2021年8月15日日曜日

パイクのけむりⅧ  ~セキエツ風(?)読書日記をつけてみた~  高山れおな

 7月15日(木) 
代休を取る。午後、朝日俳壇七月二十五日・八月一日掲載分の選句。ハガキの量が前回の一・五倍くらいあるのに、ピンとくる句が少なく、予選で取った句はいつもの半分くらい。そういうものか。 

 7月16日(金)
東京ステーションギャラリーの「木彫り熊の申し子 藤戸竹喜 アイヌであればこそ」の内覧会へ行く。砂澤ビッキと同世代で友人でもあったが、ビッキと異なり、中央の美術界と関わりを持たなかったため北海道以外では知られていなかった人。熊を中心にした木彫の作家で、置物サイズの作品もいきいきとしていて良いものの、最も感銘したのは比較的晩年の大型作品。特にアイヌの先人(作者の祖母や曾祖父)の等身大の肖像彫刻がすばらしい。 

蓮實重彦『帝国の陰謀』、読了。筑摩書房のPR誌「ちくま」で蓮實先生が連載している「些事にこだわり」というエッセイの第一回・第二回がウェブに上がっているのを前日に見つけてあまりに面白かったので、久しぶりに蓮實先生の本を読みたくなって購入。存在自体を知らなかった本だが、原著は一九九一年刊でその後、ちくま学芸文庫に入っている。「些事にこだわり」は蓮實節全開で、例によってテレビの悪口をこまごまと書いている。しかし、そこにたくさん出てくるニュースキャスターその他のテレビ人の名前を当方は一人も知らないのだった。『帝国の陰謀』は、ナポレオン三世の異父弟ド・モルニーを主人公にしたフランス第二帝政についての歴史評論で、人名ということではまだしもこちらの方がなじみのある名前が出てくる。 

 7月17日(土) 
お中元の礼状を書く。「俳壇」八月号掲載の鈴木明氏の追悼文のゲラを戻す。加藤治郎『岡井隆と現代短歌』、読了。過去二十年程のあいだに書かれた岡井隆論およびニューウェーブについての評論文の集成。 

岡井隆が現代短歌の象徴的存在になっているのは、岡井の同年代の歌人が現在への関心が薄く、一方、若い世代が伝統への志向が弱く韻律に熟達していないという現状に関わりがある。 

この一文が含まれる「第二芸術論の後に――岡井隆の現在」の初出は二〇〇三年。短歌界の外側から見ている限り、その最期にいたるまでやっぱり岡井が現代短歌の象徴的存在であり続けた印象を持つが、短歌界の内部ではどんな感じなのだろうか。夜、第六回攝津幸彦賞の応募作に目を通し、筑紫磐井氏に評点を送る。 

 7月18日(日) 
今朝の朝日俳壇では、 

 祭虚しギリシャの神は死にたるに  朝広三猫子 

という句を一席にした。本格的に蟬が鳴き始める。野中亮介句集『つむぎうた』、能村研三句集『神鵜』、岸本葉子句集『つちふる』、湊圭伍句集『そらみみのつづきを』、『泉鏡花俳句集』、大串章句集『恒心』、読了。鏡花の俳句では、 

 わが恋は人とる沼の花菖蒲 

あたりが、作者の小説世界にも通じる妖艶さで有名なものだろうか。全体的には穏当な詠みぶりで、明治新派の一態という以上を出ないものの、次のような句は面白いと思った。 

 大屋根やのぼりつめたる猫の恋 
 旗太皷雨乞に非ず格列拉(コレラ)遂ふなりき
 午(ひる)の螢ゆびわの珠(たま)にすき通る
 稲妻に道きく女はだしかな 
 すさまじき蕈(きのこ)の椀や榾あかり 

