2022年2月16日水曜日

034*2022.2

 


俳句

散文
NEW!▶︎パイクのけむりⅩⅣ~『古今俳諧明題集』漫読~①【春・夏】  高山れおな

散文
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書き始める、書き続ける、書き終わる  佐藤文香

終わりが視界に入らないものがこわい。映画も小説も、自分が書くことについても。だから俳句なんだと思う。俳句は書き始めた時点で、書き終わるしかないから。自分が思いつくのは2行くらいで、そのあとは崖だ。自分は崖づくり職人みたいなもんだと思う。書き続けるなら、自分の外側のことを書き取り続けるしかない。というか、「思いつく」以外の、やり方がわからない。「書き続ける」とは。

こうやって昨日のツイートをコピー&ペーストするのは、真っ白なところに文字を書き始めるのが苦手だからだ。

面白さを度外視すれば、自分は「書き出し続ける」ことはできる。Twitterでなら、起きている間中、5分に1回つぶやき続けられそうだ。なのになぜ文章を書くのはこんなに苦手なんだろう、と考えて、それを文章にしたらいいじゃないか、と思うところまではいったが、面倒くさくなって終わった。怠惰なだけなのかもしれない。私の頭の中はいつでも崖だらけだ。

続いて、ツイートを少しアレンジしてみた。書き始めてやめてしまうこともしょっちゅうで、自分には「途中」がない。終われなさそうなことは、書き始めたくない。
ここからは自分のブログに書いたことを、少し詳しく書いてみるのはどうか。

最近、自分にはひとつ能力があることに気づいた。自分は、誰かに伝えたいことを、その相手がわかるように話して説明することができる。子供から老人まで、俳句に関わりのない友人や美容師さん、バイト先の先輩、以前の恋人のお母さん、夫の同僚などにも、ある程度自分のやっていることや考えていることを、相手がわかる範囲で説明することが可能だ。

自分が人に伝えたいことというのは所詮話して理解されるレベルのことであるというのと、難しい言葉を知らないから難しくない言葉で話す、あとは相手のことを決して見下したりしないからなのだが、とはいえ自分はそれで満足できるので、これが能力であることに気づかなかった。『俳句を遊べ!』『天の川銀河発電所』はどちらも会話形式を用いた構成になっていて、それは私が書くのが苦手だからなのだけれども、同時にやはり会話がある程度得意だからだったのだろう(もちろん、ものすごく編集してあるが)。

しかしそれが能力であることになぜ気づいたかといえば、英語で会話がまったくできないからだった。言葉に詰まって、何か言うのを諦めながら、自分はシャイじゃない、あなたが考えるよりもう少し頭がいいはずなのに、と思い続けた。その場で話せないので、あとで調べて書き送るか、あらかじめ言い方を調べて行って、読むしかなかった。

小説家になりたい、とか、文芸部に入ろうと、一度も思ったことがないのは(まぁ、俳人になりたいとも思ったことはないが)、自分が書いて伝えないといけないようなことに直面しなかったからだと思う。言葉は好きなので、アナウンサーや声優、書道の先生になりたいと思ったことはある。これらは、自分の中身を意味で伝える以外の言葉を扱う職業だ(作詞家にもなりたいときがあったが、それは「ゆず」というミュージシャンにかぶれていたときだ)。

自分が「俳句で伝えたいことはない」などと言ってきたのも、結局、自分が伝えたい程度のことは話せばわかってもらえるから、だったのだろう。今では「自分はあまり話すのが得意でないから書くようになった」という人の気持ちがわかる。

はじめのツイートと、この話を合わせて考えてみる。ではなぜ、話すときは終わりが見えなくてもいいのか。会話というものはそもそも見えないからだろうか。いつまででもその人と話し重ねたいからだろうか。相手の反応によっていくらでも話し方や内容を変えていくことの方に面白みを感じているからだろうか。相手からの反応が得られることで、毎度話し始め続けることができるからだろうか。そういえば私は、ひとりで話し続けるのがとても苦手だ。そして、手紙を書くのは得意だ。打ち返してくれる(かもしれない)「相手」の存在が、重要な気がしてきた。

ーー崖がきた。
ツイートのコピペのアレンジに戻る。

自分がなにか書けていることがあるとすると、それはすでに「逸話化」ができている=自分の外にある 場合で、そういうときは、顛末=話の尾っぽ を見据えることができるから、絵を描くというよりは塗り絵を塗るように書く。塗り絵というのは、全貌が「見えている」。A41ページくらいのものだ。せいぜい2000字、小話、ネタ程度のものでしかない。

