2023年3月18日土曜日

生物でも無生物でもないものが作りだす場 ー西川徹郎についてー   関悦史

 芸術は近代に入ってから、人の苦痛や苦悶を積極的に扱うようになった。ダダ、シュルレアリスム以降の作家には限らない。エゴン・シーレの表現にも悲惨な主体がその傷口を開き、折り畳みなおしていくような過程が見て取れる。
 西川徹郎の俳句作品にもそうした傷ましさの感覚は充ち溢れているのだが、重要なのはそこで心理的なものに絡め取られて同調してみせることではなく、そこに現れた美と欲望を肯定性に向けて読んでいくことだろう。句の言葉たちを作者の心理に向けて収斂させるのではなく、そのどこへとも知れない躍動をより加速させ、解放させること。

   遠景がわが黒猫に食べられて   『無灯艦隊』
   馬の瞳の中の遠火事を消しにゆく
   海女が沖より引きずり上げる無灯艦隊   『定本無灯艦隊』

 これらの句にはスケールと遠近法の混乱が取り入れられている。
 三句目、海女が引きずり上げるものは波打ち際には位置しておらず、およそ人体と人力の及ぶ範囲を度外視して「沖より」の一語が挿入され、それに従って「海女」も単なる職業婦人であることを逸脱した得体の知れない権能を帯びた存在となる。
 さらに引きずり上げられる物も自然の海産物でもなければ生物でもなく「艦隊」、しかも「無灯」という断り書きと、海底を暗示する「上げる」によって暗黒性の刻印を帯びた艦隊である。海女に収穫されることにより、この「艦隊」はただの機械ではなく、生物とも無生物ともつかないカフカのオドラデクじみた、言葉のなかにしかその住処を持たない存在となった。「艦隊」は軍艦を思わせ、戦死者の換喩の趣きをも帯びはするが、そうしたストレートな指示性からははみ出し、それによって詩の言葉となっている。イメージとしては判明でありながら明晰にはならず、曖昧であり続けるもの、その結果、意味の輪郭を失ったものが埋もれたものとして、大洋があらわれるのだ。
 俳句に限らず「前衛」を志向する言葉は、大勢に抗い反逆する自己というヒロイックな屹立、または孤絶を示すものだ。西川徹郎の句にしても、前衛俳句的な出自が色濃く見える初期作品、たとえば《少年の暗い花束 巨船溶ける》(『無灯艦隊』)、《癌の家系ふしぎな無数の落下傘》(『瞳孔祭』)などにはそうした雰囲気が濃厚だし、以後一貫して西川徹郎に「世界とはこうしたものだ」と、全体の見取り図を鳥瞰するような視座から提示する句はほとんどあらわれず、その描き出すところは、あくまで目の前に出来しつつある事件や光景に特化している。西川徹郎の句はわれわれが生きるこの世界を一足飛びに定義づけたりはせず、それどころかジャンルファンタジー的に異様な光景を描き出して別世界を創造してみせることに主眼があるのでもない。主体に異様な苦痛と生き難さ、惑乱をもたらすものとしての世界、生きられた経験としての世界を、その惑乱ごと形象化することが主眼なのである。
 西川自身はこれを「実存俳句」と呼ぶが、実存とは混乱した自己の生のことにほかならない。
 そしてこの方法は、既にまとまってしまった自己以外のものと出会う機会を、写生による外界の再現という回路を通して担保し続ける多くの俳句とは違い、内部に取り込まれ、喩化されたものたちをしか句に取り込めないという困難をともなう。ありていに言えば、同じ話の蒸し返しに陥りやすく、西川の膨大な作品群もその弊をまぬがれきってはいないのだが、進歩も成長もせず、合理性による説得の類もいささかも受け付けず、同じことのみをひたすら反復し続けるというのは無意識のありようそのものでもある。吉本隆明はその西川論で、「意識の上に無意識が乗っかっている」「かれは言葉を意識から拾ってきて無意識の上にのせる」と述べたが、これは奴隷市場の光景がそのままヴォルテールの肖像にも見えてしまうダブルイメージを駆使したダリのパラノイアック・クリティックに対する説明としても流用し得る言葉だろう。意識されている、目の前に見えている光景が、同時にそっくり意識されざる別な何かでもあり、表現する主体はその別な視界を意図的に用いることで、事実を超えた現実を提示するのである。だからダリにせよ西川にせよ、作者当人に狂気に蝕まれた雰囲気はない。
 ここで「実存」=壊乱した生から逆照射して世界を錯乱させ、同時にそのことによって別の秩序を形づくるという装置が生きてくる。
 つまり西川にとって外界とは写生の対象として自分の外側に安置されているものではなく、記憶の海のなかに取り込まれ、自己の刻印を帯びて異形化したものとしてのみあり、また逆に自己とは、錯乱としての世界を力ずくで統合せんと欲望する主体としてのみある。内部は外部であり、外部は内部なのだ。
 遠近法の混乱と、その結果としての「判明でありながら明晰にはならない」ものたちを住まわせた「大洋」性の出現は、そうした位相的な特質から起きる事態である。「遠景」を食べる「わが黒猫」(近景)、「馬の瞳」(近景)の中の「遠火事」(遠景)は、遠さと近さとが狂い、その中で捕食や遠火事といった不穏な事態が起きている。これらは心理状態の反映として読まれる回路を残しつつも、その「心理」が陳腐にも中心化してしまう自己をグロテスク文様の人と唐草の絡み合いのなかへと拡散させてしまうのだ。西川徹郎の句がこれだけ自己にばかりこだわり、苦と混乱ばかりを描きながら、そこから逸れ出ていく愉楽をあわせもっているのはそのためなのである。前衛俳句的語法に徹しながら、写生的な自己解消とは別のルートによる救済としての無救済の道を見つけだし、それが反復されているのである。
 その結果として、「馬の瞳」に限らず世界の至るところに穴が開き、ときには空間ばかりでなく、時間も超えて繋がりあう。