 7月19日(月)
銀座三丁目のゆう画廊で始まった澤好摩・河口聖の二人展へ行く。お二人とも在廊。外山一機も来合わせる。外山は(マスク越しではあるが)相応に年取ったように感じた一方、澤さんは四半世紀来、全く変化していないような気がする。気がするだけで、実際はそうではないのだろうが、いやとにかくお元気ということです。どれにするかさんざん迷った末、〈うららかや崖をこぼるる崖自身〉の絵と短冊のセットを購入する。 

帰宅すると「川柳スパイラル」の第十二号が届いていた。特集は〈「女性川柳」とはもう言わない〉で、歌人の髙良真実、俳人の松本てふこ、同誌発行人の小池正博の三人が、それぞれ力作の論考を寄せている。 
 
俳句史に埋もれた女性の書き手を発掘し、新たに俳句史を書き換えていきたいという野心と、自分のセクシュアリティから解放されて書きたいという野心を、現在の私はうまく両立できていない。女性俳句と括ることの意義と無意味さの間でもうしばらく私(たち)は書いていくことになるはずだ。 
 
これは、松本の文章の終盤の一節。〈自分のセクシャリティから解放されて書きたい〉云々のあたりは、頭では理解できても実感はしにくいようでもあるし、そうでもないようでもある。

 7月20日(火) 
あまり眠れないまま、八時に起床。市原湖畔美術館へ行くつもりだったが、あまりの日差しの強さに遠征する気力が萎え、上野へ行くことにする。東京国立博物館で「国宝 聖林寺十一面観音――三輪山信仰のみほとけ」展を見る。K県立K文庫のSさんによれば、町田甲一先生などは奈良時代後半の木芯乾漆像には点が辛く、聖林寺像にも否定的だった由。当方も過日、同じ東博の「聖徳太子と法隆寺」展で、やはりその頃に作られた伝法院安置の阿弥陀三尊を見てまったく感心しなかった。聖林寺像は伝法院安置の阿弥陀三尊などにくらべれば美しいし、やはり立派なものとは思うものの、興福寺の八部衆・十大弟子や葛井寺の千手観音坐像など、奈良時代前半の脱活乾漆像の魅力には比すべくもない。重くれているわりに作り手の感動が伝わってこないというか、お仕事で作ってます感がただよっているというか。 

 7月21日(水) 
甲斐義明『ありのままのイメージ:スナップ美学と日本写真史』、読了。 

「現代短歌」の九月号の特集は「Anthology of 60 Tanka Poets born after 1990」で、一九九〇年以降生まれの六十人の自選十首と、おのおのが最も影響を受けた一首が並んでいる。その計六百首からさらに、大森静佳と藪内亮輔がそれぞれ十首を選した上で対談するという趣向。二人が共通で選んでいる、小原奈実の 

 灯さずにゐる室内に雷(らい)させば雷が彫りたる一瞬の壜 

に感心する。他の歌もうまい。六百首全部も読んでいられないので、大森・藪内が選んでいる人を中心にいくらか読んでみたが、あまり感心もせず。大森・藪内は八九年生まれで、アンソロジーの六十人とほとんど年は変わらないのだが、彼らの方がずっといい。まあ、当たり前か。びっくりしたのは「最も影響を受けた一首」で、編集部の集計によれば、 

 三票 俵万智 雪舟えま 笹井宏之 平岡直子 小原奈実
 二票 与謝野晶子 葛原妙子 穂村弘 大森静佳 ほか計九人

斎藤茂吉や岡井隆、あるいは石川啄木や寺山修司なども各一票で、塚本邦雄には一票も入らず。塚本に一票も入らずに雪舟えまや笹井宏之に三票ってありえねーって思いましたけど、そりゃもうこちらが古いのでございましょう。ついでに言えば、人麻呂とか定家とか和泉式部とか、古典歌人の名前も一人もあがっていない。俳句で同じく三十歳以下の六十人で「最も影響を受けた一句」を挙げさせたら、まさか芭蕉や蕪村がゼロということはないだろうと思うのだが。うーん、でもやっぱりゼロ? 

