元日、年賀状のひと束と共に届いた「古志」二〇二一年一月号をひらくと、巻頭の見開きに「筑紫恋し」と題して大谷弘至主宰の作品が載っている。標題作は、
つくつくし筑紫恋しはわれのこと
で、一連十五句の季語はすべて秋季になっている。この筑紫が九州を指すことは先刻承知していても(大谷さんは福岡の出身)、筑紫磐井の弟子としては一瞬ギョッとしたのは確かだ。しかし、一瞬ではなく、ギョッとがずっと持続している、つまりは感銘した句は別にある。
人類の富のはじめの種を採る
「種採/たねとり」という季語は、近代のもののようで、歳時記には、
台風はきぞに朝顔の種収む 臼田亜浪
枯蔓に残つてゐたる種大事 山口青邨
歯のごとき夕顔の種子瓶に殖ゆ 横山房子
手の平にもんで吹きつつ種を採る 福本鯨洋
といった例句が並ぶ。虚子の新歳時記には、〈春播くべき草花の種を採りをさめることである〉と説明してあって、他の本の記述も大同小異。草花とは、たとえば朝顔・鳳仙花・鶏頭などのことらしい。
大谷は、この「種採」の趣意を過激に拡張して使っている。直接的な行為としては歳時記が言う通り、庭なりベランダのプランターなりに植えた草花の種を採っているわけだが、そこから新石器時代の農耕のはじまりへと連想を及ぼすのは、どう考えてもこの季語が本来想定している用法の範囲には含まれないだろう。
紀元前九千年頃までに、トルコの南東部とレヴァント地方の丘陵地帯で小麦が栽培植物化されたのが農耕のはじまりとされる。以後、中国、インド、メソアメリカなどで個別に(中東からの伝播ではなく)、その土地固有の植物の栽培植物化が開始された。これが人類社会の階層化、分業化の直接的な基盤となり、やがて近現代の人類に未曾有の富をもたらすことになる。プランター(作者はマンション住まいのようなので仮にそのように実体化しておく)から朝顔か何かの種を採る自らのわびしい楽しみを、一万年前の、常に飢餓線上に生きていた人類の祖先の、やはりわびしく貧寒たる、しかし決定的な行為に重ね合わせたところに一句の興はある。注意すべきは、「人類の富のはじめ」という言葉を、ストレートに肯定的に取ることは、少なくとも作者の志向とはすれ違う可能性が高いだろうことだ。
腹の中土ばかりなる蚯蚓鳴く 二〇一〇年
熊の息木の実を喰うてかぐはしき 二〇一一年
一つ足す枝の軽さよ鴉の巣 二〇一二年
初蛙金の涙を溜めゐたり 二〇一三年
土食うて枯れたる声か蚯蚓鳴く 二〇一四年
大谷の第二句集『蕾』(二〇一九年刊)で特徴的なのは、驚くほどの「人類」の影の薄さだ。代わりにそこには、上に引いたような、動物たちに対する濃やかで幻想的な視線がある。端的に動物好きなのかもしれないが、それ以上に私が感じるのは強い人間嫌いの気配である。この作者の今のところ最も有名な句は、第一句集『大旦』(二〇一〇年刊)の標題作ともなっている、
波寄せて詩歌の国や大旦
であろうが、これなども短歌や俳句が栄える素晴らしい国・日本よ、というふうに取ってはおそらく見当違いになる。「詩歌の国」とは日本にして日本にあらざる非在の国なのであり、この句の眼目はむしろ詩歌によって現実(の日本)を相対化することにあるのではなかろうか。私としては、「人類の富のはじめ」にも、一抹の呪詛の匂いを嗅ぎ取ってしかるべきと思う。もちろん、「詩歌の国」とて「人類の富」あってのものであり、そこにはどこまでも両義的なニュアンスがつきまとうことにもなるのだが。
ところで、「人類」の語を詠み込んだ秀句として私などがすぐ思いだすのは、
人類の旬の土偶のおっぱいよ 池田澄子 二〇〇一年
人類に空爆のある雑煮かな 関悦史 二〇〇九年
である。いずれも二〇〇〇年代のものであり、これに〈人類の富のはじめの種を採る〉を加えると、「人類」という言葉が俳句の用語としてかなり熟してきた印象を受ける。過去の用例を自分で広く探る余裕がないけれど、用語別に例句を集めたサイト(俳句季語一覧ナビ)を見ると、
人類に残せし日記読みはじむ 野見山朱鳥
氷河期の人類と共に悴みぬ 相馬遷子
人類明日滅ぶか知らず蟲を詠む 同
あたりが、作者から考えて古い作例だろう(朱鳥が一九七〇年、遷子が一九七六年に没)。氷河期の作など大谷のものと発想的に似ていないこともないが、いまひとつ曲に乏しく、細みに欠けるのを憾みとする。彼らより年上の永田耕衣にも、
