2019年12月31日火曜日

翻車魚、マンボウに会う  関悦史

 「Edge」というスカパーのアートドキュメンタリー番組があって、いま佐藤文香編を制作している最中である。この番組、ふだんは詩人に密着取材していることが多いのだが、俳人を取り上げた回もあって、今までに髙柳克弘編と関悦史編(私だ)が放映されている。 



 私のときは、ゴミ屋敷寸前の自宅室内とか、思い入れのある場所を訪ねている模様とかを撮影され、特に行きたいところもないので、自分の出た土浦湖北高校の図書室を再訪したりした(あと、なぜか物を食っているところをディレクターが撮りたがる。そこにふだんの暮らしぶりがかいま見える気がするためか)。 

 今回の佐藤さんは、それが大洗水族館になった。同人誌の誌名が「翻車魚」だから、一度実物を見に行って吟行しようという話は前からあったのだが、それをテレビの取材を兼ねてやることにしたものである。前は池袋の水族館にもマンボウがいたのだが、死んでしまって関東では大洗水族館だけとなったらしい。 

 大洗というと、私は小学高低学年の頃までよく連れていってもらっていた場所だ。祖母の妹が総合病院の事務長をやっていて、その病院が持っている別荘のようなものが大洗にあったのだ。二階に上がる階段の脇に、大きな木の板を透かし彫りにした人の顔が並んでいた。アフリカかどこかの民族芸術のようにも見えたが、日本人作家の作品と聞いた気がする。美術館別に編集された大判の世界美術全集なども置いてあって、ここで人の顔が気球のように宙に浮いた白黒の奇妙な絵を見た記憶があり、これは後で考えたらルドンだった。 

 バルコニーからは松林が見え、その先が海岸である。祖母たちに見守られながら、芋を洗う混雑の浅瀬で遊んでいるうちに、しらずしらず潮流に横に流され、ずいぶん離れてしまって、従兄に回収に来られたこともある。あの建物もどうなったかわからないし、管理人のお婆さんはとうに亡くなっているだろう。私の家からは車で一時間以上かかる場所だったはずで、義叔父の運転する車で連れていってもらっていた。帰りは毎回、疲れ果てて夜の後部座席で寝ていた。 

 その後、車も免許も持たないまま来てしまったので、再訪する機会はなかった。海にもほぼ行かないうちに人生の過半が過ぎた。学生のときの合宿で熱海に行ったことがあるくらいである。そのうちになどと思っていると、だいたい人生が先に終わる。 

 今回の大洗再訪は、そうしたわけで40何年ぶりかということになる。俳句を始めて、佐藤さんの取材につきあうことにでもならなければ来ないまま終わっていただろう。 


その間に大洗はアニメ「ガールズ&パンツァー」の“聖地”となり、ファンが押し寄せる町に変わっていたので、いかにもさびれた田舎の駅舎が美少女キャラのポスターや立て看板だらけになっていたのは隔世の感。美少女キャラたちは昭和のままの町なかの個人商店などにもはびこっていた。いかにも日本の現在という感じで、「ブレードランナー」の「わかもと」の看板シーンなどよりも、鄙びたキッチュなエキゾティシズムが味わえる。



 水族館は、鮫が多かった。 

 マンボウは数匹がさほど大きくはない水槽に一種だけまとめて入れられていて、意外なことにみな活発に動き回っていた。垂直に上を向いたまま、底に開いた穴に沈んでみたり、こちらに寄ってくるときも直進してくるのではなく、体を斜めに倒した体勢のまま横へ移動するように寄ってきたりで、しばらく眺めていても、何を考えているのかわかる気には一向にならない。われわれが誌名を「翻車魚」としたのは、ただ浮いているだけでいかにもやる気がなさそうだからというのが理由のひとつだったはずだが、どうも思っていたのと様子が違う。ぐるぐる動き回りながらも、目つきは虚無そのものであった。マンボウと見つめ合っているところを、佐藤さんと撮影スタッフにそれぞれ撮られた。 

見つめ合う二人(撮影:佐藤文香)

 クリスマスツリーの他、ロビーにはなぜか炬燵のセットも出してあった。物販コーナーは水生生物のぬいぐるみが種類が多くて充実していた。佐藤さんは、あまり擬人化を感じさせる、見るからに可愛らしいデザインはダメだったが、エイが比較的写実的で許容範囲のようだった。どうデザインしようがさして変わりようもない、もともとシンプルな姿のチンアナゴの抱き枕サイズのぬいぐるみは欲しい気もした。 

 その後、風で冷え込む大洗海岸に出た。佐藤さんともども胸にマイクを仕込まれたまま、いかにも自然そうに適当に話しながら、冬の砂浜をうろうろするのである。 

 水の透明度が低く、あまり綺麗に見えないのが以前のままで懐かしい。貝殻が昔に比べると激減していて、ろくに見当たらなかった。海藻は点々と落ちていたので、第一句集を『海藻標本』と名づけた佐藤さんが拾ってみせたりした。 

 流木や竹(意外と多い)、その他のゴミがちょうど回収作業期間らしくて、一ヶ所にまとめられて分類され、何メートルにもわたって山積みになっていた。現代美術のようである。見に寄って行ったら、スタッフが慌てた。ゴミの山は映したくなかったようだが、俳人が連れだって吟行していたらまず寄っていくのはこういう物件である。名所旧跡や表通りばかり見ていても面白くない。 



 私は途中で引っ込んで、コンクリート造りのトイレ兼休憩所の古めかしい造形を見たりして、ワゴン車に戻った。佐藤さんは砂浜で一人、スタッフたちに撮影されていた。曇天の海岸での撮影風景で、遠くから見る分にはアンゲロプロス監督作品の一場面のようである。「ユリシーズの瞳」に海岸のシーンがあった。 

 その後、スタッフが苦労して探し出した喫茶店(田舎町に個人経営の喫茶店などそう残っているわけがない)で、私が佐藤さんの句について、「翻車魚」2号の佐藤文香特集を開きつつ解説しているさまを撮られた。番組でどれだけ生かされるかは知らない。 

 大洗駅の売店で「栗満月」なる菓子を土産に買った。ネットで検索してみても、沼津市の製菓会社の全然別の品しか出ない。 

 帰りの特急車内で佐藤さんに缶ビールをもらった。冬季鬱でしんどいせいか、無闇に酔いが回って真赤になった。

(撮影:関悦史)