 7月22日(木) 
黒田基樹『下剋上』、読了。 

 7月23日(金) 
夜、食事の時、十五分程、テレビでオリンピック開会式をやっているのを見る。二時間後くらいにまた居間に行ったらまだ入場行進が続いていた。仁藤敦史『藤原仲麻呂』、読了。 

 7月24日(土)
 九堂夜想から『安井浩司読本』の一句鑑賞のゲラが来る。すぐ赤字入れて戻す。

 7月25日(日)
 今朝の朝日俳壇では

 正体の見えぬ五輪や蟬の殻  佐藤茂 

という句を一席にして、〈ともかくも歴史に特筆される五輪だ。比較的無事に済む事を祈る〉と選評を付けた。こう書いたのは十五日夜の選句の時で、その後、今日までの十日間のうちに小山田圭吾と小林賢太郎が開会式スタッフを辞任・解任。これは「比較的無事」のうちに入るのか否か。もちろん、無事云々と書いた時に念頭にあったのは主にはコロナのことだったのであるが。

夕方五時に、日本橋の東京長浜観音堂でK文庫のSさんと待ち合わせ。ここは「観音の里」として知られる滋賀県長浜市が、市内の観音像を出張展示する特設スペース。仏像は二か月ごとの入れ替えで、現在は同市南郷町の聖観音立像がおでまし中。院政期の優美な像だ。長浜市職員のOさんにご挨拶して説明を受ける。そのまま会社へ移動して黒田観音について一時間程、Sさんにインタビューする。

 7月26日(月) 
日中は部員の原稿・レイアウトのチェックに追われる。家に資料を持ち帰って、Sさんの談話原稿をまとめる。やや苦戦。『俊頼髄脳』、読了。 

 7月27日(火)
この日も原稿・レイアウトのチェックが続く。夕方、黒田観音の記事の素材をデザイナーに送る。虎尾達哉『人物叢書 藤原冬嗣』、読了。人物叢書は現在も新刊は出ているが、一九五〇~六〇年代の本が多いわけで、これもそのつもりで読んでいたら文章がどうも今風で読みやすく、ついには「インセンティブ」などという単語が出てきたのであれっ?と思って奥付を見たら去年の本だった。 

 7月28日(水) 
黒田観音記事のレイアウトが来る。この期に及んで、Sさんから聖宝について「醍醐寺縁起」他の追加資料到来。しかし、これは盛り込まないわけにはいかない情報だったので、本文を大幅に改稿して差し替えることにする。先日読んだ『ありのままのイメージ:スナップ美学と日本写真史』のブックレビューの原稿、家に持ち帰って書く。さらに攝津幸彦賞の選評を書いて磐井氏に送る。

 7月29日(木) 
午前中、編集部Oさんと来客の応対。マンガ家のU先生について、かなり興味深いお話。Yさんと八月一日の異動にともなう引き継ぎ。 

帰宅すると、新俳句人連盟の「俳句人」八月号が届いていた。「コロナの闇から光に向って」という特集に、俳句三句と短文を寄せた掲載誌である。三句のうち一句は、

 虎狼難惑沈粛々夏季五輪丁か半か 

というのであるが、六月下旬に作った時の気分はこれでよいとして、オリンピックがすでに始まっている現段階で読むと多少間の抜けた感を免れず。 

夜、朝日俳壇八月八日・十五日掲載分の選句。ハガキの量、前回の八掛くらいだが、予選で取った句が通例の倍くらいになった。八日掲載分の方で小学生(たしか三年生)のかとうゆみさんの句を一席にすることにした。 