そうだ。さきほどの話は、ブログで逸話化が済んでいたから、アレンジでいけた。

そう考えると、自分が書くもののなかで自分の中身を超えられる可能性のあるものは、今のところ、日記だ。終わりのある一日について毎日「書き終わり続ける」ことができ、翌日を予測することが不可能であるが、どの段階でも自分という主体によってその物語を回収することが可能だからだ。

それと、音声入力、ツイートの断片の組み合わせ、か。

句集『菊は雪』巻末の「菊雪日記」はまさに、日記形式を借りながら、小話として成立するものをある日一気に音声入力し、それを各日付に割り当てるかたちでつくった。素材さえあれば、編集はできる。
去年、平岡直子歌集『みじかい髪も長い髪も炎』の書評を書かせてもらったが、書評というよりは、短歌のなかを自分が彷徨く紀行文のようなつもりで書いた。

とはいえ、(評論などの有益なものを)書けないのは、単純に文章を読む量が足りないから型を知らないというのと、資料にあたらないから持ち駒がないというのが大きく、「本を開くのが苦手」(ほとんどの本は自分にとって途方もない)というのを克服しないといけないという別の問題(同じ問題ともいえる)がある。去年はたしか、詩歌以外の本は5冊も読んでいない。

さらに、誰かや誰かの作品について中途半端なことを書いて作者や読者に迷惑をかけたくない、とも思っている。今もまた私は自分について書いていて、私がいつも自分の話をするのは、単にネタがないというのもあるが、自分の思ったことが何かしらの判断として誰かに影響を与えてしまったら困るのと、自分のことならいつ書きやめても何をはしょっても、自分にしか迷惑がかからないので安心できるからだと思う。

ここまでツイートとメモ。「終わりが視界に入らないものがこわい」という、はじめの話に戻ってきたし、自分の話をしている言い訳もできたので、今日はこのへんで。

だいたいこれくらいの長さのものを書くときは水分も摂らず、過集中の状態で、一気に書く。書き終わるまで書く。『ぜんぶ残して湖へ』の栞文もそうだった。書き終わってようやく呼吸をする。ずっと息が止まっていたのではないかと思う。文章ひとつを書き終わるまで息ができないとすれば、ずいぶん体に悪い。

そう考えると、俳句は体にいい。
推敲には時間がかかることもあるが。

パイクのけむりⅩⅣ~『古今俳諧明題集』漫読~②【秋・冬・雑】  高山れおな


ここからは秋部。 

心なき星の多さよ天の川  凌岱 

「銀河(あまのがは)」の句。秋の夜空に無数の星がまたたいている。しかし、考えてみると、恋に身を焦がしているのはその中でも牽牛・織女の二星だけ。他の星々は、恋など無縁に、いわば悟った〈心なき〉境地にあって、澄みきった光を放っているのだ。――句意はこんなところか。現代語で「心ない」と言ったら、乱暴とか無神経とか、とにかく否定的な意味しかないわけだが、本来は、仏教の教えに従い、執着を離れた境地をいう。仏教の修行はとはつまり「心ない」人間になることを目指すものなのであって、西行の〈心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮〉は、執着を捨てたはずの人間をも感動させる秋の夕暮の情趣を称えている。七夕伝説を踏まえた句作りは近世には非常に盛んだが、掲句の発想は斜め上をゆく冴えわたりぶりだ。 

  根にもどるところは見えぬ花火かな  荻丈 

「花火」の句。「花は根に帰る」という諺にもなっているように、花が木の根元に散ることは、物事が根源に帰ってゆくことの比喩とされてきた。〈花は根に鳥は古巣へ帰るなり春の泊まりを知る人ぞなき 崇徳院〉のように和歌や漢詩にもしばしば詠まれている。そうした伝統を反転させて、この花火という花はしかし、空で消えてしまって根本に帰ってゆく様子は一向に見えなねと言っているのだ。 

  土盌師(かはらけし)露しん/\といふあたり  太祇

「露」の句。『古今俳諧明題集』には、そういえば、蕪村の句は一句も入っていない。しかし、蕪村の友人の太祇の句はこうして入っている。じつは凌岱は京都で、蕪村と目と鼻の先に住んでいた時期もあるのだが交流の形跡はない。十八世紀京都画壇で、ご近所同士でありながら交流の記録が残らないというのは、別にこの二人に限ったことではないのだが。掲句の土盌師は、現代風にいえば陶芸家だが、この時代には文字通りの職人であって、現在のような社会的地位はなかった。この〈露しん/\〉には、貧しく厳しい生活が含意されていると思っていいだろう。 