   佛壇のなかを通って月山へ   『月光学校』
   箪笥からはみだす姉のはらわたも春   『家族の肖像』
   湖底の草が肛門にふれ眠られず   『死亡の塔』
   桔梗に混じり見ている母が兄産むを   『桔梗祭』

 仏壇を拝するとき、われわれは仏壇そのものではなく、他界を意識している。霊場である月山への連想は、その経験の裏打ちにより共感し得る。だがこのシンプルな句に組織された言葉の詩性はそれだけによるものではない。仏壇の造りがもたらす建築を前にしたような感覚は、当然その奥に入ってみたいという欲望を起こさせる。しかしわれわれは普段それを意識しない。見慣れた「仏壇」という記号として処理しているからである。普段眠っている、仏壇の形がもたらす欲望、それを目覚めさせた結果、この作中主体は仏壇の中をさまよい歩きはしない。ただちにそこを通過して「月山」へと至ってしまう。
 「月山」はいうまでもなく実在の地名ではあるが、ブツダン、ガッサンの重厚な音韻をもって仏壇とつりあうばかりでなく、「月の出ている山」引いては「月のもとでしか存在しない山」という非実在性をも共示する。 
 これはこの世からあの世への越境ではない。ガッサンとつりあったブツダンのこちら側も初めから他界的な月のもとになるというべきだろう。
 西川徹郎の句では越境が何らかのロマン主義的心性、遠い未知の世界への憧れにつながることはない。向こうもこちらもグロテスク文様的に遠近法を欠いて始めからつながりあっており、その結節点の奇妙なねじれが呼ぶ生気と怪しみをたどり、通り抜け、通じ合うことが主眼なのだ。それは西川句における自己確認にして世界確認の所作なのである。
 そしてその結節点として見いだされた物件たちの何と妖しくも懐かしいことか。 
 日本家屋の薄闇につつまれて想像力の一人遊びにふけりつつ家の各所に見入った子供であった全ての人にとって、その形態と質感が持つ潜在性を野放図に解放した仏壇や箪笥は、無灯の艦隊と同じく、もはや生物でも無生物でもなく、そこにおいて自分の仲間である。
 繰り返すが、ここに至れば、それを書き=読む者たちも同等に生物でもなければ無生物でもない何ものかへと化している。だからこそ、二句目で姉のはらわたが、単に腹部と同様何かをしまっているという共通性しか持たない箪笥からはみだしてもこれを惨事としてではなく、「春」の到来を示す風物詩ででもあるかのように描かれても何の不自然さももたないのだ。
 もっともこの一見したところ穏やかさを保っている句から、逆に「春」というものが持つ、腹の中をかき乱すような惨さが改めて意識されたりもするのだが、この「春」にしたところで、単なる四季のひとつを示す言葉であるのかどうかははなはだ怪しく、無灯艦隊や仏壇や箪笥などの物件と同じ資格をもって生物とも無生物ともつかない無明の生気のなかに息づいていないとは限らないのである。
 音の上での駄洒落のような繋がりと横滑りから、夢のなかで奇怪なイメージ転換がなされることがあるのは精神分析的にはよく知られたことらしいが、この「春」は「張る」に横滑りして、腹が張ることによって中身を溢れださせたというイメージも生み出してしまう。この過剰さに張りつめた箪笥=姉の連合物は「春」の共示によって、何とも若々しく、しどけなく、エロティックですらある。
