2023年8月15日火曜日

パイクのけむり XXX ~写生文ネオ 雑賀あたる篇~  高山れおな

 1 鳥の名前 
雑賀あたるは俳人の看板を掲げているものの、季語の知識となるとかなりあやふやである。中でも泣きどころは鳥の名前で、たまに山中の寺社に詣でて良い声が聞こえても、名前がわからないためにせっかくの句材をみすみす逃してしまうのが毎度のことであった。

あたるが姿と名前をあやまたず一致させられる鳥となると、雀に鶏、鳩、鴉、燕、鸚哥、鸚鵡、梟、みみずく、鶴、鷺、雉、孔雀、鶉、白鳥、鷗、海猫、鴨、鳶、鷹、鷲、ペンギン、ペリカン、フラミンゴ、七面鳥、駝鳥……。特別な鳥好きでもなければ、まあこんなものかなと思う一方で、野鳥で声を聞き分けられるのが鶯と鵯だけというのはやはり情けない。 

じつは山寺などに行かなくても、あたるの家の前の公園にも野鳥は来るのである。ただ、色の綺麗な鳥が二、三日姿を見せたかと思うといなくなり、声の良い鳥が数日鳴いていたかと思うと聞こえなくなるというふうで、およそ規則性というものが無い。それはこの公園の植生に巣作りして棲みつく程の奥行きがないため、彼らが棲息地から別の棲息地に移動する際の、ちょっとした骨休めの場所になっているからではないかとあたるは想像しているが、実際のところはわからない。

ここ数日見かけるのは、体が雀の二、三倍程あって、尾羽の長い、白と黒のツートンカラーの鳥である。ほとんど鳴くことはなく、蟬の屍骸を狙って来ているらしい。今朝は雨上がりの、水蒸気でもやった公園の芝生に二、三十羽が降り立って、歩き回りながら、地面に嘴を突き刺すような動きを繰り返していた。ふと上を見ると、防球ネットの支柱のそれぞれに一羽ずつ鴉がとまって、時々、首だけをぐりっぐりっと回してあたりを睥睨している。なんだか凶悪な感じの素敵なみなさんだな、あたるはそんなことを思いながらタバコに火を点けた。 

 
2 秋の暮
あたるは記憶が飛んだことがある。もう数年経っていて、すでにコロナの渦中であったから、おそらく二〇二〇年の秋であろう。たしかに勤めが忙しい時期で疲れてはいたのだが、手洗いに行って席に戻ってパソコンに向かうと、そこに書きかけてある原稿に全く覚えがない。正確に言うと、覚えがない推敲が施されていたということになるのか。自分が書いていた原稿には違いないのだが、途中から書いた覚えのない文章に変わっていたのである。

もう、二十年からの昔、Aという先輩の原稿の後半を、Aが席をはずしたすきに、さらに先輩のMデスクが珍妙に書き換えて、それを知らずにプリントアウトしたものをAが編集長に見せて大騒ぎになったことがあった。あたるは一瞬そのことを思い出したが、いま職場にいるのは真面目な女性たちばかりで、そんないたずらをする者はいない。これは記憶が飛んだのだと思い到って、ぞっとしたのだった。 

あたるは数日後、大病院へ行き、MRIやら何やらの検査をしたものの特に悪い病気も発見されず、疲れのせいだろうということで一件落着した。その後は何事もなく過ぎていたところ、最近またちょっとしたバグが生じた。あたるはこの数週間、先日亡くなったS氏の作品を鑑賞する文章を書いていた。そのうち下五に「秋の暮」を置いた句を鑑賞するのに他例と比較しようとして、頭の中に秋の暮の句の記憶が全く無いことに気づいた。此の道や行く人なしに秋の暮も、枯枝に烏のとまりたるや秋の暮も、日のくれと子供が言ひて秋の暮も、秋の暮山脈いづこへか帰るも、拭ったように消え去っていたのである。もともと記憶力薄弱なあたるのことだから、暗記している句もたかが知れているとはいえ、この場合はあるはずのものが消えていたのでとても嫌な感じがした。俺の頭が秋の暮だとあたるは頭を振って、やむなく大歳時記を取り出した。


3 シャンブルな人
あたるは長い間ほとんど夢を見なかった。そんな時期が二十年以上続いて、自分はもう夢を見ない体質になったのかしらんと思っていたところ、再び夢を見るようになった。夢をしばしば見るようになると、それが一種の楽しみになってきた。以前、明恵の夢日記については少し読んだし、俳人のN氏も夢日記の本を出している。自分もああいうものを書けないものかと思いながら、方法がよくわからずにいる。ああ、これは面白い夢だから記録しておこうと思っても、目が覚めて、スマホのメモ帳に書き付けようとするそばから、夢はたちまち輪郭を失って、春の淡雪のように溶けてしまうのだった。

そんなあたるが、ある夢からかろうじて書き取ったのは「シャンブル」という言葉だった。その夢は、甘美というのでもなく、悪夢というのでもなく、あれこれあった後に偉そうな人が出てきて、何か心外なことを言われたのである。すると、知人の彫刻史家のSさんが横に現われて、「あの人も、ああ見えてシャンブルな人ですから」と言って慰めてくれたのである。 

