2021年6月16日水曜日

026*2021.6

 


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★俳句雑誌「翻車魚」vol.1~vol.4の電子版の販売を開始しました!

数学を教えていたころのこと  佐藤文香

高校時代の話をする。別に数学が得意だったわけではない。模試で解答用紙の2枚目が0点だったこともある。数学だけでなく、どの教科も実力テストはそんなにできなかった。大学には指定校推薦という枠で進学したので、受験勉強自体ほとんどしていない。ただ一度、模試の志望校にギャグで「東京大学」と書いたことがあり、今まで誰も見たことのない【K】判定で返ってきた。「集計科目不足」だった。東大は社会が2科目いる。受験を甘く見すぎである。

県下の県立高校では一番と言われる高校だったが、勉強が得意な男の子の多くは中高一貫の私立男子校(現在は共学)へ行ってしまうし、我々のころは1学年11クラス440人もいて倍率も異常に低かったため、テストが得意な生徒は東大・京大や医学部、真ん中くらいの人は地元国立大学くらいの分布で、大学進学を希望しない人もいた。今となってはうちの高校のそういうところがよかったと思う。

11クラスのうち文系は5クラスで、社会が2科目必要な京大・東大、体育大学や芸術大学への進学を希望する生徒は授業の割り振りなどの都合で2つの学級にまとめられた。残りの平凡文系3クラスのうちの1クラスに、私はいた。

文系なので数学はⅠAとⅡBまで。数学が得意という子以外はセンター試験でどうにかがんばれればいいというレベル設定で、先生の言っていることさえわかれば学校のテストはできた。私の成績としては、学校の範囲ごとのテストであればⅠAでもⅡBでも90点くらいというかんじ。そうするとクラスでは相対的に数学ができる側にまわる。数学だけでなく、ほかの教科についてもだいたいそんな具合だった。

クラス内での私の立ち位置は学級委員または生徒会役員で、クラス内に女子のヒエラルキーが存在するとすれば、その外部に立ち回るべく苦心していた。一方で教室移動や便所行き、休日をともにする唯一無二の親友を求め、しかし愛しすぎて嫌われてしまうなど、客観的に見れば十分に浮いた存在であった。女の子たちはみな可愛く、もっと仲良くなりたかった。

そんな私にとって、休み時間の「さとぅ〜!この問題おしえて〜」にこたえることこそ至福の時間だった。

教えてほしいと言われるのは数学が多かった。数学は暗記や読解による他の文系科目と違い、解き方のすじみちをひとつひとつ理解していかないと解けないからだろう。何度も言うが、私は数学が得意だったわけではない。ただ、先生の言ったことをその順序のまま頭に写してあり、その子の性格や理解力に応じてわかりやすく言い換えることができたので、さとぅーによる個別指導はわかりやすいと評判であった。聞いてもらいさえすれば、誰にでも分け隔てなく教えた。自分がわかることを話して感謝されるのは嬉しかった。そして私は、学校の先生たちも好きだった。

私はあのとき数学を教えていたのではなく、先生の言ったことを翻訳していただけだったのだと思う。これまで俳句を教えるような仕事をいくつもやってきたけれど、半分くらいは先人や友人の知見や仕事をトレースしてミックスしては言い換えてきたにすぎない。しかし、誰かの考えや研究の素晴らしさが、私を介して少しでも多くの人に伝わるなら、それに越したことはない。だから私は、自分より物事をよく知っているすべての人を尊敬しているし、教わる側の代表として、教わりたいと思う誰とでも仲良くなれる。

結局数学はすべて忘れてしまったが、数学のことは好きだ。それもあって、ツイッターでは数学の研究者の人を何人かまとめてフォローしている。雑談しかわからないけれど。

2021年6月15日火曜日

日記(2021.4.15~2021.6.14)  関悦史

4月15日(木)
アンリ・トロワイヤ『女帝エカテリーナ(下)』やたらに時間かかって読了。ヴォルテールがエカテリーナの開明性をヨーロッパに宣伝する「電通」のようになっていた。

4月16日(金)
図書館へ。
岡田温司編『ジョルジョ・モランディの手紙』読了。

4月17日(土)
舟越美夏『人はなぜ人を殺したのか―ポル・ポト派、語る』、伊藤正直『戦後文学のみた〈高度成長〉』読了。
盛大にノイズを発していたCDプレーヤーがまた勝手に直った。

