2023年9月18日月曜日

パイクのけむり XXXI ~『八月』十句選~  高山れおな

黒田杏子氏の遺句集となった『八月』は、奥付の発行日が同氏の誕生日の八月一〇日になっている。拙宅に到着したのはいつだったか。いずれその前後なのだろうが、日記にも書いていない。何にせよ澤好摩の俳句について読みかつ書くことに熱中していた時期なので、そのうち読もうと思ったまま積ん読になっていた。そうこうするうちに、藍生俳句会主催の「黒田杏子さんを偲ぶ会」が開かれる九月一七日が近づいてきたのでともかく読んでおこうと取り出した。少しだけ金子兜太の『百年』に似ていると思ったのは、全体が人生を回想するモードに入っているからだろう。もちろん、『百年』に収められているのは、作者の年齢で言えば、黒田氏が亡くなった八十代半ば以降の作であり、眠りや夢を詠んだ句が多いなど、身体や認知の面で加齢の影響が著しい。黒田氏は晩年、脳梗塞をきっかけに脚が不自由になり、俳句でも自らを「あしなえ」と称するなど晩年意識は明らかだけれど、かと言って兜太ほど直接的に老いが句の表面に現われているわけではない。そこはやはり十数年の実年齢の差だろう。

ゆく年のどの星となく慕はしく 2013年 
こういう句を若い人が詠んだっていいには違いないとはいえ、老年の作者の作と知って受け取ると、それはそれで味わいが増すのは確かだ。小林武彦の『なぜヒトだけが老いるのか』という本(たいへん面白い、お奨めです)に、スウェーデンの社会学者トルンスタムが行った、八十五歳を超える超高齢者の心理状態の調査と分析についての結果が紹介されている。小林はそれを受けて、“老年的超越”の心理的特徴を次のように要約している。

1「宇宙的・超越的・非合理的な世界観」
俗っぽいことには興味が薄い
2「感謝」
他者に支えられているという認識と感謝の念
3「利他」  
自分中心から他者を大切にする姿勢
4「肯定」  
肯定的な自己評価やポジティブな感情
 
掲句の方向性は明らかに、小林が言う老年的超越のそれと一致しているだろう。制作時の作者はまだ七十五歳で、超高齢者の年齢には達していないものの、あるいは俳句は老年的超越に人を導きやすいのかも知れない。いや、たぶんそうでしょう。

一句授かる大寒の覚め際に 2014年
新聞俳壇の投句では、夢で名句を得たが起きたら忘れたとか、目覚めて思い返すと大したことなかったというような作を折々に見かける。句にしないだけで、私だって(たぶん俳句に入れ込めば誰だって)そうした経験はあるだろう。そこであっさり「一句授かる」と言い切る黒田先生は、さすが名うての猛者なのである。

花満ちてどこへもゆかず本読んで 2014年
黒田杏子といえば三十年をかけた日本列島桜花巡礼で名高い。その時代であれば「花満ち」る時節に家でじっとしていることなどあり得なかったはず。それが今は……というところに感慨がある。師の山口青邨の〈人それぞれ書を読んでゐる良夜かな〉と唱和する気分も含んでいるだろうか。

沈黙は金ですか蓮ひらきつぐ 2014年
もしかするとこの句集でいちばんの問題作かも知れない。というのも黒田はたいへんお喋りな人だったからだ。私が黒田杏子を初めて見たのは、一九九六年一一月三〇日に開催された「攝津幸彦を偲ぶ会」で、佐藤鬼房が主賓格で挨拶したのだが、その時、黒田はずっと誰かと大声で喋り続けていたのだった(相手が誰だったかは思い出せない)。原稿の分厚い束を持った鬼房の活舌もあまりよろしくなく、しかしともかく愚直の斧という感じで語り続けておったです。司会の筑紫磐井も困った顔をしていたなぁ。黒田さんというのはとにかくそういう調子の人ではありました。

