ここに尾鰭が付いて、負けた詩形が滅びるなどの話も流れてきたが、試合が終わって数日経った今でも俳句と短歌は共存しているからそれはどうもガセだったらしい。いずれにせよ俳人と歌人で野球対決をするというニュースは俳壇、歌壇を駆け巡った。俳句、短歌の流れをたどると正岡子規にどこかでぶち当たるが、日本の野球も遡ると子規にぶち当たる。子規が「野球」という雅号を用い始めて135年経ったいま、俳人と歌人がグローブとバットを持ち出して土の上に立った。
俳句は細村星一郎、大塚凱を中心とした詠売巨大軍。チーム名が読売巨人軍のもじりなのはわかるだろう。「巨大」は細村がやっている俳句・短歌のポータルサイトの名前でもある。一方の短歌は藤井柊太率いる文明レッドライツ。「文明」は土屋文明、「レッドライツ」は斎藤茂吉の『赤光』から来ている。この両チームと両詩形の対決を面白がった関係者が観客として大井ふ頭のグランドに集まった。
すぐ試合開始するかと思いきや、詠売側から始球式があるとアナウンスがあった。マウンドに立っているのは「ホトトギス」主宰の稲畑廣太郎氏。試合当日にあった句会で聞きつけて急遽駆け付けたとのこと。子規がかつて「ホトトギス」の選者をやっていた歴史を考えるとよくできた話だった。
序盤は詠売巨大軍のペースではじまった。先攻のレッドライツ側をゼロ点で抑えると、1回から猛攻を見せる。レッドライツの立ち上がりの雰囲気を突くかの様に連続四球でたまったランナーを柳元佑太のランニングホームランで全員帰して4点を先制する。初回からとんでもないビッグイニングになると思っていた。しかし、4点を取られた後は先発相川弘道が落ち着き、追加点を与えない。2回は相川と詠売側の先発伊東夏生が抑えて両チーム無得点。3回表、レッドライツの打線がつながりはじめる。暇野鈴が四球で出塁すると、酒田現から橋本牧人までの4連打で2点を返す。3回裏に1点を返されるが、応援を含めてレッドライツ側がだんだん明るくなる。応援席の伊舎堂仁は「みんなに一首評書くぞー!」って叫んでいる。
そういえばバックネット裏の状況だが、応援席は明らかに俳句側の方が多かった。中には「伊東夏生」と書かれたミニ横断幕(?)も。どこからともなく「ビールいかがですか!!」の声も聞こえる。応援しているとときたま俳句側のベンチから両チームに応援を促す人が出てくる。「俳句側声出してますかー」、「今度はレッドライツいってみましょー」といった具合。一方、短歌側の廣野翔一は野球の担当記者のアカウントみたいに試合のスコアをXのタイムラインに流していた。
グラウンドに話を戻すと、4回は両チーム無得点。4回からレッドライツは捕手をやっていた貝澤駿一が投手として登板し、相川がキャッチャーマスクを被る。仕事で野球の指導をしている貝澤は間違いなくレッドライツの中でも屈指の実力者であり、彼の投球で反撃ムードが高まっていく。5回表、レッドライツはビッグイニングを迎える。詠売側の制球が定まらないため、押し出し四球で2点追加し、1点差とする。さらに暇野のランニングホームランやプレイングマネージャーの藤井のタイムリーで4点を奪い、試合をひっくり返す。8対5、レッドライツ側のボルテージは間違いなく最高潮、タイムラインの歌人たちも弾け飛んでいる。この回のリプレーを何度だって見たい。見せてくれるチャンネルはないのか。
しかし、詠売もまだ終われない、押し出し死球にタイムリーをぶち込み、8対8の同点に持ち込む。しぶとい。
6回表、均衡を破ったのはわれらがプレイングマネージャー、藤井柊太。レフト側へ大きなツーベースを打ち、1点を勝ち越してゆく。藤井柊太の背中が一番大きく見えた瞬間だった。この回はさらに押し出し四球で1点を追加し、10対8とします。このままレッドライツ側が勝つかもしれないという雰囲気を詠売巨大軍がもう1回かち割ります。連打を浴びせて同点、更にレッドライツ側の守備の乱れでさらに2点追加し、10対12と無情にもレッドライツを引き離していく。泣いても笑っても最終回の7回表、貝澤がライトへのヒットで出塁し、さらにエラーに絡めて藤井も出塁。この2人が帰れば同点になるし、ホームランなら逆転も行けるとベンチ、応援席の誰もが期待したものの最後は抑えられてゲームセット。手に汗握る勝負は10対12で詠売巨大軍の勝利となった。
しかし、こんなに白熱した勝負なのに、今回は練習試合だと言う。本来であれば上野の正岡子規記念球場で決戦をする予定が、球場がとれないというよくある現実的な理由で今回は大井ふ頭での練習試合という体になったらしい。6、7月に正岡子規記念球場が取れたら改めて決戦を行う予定とアナウンスされたが、正直待ちきれない。でも待ちきれないのは選手側もそうらしく、レッドライツは記念撮影後に、観客席に居た佐々木朔をスカウトしその場で入団が決定した。皆のシーズンがここからはじまっていく。 廣野翔一(塔、短歌ホリック)