2021年10月18日月曜日

パイクのけむりⅩ ~趣味と反省~   高山れおな

自分の趣味はなんだろうかと考えると御朱印集めということになる。ふつうに一番楽しく、また時間を費やしているのは読書であるが、これは生業とも俳句ともかかわってくるので純然たる趣味とは言い難い。資料として読んでいるのでなくとも、潜在的にはいつもネタ探しないしお勉強をしている感じが拭えないからだ。もちろん、それでも楽しいのですが。

御朱印の方はおよそ何かネタになりそうにないうえに、良くも悪くも努力とか競争とは縁が無いところが文字通りに趣味的と言えよう。と、断わったそばから、競争的言辞を弄するのはなんであるが、私の御朱印集めは、近年の御朱印ブームに乗ったものではなく、格段に年季の入ったものです。いちばん古いものが昭和五十四年(一九七九)十一月四日付けで、東大寺大仏殿と同じく戒壇院、新薬師寺、興福寺南円堂のものだ。翌々年の十二月にも奈良に行っていて、法隆寺、中宮寺、法輪寺、法起寺、薬師寺、唐招提寺で御朱印をもらっている。この頃はまだ小学生だから、奈良には弟と一緒に、父親に連れていってもらったのである。

私の御朱印歴はつまり四十年を超えることになる。しかし、そのわりに御朱印帳は十四冊を数えるに過ぎず、コレクションとしてはいささか迫力に欠ける。この間、コンスタントに御朱印集めを続けていたら、少なくとも四、五十冊にはなっているのが本当だろう。それがこのていたらくなのは、要するに御朱印熱にはなはだしい波があるためだ。小学生時代に二回奈良に行ったあと、私は神社仏閣にすっかり興味を無くしてしまったらしく、中学・高校時代には御朱印を一つもゲットしていない。中学二年から高校一年にかけては、長野県の諏訪市に住んでいたのに、諏訪大社の御朱印さえいただいていないのだ。

御朱印熱が再燃するのは大学生だった平成二年(一九九〇)で、自動車免許を取った私は、父にもらった中古の三菱ミラージュで奈良まで行っている。この時の御朱印熱は、社会人二年目の平成六年まで続き、特にピークの平成四年には六十九個をゲットしている。これは夏休みに和歌山に帰省するゼミの友人を、車で送ったのが大きい。この時、滋賀・奈良・和歌山の寺をかなり回ったのである。それから鎌倉の寺も軒並みという感じで参拝している。

これが一転、平成七年はゼロ、平成八年には二個と低調になる。平成九年は六個、平成十年は十五個、平成十一年は七個で、その後もだいたいそんな調子のいささか煮え切らない状況が続く。平成初期に匹敵する大きな波がやって来たのは平成十八年(二〇〇六)で、この年は二十八個。平成十九年七十二個、平成二十年十一個、平成二十一年二十個と続く。この、平成十九年の七十二個というのが今のところ、私の御朱印年間レコードである。ところがここでぱたりと風がやんでしまい、長い凪がやってくる。令和元年(二〇一九)に至るまで十年に及ぶ完全なブランクが生じてしまうのだ(正確には、平成二十三年に耶馬渓の羅漢寺で一個だけもらっている)。

令和元年五月に京都の貴船神社に参拝した。そこで売っていたオリジナル御朱印帳がたいへん綺麗なものだったので久しぶりに御朱印をいただくことにした。ただし、この年が七個で、令和二年はゼロだから波に乗る感じではない。今年、令和三年の三月に筑波山に行ったのは、独り吟行のつもりだったのだが、句は一つも出来ず、御朱印ばかり六個ゲットした(筑波山神社と大御堂のもの)。しかしなお、本格的に御朱印熱のスイッチが入ったわけではなかった。スイッチが入ったのは、八月十五日に三鷹市美術ギャラリーで開催中の「諸星大二郎展 異界への扉」を見に行き、ショップで諸星先生が表紙絵を描きおろした御朱印帳を入手したのがきっかけである。「諸怪志異」シリーズの阿鬼ちゃんが提灯を持って、化け物たちが潜む夕暮れの森を行くという絵柄。これに胸を撃ち抜かれた私は、この子(←御朱印帖をさす)のために素晴らしい御朱印をゲットしてあげなくてはと心に誓ったのである。

