2022年1月17日月曜日

パイクのけむりⅩⅢ~『呼応』を読む~   高山れおな

 相子智恵さんの『呼応』は、昨年末いただいてすぐに読み、年が明けてまた読んだが、さすがに充実の印象。十六年間の作品から三百二十六句ということだから、各年約二十句を収録していることになる。厳選だろう。好きな句(の一部)を淡々とあげてゆきます。 

そらんじて相聞歌なり雪明り 
我に吹く春一番や誕生日 
ザックよりもろこしの髭出てをりぬ 
ひやひやとさかづき指にくちびるに 
街灯のぽぽぽと点くや渡り鳥 

 一九九七~九九年の句を収めた「工場」の章より。言葉が颯爽としている。一句目二句目などは内容的にも若さを感じる。俳句を始めて数年で四句目や五句目のような句を作るのだからぐうの音も出ない。 

ひも三度引けば灯消ゆる梅雨入かな 
滝壺の上夏蝶の吹かれをり 
古着屋は他人の匂ひ冬の雲 
蓮の葉をころがる水や水に落つ 
熱狂は対岸にあり揚花火 

 二〇〇〇~〇一年の句を収めた「まゐつた」の章より。四句目は、王朝和歌の時代から短歌俳句を問わず無数に詠まれてきた素材かと思うが、露とか玉とか言わず「ころがる水」と言ったところが味噌だろう。

北斎漫画ぽろぽろ人のこぼるる秋 
太郎冠者寒さを言へり次郎冠者に 
阿修羅三面互ひ見えずよ寒の内 
にはとりのまぶた下よりとぢて冬 
初雀来てをり君も来ればよし 

 二〇〇二~〇三年の句を収めた「三面」より。この章は記憶にあった句が多い。掲出した中では写生句は四句目だけだが、他にも写生句の立派なのが幾つもある。一句目の北斎漫画は、この作者の最も有名な句の一つだろう。しかし、句集を通読して思ったのは、これは全体の傾向からすると例外的な詠み口の句だということだ。小澤實の序文に懇切な読解が記されていて、北斎漫画は和本の絵手本であり、ゆえに〈この季節は、書物に親しむ秋でしかあり得ない〉としている。ただ、私には春や夏も、それはそれでありのような気がする(冬は合わなそうだが)。もちろん一句のニュアンスはどの季節を選ぶかで変わってくる。秋は灯下書に親しむ季節でもあるが、万物凋落の季節でもある。ここで秋とした選択の効果の第一は、書物云々以上にそちらの方ではあるまいか。 

枯園であり百貨店屋上も 
春ショールなり電柱に巻かれしもの 
夢ケ丘希望ケ丘や冴返る 
寄付募る男や梅雨の駅出れば 
冷やかや携帯電話耳照らす 

 二〇〇四~〇五年の句を収めた「蔦の家」より。ツイッターを見ていたら、松本てふこさんが、〈明るくおおらかな句風のイメージが強かったが、予想よりもシリアスな読後感〉とツイートしたのに対して、相子さんが〈はい、案外暗いんです〉と応答していた。この章などはことに暗い句が多いようだ。ここに挙げた五句もみなそうだ。春ショールや寄付の句に至っては私には陰惨にすら感じられる。 

一滴の我一瀑を落ちにけり 
体ごとぶつかるやうに日盛へ 
茫洋とナイターの灯や港まで 
遠火事や玻璃にひとすぢ鳥の糞 
躑躅積むトラックつつじまつり果つ 

 二〇〇六~〇七年の句を収めた「一滴の我」より。この章も佳句が多い。一句目は、先に見た北斎漫画の句と並んでこの作者の代表句であろう。考えてみると、どちらも人が落ちてゆくイメージを伴った句だ。あとがきで「呼応」という句集名を説明する一節に、〈俳句を始めて数年が経った頃、我の中に我はない、ということが、すとんと腑に落ちた〉とあった。いわば自己放下の悟りを開いたようなものだろうか。この句の落ち行く我には、そのすとんと腑に落ちた認識の形象化といったところもありそうに思う。四句目。遠火事の句というと、村上鞆彦の〈ガラス戸の遠き夜火事に触れにけり〉を思い出す。相子の句は二〇〇七年の発表で、村上の方は二〇〇六年の句らしい。村上の方がより求心的で、そのぶんセンチメンタルな印象を受ける。五句目には、やや唐突ながら、斎藤茂吉の〈ガレージにトラックひとつ入らむとす少しためらひて入りて行きたり〉を連想した。トラックが共通してるだけじゃないかと言われそうだが、トラックがある行為の終わりと結びついていること、それが到って散文的に叙されていることが両者の相似をなしている。その散文的であること自体に一種の快があるのである。 

ゴールポスト遠く向き合ふ桜かな 
夏逝くや壜に半透明の影 
水槽に闘魚口打つ音かすか 
日盛や梯子貼りつくガスタンク 
向日葵の裏むつちりと茎曲がる 

二〇〇八~〇九年の句を収めた「半透明」より。この章では祖父母の死が詠まれている。それらの句も良いが、さらに読み応えがあったのは掲出したような写生句であった。〈遠く向き合ふ〉とか〈半透明の影〉とか〈口打つ音〉とか〈貼りつく〉とか、微妙な感覚を微妙な言葉遣いで捉えていて狂いがない。五句目の〈むつちりと〉のオノマトペも新鮮だ。 

吊革の誰彼の目の遠花火 
蛇の衣まなこの皮もいちまいに 
ぬらくらと進む台風神も酔ふか 
みづいろの如雨露しづめて泉かな 
群青世界セーターを頭の抜くるまで 

 二〇一〇~一一年の句を収めた「蹼」および、二〇一二~一四年の句を収めた「とことは」より。最後の二章はこれまでに比べるとやや物足りない印象を受けた。相子は二〇一二年の七月と九月に、東日本大震災からの復興途上にあった福島県いわき市を仲間(二回とも参加しているのは相子の他に四ツ谷龍、鴇田智哉、宮本佳世乃)と共に訪ねており、その時の作品は『いわきへ』という合同句集に纏められている。そこに収載された六十六句から句集には十六句が取られているのだが、どうもその選句や配列に疑問がある。『いわきへ』では三十二句目に置かれている〈蟬の殻また見つけたりこの人は〉が、なぜか十六句の前に置かれた前書のすぐあと(つまり一連の句の先頭)に持って来てあるのも妙だし、私には随一の秀句と思われた〈来るな来るな来るな来るなと蝉時雨〉が取られていないのもいささか残念であった。

 最後の群青世界の句は、句集でも巻軸に配されている。古典的な有名句(もちろん秋櫻子の〈滝落ちて群青世界とどろけり〉)からのこんなあらわな語句の取り込みは、この作者には珍しい。やはり小澤實が序文で触れていて、俳句における本歌取りはなかなか成り立ちがたいものだが、この句は成功している。〈ある世界を一度壊した上で、別の世界を立たせているのだ〉と述べている。しかし、これは本歌取りの説明として適切かどうか、私には微妙に思われる。本歌取りは本歌の世界を壊す技法というよりは、ずらす技法であろう。さらに、ずらされた世界には本歌へ戻ろうとする磁力が働いていなくてはならない(少なくとも、すぐれた本歌取りでは)。この場合にしても、むしろ〈群青世界〉という言葉の中に秋櫻子の句の核心が生きているからこそ(つまりその世界が壊されていないからこそ)、相子の句も生きると言うべきではあるまいか。