Webページはこちら→第13回フェスティバル/トーキョー20『移動祝祭商店街 まぼろし編』 「その旅の旅の旅」
佐藤文香『逢瀬逢引』手引
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俳人・正岡子規の紀行文「旅の旅の旅」から着想を得た企画なので、ぜひ俳句の人にも参加してほしいとお声をかけていただいて驚いた。そんなラッキーな依頼、あっていいんでしょうか。 6人の旅人がそれぞれ豊島区の8つの景を選んで作品をつくって、その情報が掲載された地図を頼りに、参加者が誰でも街歩きし追体験ができるという、パフォーミングアーツ。
しかし、俳句入り紀行文を書いたのでは子規のなぞりになってしまう。そこで、子規がしてなさそうなことをしよう、と考えた。
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25歳になったばかりの正岡子規は旅をしていた。
大磯で仲秋の月を見、引網を見て、さらにそこから箱根へ出向いた様子が紀行文「旅の旅の旅」として記されている。明治25年10月のこと。
そうか、今、「旅の旅の旅」の128年後の秋か。
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私の作品はこんなかんじ→「逢瀬逢引 一 かの旅の」
一つの景に対して二句。一方は穴埋め形式で、歩きながら自分で句作できるようになっている。私との吟行デートというわけだ。
川沿いを歩くから「逢瀬」の水気もいいし、ふたりで引き合う「逢引」もいいな、ということで、合体させてタイトルにした。子規の短文「旅」には、「逢瀬」という言葉が出てくる。この短文は、お題で書いた創作のようである。
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34歳で死んだ正岡子規より、すでに長く生きてしまっている。
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セノ派の杉山さんから「景」という言葉を聞いたとき、ちょっと嬉しくなった。「景」って俳句でつかいますよね。簡単にいえば景色や情景のことで、その作品について「景が見える」といえば、句に描かれた情景がありありと思い浮かぶ、ということ、だと思う。
俳句は五感をつかって書こうなんていわれるけれど、実際には視覚をつかう句がかなり多い。子規が唱えた写生論が、その後方法として確立されたからでしょう。
でも、見えなくても、感じられればいいかな。あと、本当のことだけが「景」じゃないし。
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正岡子規による「旅の旅の旅」は、30句以上の俳句を含む紀行文。
その一句目、〈旅の旅その又旅の秋の風〉は表題作なんだけど、新聞連載の初出では〈はつきりと行先遠し秋の山〉だったらしい。一句目で「行き先が遠い」って言っちゃうのは、たしかに野暮かも。これ以外にも『増補再版 獺祭書屋俳話』(明治28年)は初出である明治25年の新聞「日本」からの句の異同が多くあって、即興の方はナマっぽいというか練れてない感がある。それも悪くないけど。
推敲し続けると、別の句になっちゃうこともよくある。今回の「逢瀬逢引」は、穴埋めしながら推敲して、新しい句にしてみるのもアリです。
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子規の「旅の旅の旅」は、「旅(この世に生まれて25年)の旅(愛媛から東京に出て10年)の旅(から今旅に出てきて10日)」、ということのようだ。
ちょっと飛躍するけれど、今回の「その旅の旅の旅」は、芭蕉(俳諧の時代)の旅、子規の旅、そして私たちの旅、くらいに捉えてみてもいいかもしれない。発句から俳句へ、俳句から我々の……(今私たちが書いているものは何と呼ぶべきなのか?我々はまだ仮に俳句と呼んでいるが)。
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誰かが歩いたところを自分も歩く。誰かが書いた作品の上に、自分が書く。
”ふまえる”ということの面白さは、いかにも俳句でした。お疲れ様。
で、ここからだ。
“ふまえない”俳句が、あるとすれば。
*参考文献
『子規全集 第十三巻 小説 紀行』,講談社,1976年