  稲妻や闇にもならぶ雲の峰  秋午

「稲妻」の句。見えていなかった闇の中の雲の峰(それも複数)が、一瞬の雷光に姿を現わした。不気味かつ印象鮮明な句。 

  零余子(いものこ)の這ひかゝりたる案山子かな  青藍 
  物言はで今日も暮れゆく案山子かな   麦林

「案山子」の句。正岡子規的な写生至上主義でゆけば、青藍の句はよろしく、麦林の句は嫌味な月並調なりと退けられてしまうだろう。私は両方ともあわれがあって良い句だと思う。案山子なんだから物を言わないのは当たり前じゃないかという批判は見当違いである。物を言わない(言えない)存在に対する思い入れがここにはあるだろう。当たり前の先に埋め込まれた情意を見るべきである。 

  蟷螂の組んで落ちたるぬかご哉  有為

「零余子」の句。ヤマイモの蔓の部分から、どうした拍子か蟷螂とぬかごが一緒に落ちたのを、騎馬武者の組打ちに見立てた。騎馬武者が組み合ったまま馬から落ちるシーンは、軍記物語でおなじみだ。〈汀にうち上がらんとするところに、押し並べてむずと組んでどうと落ち〉というのは、平家物語「敦盛最期」の一節。

  後の月野山に残る駒のこゑ  凌岱

「十三夜」の句。晩秋九月十三夜の月は、中秋八月十五夜の月に対して「後の月」と呼ばれるわけだが、掲句の〈野山に残る駒のこゑ〉は両者の関係性を踏まえたもの。十五夜の翌日、八月十六日は宮中行事「秋の駒牽(こまひき)」の日にあたる。東国の牧から貢納される馬を、宮中からの使者が逢坂の関で受け取り、宮中で披露するわけである。これを駒迎えといい、それを詠んだ歌としては、拾遺集にある〈逢坂の関の岩かど踏みならし山たち出づる桐原の駒 大弐高遠〉〈逢坂の関の清水に影見えて今や引くらん望月の駒 紀貫之〉がことによく知られている。ちなみに八月十五夜=満月とは限らず、満月は翌日や翌々日のこともあるようだ。そうでなくとも八月十六夜もだいたい満月なのであり、駒迎え・駒牽と名月は事実上セットで観念されていた。それから一月後の十三夜には駒迎えは行われないが、月はあの日と同じように美しく輝いている。それを見ていると、あの駒迎えの時の馬たちのいななきの印象が蘇ってくる……。やや難解だが、幻想的で美しい句であろう。板橋区立美術館の展覧会には、この句を賛にした俳画も出品される。

  白菊の深うつもりて夜寒かな  可登

「夜寒」の句。秋の深まりと共に衰えてゆく菊。花びらが散りつもるころには、夜寒もひとしお身にしみることだ……。ことさら〈白菊〉と言っているところには、やがて降りつもるはずの雪の含意があるだろう。 

  菊の香の物につく日や露しぐれ  希因

 「露しぐれ」の句。これはまた繊細美妙な感覚を詠んだものだ。希因は金沢の俳諧師で、北陸俳壇の重鎮だった。このアンソロジーの句を見ていても実力派であることがよくわかる。凌岱は金沢を訪ねて希因に師弟の礼を取るのだが、じきに喧嘩してしまう。じつは凌岱というのはいろんな人と喧嘩します。家老の息子のくせに脱藩するような人なので、なかなか一筋縄ではいきません。 

  ゆく秋や鳥の羽風の水に入る  理然

「秋の暮」の句。雁や白鳥などが北から渡ってきて、水辺がにぎやかになったのを〈鳥の羽風の水に入る〉と言った。洒落てるね。 

ここからは冬部。 

  木枯や壺をはづれて滝の音  一鼠
  こがらしや砂の流るゝ海のうへ  眠石 

これらはどちらも写生的な目が利いている。いや、前者は耳が、か。

  夏ならば春ならばとて冬ごもり  文帒
  唇で冊子(さうし)かへすや冬ごもり  凌岱 
  脇息に砂糖の塵や冬ごもり  白枝 

「冬籠」の句。文帒の句は、この爺むさい季語の本意を、情けなくもいきいきと捉えた趣き。凌岱の句の主人公は、手を火燵から出すのさえいやがって、唇で本をめくっている。戯画的でありながらおっとりしたこの情感、やはり蕪村の同時代人という感じ。白枝の句。脇息を使ったり、たっぷり砂糖がかかった菓子を食べたり、どうやら暮しにお困りの家でないらしい。豪商とか大身の武家のイメージか。〈砂糖の塵〉とは、それにしても細かいところに目をつけたものだ。 