掲句に戻ると、「沈黙は金」というのは、英語のSpeech is silver, silence is goldenという格言の翻訳らしい。対句になった全体を見ればむやみに沈黙を求めているわけではなく、喋るべきか沈黙すべきかは結局のところ時と場合に拠るのだろう。もちろん、宗教方面では無駄なおしゃべりが戒めの対象になるのは洋の東西を問わない。黒田のお喋りで社交的な性向は当然、そのリーダーシップとも結びついていた。無口で引っ込み思案の結社主宰というのはありえまい。そういう人が思わず発した「沈黙は金ですか」という問いだ。はっきり言えば、そう問うこと自体、開き直りなのだろうと思う。なにしろ、素直に解すれば「蓮ひらきつぐ」は自分の止まらないお喋り(を伴った活動)が生み出すもろもろの成果のことなのだろうから。

荒梅雨の明けたる銀河棒立ちに 2014年
「荒梅雨」はすでに「明け」ているわけだが、その語がなお喚起する雨粒のイメージが、「銀河」と映発して美しい。梅雨明け頃の空気感を、力強く捉えている。

    八月十日
染めしことなきこの喜寿の髪あらふ 2015年

前書の「八月十日」は、冒頭で述べたように作者の誕生日。一九三八年生まれの黒田は、二〇一五年のこの日に満七十七歳となっている。白髪を染めないというのは、加齢に抗わず、ありのままを良しとするという選択であり、先に述べた老年的超越のうちの自己に対する肯定感の前提となる態度だろう。「喜寿」の語がよく働いているというか、「喜寿」の語を働かせるための一句に他なるまい。なお、二〇一七年の誕生日には、〈八月十日欲しいもの恐いもの無し〉と詠んでいる。

初夢の奥へ奥へと杖持たず 2016年
「喜寿の髪あらふ」の句の次に並ぶのは、〈斃れたる後の月夜の一遍忌〉で、その冬にはリハビリテーション病院で詠まれた句もある。「杖持たず」のフレーズは、杖が必要になったからこそ出てきた表現ということになる。夢の中のこととはいえ、意気軒昂なのが素晴らしい。

花を待つわれをよろこび花を待つ 2020年
喜ぶ主体が誰かが多少気になる。自分に花を待つ気持ちがまだあることを自分で喜んでいると読んだのだが、直前に〈ほのぼのとめざめてふたり花を待つ〉が見えて、この「ふたり」は黒田夫妻のことだろうから、掲句で「われを」よろこぶのが夫君である可能性もなくはない。ただ、さらに二句前には〈もう何も欲しくはなくて花を待つ〉ともあるから、やはり自分で自分を喜んでいると解するのが素直だろう。生きて花を待っている、そのこと自体が喜びだというのだ。ここまで来るとさすがに、作者の年齢にならないと詠めない句という感じが強い。

一ツ火の闇あしなえのわれに降り 2020年
藤沢の遊行寺で一一月二七日に行われる一ツ火法要を詠む。一年間の悪業を懺悔し、来年の善業を志す趣旨の法会で、広壮な本堂の灯明が順次に消えてゆき、ついに黒暗々の闇に帰したのち、新たな灯火が一つだけ灯されるらしい。一ツ火は当然、仏ことに阿弥陀如来の光を象徴するのだろう。「あしなえのわれに」という把握に滲む思いの深さを味わいたい。

父と母兄弟姉妹ほたるの夜 2022年
「俳句」誌の二〇二二年六月号に出た「ほたる火の記憶」より。〈昭和二十年 疎開した栃木県南那須村の螢〉とか〈昭和二十六年 栃木県喜連川町東町 噴井の町〉といった詞書が見える。掲句は後者、喜連川町の螢を詠んだと思しい。作者十二、三歳頃の思い出を、技巧も何もなく、率直に述べた。子供がたくさんいた時代の家族の情景である(黒田は、兄姉弟妹が各一人いる)。名句とか秀句とか言うようなものではないが、この句の言葉がともかく生きて働いていることは間違いない。

追記
「黒田杏子さんを偲ぶ会」は、九月十七日午後一時から竹橋の如水会館で予定通り開催された。出席予定者は、藍生俳句会会員が二百二十六名、故人の友人・知人が百四十二名で、計三百六十八名。実際の出席者数は多少これに前後するとしても、芋の子を洗う感じであった。もう少し知った顔が見えるかと思ったが、藍生の人が多いこともあって、それ程でもなかった。会は三時半までの予定のところ、当方は二時頃に失礼した。