御朱印は御朱印、素晴らしいも素晴らしくないもないのでは、そういうご意見もありましょう。しかし、寺社には格というものがございます。東大寺や興福寺と、そこらへんの町寺を一緒にはできんのであります。平成十九年の御朱印七十九個ゲットというのはやはり少々無理もしている数字で、あえて数を取りに行っております。どうすれば数を稼げるのか。それは、観音霊場とか薬師霊場とかの札所を、できれば車を使って、集中的に回ることです。観音霊場の中でも、西国三十三観音は由緒の重さからして別格です。第一、ルート総延長が二千キロもあって、効率的に数を稼ぐのには向きません。ここで言っているのは、地方地方にあるマイナーかつコンパクトな霊場巡りのこと。都内だとほにゃらら七福神というのが何か所もありますから、それを回ると効率的です。平成十九年の御朱印を見返していて反省されたのは、そういう数字を目的化した御朱印集めをしてはならないということでした。たとえばこの年の十月六日、私は東北某県某市でレンタカーを借り、この種の霊場巡りをして御朱印を十個ゲットしております。しかし、それらの寺の記憶は、全く、何一つ、完膚なきまでに残っていません。要するに、格別の見どころがあるわけでもない、ごくふつうの田舎のお寺ばかりだったのです。御朱印だけあっても、ひと欠片の記憶も残っていない。この虚しさ、つまらなさ……。五十歳を過ぎて知る人生の真実でございます。

九月半ば、半分私用、半分仕事みたいな感じで関西に行く予定があった。大阪市立美術館で開催中の「聖徳太子 日出づる処の天子」展を観て、四天王寺にも参拝するつもりだった。四天王寺の御朱印ならば、まさに阿鬼ちゃん御朱印帳の使いおろしにふさわしい。じつは四月から五月にかけて、四天王寺には仕事で何度か参っていて、谷町通りから石鳥居を入った左側に納経所があるのも承知していたのだが、まだスイッチが入っていなかったので覗いてみることすらしていなかった。それがこのたび初めて納経所に入って驚いたのは、御朱印書きの専属職員が三人もいて、御朱印の種類は二十三個もあるのであった。三百円乗ずることの二十三で六千九百円。全部もらうことも可能な金額だが、それだとまた数字至上主義になってしまうし、なんか違うと思って四個だけいただきました。今後もお参りする機会ごとに、数個ずついただくというのが筋でありましょう。続いて住吉社(一個)、大聖勝軍寺(一個)、叡福寺(二個)、達磨寺(四個)、頂法寺六角堂(四個)、行願寺革堂(二個)、祇園社(一個)、一泊二日で締めて八箇所十九個。大聖勝軍寺、叡福寺、達磨寺はあまり有名ではないかも知れないが、いずれも聖徳太子関連の寺で、特に叡福寺は廟所である。六角堂と革堂は西国三十三観音の札所(二十番と十九番)で、住吉と祇園は二十二社(平安中期以降に朝廷の尊崇が特に厚かった畿内の重要神社)。まさに精選されたラインナップと言えよう。

東京に戻ってからも御朱印熱は続いており、そちらは阿鬼ちゃんのものではない、まだ空欄が残っている御朱印帖を使って集めている。今年いただいた御朱印は、春の筑波山神社以来、二十箇所四十二個になった。それにしても、現今の御朱印ブームのお蔭で、各寺社が御朱印の種類を増やしているのにはやや呆れるところもある。大きな寺の場合はもともと複数種類の御朱印の用意があることもあったが(多数のお堂があり、お堂ごとに本尊が異なるため)、神社はいわゆる名神大社であってもかつては御朱印は一種類だけだった。ところが、さして大きくも古くもない都内某神社に行くと、今や御朱印が五種類もある。初穂料も五百円で関西よりずいぶん高い。五種類の御朱印は書かれている文言も印も同じであるが、紙を模様違いにしているのである。数字至上主義に取りつかれていた頃だったら、全部ゲットしてしまったところだよ。今後は、無理なく、コンスタントに、を原則に、ブランクを作らないようにして集め続けたいものである。