  爺婆の京にも多き十夜かな  麦林

「十夜」の句。十夜は、浄土宗の寺院で、陰暦十月五日から十日十夜にわたって行われる念仏法要。今も昔にもこうした仏事に熱心なのは年配者だろう。少子化、高齢化のすすんだ長寿社会の話ではない。老人は少数派なのだし、まして京となるとたいていの町よりは身ぎれいな者が多かろう。十夜ともなると、浄土宗の寺々には、その少数派のくすんだ老人たちがこぞって集まったかのような観を呈すると言うのだ。麦林の経歴はよく知らないが(伊勢派の麦林舎乙由とは別人)、江戸座の俳人らしいから、たまたま京都に旅行してこうした印象を受けるような経験をしたのかもしれない。 

  枯蘆に月折りこんで千鳥かな  希因

枯蘆がひろがる水面に月が映り、悲しい声で鳴きながら千鳥が飛びめぐる。折れているのはもちろん枯蘆なのだが、〈月折りこんで〉の措辞で生きた句だろう。 

  藪などに這うて居さうな海鼠かな  麦林

「海鼠」の句。先ほどの爺婆の句もそうだが、この麦林という人、卑俗は卑俗なのだが、それだけで片付けてしまうにはいかないけったいな面白さがある。この句なども、盲点を突いてくる発想ではないか。 

  松子(まつかさ)の氷をすべる寒さかな  左十

 「寒(さむさ)」の句。風が吹いているのだろう。ただし、強風というのではない。その風で、水たまり(もちろん池とかでもいいですが)に張った氷の上を、松ぼっくりがスーッと滑ってゆく。ここまでの即物的な描写はとてもいいと思う。下五は、〈寒さかな〉ではない、もっとシャープな纏め方がありそうな気がする。

  節季候や笑ひに酔うた顔で来る  一紅

「節季候(せきぞろ)」の句。年末に家々を廻って施しを受けた乞食のこと。大歳時記によれば、〈胸を手でたたきながら、「せきぞろ、さむらふさむらふ」といってくる〉とのことで、騒がしいのを追い払うために米銭を与えたのであるらしい。歳時記に載る近世の例句を見ても今ひとつ様子が摑めないのだが、掲句は雰囲気がよくわかる。〈笑ひに酔うた顔〉という表現は、なかなか鋭いリアリズムではないか。 

ここからは雑部。四季の雑の他、「紀行」「懐旧」「贈答」「題画」といった項目で句を分類している。 

  雲かすみ何処までゆくも同じこと  野坡

「送別」の句。どこまで行っても雲が流れ、霞が立つことは、ここと違いはない。お心強く行ってらっしゃい。お元気で。――まずはこんな句意か。野坡は、芭蕉の直弟子。孤屋・利牛と共に、芭蕉七部集のひとつ『炭俵』を編集したことで知られる。二十歳で弘前を出奔した凌岱はまず京に出て、大坂にいた野坡に弟子入りしている。野坡は高齢で、翌年には没してしまうのだが。野坡は、芭蕉晩年の「かるみ」の俳風を受け継いだとされ、凌岱はその平明な句風を好んだようだ。『古今俳諧明題集』が、わりとすいすい読めるのは、野坡~凌岱の平明志向が前提にあるだろう。ほとんど何も教えてもらえないまま死んでしまった師であるが、旅から旅を生きた凌岱の胸にはいつもこの句があった――などということがあっても、あながち不思議ではないだろう。 

  石ひとつ我がこゝろなり一夜ずし  大賀

「贈答」の句。長い前書がついている――〈ある人をとゞめしに、古き詩の心を夜もすがら説いて聞かせたまはりけるに、その言葉を取りて〉。泊めてやったら、一晩中、漢詩の講釈を聞かされた。お説の中にあった詩の言葉を取って。――句と合わせて考えると、大賀さん、客人の度を越したふるまいにややむか腹を立てている気配。なにしろ、ここで取った言葉とは、詩経の邶風(はいふう)のうちの柏舟(はくしゅう)にある、〈我が心 石に匪(あら)ざれば 転がすべからず〉である。私の心は石ではない、転がすことはできない。そんな、人間の誇りにかかわる詩句をひっくり返して、「私の心は石でございます、その石で一夜鮨をつけておきました、ご賞味ください」というのだから。

