2021年3月20日土曜日
パイクのけむりⅢ ~画期的金子兜太論の出現~ 高山れおな
2021年3月16日火曜日
日記(2021.2.16~2021.3.15) 関悦史
ABEMA TVでアニメをかけ流しつつ「翻車魚ウェブ」用に日誌を抜粋。
2021年3月15日月曜日
「よっしゅ」と「しんどくさい」 佐藤文香
よっしゅの話をする。
よっしゅと私は、中学2、3年のときに同じクラスだった。彼は体が大きくて、バスケットボール部員だったのだが、2年生になってもバスケのシューズを買わず、体育館シューズで部活に参加していたため、「よっしゅ」というあだ名がついた。バスケのシューズが「バッシュ」だから、吉田のシューズで「よっしゅ」だった。大人になった今となっては、もしかすると経済的な事情などでバスケシューズが買えないのかもしれないという考えがはたらくが、私たちは視野が狭い中学生だったので、「よっしゅ」というあだ名を単に面白いと思っていた。よしだの「よし」に、ゆうすけの「ゆ」と考えれば、音としても悪くはなかった。よっしゅも嫌がっていなかったように感じた。
よっしゅは、1年生のときは優等生だったらしい。実際、生徒会役員もやっていたから別のクラスだったが知っていた。字も絵も上手だったし、話しても面白かった。しかしどこかでやる気を失ってしまったというのは、まわりからもはっきりと見てとれた。4教科に加えて音楽・図工・体育まで受験に必要な大学附属の中学校だったので、学業だけでなく芸術、運動などそれぞれに秀でた生徒がおり、地元の小学校で何をやっても一番だったみたいな子がそうでなくなってしまったことに愕然として落ちこぼれるというパターンは少なくなかったと思われる。よっしゅは授業中よく寝るようになり、つねに無気力感を放出していた。コクヨの机に、やる気を喪失したひどい顔のアンパンマンを描くようになり、それが上手くて人気を集めたりもした。
そんなよっしゅがあるとき「しんどくさい」と言うようになった。「しんどい」と「めんどくさい」の合成語だった。開発者として「そーとー(「相当」。「めっちゃ」「超」の伊予弁。当時若者がよく使った)よくない?」と誇らしげに私たち女子にもたずね同意を得、教室移動の際も「あ〜しんどくさ〜」とわざとらしく言い放ったりした。そのうちクラスのリーダー格の男子も「しんどくさい」を使用するようになった。「しんどくさい」にあたる伊予の若者方言として「たいぎい(たいぎである→めんどくさい、しんどい)」がすでにあったことも、我々が「しんどくさい」をすぐに受け入れた理由のひとつかもしれない。私も「しんどくさい」を使った。言うときはかならず、ちょっと笑っていた。
俳句ではハウツーのかなり初期の段階で「造語はやめておきましょう」と言われる。ある程度の数の読者に伝わることを念頭に置いて句作するのであれば当然のことだ。しかし私は造語の話になるといつも、「よっしゅ」と「しんどくさい」を思い出し、これらの"言葉の力"を思うのである。どちらもドメスティックな環境で生まれたものだったが、音・意味両方の観点から考えて、愛すべき言葉だった。
つくった言葉が受け入れられ愛されてゆくというのは、言葉に携わる人間としては至上の喜びのひとつかもしれないと思う。当時のよっしゅは、ほかならぬクリエイターだった。自分も自分の俳句のなかでそういう言葉を開発するなどし、それが流行ったりしたら面白いなと思ったりもするが、こういうことは戦略的にできるものではないのでいったんは忘れておきたい。
あのころ私はバレーボール部で、同じ体育館の向こう側にいるバスケ部の補欠=大きい体のよっしゅを横目に、入部した瞬間リベロ決定と言われたわりには背が伸びて副部長になったが声デカい以外取り柄もないし今後はバレーボールやないなと思いながら、部活が終わると俳句をつくっていた。
地形図の色分け夏の月出(いづ)る 佐藤文香
水色の水を探せり草紅葉
二月礼者青空重くなりにけり
木蓮の空にすぢ雲ゆき過ぎぬ
(「佐藤文香最初期作品抄八十句 1998年秋〜2001年春」より)