4月18日(日)
湿布だらけになって一応睡眠が取れ、NHKカルチャーのZoom句会講座「日曜俳句倶楽部」に無事出講。
谷口智行編『平松小いとゞ全集』読了。森村誠一『新・人間の証明(上)』再読。

4月19日(月)
洗い物。
古紙整理。
庭木の枝切り1袋分。
森村誠一『新・人間の証明(下)』再読。川嶋一美句集『円卓』、是永舜句集『間氷期』読了。

4月20日(火)
古本屋へ。開高健がまとまって入ったなかから3点買う。
ジャン・コクトー『山師トマ』、開高健『日本人の遊び場』読了。当時はただの読み物だったはずのルポももはや昭和時代の史料。

4月21日(水)
昨日来ていた依頼、迷いつつ受けることにする。
開高健『破れた繭―耳の物語*』『夜と陽炎―耳の物語**』、清水逍径句集『海の懐』読了。
開高健「耳の物語」二部作は一人称「私」抜きの文体だったようなのだが、無人称や二人称の小説に特有の、あの魅惑的な浮遊感が一向に出てこないのはなぜなのか。

4月22日(木)
蛇笏賞に大石悦子句集『百囀』の報。

4月23日(金)
背の鈍痛がひどい。
生き別れになった猫たちが夢に出る。
緊急事態宣言再発により都内の書店、デパートまで補償で休業させられるらしい。

4月24日(土)
鑑賞文進まず。

4月25日(日)
日本近代文学若手研究者フォーラム・オンライン・シンポジウム《前田愛『都市空間のなかの文学』から考える》を視聴。
Zoomシンポは気になった点を片端から検索しながら聴くことが簡単に出来る。日野啓三『夢の島』に関する発表もあった。あれの最後で主人公を事故死させたのは供犠であって、それにより都市から出るゴミの山を聖なるものに変えたのではないか。
柿本多映さんと長電話。
衆議院3補選は野党側全勝。名古屋市長選は現職河村たかし再選。
C・G・ユング『個性化とマンダラ』やっと読了。 

4月26日(月)
裕明賞候補句集の再読を始める。
腹が落ちつかず、菜っ葉から巨大カミキリムシが出てくる悪夢。

4月27日(火)
裕明賞候補句集の再読。

4月28日(水)
裕明賞候補句集の再読まだ続く。
特売になっていた湿布薬を買い込む。
コロナ以降の閉店ラッシュで、駅前のパチンコ屋も来月なくなるらしい。元は丸井だったビルにバブル崩壊後、飲み屋とパチンコ屋ばかりが入っていたが、それも消え始めた。

4月29日(木)
疲れて寝ていたら、同じ業者から間違えて2回セールス電話が来て夜7時頃起床。
蓮沼明現代長歌集『日輪の沈黙』、原満三寿句集『風の図譜』、木田智美句集『パーティは明日にして』、加藤哲也『概説 今井杏太郎』読了。

4月30日(金)
裕明賞選考会を明日にひかえながら、寝付く時間がどんどん遅れる。
ふらんす堂に裕明賞の私の上位3点をメール。
小野村から、水産庁がマニアックなページを作っているとのメール。魚のペーパークラフト用pdfファイルがいくつも無料公開されていた。これでクロマグロ等を作ればオリビア撮影に絡ませられるということらしい。
こちら 
塩見恵介句集『隣の駅が見える駅』、遠藤由樹子句集『寝息と梟』、井上弘美句集『夜須礼』読了。

5月1日(土)
第12回田中裕明賞Zoom選考会に出席。如月真菜句集『琵琶行』が受賞。神野紗希句集『すみれそよぐ』は応募作のなかになかった。

5月2日(日)
亀城公園、川沿いにある道祖神神社を少し撮影。

5月3日(月)
鷲田清一『死なないでいる理由』読了。
柏のブックオフで百円本をひと山買い込む。

5月4日(火)
古紙整理。
佐藤さとる『豆つぶほどの小さないぬ』読了。

5月5日(水)
歯痛再発。
暴風雨。
ブックオフ等で買い込んだ火浦功『日曜日には宇宙人とお茶を』、阿刀田高『恐怖夜話』『詭弁の話術』、神吉拓郎『洋食セーヌ軒』、西村京太郎『特急「白鳥」十四時間』読了。 