人類を泥とし思う秋深し
人類の泥眼の秋深みかも *「泥眼」に「でいがん」とルビ。
などがあって、特に泥眼の句はさすがだろう。ただし、これらの句の「人類」には人類史的な人類という、大谷や池田・関らの句におけるようなニュアンスはやや希薄な気がするがどうか。人類の語自体は古くからある言葉だし(荘子などの古典に用例あり)、耕衣はそもそも人の字を含む単語を多用する傾向がある。上の両句の人類は、そうした老人や人体といった耕衣愛用語のヴァリエーションという感じがする。なお、これらの句を録するのは『泥ん』(一九九〇年刊)で、制作の時期は朱鳥・遷子の作よりぐっと下って八〇年代も末である。
さて、現存作者の句としては他に、
犬と見る人類全盛時の桜 桑原三郎
人類の若かりしとき葡萄摘 長谷川櫂
さらしくじら人類すでに黄昏れて 小澤實
粗衣粗食なりし人類はるいちばん 正木ゆう子
あたりが目につくが、どれもそう悪くはないものの大したこともないという水準のものか。と、人の句を引いているうちに思い出したけれど、私も〈底紅や人類老いて傘の下〉という、そう悪くもないが大したことのない句を作っていました。ガクッ。
以上、少々見た中で、用語の歴史という点で注目すべきは、遷子の〈人類明日滅ぶか知らず蟲を詠む〉だろう。一九五九年の第五福竜丸事件などを通じて日本でも強く認識されるに至った、核戦争の不安が背景にあると思って間違いない。黒船来航がもたらした不安が日本人の国民意識を急速に一般化させたように、核戦争の不安が人類という意識を一般化させた理路は、コロナ禍による混乱がまさに人類という意識を強化しつつある現在、たいへん実感しやすいところだ。
核戦争の不安を背景にした終末意識は以後数十年にわたり、あらゆる表現ジャンルおいて創作の動機をなしてゆくが、朱鳥や遷子の作品と同時代に書かれた俳句以外の文学作品として、たとえば三島由紀夫の『美しい星』(一九六二年刊)がある。この、反核だの反戦だのからおよそ遠い小説家は、同作の中で人類の墓碑銘の草案なるものを示している。自らが宇宙人であるとの意識に目覚めた主人公たちが、人類を存続させるべきか滅亡させるべきか激論を交わす場面で、存続派のリーダー(飯能の資産家で火星出身の大杉重一郎)が、絶滅派のリーダー(仙台の万年助教授で白鳥座六十一番星付近出身の羽黒真澄)に提示するのである。
だが、もし人類が滅んだら、私は少くとも、その五つの美点をうまく纏めて、一つの墓碑銘を書かずにはいられないだろう。この墓碑銘には、人類の今までにやったことが必要かつ十分に要約されており、人類の歴史はそれ以上でもそれ以下でもなかったのだ。その碑文の草案は次のようなものだ。この人類の「五つの美点」について、新潮文庫版の解説で奥野健男は〈超遠距離から眺めた人間の姿〉と言っている。そうも言えようが、私にはむしろ俳句的に、より正確には花鳥諷詠的に眺めた人間の姿という気がする。この傍観者性、余裕を漂わせたほどほどの社会性とほどほどの感傷性が、なにやら花鳥諷詠っぽいのだ。いや、じつは『美しい星』には、そのものずばり俳句絡みのなかなか笑えるネタもあるのだが、もうだいぶ長くなったので、今回はこのへんでやめておくことにする。
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これから毎月一回、翻車魚ウェブに文章を出させていただくことになりました。通しタイトルの説明をしておきますと、パイクはいわゆる「俳句に似たもの」の高山版をさす造語で、第三句集『俳諧曾我』では「パイク・レッスン」という一章を立てております。このパイクを、作曲家の團伊玖磨がかつて「アサヒグラフ」に連載していた名物エッセイ「パイプのけむり」にひっかけたわけです。
團の連載は千回の余も回を重ねたそうで、順次、二十七冊の単行本に纏められました。単行本は機械的に第何巻などとはせず、二冊目が「続パイプのけむり」で、以下、「続々」「又」「又々」「まだ」「まだまだ」「も一つ」「なお」といった語を冠してつづいていくのを、子供心に(父親が単行本をたくさん持っていた)洒落てるなあと感じました。これが、私が日本語の面白さにめざめた最初です(ほんとか?)。