 7月30日(金) 
井上靖『星と祭』、読了。黒田観音の記事を作った流れで読んだものだが、いろいろ思うところあり。特に現代小説において仏教によって問題を解決することの落ち着かなさはどうしようもない。もちろん、この小説の主人公たちのように、身内の不幸を仏教的なものにすがって乗り越えるということは、こんにちでも現実にたくさんある話であろう。だから決して空疎と言うつもりはないが、神や仏に対する感傷は持っていても信仰は持っていない作者が、同じく信仰を持っていない読者に提示する芸術作品の軸に仏教があるという事実からは、十全な納得は得にくいのであった。井上は仏教文化の表象(具体的には琵琶湖周辺の十一面観音像)を動員しているだけで、主人公たちの思考がことさら仏教思想に依存しているわけではないとはいえ、である。同じような落ち着かなさは、柳美里の『JR上野駅公園口』にも感じたし、三島由紀夫の『豊饒の海』四部作の評価がいまひとつ定まらない理由も同じだろう。人びとが本気で極楽往生を願っていた時代に書かれた『源氏物語』の仏教による解決とは、とうぜん話が違うのである。 

 7月31日(土) 
午後、ゆう画廊で購入した作品(画・河口聖+短冊・澤好摩)が届く。固定電話の方ではつながらなかったので、佐藤文香氏に携帯番号を教えてもらって澤さんに電話。当方のワクチン接種が終わったら飲む約束をする。昨日、大学で二回目のワクチン接種を受けた息子が、熱が出て寝込んでいる。食欲はあるらしい。金子敦句集『シーグラス』、読了。 

 8月1日(日)
遠藤由樹子句集『寝息と梟』、岡田一実句集『光聴』、読了。野田サトル『ゴールデンカムイ』一~七巻、読了。『ゴールデンカムイ』は、以前、地下鉄の駅で盛大に広告しているのを見かけて興味は持っていたが、数日前、斎藤環氏がツイッターで言及しているのを読んでついに取りかかる。藤戸竹喜展を見た影響もあるだろう。タイトルに「カムイ」とあるのでわかるように、舞台は北海道で、ヒロインはアイヌの戦闘美少女なのだ。時代は明治で、主要登場人物の相当数がサイコパスというなんだかすごいマンガ。いや、マンガにサイコパスはつきものながら、これほど強烈なサイコパス全部乗せ状態はさすがに珍しいのでは。 

 8月2日(月) 
御茶ノ水の出版健康保険組合に行き、コロナワクチンの第一回接種。社長室に行って辞令を受ける。夕方から席後ろの書棚を整理。古い資料をかなり処分した。『ゴールデンカムイ』八~九巻、読了。 

 8月3日(火) 
朝からずっと左の上腕が痛い。噂の副反応。森美術館の「アナザエナジー展:挑戦しつづける力―世界の女性アーティスト16人」を見る。午後、編集会議。引き続き広告部と打合せ。ライターのKさんとメールで、山下裕二先生の連載移転の件での打合せの日程を調整。 

坊城俊樹句集『壱』の鑑賞文を書いた「花鳥」八月号到来。『ゴールデンカムイ』十~十二巻、読了。 

 8月4日(水)
腕の痛み、かすかに残るがだいぶ楽になった。配布された「新潮」九月号に、「特別企画1 往復書簡 狂犬楼筒井康隆VS.偽伯爵蓮實重彦 前篇」なる記事が。何気なく読んでいたら蓮實先生の第二書簡に次のような一節を見つけた。 

ここで、わたくしの文学的な経歴をかいつまんで披瀝させていただきますと、小学校の低学年時代から俳句を詠んでおりました。母方の祖父が句誌「馬酔木」の主宰者である水原秋桜子に心酔し、彼に添削を求めていたのですが、こちらは「馬酔木」だの「秋桜子」だのといった固有名詞の音感や字画に興味を惹かれ、それとなく五七五を自分のものにしていったのです。戦後には、秋桜子主催の吟行などに参加し、母とともに武蔵野の丘陵地帯を散策したこともあり、拙作の一句が『少年倶楽部』に掲載されたりしたこともありました。 