5月6日(木)
西村京太郎『札幌着23時25分』『日本殺人ルート』、ヘッセ『メルヒェン』読了。 

5月7日(金)
バナナナメクジの悪夢。
終わったはずの仕事でデータ消失事故が起こり、大きな追加作業が発生して頭を抱える。
北杜夫『マンボウおもちゃ箱』読了。

5月8日(土)
小松左京・石毛直道『にっぽん料理大全』、平岡直子歌集『みじかい髪も長い髪も炎』、松葉一清『パリの奇跡―メディアとしての建築』読了。平岡直子歌集『みじかい髪も長い髪も炎』傑作。

5月9日(日)
高柳克弘『究極の俳句』、蓮實重彦『言葉はどこからやってくるのか』読了。
第12回田中裕明賞のHP用の「選考委員の言葉」を書く。
70~80年代の歌謡曲をネットで検索して聴きまくる。

5月10日(月)
渡辺誠一郎『佐藤鬼房の百句』読了。
長大な鑑賞原稿をようやく書く。

5月11日(火)
異様なしんどさ。
また夢で北区の下宿にいて、覚めてもしばらくどこにいるのかわからず。 

5月12日(水)
村井康司氏からDM。6月3日放送の鎌倉FM「世界はジャズを求めてる」で拙句を紹介してくれるとのこと。

5月13日(木)
資料を読み、打ち込み作業。
金子敦句集『シーグラス』、中嶋鬼谷翻刻・解説『弘化三年刊 俳諧集 そのにほひ(全訳)』読了。 

5月14日(金)
この数日、担当者と相談を続けていたNHK文化センターの句会講座「土曜俳句倶楽部」は、とりあえず9月までの4回分をオンラインに切り替えることにした。ワクチンも行き渡らず、五輪が強行される都内に受講者は集めにくい。
「SFマガジン」2021年6月号《異常論文特集》を本屋で買う。
磯崎新・藤森照信『磯崎新と藤森照信の茶席建築談義』、マルグリットデュラス、フランソワ・ミッテラン『デュラス×ミッテラン対談集 パリ6区デュパン街の郵便局』読了。 

5月15日(土)
長めの原稿1本ようやく書く。
眉村卓『静かな終末』読了。文庫化されずに来た初期のショートショート集『ながいながい午睡』の収録作ほかを再編したもの。竹書房文庫もソノラマ文庫海外SFシリーズのように、将来古書価格が跳ねあがるのかもしれぬ。

5月16日(日)
河野典生『八月は残酷な月』、北杜夫『天井裏の子供たち』読了。呆けていて頭に入らず。
ツイッターで須永朝彦氏の訃報。 

5月17日(月)
小雨と湿った風で蒸し暑い。
NHK学園俳句実作コンクールの選句・選評ゲラ等を済ませる。
ヴァジニア・ウルフ『波』、シドニイ・シェルドン『裸の顔』読了。
『波』はこちらが大学1年くらいの頃に新装されて出た角川文庫のリクエスト復刊版で、30年間積読にしてあったもの。 

5月18日(火)
ウィリアム・H・ハラハン『亡命詩人、雨に消ゆ』読了。
俳優田村正和の訃報。テレビを見なくなって長いが「古畑任三郎」は見ていた記憶がある。単発ものを別にすると、あれが最後に見たドラマかもしれない。 

5月19日(水)
俳句甲子園地方予選の投句が届く。
高岡修詩集『一行詩』読了。
「翻車魚ウェブ」6月1日用の10句を送る。語釈が多いので佐藤さんに手間をかけさせた。本歌取りやら、要説明な単語やらがごてごてに入り組んでいるが、そういう句ほど五七五全体が一瞬で出来てしまう。
「円座」の連載原稿を書く。 

 5月20日(木)
俳句甲子園地方予選の投句の荒選り。 

5月21日(金)
雨、蒸す。
ロス・マクドナルド『ドルの向こう側』、志賀康句集『日高見野』読了。
書肆盛林堂のHPから光瀬龍『光瀬龍ジュヴナイルSF未収録作品集』を注文。
原稿の例句集め、捗らず。 