 三句目も、さわられる肛門とその結果の不眠の煩悶が露骨に性的ではあるが、その繋がる先が「湖底の草」という点に注目すべきだろう。「コテイ」「クサ」「コウモン」でk音の頭韻を踏んでいるというだけではなく、「クサ」が「くさい」への横滑りも潜在させながら、「湖底」と「肛門」がどちらも、見えない部位であるという類同性によって繋がっている。そして「草」にせよ「箪笥」にせよ、あるいは「月(の出ている夜の)山」にせよ、その盲目性が際立つ。これらは懐かしみ、親しみを帯びることとともに、文字通り盲目的であることによって無意識性を体現しているのだ。
 四句目は「見る」ことが前面に出てきている。ただし目撃されるのは兄の出産シーンであり、ここでは作中主体は時間をさかのぼってしまっている。つまりここでは彼が混じり込んでいる「桔梗」が仏壇と同じく狂った遠近法の通路=結節点になっているのだ。
 「桔梗」に「隠れ」ではなく「混じり」であるところも注意が必要で、作中主体は箪笥=姉のように、桔梗とも人ともつかない別な何かへと変容してしまっている可能性もある(ここでも「桔梗」=「帰郷」という音韻の横滑りが含まれていることをわざわざ言うべきだろうか)。はらわたを出している姉といい、桔梗に変じている可能性があったり、仏壇を通り抜けてしまったりする作中主体といい、彼らは皆、生物とも無生物ともつかないというより、生きているのか既に惨死しているのかがわからない存在となっている。
 生死を明らめるというのは仏家に限らず、俳人にとっても実作の上でひそかに、あるいはあからさまに鍵となるところであり、優れた俳人の句は自覚的であるとないとを問わず、結果的に、それぞれ独自の方法において、生と死の領域の位相を幾何学的に布置しおおせてしまっていることが多いのだが、じつは西川徹郎句において生と死の両界を組織しているのが、この、生きているのか死んでいるのか、この世にいるのかあの世にいるのか、生物なのか無生物なのかわからないものとしてさまざまな物たちと通底=合体し合っては跋扈している主体なのだ。
 彼らは単に夢や無意識にいるのではなく、西川徹郎の句も夢や無意識の幻想をなぞっているわけではない。彼らは生身の作者個人の苦悶を色濃く帯びつつもその心理性の枠内にはとどまりきらず(作者個人の心理的なつらさや寂しさ、怒りに「共感」するというような貧しい回路に作品を閉じ込めてどうなるというのか)、この世とあの世とを独自の仕方で組織化しているのである。
 俳句に限らず、芸術すべてがそもそも死や神や超越性と関わっている。西川徹郎の作品は、俳句におけるその達成のひとつと見るべきであろう。
 これは作者自身が救済されたり、悟りを得たりということとは次元の違う話である。その心が良いから人を殺さないのではなく、その心が悪いから人を殺すのでもないという一事にひそむ偶発的なことがらの絶対性に近い機微が創作と作者の間にもあると考えるべきなのだろう。念仏を繰り返し唱えるように句作に耽り続けた結果あらわれた、これはひとつの奇観である(「南無阿弥陀仏」を唱え続ける主体は「自己」なのか、それ以外のものと通底=合体し、内部がそのまま外部となった、生物とも無生物ともつかない何かなのか)。

   ぎゃあぎゃああれは屋根の上の眼球   『家族の肖像』
   ねむれぬから隣家の馬をなぐりに行く   『瞳孔祭』
   父はなみだのらんぷの船でながれている   『瞳孔祭』
   浴室にて死児が青葉を掻き毟る   『家族の肖像』
   爪の生えた道が便所で止まっている   『家族の肖像』
   祭あと毛がわあわあと山に   『家族の肖像』
   きゃあきゃあと鯖裂く東の寺がある   『月山山系』
   犬を孕んだ嫁が路上で吠えている 『幻想詩篇 天使の悪夢 九千句』