  蚊帳たゝむ夜や銀屏の萩すゝき  支考 

「秋雑」の句。蚊帳は基本的には夜に使うもの。〈蚊帳たゝむ夜〉は、夜に蚊帳をたたんだというのではなく、蚊帳を仕舞ったその日の夜ということだろう。蚊帳を吊らず、見通しがよくなった室内に、秋草の描かれた銀屏風が鈍い光を放つ。蚊帳の別れ、蚊帳仕舞ふは、幕末には九月の季語になっているが、支考の時代にはまだはっきりとは季語とされていなかったものか。やや演出過剰の気味もあるものの、渋い美しさの感じられる句だ。

  果てはみな扇の骨や秋の風  麦林

「題画」の句は計二十六句。掲句には〈骸骨〉と前書。芭蕉にも骸骨の絵の賛として詠まれた〈稲妻や顔のところが薄の穂〉があるが、言葉の上からはむしろ歌仙「市中はの巻」の〈さまざまに品かはりたる恋をして 凡兆/浮世の果は皆小町なり 芭蕉〉の付合いを思い出させる。芭蕉の作は、発句も付合いも謡曲「通小町(かよいこまち)」にある連歌〈秋風の吹くにつけてもあなめあなめ/小野とはいはじ薄生いけり〉を踏まえており、それは麦林の句も同様だ。骸骨の絵にもいろいろあるけれど、麦林が句を付けた絵はあるいは、骸骨が扇(または扇の骨)を手に舞を舞うタイプのものだったのかもしれない。人みないつかは骨になるという一般的真理を、骨は骨でも扇の骨というのもありますねといったん脱線させておいて、扇の縁語でもある風を蕭条と吹かせて締める。巧妙な句。 

  月澄むや底にも凄きみやこ鳥  凌岱

「懐旧」の句。昔あったことを懐かしく思い出すのが懐旧だが、このパートで並ぶ六句を見ると、特に死者を悼む内容の句が集められている。うち三句は作者にとって身近な近過去の死者、残り三句は歴史的に有名な死者である。掲句は後者の例。先に、やはり凌岱が、瀬戸内海を船で長崎へ向かう途上に詠んだ〈涼しさや舳へ流るる山の数〉という句を見たが、この句も同じ旅での作。赤間が関の阿弥陀寺(明治以後、赤間神宮となる)で、壇ノ浦の戦いを描いた襖絵を見て詠んだものというから、「題画」の句でもある。〈底にも凄きみやこ鳥〉は、安徳天皇を抱いて入水する二位の尼の「浪の下にも都の候ふぞ」という言葉から来ている。直接的に水底の都を幻視するのでなく、ワンクッション置いて浪の底に幻の都鳥を飛ばしたところに、凄惨な効果があるように思う。

パイクのけむりⅩⅣ~『古今俳諧明題集』漫読~①【春・夏】  高山れおな

先日、足立区立図書館の利用者カードを作った。区立図書館のカードを作るのは、これで八枚目だ。五年くらい前からすっかり図書館のディープユーザーになっている。たいていの場合は、地元の江戸川区、お隣の江東区、それから勤め先がある新宿区の区立図書館の蔵書で事足りるが、時々それでは済まないことがあって、当該資料を架蔵する区立図書館のカードが増えていくわけだ。国立国会図書館はまた別腹である(都立図書館は私のところからはアクセスが悪くてほとんど使わない)。

足立区の中央図書館で借りたのは、一九八六~九〇年に国書刊行会から出た『建部綾足全集』全九巻だ。今春、板橋区立美術館で開催される「建部凌岱展 その生涯、酔たるか醒たるか」(会期:三月十二日~四月十七日)について、仕事の方で記事を作ることになったので、そこまで必要ないだろうとは思ったものの、念のために借りることにした。なお、綾足(あやたり)も凌岱(りょうたい)も同一人物で、昔の人の習いでいろんな雅号を使っていた中の代表的なものである。凌岱は同音で涼袋、あるいは凌帒と書くこともある。享保四年(一七一九)生まれの安永三年(一七七四)没。