5月22日(土)
原稿の例句集め。締切近いのに先が見えず。 

5月23日(日)
腹を壊しつつ例句を集めていた原稿、何とか書く。 

5月24日(月)
書評原稿、打ち込み作業だけしたが、首、背が重くて書けず。

5月25日(火)
書評原稿を書き、昼から缶ビール。 

5月26日(水)
歯医者へ。
近所のホームセンターで小さい本棚を買い、自転車に乗せて徒歩で持ち帰る。
本多遊子句集『Qを打つ』読了。 

5月27日(木)
湊圭伍『そら耳のつづきを』読了。この川柳句集からペンネーム「湊圭伍」になったが『新撰21』のときに関悦史論を書いてもらった湊圭史さんである。
雨。
低気圧よる眠気、凝り。
蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」拾遺』読了。
書評原稿の初校とすぐ返ってきたその再校、「土曜俳句倶楽部」オンライン切り替え前の回の添削を済ませる。 

5月28日(金)
池田澄子・坪内稔典ほか『あの句この句―現代俳句の世界』のみ読了。
図書館、古本屋へ。
四ッ谷龍さんから先日、土浦の蓮掘り見学のとき作った句に私の名を詠み込んだものも入れて自選5句とし、「俳壇年鑑」に送ったとメールが来ていたが、その後四ッ谷さんが誌面を確認してみたら載ったのは5句中3句だけ、私とジャンボタニシの句は外れていたらしい。 

5月29日(土)
猛烈なしんどさ。
夜、海野弘『一九二〇年代の画家たち』、ヘッセ『青春は美わし』読了。 

5月30日(日)
俳句甲子園地方大会の投句審査を終える。コロナが出てきた去年はともかく、一年経っても通常開催出来ない社会のままとは。地方大会は去年と同じく対戦・ディベートがなく、ブロック別でもないので意外な結果は出にくそう。

5月31日(月)
市内に展開していたスーパー「マルモ」が、公式のツイートによると今日で閉店。家から遠い箇所にばかり散在していたので利用することはほぼなかったが、飲食店のみならず生活に密着したスーパーまで閉店し始めたことが地味に怖ろしい。
鈴木明さんの訃報。「野の会」の大会や、ご自宅での晩餐会に招かれたことが何度もあった。喪失感を引きずることになりそう。
「100年俳句計画」の選句選評を送る。あと先日書いた例句だらけの原稿の校正作業。
若井新一句集『風雪』、山田亮太『誕生祭』読了。 

6月1日(火)
例句だらけの原稿の校正を終える。
先月、データ消失事故で発生した追加作業をやっと済ませる。億劫でなかなか進められずにいた。 
 
6月2日(水)
諸連絡立て込む。

6月3日(木)
庭にヤブガラシが茂ってきた。これをあえて抜きとらず、木や塀に絡んでいるのを引きはがしただけで地面に丸めて置いておくと、地下茎ごと全部枯れるとのツイッター情報を得て試してみたがどうなるか(6月14日現在、剥がしたヤブガラシは地面にとぐろを巻いたまま青々としている。何の効果もない)。
ラフカディオ・ハーン『日本の面影』、北杜夫『さびしい王様』、ヘッセ『荒野のおおかみ』、藤原龍一郎『赤尾兜子の百句』読了。

6月4日(金)
司馬遼太郎『土地と日本人』、ジョージ・オーウェル『パリ・ロンドン放浪記』読了。
歯痛再発。 

6月5日(土)
近所の進学校がコロナのため文化祭を一般公開せずにやっている。校内放送だけが盛んに聞こえる。
午後、オンラインに切り替えて初の「土曜俳句倶楽部」出講。パソコンを持っていない受講者については添削で対応することになったため、参加人数が減って私が話す時間が多くなった。

6月6日(日)
Sさんが食料を送ってくれる。
夜遅くにやや復調して小林久三『闇刑事』、宮田律『中東イスラーム民族史』読了したが眠気で頭に入らず。 

6月7日(月)
また猫たちの夢。
サトアヤが、向こう三日間あまりツイートしないが、DMをくれたら酒画像などを送るとツイートしていたので、DMしてみたら、じゃこてんとブリカマの写真が来た。一人で飲んでいたらしい。
実吉捷郎訳『トオマス・マン短篇集』読了。 

