2021年1月15日金曜日

祖母と俳句   佐藤文香

母は俳句結社「澤」に入っていて、すごく熱心というほどではないが俳句を書いている(その話は→こちら)。今回は母の母、つまり私の祖母の話だ。

祖母は三重県に住んでいて、病気をして今は施設にいるが、以前は英会話を習って国際交流に参加するなどかなりいろいろ習い事をしていた。そのひとつに俳句もあった(そう言うと三世代で俳句をやっている家系みたいだけれど、母も祖母も、私が俳句を始めてから俳句を始めたので、私はその二人から俳句を教わったりはしない)。

祖母は近所の俳句講座の先生の縁で廣瀬直人主宰の「白露」に入会し、「白露」終刊後は井上康明主宰の「郭公」に入会したらしい(現在は退会しているだろう、たぶん)。山梨に縁があるわけでもなく、主宰のこともよく知らず、地方のおばあさんがその地域の同人に誘われて入ったという、俳句結社にはいくらでもいる会員の一人だったはずだ。実際祖母は、句会で皆と会い、お菓子などを交換し、いつも猫の句を投句し、調子のいいことを言っては場を盛り上げているつもり、といった雰囲気で、しかし句会や碁会などにはそういった老人を見守る機能もあるので、家族としては祖母が俳句をやっていることをありがたく感じていた(まわりの方に感謝)。

この世代(昭和9年生まれ)には珍しく中学校の国語教員として定年まで働いた人なのだが、退職後はプライドを封じておどけることで十分な友人を獲得し、それに満足し、少なくとも俳句について多くを学ぼうとした形跡は少ない、と孫ながらに判じているところがあり、それについて、とくに残念だとも思わなかった。たまに私の作品が掲載された俳句雑誌を送ったりすると、俳句の先生に自慢したりする様子で、俳句が自慢のタネになるならおばあちゃん孝行もやりやすいものだ、くらいに考えていた。

一昨年からの病気と手術ののち、祖母は施設で車椅子での生活を余儀なくされ、本を読む気も起きず、もっぱらテレビで情報を得て過ごしているようで、俳句雑誌などを送ってもしょうがないかなと思っていたのだが、12月に刊行された『ハンディ版 オールカラー よくわかる俳句歳時記』(石寒太編・ナツメ社)は、カラー写真が多く、文字も大きい部分と小さい部分のメリハリがあり、これなら少しは見ようという気になるかなと、試しに送ってみた。私の俳句も3句掲載されているので、孫の句が載っていると施設の人に自慢できればそれでよかろう、と思った。

祖母からさっそく届いたと電話があった。開口一番、「あやかちゃんすごいなぁ。高野素十や鍵和田さん(鍵和田秞子)や飯田蛇笏と並んで載っとるやんか?」と言う。なぜ鍵和田さんを知っていたのか、鍵和田さんだけ友達みたいに呼んでいるのかはわからないが(だいたい同年代で彼女も教員だったからだろうか。今度電話したら聞いてみよう)、素十や蛇笏の名前がわかるというのは、自分の祖母としては上出来である(という言い方をするのは、私のまわりの80代以上の女性というのは池田澄子、遠山陽子、柿本多映であるからだ。この人たちが凄すぎる)。

さらに、「あやかちゃんの千鳥の句に癒されたわ。あれいい句やなぁ」と言う。これには驚いた。千鳥の句というのは〈ほほゑんでゐると千鳥は行つてしまふ〉で、この句自体はどちらかといえば淋しい、癒すような句ではないつもりだったのだが、たしかに歴史的仮名遣の文字の心地や「ほほえみ」「千鳥」などから想起されるやさしさに、感じるものがあったのだろう。わからないと言われないだけでもありがたいのに、自分の句に思いもよらない副次的な効果があることを指摘されたようだった。句意が読み取れていないことなど、もはやどうでもよい。

「去年おばあちゃん手術したやろ? 全身麻酔からさめて、俳句の作り方忘れたんさ。でもまた作ってみよかな」
「ええやん! 猫川柳でもいいでさ、なんか思いついたら書いといて、で、また見せてな」

祖母がまた俳句を書くことがあってもいいし、なくてもいい。もし一句でもできたなら、私は彼女の作品の読者になりたいと思う。いつか、今までつくったものも、すべてまとめて読みたい。

  木もれ日の神馬の辺り淑気たつ  佐久間尚子
           三重県 全国俳句募集「天の一句」佳作 伊勢おもてなし部門より