蓮實先生が、おそらく「折々のうた」を念頭に置いてだろうが、この頃はやりの俳句の鑑賞などはくだらないとかなんとか書いていた(かなりはるかな)記憶があり、当然、俳句自体も軽蔑しているだろうと思っていたが、幼少期の話とはいえ俳句をやっていたことがあるとは驚愕の新事実。というか、これまでもどこかでお書きだったのかしら。 夕方、浦上蒼穹堂の浦上さんから、先日始まった「北斎づくし」展の件で電話。『ゴールデンカムイ』十三~二十六巻を読む。これで既刊分はすべて読了。 

 8月5日(木) 
朝方まで『ゴールデンカムイ』を一気読みしていたせいで寝坊しそうになるが、なんとか起き出し、「北斎づくし」を見るべく、六本木へ向かう。浦上さんと凸版印刷の担当者の方、入口で待ち受けてくださっていた。展示は壮観。浮世絵のディスプレイとして画期的なものならん。専修大学の板坂則子先生が、学生を引率して観覧にいらしていたのにご挨拶。引き続き、国立新美術館へ寄るつもりで、ミッドタウン内で中食。と、編集部が入るフロア全体のレイアウト変更について至急相談したしとY事業部長よりメール。やむなく社に戻ってY事業部長、Y室長と打合せ。とにかく本を減らさねばと、夕方からまた書棚の整理。資料本大虐殺。不死身の杉元になった気分(そりゃなんじゃという人は『ゴールデンカムイ』を読め)。東京の一日あたりのコロナ感染者数ついに五千人を超える。 

 8月6日(金) 
昨晩寝落ちしてしまった岡井隆詩集『注解する者』を家を出る前に読了。OさんからTさんへの引継ぎに立ち会う。必要があって北澤憲昭『眼の神殿―「美術」受容史ノート』の全体にざざっと眼を通す。 

 8月7日(土) 
黒田杏子さんより恵まれた『増補新装版 証言・昭和の俳句』、読了。二十年前の角川選書版も持っていたのだが、ついに読まないまま手放してしまった。と、思っていたところ、記憶がある話も出てくるので、「俳句」での連載時か単行本でかはわからないものの、部分的には読んでいたらしい。興味深いトピックスに事欠かないのはもちろんとして、いささか誤植が目立つのは遺憾。 

 8月8日(日) 
「井泉」という歌誌から頼まれた俳句作品十五句のうち八句を作る。夕方、図書館に予約してあった『曾我物語』関係の資料本を取りに行く。帰りしなイオンのフードコートに寄ってたこ焼きを食べる。図書館で一緒に借りてきた『宋名臣言行録』の現代語訳のところだけ拾い読み。とにかく、王安石の嫌われ者っぷりがすごい。

 8月9日(月) 
残りの七句を作って「井泉」へ作品送付。散髪へ行く。紙の「翻車魚」五号に発表予定の「自註俳諧曾我」を書き始める。Ⅰ~ⅩⅡ章のうちのⅠ章の八句分をまず書いてみたが、この調子で続けていくと二十ページ以上必要な計算。四号は全体で二十ページだったから総ページ数がほぼ倍増することになる。それでよいかどうか、佐藤さんに相談のメールを送る。

 8月10日(火) 
出勤前、眼科へ行く。極暑。K文庫Sさんに資料返却の件でショートメールしたら電話あり。十日程しか経っていないのにえらくご無沙汰した感じ。深大寺の元三大師像についてのインタビューの日取りを決める。ZOOMではなく久しぶりにK文庫まで行ってもいいのだが、あちらも緊急事態宣言下ゆえ、仕事が終わっても飲めないのが空しいようでもある。 

 8月11日(水) 
夜、朝日俳壇八月二十二日・二十九日掲載分の選句。オリンピックの句、あるにはあるがオリンピック一色という程ではない。山本敦子さんから電話。ご夫君(鈴木明氏)の追悼文を私が書いた「俳壇」八月号が届いたのでまずはお礼をとのこと。先日、高橋睦郎先生からお電話があったお話などうかがう。 