この人は蕪村と同じで、俳諧師兼絵師であり、年も近い(蕪村の方が三つ年上)。弘前藩の家老の息子に生まれながら、二十歳の時に恋愛問題から出奔して、以後は江戸と京を拠点に放浪の生涯を送った。四十代半ばからは国学にも首を突っ込んで、小説も書いている。文学者としてはそれなりの待遇を受けており、新日本古典文学大系(岩波書店)の第七十九巻が一巻丸ごとの作品集になっている。小説の「本朝水滸伝」、「紀行」、随想の「折々草」などはそちらで注釈付きで読めるし、新編日本古典文学全集(小学館)の第七十八巻にはやはり小説の「西山物語」が入っていて、こちらは現代語訳まで付いている。画家としても興味深い存在なのだが、大規模な回顧展は八十数年ぶりで、しかもたぶんこれで二回目。蕪村とは扱いの点で比較にならない。それだけに画期的な展覧会なので、みなさんぜひおでかけになると良いと思います。

全集の件でした。案の定、「西山物語」(これはかなりぶっ飛んだ恋愛小説)と「紀行」(乱暴にまとめると、「野ざらし紀行」くらいの規模の発句入り旅行記十五編の連作)を読了し、「折々草」を読みさしたあたりで時間切れになってしまい、全集に用はなかったのであるが、しかし、パラパラ見ていると第二巻に入っている『古今俳諧明題集』という、発句アンソロジーがなんだか面白そうだ。それでこの巻だけをネット古書店で購入することにした。原著は宝暦十三年~明和元年(一七六三~六四)刊。収録句数が三千五百句もあるので、すぐには読み切れないかと思ったのだが、読み始めると案外するすると楽しく読めた。前回に引き続き、興に入った句を淡々とあげてゆくことにする。なお、凌岱は同書を編纂した頃から国学にかぶれて正字説というのを唱え始め、漢字の使い方がかなり変。表記は適当に読みやすい形にします。それからこの本での名乗りは凌帒だけれど、展覧会に合わせて凌岱にしておくことにする。 

  もう年の外で霞むや冬木立  凌岱 

本書は「明題集」と書名にある通り、いわゆる類題句集。つまり事実上、季語別に句を配列している(一部、雑の題もある)。掲句は、これだけ読むとわけがわからないと思うが、春部巻頭の「年内立春」の句であると知れば、ピンと来るはず。年内立春の題は、古今集の〈年のうちに春は来にけりひととせを去年とやいはむ今年とやいはむ 在原元方〉が本意になる。元方の歌は、年の呼び方を問題にしているが、凌岱の句は「冬木立」という具体的な物が焦点になる。呼び方さえ定まらない年に属する冬木立なのだから、いわば「年の外」にあるものだというのだろう。「霞」はもちろん初春の代表的景物である。 

  春立つや氷柱の矛の滴より  希因 

これは「立春」の句。古事記の冒頭では、イザナキとイザナミが塩をかきまぜた「天の沼矛(ぬぼこ)」の先から塩の滴がしたたり、オノゴロ島が生まれる。この神話は、太箸の滴がどうこうみたいにアレンジして、現在でも作句の下敷きにされることがある。希因の句は氷柱を矛に見立てているわけだが、溶ける氷柱に春の訪れを感じるのは無理がないし、品の良い祝意も感じられる。

  のりぞめや梅に白沫(しらあは)ふつて行く  茂畔 

「馬乗始(うまのりぞめ)」の句。〈白沫ふつて〉とあるのだから、馬はゆっくり歩いているのではなく、口から泡を吹きながら疾走しているのだろう。馬の口の泡とはユニークな着眼。しかし、リアリズム的な描写に徹するのではなくて、〈梅に〉と場面設定するところがいかにも近世の気分である。

  雪はもう野の透き通る若菜かな  晩九 

「人日 若菜 七種」の句。若菜と雪の取り合わせも王朝和歌以来のものだが、「野の透き通る」という言い方は新味があるし、冴えている。才麿の有名な〈笹折りて白魚のたえだえ青し〉あたりも意識した表現かと思う。

  どの歌のこゝろも見せぬ霞かな  西羊

「霞」の句。わかると言えばわかるし、難しいと言えば難しい。たとえば、八代集の巻頭歌八首のうち四首には霞が歌われている。先ほど霞を、初春の代表的な景物であると述べた所以。もちろん、春が深まった時点でも霞は歌われる。眼前の霞は、しかしそれらあまたある霞の名歌のうちのどの霞とも違うと言うのだろう。文芸の伝統の中の霞と、眼前に現に見えている物理的現象としての霞のずれそのものを句に興した。