シャンブルという言葉を調べてみると、フランス語にchambreという単語があって、これは部屋という意味らしい。しかし、あたるは全くフランス語を解さず、基礎的な単語とはいえこの言葉を知っている理由もないし、「部屋な人」というフレーズも意味をなさない。ただ、Sさんとフランスの間に、一つだけ脈絡があるといえばある。それは夢を見る前日、Sさんの顔が数学者のアンリ・ポアンカレとよく似ていることに気づいたあたるが、Sさんにショートメールを送ってそれを伝えたことだ。しかし、そのメールには応答が無かったし、あたるがSさんとフランス人数学者の間にある関係性を見出したからと言って、そもそも脳内に存在しないはずのフランス語が、Sさんの口を通じて出てくるのはおかしい。しかし、夢はやっぱり面白い。なんとか夢日記をつけるノウハウを開発しようとあたるはいよいよ思うのだった。


4 名は体をあらわすこと、あらわさないこと
雑賀あたるというのは本名で、戸籍上の表記もこの通りだし、クレジットカードにはATARU SAIGAと印刻してある。妻は雑賀らんで、両親が仮名の名前なのに子供が漢字表記ではバランスが悪かろうと思って、息子は雑賀ひかると名付けた。

この夫婦は仲が悪いといえば悪い。あたるのつもりでは、原因はさておき、攻撃を仕掛けてくるのはいつも妻の方だと思っている。攻撃には熱戦もあれば、冷戦もある。名前の画数がどうこうという話は全く信じないあたるであるが、名前の暗示が人生に影響することは疑っていない。現に、自分たちは「妻が乱」と「妻が当たる」で、まさに名は体をあらわしているではないか。 

遺憾なのは「才が光る」でなくてはならない息子の方にこの原則が当てはまらないことだ。二十一世紀生まれなものだから、頭が小さくて腰の位置が高いことには感心するが、熱心なのは筋トレばかりで、これだけはもう何年も続けている。かと言ってジムに通うわけではなく、就職して給料が入るようになったおかげで、居間に置かれたダンベルの数と種類が無闇に増えてゆく。体に贅肉のひとかけらもないのは結構ながら、いつもパンツ一丁で家の中を歩き回るなどその行動は謎めいている。 


5 ある男?の話
雑賀あたるは最近、樫本由貴氏の「俳句における原爆遺構―水原秋櫻子の「聖廃墟」とその受容―」(「原爆文学研究」20 2022年3月)という文章を読んで驚いた。これは秋櫻子が原爆で廃墟と化した浦上天主堂をはじめ、戦後の長崎を巡って詠んだ旅吟の連作を論じたもので、本体部分はたいへん面白く、勉強になった。驚いたのは、「終わりに」において〈本稿では踏み込むことができなかった〉〈俳句における「みなす」行為の倫理的な問題〉について述べた部分。秋櫻子が〈浦上天主堂を聖なる廃墟とみなしたこと〉が〈浦上天主堂と被爆の被害に苦しむ人々を切り離している〉という、本編で論じられた問題点を再確認したあとで、筆者はこの「みなす」行為を〈俳句表象全体の問題として考えなければならない〉と述べて、次のように続ける。

例えば、西山泊雲の〈傘さして水落し居る男かな〉は、書き手が傘をさす対象を「男」とみなしている。(中略)秋の雨の降る中、傘を差した男が稲の生長に不要になった田の水を抜いている光景を描いている。掲句には装いやふるまいといった要素から男性とみなす力学が働いている。手法としては写生の句だが、この句は対象の性自認を置き去りにしており、書くという行為が孕む暴力性を読み取ることができる。

この一節に継いで、照井翠の〈双子なら同じ死顔桃の花〉への言及があるが、そちらの件はさておき、なんでよりによって泊雲のこの句が、性自認とか書く行為が孕む暴力性といった話題の引き合いに出されるのか、あたるはうたた茫然となったのであった。 

「みなす」行為の倫理性を問うのはわかるとして、こんな句で書く行為が孕む暴力性を云々するのはいささか的外れなのではと思い、あえてこの「男」の性自認を問題にすることに付き合えば、泊雲は「男かな」とそっけなく客観的に書いているけれど、じつはこの人物をよく知ってた可能性はないのか、とも思った。泊雲は農村地帯で造り酒屋をやっている旧家の人なので、実際、その可能性は低くないだろう。名前も顔も家族関係も全部承知した上での「男かな」かも知れないのだ。もちろん、それは具体的には確認しようがないし、たとえその人物が妻子持ちの一家の主人だったとしても性自認を確認してないことに違いはないからやっぱり表現の暴力性は免れない、とか言われた日にはどうしたらいいんだと気が遠くなったのであった。 

とにかくこの場合の例示が適切とは考えられなかったものの、あたるにとってもあながち興味の無い問題というのでもなかった。男かなとか女かなとかやっている句を大量に並べたら、なにがしか面白い光景が見えそうな気もした。あたるの頭にすぐ浮かんだのは、高浜虚子の〈女涼し窓に腰かけ落ちもせず〉であったが、これなどはミソジニーが露骨で、性自認云々以前の問題なのかも知れなかった。

風呂に入ったあたるは、目薬をさしてから寝たのであった。