2023年4月17日月曜日

パイクのけむり XXⅥ ~花より男子五句集感想~  高山れおな

最近出た句集の感想をいくつか。 

大島雄作『明日』 本阿弥書店 2022.4.22
最近出た句集だと思って読んだのだが、いよいよ本稿を書こうと奥付を確認したら一年前の刊行だった。積ん読になっていたもろもろの本が、一年の間にシャッフルされてわけがわからないことになり、最近いただいたつもりで拝読したということらしい。

新緑に入りて育てむこころの帆

もちろん山口誓子の〈炎天の遠き帆やわがこころの帆〉に言葉を借りている。誓子の句が詠まれたのは昭和二〇年(一九四五)八月二二日。つまり戦闘は終わっていたものの、ミズーリ号上での降伏調印すらなされていないタイミングだった。「わがこころ」の内実は単純ではないとして、この句が敗戦の衝撃そのものの、あるいはそこから自己を立ち直らせようとする心意の形象であることは間違いあるまい。一方、大島の句に特徴的なのは「こころの帆」を「育てむ」としていることで、心意のあり方という意味では、誓子の句よりもむしろ茨木のり子の「自分の感受性くらい」の方が近かろう。茨木の詩が自らへの辛辣な叱咤激励という印象であるのに比べれば、ごく親和的で明るい詠み口となっているとはいえ、掲句もまた自分の感受性を自分で守ろうとする態度の表明であるに違いない。

ネガフィルム透かしては捨て緑の夜
父の日の金剛力士像仰ぐ
百歳にならねば虹を歩まれず

一句目は終活の一情景ということになるのか。ネガフィルム自体がもはや前代の遺物であるという大状況と、プライヴェート写真はじつのところ本人(たち)にしか意味がないという事実が重ね合わせになったところにあわれがある。「緑の夜」はフィルムの物質感をさらに強める効果をあげている。

二句目はどこかのお寺の山門の仁王像を見ている場面。仁王像を詠んだ句は、其角の〈からびたる三井の二王や冬木立〉をはじめ現代に至るまで例が多いが、「父の日」と取合わせたことで、彫刻が体現する男性性そのものが焦点化された。仁王像は彫刻としてはじつは碌なものがないというのが、長年、仏像を見てきた者としての実感である。東大寺南大門のものだけが、規模のみならず彫刻的質の点でも突出してすぐれており、あとはまあまあという程度に纏まっていれば御の字で、拙劣な作がはなはだ多い。如来像や菩薩像なら造型的に拙くとも霊性を感じさせるようなケースもあるが、仁王像の場合はそうもいかない。世の大方の仁王像は、基本的に空疎で間抜けなのである。といったようなことも、この句を受取る際の味わいになり得るのだが、作者が仁王像一般について、そこまでの知識やご意見をお持ちかどうかは知らない。

三句目は、作者が古稀前後で詠んだ句であることが、鑑賞の前提になるだろう。百歳まで生きることも充分あり得るが、さすがにそこまでは達しない可能性の方が高く、古稀と言えば立派な老人ながら百歳まではまだ三十年あり、しかし年取ってからの三十年はあっという間かもしれない・・・といったようなあれこれを思いながらの「百歳にならねば」であろう。

形代に息かけ吾はだれだらう
烏賊釣り火丹波丹後の隔てなく
虫籠を買ふ家なのか檻なのか
胡蝶蘭あふれ店の名覚え難(にく)
秋草やダム放水の吼ゆるごと
ボルゾイの如く凩過ぎゆけり

これらの句にも惹かれた。一句目の自己意識の揺らぎ、四句目の軽妙な風俗スケッチと、まことに自在だ。

髙橋亘『機影の灯』 朔出版 2023.3.1
大島雄作氏は句歴四十年以上のベテランで、『明日』は第六句集だった。髙橋亘氏は、年齢は大島氏より十歳上だが、七十歳近くなって俳句を始めたらしく『機影の灯』は第一句集。

雨傘の襞に残りし桜かな
かなぶんに貸したる指の痛きかな
川一つ挟む二駅夏の雲
スキップの少女輪に入る盆踊
若布刈舟昔太陽族の海
虫の音や川面に走る電車の灯
睡る子に睡る母の手冷房車
夏蝶の鍵盤たたくごと舞へり
凩や店の名前に灯が入る
子ら競ふ山なりの尿(しと)たんぽぽへ

総じて一句の面白さのポイントが明快。これは長所でも欠点でもあるだろう。ともかく、手堅く、きっちり作られた作品が揃っている印象。中でも、「睡る子に」の句は、つつましい言葉遣いによる的確な描写が光る好句だと思う。

野上卓『冴返る』 本阿弥書店 2023.3.30
この作者も、髙橋亘氏と同じく句歴は十年強といったところで、本書が第一句集である。やはり基本的に句意明瞭な作りだが、髙橋氏に比べるとかなりケレン味がある。政治や風俗に対する風刺的な視点があるし、人生観自体が一種の翳りを帯びている。

うすらひを渡るサイレントマジョリティ
鳥曇ルオーは神を暗く描く
ダライラマ猊下の思ひつちふれり
遠足の続きを生きてゐる気分
ガガンボやあやしき神の設計図
釣り堀にネクタイ垂らす二人かな
噴水や時間の謎は解けぬまま
昆虫が一番まじめ秋暑し
とりどりの安手の傘も秋時雨
鮟鱇の受口鉤に残りたる

