2019年5月1日水曜日

無い、がある日  トオイダイスケ



新松戸駅前に降り立ったとき不意に前方に幸谷駅と書かれた看板と小さな駅舎が見えた。「ぱらのま」という漫画でその存在を知って意識していた流鉄流山線の駅である。わたしは小規模の私鉄が好きでこの機会にこの路線にもぜひ乗ってみたいと思った。関さんの森で弁当を食べのんびりしたあと新松戸駅前に戻ってきたときにわたしは迷わず流鉄に乗りたい、と口にした。

幸谷駅の小さな駅舎の壁に道路地図を大きめにコピーした紙が貼ってあり、流鉄の線路部分を見やすいように太くなぞってある。乗るとは言え目的地の当てもない。鰭ヶ崎という駅ならばJR武蔵野線の南流山駅に歩いて行ける距離だ、とあやかさんがスマホを見ながら言った。わたしは壁の地図に見入っていて鰭ヶ崎という駅名の不思議さを思いつつ(内陸なのに魚の部位か)その近くに「古墳」と書いてあるのを見つけた。わたしは古墳がある、と口にした。今思うとわたしの生まれ育った北関東は古墳や単線の私鉄に恵まれている地域だった。あやかさんと関さんが用意した場に遊びに行ったこどものような立場でこのイベントに参加していたわたしは童心に必要以上に帰っていたのかもしれない。

鰭ヶ崎駅で降り古墳を目指してあやかさんが引き続きグーグルマップを見ながら道案内をしてくれた。わたしはスマホを取り出すこともせず晴れた空の下をのんきに歩いていた。駅からそう歩かないうちに新たに造成している住宅地のような地域に入った。土浦では古い建物がどんどん無くなっていると関さんが話す。新松戸駅の近くも古い区画の狭くうねった道の間に多くの新しい一戸建てと少しの古い人気の少ないアパートが混在していて、高架の線路を見上げる近さにそれらの家々が込み入っている様子はわたしの生家近くの東武佐野線の高くなっているあたりの景色を思い出させた。やはりこの散歩でわたしは必要以上に童心に帰っていたと思う。

やがて緩やかに上り坂になった長いカーブに差し掛かったが、前方を見上げても古墳らしきものは見当たらない。今歩いているここがもう古墳の麓なんじゃないかと思ったがそんなに大きな古墳なのだろうか。古墳のこんな近くにこんなに家を建てようとしてしまうものなのだろうか。あやかさんがスマホを見つつこのへんだよ、と言う。それらしきものは全然見えない。 さらに少し坂を上るとショベルカーが停めてある造成工事現場のようなところの端に、唐突にお稲荷さんと道祖神と彫られた石碑とが見えた。このあたりに古墳もあるのかと辺りを見回したが、木々がいくらか生い茂っていてそれらを切り開いて住宅地を新たに造成しようとしている様子にしか見えない。

結局古墳本体を見つけることができないまま来た道と別の道で南流山駅まで向かうことにして、その途中の小高いところにあるお寺を見て帰った。家に着いてからインターネットで検索してみると、なんとこの探していた三本松古墳はどうやらすでに取り壊されて形がなくなってしまっているらしいことが分かった。また鰭ヶ崎という地名が最後に寄った東福寺に現れた竜が残していった背鰭の逸話に由来することも分かった。

わたしは写真を撮ることがあまり好きではない。写真を撮ろうと思いながらものを見ていると自分が今ここにいなくなるような、カメラが目の前のものを捉える代わりに今この瞬間の自分の目や体はものや光景から遠ざけられてしまうような気がするからだ。旅行の前に下調べをするのは好きだ。これから見ることができるかもしれない場所や光景を自分の想像のなかでふくらませることができて、ほとんどの場合実際にそこに行ったときに現実の光景の魅力も想像のなかの光景もいずれもより肉付きを豊かにするからだ。今回はそのどちらも全くせずに参加した。そしてその場でただ行きたいと思ったところにはありそうだと思ったものは何もなかった。何もせずをし何もないを見たというようなものだ。ただ無為に午後を過ごしに行っただけのような時間を味わえてとても幸せな春のある日だった。

  人覆ふ土の消えたる春の昼 ダイスケ