本欄の第十六回「ウェルテルは何回泣いたか」でこう述べた。『尾崎紅葉の百句』という本を執筆している、ふらんす堂の「○○の百句」シリーズの一冊として十月に刊行される予定である、と。百句鑑賞の本文はすでに三月二十日に書き上げた、これから巻末の解説文に取り掛かるとも。
上記の回がアップされたのは四月十五日。この時点ではたしか、五月末までに巻末解説を書き上げて版元に送る約束だった。同シリーズの巻末解説文は、原稿用紙十数枚、マックスで二十枚くらいであるから無理のない見通しのはずだった。しかし、実際に解説を書き上げ、手直しを加えた鑑賞本文と合わせ、版元に送稿したのは八月十日であった。正味で二か月半近い遅延である。年内十月刊行予定が来年の早々に切り替わるだけだし、二〇二三年はじつは紅葉の没後百二十年の節目にも当たっているので、それはそれでいいのだが、たかだか十数枚の原稿をそこまで引きずってしまったこと自体に忸怩たるものがある。
そうなったについては、文章そのものを書きあぐねたところと(書くことが無くてではなく、有りすぎて)、執筆のための時間が取れなかったという二つの理由がある。そのうち前者についてだが、途中まで書き進んで、あっ、この調子で書いていると、五十ページ分くらいになってしまう、あのシリーズのフォーマットと全く合わない、どうしようと頭を抱えていたところで、ある人物から、思いもかけない別の人物と橋渡しをしてくれるお話があって解決した。なんでそれが、文章の行き詰まりの打開になるのか不思議なようだが、それについてはずっと先に書く機会があるだろう。とにかく、書き進んでいた文章の後ろ半分をばっさり切り捨て、強制終了的に脱稿することができた。バンザイ。
時間が取れなかったというのは、もちろん忙しかったからだ。仕事のローテーションがかなり無謀なことになっていた上に、俳句関係でも細かい締切が次々に入って、休日は順送りでそちらに取られ、紅葉百句は後回しになってしまったということだ。細かい締切の一つは他ならぬ翻車魚ウェブ。これが月二回やってくる。そこにその時々の注文が加わるわけだが、四月からは固定の毎月の締切がさらにもう一つ加わりもした。上に登場したある人物がやっている雑誌(無料配布のPR誌、ジンみたいなもの)に、俳句随筆の連載を始めたのだ。
雑誌は「オリジナリ」という誌名で、名前の由来などは全く知らない。刊行はちょうど一年前の夏からで、もう一週間もすれば出る最新号で第十三号になる。私は本年四月刊の第九号からの参加だ。作家の関川夏央氏が「昭和残照」、脚本家の西岡琢也氏が「N’ S COLUMN」を連載している。イラストレーターの伊野孝行氏の「ぼくの映画館は家から5分」は、もちろん挿絵も自分で描いている。たった十二ページの小冊子ながら、ラインナップがそんな調子でかなり本格的で、かつ紙だから文章量も固定されているし、私も本欄のように長く書いたり短く書いたり、勝手気ままにはやれないので往生しております。
連載のタイトルは、「はれのち句もり」。いきなりやってくれと話があって、いきなりスタートしたものだから、苦し紛れ感百パーセントのネーミングである。内容は、『尾崎紅葉の百句』の執筆余滴みたいに、紅葉とその周辺の俳人を取り上げている。今のところはであって、今後どうするかは決めていないものの、ずっと紫吟社と秋声会の俳人を取り上げ続けてもいいような気もしている。あまり手を付けられていない分野なので書く意味はあるからだ。
(四) 巌谷小波 酔大雅妓の夏帯に揮はんと
(五) 徳田秋声 乗合や毛臑なげだすひとへ物
現状の記事は上のごとし。このうち、(一)~(三)のpdfを読めるようにしてありますので、よろしければご覧ください(クリックするとPDFファイルにジャンプします)。