6月8日(火)
面識がないはずの女性俳人から突然すごい重量の荷物が届く。食料か何かかと思ったらルオーの複製画のセットだった。金具の外し方が全くわからず、外箱を破損。
能村研三句集『神鵜』、木暮陶句郎句集『薫陶』、清水右子句集『外側の私』、ピエトロ・アレティーノ『ラジオナメンティ』読了。
大学時代の友人NからDM。「銀漢亭」の跡地は「ビストロアマノ」なる店になっているらしい。「銀漢亭」は私は2回くらいしか行く機会がなかった。場所ももう覚えていない。 

6月9日(水)
昨日急に届いたルオーは引越しのために整理した品だったらしい。説明するハガキが後から着いた。
地元で開催中の古本市へ。図書館で読んだが持っていなかった眉村卓『カルタゴの運命』を500円で入手。 

6月10日(木)
後藤久美子『ゴクミ語録』(これ何故か坂本龍一プロデュースである)、海野十三『太平洋魔城』読了。
昨日古本市で見たH・S・サリヴァン『精神医学的面接』は5,500円と高価だったが、既に品切れで、ネットでもそれ以上の価格での出品ばかり。一日迷った末、再度行って購入。
マンガ新刊、クール教信者『小林さんちのメイドラゴン』第11巻も買う。 

6月11日(金)
珍しく長時間続けて眠れたが全く楽にならない。
夜中、丸山俊一他『マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する』のみ読了。
昨日第11巻を買った『小林さんちのメイドラゴン』、未刊の第12巻の冒頭にあたる回がネットで公開されていて、普通の社蓄OLだったはずの小林さんが、だんだんドラゴン界の「破れ傘刀舟」みたいになってきた。

6月12日(土)
柿本多映さんと長電話。柿本さんの句がイラスト化された「俳句」6月号の「妄想俳画」コーナーに甚く感心されていたので、作者の田島ハルさんにもその感想をお伝えしておく。
木村敏『あいだ』読了。図書館除籍本で、引き取ってから既に10年経っていた。 

6月13日(日)
しんどさ。
草取りしたら汗が止まらなくなった。
夜、松本清張『西海道談綺』1~3巻読む。

6月14日(月)
「windows10」が2025年でサポート終了の報。また新しいパソコンを買って習熟に努めなければならないのか。

パイクのけむりⅥ ~沁みる白泉論~    高山れおな

四月末日付けで出た「円錐」第八十九号は円錐新鋭作品賞の発表号だった。澤好摩、山田耕司、今泉康弘が、すり合わせなしでそれぞれ一席、二席、三席まで選ぶスタイル。澤の一席(花車賞)は森瑞穂「吊革の穴」で、ごく穏健な手堅い作風。山田の一席(白桃賞)は原麻理子「距離」で、当方などはそれこそ距離を感じる作品だが、いかにも今時な詠み口なのかもしれない。今泉の一席(白泉賞)は摂氏華氏「王の行方」で、個人的な味覚には合っていたが、だからこそもう一歩の踏み込みがあればよかったとも思った。しかし、それはそれとして、じつは一番刺さったのは、今泉がエリカ賞(「これからに期待する作家」枠)で挙げていた藻屑ちゃんという人の三句。こんなの。

転生したら闘牛をする約束の口づけ
いるよ 夏が来る免罪符のための人
きみのとしゃ音であかしほをつくる

特に、三句目は一九八〇年代の大沼正明風でぐっと来た。今泉はさらに、応募六十七篇から少なくとも一句を挙げて講評を加えており、そちらにも惹かれた句が多かった。

台風圏ペンの突き出る紙袋  尾内以太
雪女郎もうにどとまたあへさうな  森尾みづな
時雨れては鏡の恍惚をよぎる  青本瑞季
赤き目の蚕を祀る遺伝学  千住祈理
つぎつぎに仮面をはずし山眠る  加藤絵里子
パーカーの手とか林檎を入れる部分  田中木江
ムーミンがのびちぢみする花筏  うにがわえりも
カトレアやうつくしいはらわたばかり  佐々木紺

応募作全講評という鼻息の荒さと関係があるのかないのか知らないけれど、そうこうしているうちに今泉の新著『渡邊白泉の句と真実――〈戦争が廊下の奥に立つてゐた〉のその後』が届いた。「円錐」ほかで、今泉がこれまでに発表してきた渡邊白泉関係の文章を核に再構成したものだ。