「俳壇」はこちらには未着だったが、別にすごいものが届いた。表健太郎句集『鵠歌*黄金平糖記』。製本は手製のようで、なんと限定十部。二部構成になったうちの「鵠歌(くぐいうた)」は、父君を亡くされたことをきっかけにした五十句の連作。タイトルは、父君の出身地であり、祖父母の家があったことで作者にとっても原風景的な場所のひとつである鵠沼にちなむ由。家族や自己の幼年時代を主題的な核とした作品だが、もちろん強い幻想の色彩に染められている。「黄金平糖記(おうごんぺいとうき)」は、「LOTUS」誌に連載している「天地論」を書き継ぐ合間にこぼれ落ちた未発表作品を集成したものだという。こちらは九十九句。どちらも感心したが後者から何句か。 

 夏草を一夜でよぎる人のなみ
 誤読死なんて典雅まるで蛾老婦人
 ひと晩で滅ぶぬり絵の夏はまべ
 裏山の木になる時間じきに鳴る
 瞬間の湖に宝石みな乾き 

一句目は、安井浩司の〈稲の世を巨人は三歩で踏み越える〉の換骨奪胎かと思うが、この幽霊的な「人のなみ」の不穏さは安井句とは全く異なる味だろう。二句目の「なんて」も安井風には違いない。それはそれとして、孤独死を「誤読死」ともじったあたりが愉快だし、「典雅まるで蛾」の脚韻も洒落ている。大原テルカズの〈血を吐くなど浪士のごとしおばあさん〉の反響もある? 作者としては「天地論」こそ自分の本領という意識なのだろうが、「黄金平糖記」のしばしば言葉遊びにも及ぶ軽快さにも大いに魅力を感じた。

 8月12日(木) 
「俳壇」こちらにも届く。「新・若手トップランナー」のコーナーに大塚凱が出ている。上田信治氏の句会で会ったのは当然コロナ前だから、もう二年くらい経つのか。写真の顔がその時とだいぶ変わっているような気がする。たぶん、大塚氏ではなく、私の視覚的記憶力の問題だと思うが。 

 8月13日(金) 
午前中、九月号校了作業。午後、A美術館の方々とZOOMミーティング。引き続き十月号特集の図版構成の相談を夜までずっと。寝不足もあってへとへと。 

 8月14日(土) 
一昨日、昨日とほとんど蟬が鳴いていなかったが、今日はまた鳴いている。しかし、蟬の季節の終わりも近そうだ。 

奥坂まや句集『うつろふ』、読了。相変わらず言葉に勢いがある。しかし、読んでいてなんだか苦しいのはどうしたことか。前句集『妣の国』が、師や先達、両親の看取りなど〈死者を送る句集〉だったのに対して、この句集は〈自らの死と向かい合う句集となった〉とあとがきにあって、そのあたりのことも関係はしているだろうけれど。 

 ひろびろと波打つ布のやうに春 

という句にいちばん驚いた。そして、そのこと自体になにやら引っかかるのであった。続いて、今井聖『九月の明るい坂』、読了。去年の九月に出たものながら、前回の本欄で述べたように、昨年来あまり句集を読めておらず、この仕儀になった。奥坂さんも今井さんも同じ一九五〇年生まれなので古稀を過ぎたところ。感慨なきにしもあらず。 

 冬海に母と向くとき母怖し
 斬らるるうれしさ雪上のちやんばらは
 井戸蓋に昨日の黄沙残りゐる
 参観後青田まで来て母怒る

こうした、山陰で暮らした少年時代の回想らしい句が多く見られたのは、今井氏としては珍しいことか。特に二句目は、当方もチャンバラ小学生だったので、親近感を覚える。 

 寒星を結ぶと大いなる足裏 

これは、勝手に星座をでっちあげているのであろう。面白い。集中の白眉はしかし、やはり書名になっている、 

 永遠に下る九月の明るい坂 

 ではあるまいか。佐藤文香句集『菊は雪』、読了。だいぶ前に読み始めていたのだが、一気に読む感じにならずこんにちに及ぶ。今回はすでにかなり長くなってしまったので、感想は次回にしたい。