  夜とけるものゝにほひや梅の花  滄洲 

「梅」の句。嗅覚鋭敏とも言えない私は、梅ってそんなに匂うかなといつも思うのだが(金木犀くらい強烈になるともちろんわかります)、それはさておき、梅と言えば匂いを詠むのがデフォルトだし、夜の闇との取り合わせるのも古今集以来の話。モティーフとしては全く新味が無いが、〈夜とけるものゝのにほひ〉というレトリックはエロティックで素晴らしい。 

  おもしろい夢見る顔や涅槃像  鳥酔 
  独り寝の姿教へて涅槃かな  凌岱 

 「涅槃会」の句。芭蕉なども崇仏敬神の念はごく薄い人であるが、百年後になるといよいよ世俗化が進んでこんな調子である。それぞれ発見があり、機知があって、面白いことは面白いのだが。

  風もはや入り乱れけり春の暮  斗光 
  春の別れ蛙ほど鳴くものもなし  也有 

「春の暮」の句。まず、斗光の句。春の風では東風が代表的だが、夏が近づけば南の風も吹き始めるし、いろんな風が入り乱れているな、と言っているのだろう。〈花鳥もみなゆきかひてぬばたまの夜の間に今日の夏は来にけり 紀貫之〉のような、季節の境目にあって春と夏が行き交うという伝統的イメージを、入り乱れる風によって形象化したところが清新。也有は、春の別れとか春を惜しむとかみんな言うけど、心の底からそれを嘆いて鳴いている(泣いている)のは蛙だけじゃないかと言っているのであろう。

ここからは夏部。 

  飛ンでみて石の指図や更衣  谷水 

「更衣並びに袷」の句。庭作りのひとこま。軽やかな夏衣になった庭の主が、実際に飛石を歩いて具合を確かめ、庭師に石の置き方を指図している。「飛ンでみて」は飛石からの言葉の縁で出てきたフレーズに違いないが、明るい初夏の気分はよく出ている。

  脱ぎ捨てた夏のすまひや華御堂  凌岱 

「灌仏」の句。花御堂の中には、上半身裸の釈迦誕生仏が立つ。先ほどの「涅槃会」の句と同様のやや敬意に欠けた詠みぶりながら、これまた初夏のすがすがしい感じは伝わる。 

  鼻紙へ光のにじむ螢かな  其梅

「螢」の句。捕まえた螢を鼻紙に包んだのだろう。はたしてほんとうに紙を透かして光が滲むものか知らないけれど、鼻紙という卑俗な小道具を使って美しく詠んだところが俳諧。 

  喰ひつくと子供をおどす牡丹かな  双飛

「牡丹」の句。牡丹の句と言えば蕪村。この句の目のつけどころも、要するに蕪村の〈閻王の口や牡丹を吐かんとす〉と同じことだ。うねうねと波打ちながら、幾重にも重なった花びら。牡丹花の豪奢なありようを蕪村は、罪人を叱責してかっと開いた閻魔大王の口にたとえた。閻魔の口にたとえられるようなものであるからには、嚙みつくぞとという脅しも成立するわけだ。 

  鷺の巣の風なまぐさし木下闇  破了

「木下闇」の句。句意明瞭。それはなまぐさいだろう。 

  船頭の蓑吹き散つて浮巣かな  双飛

「水鳥巣並びに浮巣」の句。風雨ついて行く舟。船頭の蓑が風にばさばざと鳴る。ふと目に入った浮巣は、まるでその蓑で作ったかのようだ。そんな句意になるか。蓑は藁製だし、浮巣も藁やら草やら木の枝やらで作られる。どちらも植物性の素材であるから、この見立ては無理がない。野趣あふれる作。 

  芭蕉葉に銀泥さびし蝸牛  阿坡

「蝸牛」の句。芭蕉の葉に蝸牛。その通ったあとに粘液がぬめり、光って見えるのを「銀泥」と言った。語感の冴えた句だ。 

  木枕に油の熱(にえ)るあつさかな  雲和

「暑(あつさ)」の句。木枕の句では、丈草の〈木枕のあかや伊吹にのこる雪〉が名作だが、この雲和の句も負けていない。木枕に付着した髪油が、暑さにぎとついて見えるのを〈熱(にえ)る〉と言った。巧い。 