ある冬の夜のことである。額 (ひたい) のはげ上がった中年男がひとり、仕事帰りに酒を飲み、酔いの覚めぬうちに帰宅しようとバス停に向かった。時刻は夜八時。宵闇の雑踏のなか、彼はバスに乗り込もうとして、突然、意識を失って倒れた。脳溢血である。すぐに病院に運ばれるが、二度と意識を回復せぬまま、翌日の夜、この世を去った。

こんなふうにいささか小説風に幕をあける本書が焦点を合わせるのは、一九六九年、五十五歳での急逝まで、足かけ十八年にわたった白泉の沼津時代である。一九四〇年に京大俳句事件で検挙された白泉は、起訴猶予となったものの執筆禁止を申し渡され、俳壇的活動からは身を引いてしまう。敗戦によりその制約は無くなったにもかかわらず、白泉が俳人としての社会的活動を本格的に再開することはなかった。それでも一九四七年の現代俳句協会の創立には参加しているが、やがて岡山を経て、静岡県の三島ついで沼津に移住し、高校の一教員として後半生を送ることになるのである。

思えば、白泉というのはずいぶん奇妙な存在ではあるまいか。そもそも論として、マイナーなのだかメジャーなのだか、それすらよくわからない。俳壇的に活躍したのは実質的に二十代の数年間だけで、ムーブメントのリーダーだったわけでもなく、生前にはまともな個人句集さえ刊行していないのだからマイナーもいいところのはずが、一方で現在、おそらく昭和前半期の俳人のうちで最も人気がある一人であり、いろいろな形で作品が引用される頻度の点でもトップクラスのうちに数えられるのではないだろうか。これは究極的には作品の力に帰することとはいえ、実際には三橋敏雄という唯一の弟子の奮闘努力の甲斐あってという部分が大きい。今泉の仕事も、三橋によるテクスト整備を前提に、曖昧だった白泉の後半生の履歴を可能な範囲で洗い直したものにほかならない。

白泉を俳句史の中に位置づける短い概論と、戦前戦中の代表作十数句(今泉は前期代表作と呼んでいる)の鑑賞につづく本書の主部「エリカはめざむ――沼津時代の渡邊白泉」は、いわゆるオーラル・ヒストリーに基づいている。白泉次男の渡邊勝氏ほか、沼津時代の教え子や同僚ら計十一名からの聞き取りや書簡でのやりとりと、その過程で入手した文字資料若干が主な情報源だ。今泉の入念な探索の行間から、全体として感じられるのは、渡邊白泉がじつに善良で平凡な人だったということ。沼津高校への異動は、自由主義的な教育者だった校長の石内直太郎を慕ってのものであり、石内に理想の教育者像を見ていたであろう一方で、白泉に教育者としての強固な自負や信念のようなものがあったかというとそんな印象は受けない。何しろ放課後ともなれば常に酔っぱらっていたというほどの大酒飲みで(脳溢血も結局それが原因だろう)、麻雀にも目が無かった。作詞・作曲したという「市立沼津高音頭」には、

沼津市立の校庭(にわ)に咲く
でかい真実(まこと)の花みたか
俺の心の燃える花 燃える花

という、胸奥にあるものを垣間見せるかのような言葉もないではないものの、白泉は結局、この曲を周囲に流布させることなく筐底に秘してしまう。俳句活動でも同じことだが、白泉には抜きがたい対社会的な消極性が見て取れる。よって周囲には俳人であることをことさらアピールはしないながら、求められれば俳句指導もしていたらしい。勤務先の学校新聞では「現代俳句読本」と題して入門的な現代俳句史を連載し、晩年には地元の市立図書館で開催された俳句講座の機関誌で添削指導までしている。そこでは、近作の自解まで披露しているが、これが初心の読者の理解に配慮しつつ、じつに行き届いたものであるのに驚く。衒いもなければ照れもなく、自分の作品と読者に対する誠実さに満ちた文章と言っていい。消極性の一方で、白泉が自分の作品に強い自信を持っていたことは確実に思える。