井上弘美氏の跋文によれば、現役時代から戯曲を書き、短歌の方では俳句に先行してすでに歌集が二冊あるらしい。要するに文学志向ということなのだろう。じつはこの人はあちこちに投句していて、収録句の半分は「汀」に載ったものだが、「残る半分は新聞や俳句大会で活字化されたもの」だそうだ。実際、上に引いた十句のうち、「うすらひを」「ダライラマ」「噴水や」の三句は私が朝日俳壇で採ったもので、他にも讀賣・毎日・日経・産経の各紙に投句しているようだ。「うすらいひを」の句は、自分が最初に取ったからというのでもないが、独自性という点では際立っていよう。「サイレントマジョリティ」みたいな長ったらしいカタカナ語が、すんなりと五七五に収まっているのは見どころだし(中八だがほとんど気にならない)、意味性の点でも冴えている。

仁平勝『デルボーの人』 ふらんす堂 2023.3.31
二〇一四年から二〇二二年までの二百六十句を収め、単行本としては第四句集。これもまずとりあえず十句を引く。

づかづかと夏の踊り子号に乗る
夏草の土手を登れば線路あり
店番の子が蜜豆を食べてをり
生き残りたる雀荘の秋灯
楽隊の背後に冬将軍がをり
初夢の弟生きてゐて威張る
日が暮れて聞き覚えある秋の声
長き夜の初めのはうに寝てしまふ
マネキンの頭つるつる寒波来る
駅前に食堂があり山笑ふ

大島雄作、髙橋亘、野上卓の三氏は、句歴にはかなり幅があるし、作風だって少しずつ違う。しかし、俳句に対する態度にはこれといった違いは感じられない。というのも、仁平氏を横に置いた場合の話で、年齢性別でくくるとみんな七十代男性になるのだが、仁平氏は他の三人とはなんだか違うなあと思うわけである。その理由を考える上で、あとがきに次のようにあるのが参考になる。 

五七五のリズム自体は、いわば通俗である。そして俳句は、自身の通俗さから出発し、その通俗さを対象化する詩なのだと思う。

これを俳句一般の話とするとなんだかよくわからない。しかし、仁平氏の俳句のことと考えればすんなり腑に落ちる。いや、俺は俳句一般の話をしているんだと氏は言うだろうけれど、やはりこれは態度論的にかなり例外的な立ち位置だろう。実際、先に見たお三方などは、句風から言えば「通俗さから出発」することを必ずしも嫌わない人たちのような気もするが、「その通俗さを対象化する」ことは考えたこともないものと推測する。このあたりが当方の「なんだか違うなあ」の一応の説明になろう。で、私は、仁平氏の句集を読むのに前後して、仕事の関係で、大田南畝関係の本に少しく目を通していたのだが、おお、仁平俳句は天明狂歌じゃんということに気づいてしまったのである。

天明狂歌というのは、古典和歌の言葉をもじりつつ当世風俗を詠むといったあたりがジャンルの中核にある志向で、古典和歌のような用語の制約はないものの、詠み口は案外上品で、風刺性を忌避していた。正系和歌(同時代であれば桂園派など)に対する通俗という自らの立ち位置に完全に自覚的だったのは言うまでもない。仁平の今回の句集ではもじりはそれほど目立たないが(引いた十句のうちでは〈づかづかと夏の踊り子号に乗る〉が高野素十の〈づか/\と来て踊子にさゝやける〉のもじりになっている)、初期の『花盗人』や『東京物語』にはその種の句ばかりが並んでいた。天明狂歌の風刺性の忌避は、仁平の時事俳句嫌いとパラレルだろう。その上で天明狂歌は江戸自慢の方向へ走るのだが(一八世紀後半は、江戸に上方に対抗できるだけの文化的実体がようやく備わった時期だった)、これは仁平俳句における“聖代としての昭和中期庶民文化”の礼讃と対応する。掲出十句のうちでは、〈店番の子が蜜豆を食べてをり〉が典型的。昔はああだったね、こうだったねというのを俳句の形にして一緒にしみじみしようというのが、つまりは仁平の句集の全体に通底する気分なのだ。仁平でなくともその種の句を作る人はそれなりにお見掛けするものの、みなさん仁平ほどのこだわりはないし、自覚的でもないので、そこが仁平の異質性として際立ってくる所以であろう。 

北大路翼『流砂譚』 邑書林 2023.4.1
やはり第四句集である。興に入った十句を挙げる。

寒夕焼ラードで揚げる鰺フライ
殺伐とシチューを作つてゐるところ 
刻み海苔どれも困つた眉に見ゆ
埼玉と群馬の喧嘩海の家
さうかもな僕はビールでできてゐる
乗り換へのむわつと夏に再会す
向日葵のうなだれてゐる平和かな
寒鯉の百万円の眠りかな
孤独死の蚊遣に白き渦残る
つまんねえ石になつたなおばあちやん

北大路翼氏は、通俗というよりは、俗悪から出発して、自らの俗悪さを対象化することに自覚的とすべき人か。その自覚的という限りにおいて、仁平氏の句にも多少味わいが似ていなくもない。仁平氏が六十年前の庶民文化に対する愛惜を根拠にしているのに対し、北大路氏は引き延ばされた青春を愛惜するごとくだ。それにしても、二〇二一年、二〇二二年の二カ年の作で収録五百五十九句というのはさすがに無理があるのではないかと思った。加藤楸邨なんかもそんなペースだったからそれに倣ってるのかもしれないが。