口にした。今思うとわたしの生まれ育った北関東は古墳や単線の私鉄に恵まれている地域だった。あやかさんと関さんが用意した場に遊びに行ったこどものような立場でこのイベントに参加していたわたしは童心に必要以上に帰っていたのかもしれない。

鰭ヶ崎駅で降り古墳を目指してあやかさんが引き続きグーグルマップを見ながら道案内をしてくれた。わたしはスマホを取り出すこともせず晴れた空の下をのんきに歩いていた。駅からそう歩かないうちに新たに造成している住宅地のような地域に入った。土浦では古い建物がどんどん無くなっていると関さんが話す。新松戸駅の近くも古い区画の狭くうねった道の間に多くの新しい一戸建てと少しの古い人気の少ないアパートが混在していて、高架の線路を見上げる近さにそれらの家々が込み入っている様子はわたしの生家近くの東武佐野線の高くなっているあたりの景色を思い出させた。やはりこの散歩でわたしは必要以上に童心に帰っていたと思う。

やがて緩やかに上り坂になった長いカーブに差し掛かったが、前方を見上げても古墳らしきものは見当たらない。今歩いているここがもう古墳の麓なんじゃないかと思ったがそんなに大きな古墳なのだろうか。古墳のこんな近くにこんなに家を建てようとしてしまうものなのだろうか。あやかさんがスマホを見つつこのへんだよ、と言う。それらしきものは全然見えない。 さらに少し坂を上るとショベルカーが停めてある造成工事現場のようなところの端に、唐突にお稲荷さんと道祖神と彫られた石碑とが見えた。このあたりに古墳もあるのかと辺りを見回したが、木々がいくらか生い茂っていてそれらを切り開いて住宅地を新たに造成しようとしている様子にしか見えない。

結局古墳本体を見つけることができないまま来た道と別の道で南流山駅まで向かうことにして、その途中の小高いところにあるお寺を見て帰った。家に着いてからインターネットで検索してみると、なんとこの探していた三本松古墳はどうやらすでに取り壊されて形がなくなってしまっているらしいことが分かった。また鰭ヶ崎という地名が最後に寄った東福寺に現れた竜が残していった背鰭の逸話に由来することも分かった。

わたしは写真を撮ることがあまり好きではない。写真を撮ろうと思いながらものを見ていると自分が今ここにいなくなるような、カメラが目の前のものを捉える代わりに今この瞬間の自分の目や体はものや光景から遠ざけられてしまうような気がするからだ。旅行の前に下調べをするのは好きだ。これから見ることができるかもしれない場所や光景を自分の想像のなかでふくらませることができて、ほとんどの場合実際にそこに行ったときに現実の光景の魅力も想像のなかの光景もいずれもより肉付きを豊かにするからだ。今回はそのどちらも全くせずに参加した。そしてその場でただ行きたいと思ったところにはありそうだと思ったものは何もなかった。何もせずをし何もないを見たというようなものだ。ただ無為に午後を過ごしに行っただけのような時間を味わえてとても幸せな春のある日だった。

  人覆ふ土の消えたる春の昼 ダイスケ



第一回生翻車魚 関さんの森から


2019年4月15日(月)
関悦史・佐藤文香・トオイダイスケ・ごしゅもり

タイトルをクリックすると読めます。

▶︎遠足「生翻車魚」とは

▶︎第一回生翻車魚記念作品10句 つやつや  関悦史

▶︎「関さんの森」を抜けて  関悦史

▶︎遊び、弁当を食べてくる  佐藤文香

▶︎セルフタイマー  ごしゅもり

▶︎無い、がある日  トオイダイスケ

photo by ごしゅもり・佐藤文香

関さんの森 千葉県松戸市幸谷→Wikipedia
鰭ヶ崎三本松古墳 千葉県流山市鰭ケ崎(大字)
東福寺 千葉県流山市鰭ケ崎1033

肌は鋏に  佐藤文香


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遠足「生翻車魚」とは

遠足「生翻車魚(なままんばう)」とは 

・翻車魚メンバーである関悦史・佐藤文香と、ごく仲のよい友達のみで散歩をする。
(参加者は募集しておりません)
・季節に1回程度。
・記念写真を撮影する。
・当日句会は行わない。
・終了後、俳句1句を含むレポートを提出、【翻車魚ウェブ】に掲載する。

※両唇音が重なるのを避けて【翻車魚ウェブ】にしたのに、「ママ」と言いたいがために「生翻車魚」にしている。「翻車魚メンバー」もいい言葉である。

「翻車魚」と「翻車魚ウェブ」

「翻車魚(まんばう)」は俳句雑誌です。2017年に創刊号、2018年に2号を発行、今後も年1冊のペースでの刊行を予定しています。

もともと、佐藤文香が個人誌をつくろうと意気込んでいたところ、関悦史さんが「豈」をやめてしまって発表媒体がないというのを知り、それなら一緒にやろう、と声をかけました。関さんには表紙イラストを描いてもらうことにし、佐藤は編集・発行などを担当することにしました。そういうわけで、2人の同人誌とも言えるし、佐藤の個人誌とも言えます。身内のようですが、「関さん」と敬称で呼ぶのはそのためです。デザインは、ツイッターで知り合ったデザイナーのみけんさんにお願いしました。

さて、佐藤は同人誌「鏡」にも所属しており、14句を年4回発表していますが、関さんは総合誌等の依頼原稿以外ですと、年1冊の「翻車魚」だけなのが残念だという話をしていました。そこで、2019年3月に佐藤が同人誌「里」をやめたのを機に、翻車魚でウェブ上にも発表の場を設けようと考えました。

とは言っても、そんなにお金も技術もないので、「週刊俳句」等でなじんだブログ形式にて、シンプルにやりたいと思います。作品の掲載方法も真似させていただきます。この場を借りて、「ブログの1ページを表紙とし、リンクを集約する」「ブログに縦書きの作品画像データを貼る」という方法の発明に敬意を表します。

余談ですが、「ウェブ翻車魚」ではなく「翻車魚ウェブ」にした理由は、①両唇音(ブ・ま)が続くと言いにくいから ②まんなかに母音が続くのが面白いから(ooue)です。

今後の【翻車魚ウェブ】の予定です(やっている間に変更する可能性もありますが)。

・毎月1日  2人の作品を掲載します。
・毎月15日 2人の散文を掲載します。
    ※佐藤は直近の「鏡」からの転載を含みます

・季節に1回程度、吟行会「生翻車魚」を行い、そのレポートを掲載します。
・紙の雑誌「翻車魚」販売をおしらせします。また、年間通して通販を受け付けます。
・その他、なにか書きたいことがあれば、随時掲載します。

〆切がないとなかなか作品を書かないタイプの2人ですので、「書き溜める」という意味でこの【翻車魚ウェブ】をつかっていきたいと思いますが、もし通りがかりにでもご覧いただければ、大変嬉しく思います。なお、引用の際は、作品と作者名セットでの記載をお願いいたします。

今後とも、どうぞよろしくお願いします。(佐藤文香)