すぐれているのは自句自解だけではない。やはり勤務先の紀要に書いた「俳句の音韻」という論文(原稿用紙にして百二十枚を超える由)から、中村草田男の〈雪女郎おそろし父の恋おそろし〉を鑑賞した部分が引用されているのだが、これがたいへん素晴らしい。しかし、同論文の本筋をなす音韻論の方は、(当方の十倍は白泉贔屓のはずの)今泉さえ〈ちっとも面白くない〉と述べているように、特に感心するようなものではない。ただ、白泉の俳句作りの根幹にあるのが音韻、という以上に水原秋櫻子に由来する「調べ」第一主義であることを知ることができたのは収穫だった。

平畑静塔は白泉が亡くなった年の「俳句研究」で、白泉について、「風にも怯えるデリカシー」云々と述べているという。白泉の人となりについてのそうした証言を引きながら今泉は、白泉の一九五六年の作品、〈手錠せし夏あり人の腕時計〉について次のように述べる。

特高に連行された体験は、戦後になっても、決して過去のこととして濾過されてはいない。街ですれ違う人が腕時計をしている。ふいにその銀色の鉄が目に入る。自らの両手に巻かれた手錠を連想してしまう…。弾圧による心の傷はこうして戦後の白泉のなかに生々しい身体感覚として生きていた。

この生々しい身体感覚が、生来の「風にも怯えるデリカシー」と相俟って、〈また弾圧されるかもしれない〉という恐怖で白泉をしばり、積極的な俳句活動から遠ざけてしまったというのが今泉の見立てである。それに納得しつつ、先にも述べたような、白泉の善良さと平凡さの印象がやって来るのをとどめ難い。それは必ずしも否定的な意味で言うのではなく、白泉のあれらのすぐれた句が(今さら作例を引くのはやめておく)、そうした平凡さをこそ根拠にしていたということへの驚きを伴ったものだ。この人があまりにも平凡で弱い人に見えるがゆえに、調べへの深い没入を軸にしたその言語感覚の鋭さがどれほどのものであったかを思わざるを得ないということでもある。今泉の次のような述懐も、当方のこうした感想と矛盾するものではないだろう。

白泉は孤独な人間ではなかった。だから、孤独な俳人でいられた――本書を書くことを通して、ぼくが理解したのは、このことである。

今泉著は、巻末に今泉による白泉百句選が付き、全句集未収録句も採集、朝日文庫「現代俳句の世界」のそれを増補した年譜も載る。読み物としても面白い上に、資料性も高い。注文は大風呂敷出版局ホームページへ。


2021年6月1日火曜日

バ美肉     関悦史





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バ美肉     関悦史

遠雷のパソコン切りぬ雨降りだす
コカ・コーラその他の街宣車鳴り騒ぐ聖火も来(く) 
GAFA世界わがバ美肉のウマ逃げよ
       GAFA=グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル
       バ美肉(びにく)=バーチャル美少女受肉 
碧揚羽に夢見られをり初音ミク 
物質の身は眩暈の梅雨入かな 
引きこもれば宇宙船地球号(Spaceship Earth)の持衰(ぢさい)ががんぼ居る
         持衰=倭から魏へ向かう船の安全のため人と接さず身を汚れ
            放題にしておく乗員 
線路は聖なる魚の涼しさ人飛び込む 
黒靴は食へぬと囲む海月かな 
夏どこかカサリと白く鳴り帰る 
地球在りし記憶も消えん夕焼の色

花言葉       佐藤文香




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花言葉       佐藤文香

日時計に街の匂ひやアカンサス
夜半を咲く薔薇に巻毛の風が寄る
目を閉ぢて暇うつくしき杏かな
掌に小さき後頭梅雨の月
雨上り光る玉葱をもらひけり
 誕生花
紫陽花を燈台員はよろこびぬ
 花言葉
うつりき 湖面はこぼるるを知らず
夏の船かをる燐寸の箱の絵の

紅玉集       高山れおな

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紅玉集       高山れおな

すだ椎や削(はつ)る像(かたち)の青あらし
透明を病む蛇(くちなは)として笑ふ
武者振りの紅玉(ルビイ)活字を捜す夏
鶏が鳴く東(あづま)が秘める氷菓子
四股踏むや高々とある心太(ところてん)
白日を懸けて涼しい食事(めし)にする
はたらけどはたらけど朱夏(なつ)の月朧
玻璃簾(はりすだれ)ググりてなどか人恋し
(きつさき)に何も無かりし桐の花
さみだれや霞む鋼鐵(はがね)の愛の橋