  ひよどりも越えぬところぞ雲の峰  一声 

「雲の峰」の句。深閑とした青空に圧倒的な高さにそびえる峰雲のありさまが、勇壮に迫ってくる。しかし、鳥もいろいろある中で、ことさら〈ひよどり〉が呼び出されたのはなぜか。おそらく、一ノ谷の戦いの古戦場である「鵯越」の地名を利かせているのだろう。鵯のような鳥は越える、鹿もなんとか、しかし人馬には無理と言われた険しい斜面を攻め下ったのが鵯越の逆落とし。しかし、この雲の峰は、人馬はおろか鵯にも越えられないという形で、雲の峰の壮大さ、険しさが強調されている。近世の俳諧師たちは、平家物語や平家物語に基づいた謡曲が大好き。今回、取り上げた範囲でも、あと何回か出てきます。 

  涼しさや舳(とも)へ流るる山の数  凌岱

 「避暑(すずみ)」の句。凌岱は、絵を学ぶため、長崎に二度遊学している。これは寛延三年(一七五〇)、瀬戸内海を九州へ向かって進んだ際の句。凌岱は時に三十二歳。名句だろう。 

  冷麦やあらしのわたる膳の上  支考

「冷麦」の句。嵐と言ってもこれは青嵐だ。食事中の風は迷惑には違いないが、暑い時期の風だから半ば爽快でもある。一茶の〈有明や浅間の霧が膳を這ふ〉と同工の構図だけれど、一茶句のなにやら怨念を感じさせる霧とこの嵐では、似ても似つかない。なお、支考はもちろん芭蕉の弟子。この選集は、凌岱とその同輩、門下の句を主としつつも、「古今」と銘打っているように、古いところは宗鑑・守武の句なども収めている。芭蕉の句もたくさん入っているが、ここで芭蕉の句をとりあげても意味がないので、芭蕉(やその高弟)の有名句は度外視して鑑賞している。掲句は、蕉門の句ではあっても記憶になかった。 

2022年2月1日火曜日

噴煙        関悦史




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噴煙        関悦史 

凍る書に取りまかれゆく寝床かな 
化石魚の吾に電話の鳴る寒月 
無愛憎蝋燭の火が冴えてゐる 
大寒の夢に剃髪し畢りぬ 
(かたち)あることを悲しめ冬あかつき 
寒卵昼の砂丘を漏らしけり 
安井浩司消失後海彼大噴煙 
噴煙を一本箸に食(を)す寒さ 
うすらひの地球なりけり 鏖
メイドに逢うてはメイドを殺しエルフに逢うてはエルフを殺し春の川 
存在の鎖引きずる春のルンバ 
春の夜をロールシャッハの森に住む  

ギターを弾くカーテンの動画による六句 →元ネタ
    客観写生 
カーテンの鳴らすギターや隙間風 
   主観派寄り 
ギター鳴る冬帝の来し畳かな
    新興俳句系? 
冬といふ不在を奏でゐるギター 
   前衛俳句風の暗喩 
カーテンがギターをなびき打つ冬の流刑
    自由律風 
うねりてはカーテンが平手打つ弦はギターだ
    友蔵心の俳句風 
カーテンさえ わしよりうまく ギターひく


けむりのやうに   高山れおな


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けむりのやうに   高山れおな 

乗初やつまり明るい箱の中 
元日の西日凄くて何も見えず 
元日の西日の中へ墓参り 
  S先生 
〈金が信念〉大きく刷れる賀状あり 
寒月と路上喫煙者の像(かたち) 
頭上より鴉のこゑの初笑ひ 
高鳴きと羽音こもごも初鴉 
けむりのやうに初鴉もうゐない
   金沢文庫への途上 
声冴ゆる天使や天使幼稚園 
麺に始まり麺に終はる日春隣

善意と七面鳥   佐藤文香




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善意と七面鳥   佐藤文香 

秋は春へ砂糖楓の赤をゆく 
なづきに春おはします網目構造の 
如月や善意をまめに差し替へて 
私有地に七面鳥の憩ふなり 
七面鳥重しその筋肉で飛ぶ 
七面鳥五羽や舗道を一列に 
たあきいのめたりつくなるぼでい哉 
近景に梢を配し記憶の庭 
ぬかるみのあかるみを踏み友なりけり 
教はりたる春を聴きたいやうに聴く