 西川の句は重い実体感を欠いているわけではないにもかかわらず、俳句作りのセオリーに反して動詞が多い(普通はなるべく動詞、形容詞など用言の多用は避けるべきとされている)。
 一句目の屋根の上で騒いでいる眼球は句の形としては体言止めになっているが、他は概ね動詞で止まっている(六句目は助詞「に」の言い差しで止まっているが、これはこの後に「集まる」「群がる」といった動詞が省略されているものと見られる)。
 狂った遠近法のもとで、他所へと抜け出てしまい、あるいは通底=合体してしまう西川句の特質を、より一般的な句の姿に収めているのが、この動詞止めの多用なのだ。彼らは動き、騒ぎ、変容し、それでいて同時に、その動き自体のなかに安住してもいる。つまりこれらの句では動態にあること自体が、生きつつ死に、死につつ生きる西川的コスモロジーの土台を成しているのである。これらの句の動詞は仏壇、箪笥、桔梗などと同様、それ自体が穴であり、通路であり、この世=あの世なのだ。
 一句目「ぎゃあぎゃあ」の後には「騒ぐ」が略されていると見てよい。「騒ぐ」という動詞・動態によって「眼球」は本来収まっているべき身体を抜け出し、生物とも無生物ともつかない奇異な何かとなることが出来る。静まっていてはならないのだ。
 二句目、単に隣家の馬が八つ当たりされているように見える。実際の行動であればそれ以外の何ものでもないのだが、ここには不眠の原因として「隣家の馬」が見いだされている。「ねむれぬ」という動態は、「隣家の馬」の潜在性によって起きているのだ。「隣家の馬」は「湖底の草」と同じく、「隣家」であるにもかかわらず遠近法を無視した遠い異界となる。そこまで通り抜ける行為として描かれているのが「なぐりに行く」なのだ。西川には句集『無灯艦隊』二既に《不眠症に落葉が魚になっている》があったが、眠れない状態とは、死でも生でもなく、自己はあるにもかかわらずその自己が誰でもなくなる状態である。哲学エマニュエル・レヴィナスは、収容所体験からそれを「イリヤ(il y a)」=「ある」と呼ぶ。この絶望的な状態を、生死のコスモロジー立ち騒ぐ「南無阿弥陀仏」にまで引き上げることが西川の句作にひそむ動機、動因でもあるのだろう。
 三句目は悲しい父の姿だが、「なみだのらんぷの船」という通底=合体が童話的な詩情を生み、同時に西川句における仏壇的通路ともなっている。この「ながれている」は「なみだ」(悲しみ、液体)から「らんぷ」(明るさ、固体)への変化を経て「船」(小さかった「なみだ」や「らんぷ」から自分を包み込む大きなもの)にまでなる動き自体が悲しくも明るい安住の相なのだということを示している。
 四句目の浴室と死児は水気によって繋がりつつ「青葉」を掻き毟っている。本当に死に切っているならば生への嫉視も苛立ちもなく大人しく横たわっているはずであり、「浴室」(屋内)と「青葉」(屋外)も通常の位置関係を無視している。この曖昧な場所において「掻き毟る」という動作を続けることによってのみ、「死児」は生物とも無生物ともつかない西川的存在としてグロテスク文様のなかに生動し続けることができるのだ。
 五句目、「爪の生えた道」は西川的存在のなかでも出色の怪物だが、動詞には違いないとはいえ「止まっている」のが珍しいといえば珍しい。「爪の生えた道」と打ち出した時点で箪笥=姉のような合体による怪物化は済んでしまっており、なおかつ爪が生えるというのはぎゃあぎゃあ騒ぐのなどとは違って盲目性の強い無意志の動きであり、生命感を帯びながらも、姿としてはかなり無生物寄りである。「爪の生えた道」は「便所」を通って「月山」などへ抜け出る必要がない。ここでは便所で「爪の生えた道」に指し示された作中主体がその動性を受け止めているのみだが、しかしこんなものが見えてしまう作中主体自身がすでに仏壇なみの通路性をその身に帯びているとも考えられる。他界との組織化を含みながら妙に静かに落ち着いた句の風情はそこから生じているのではないか。
 六句目も「祭」は終わった後である。体の一部であることをやめた毛(爪と同じく盲目性の強い無意志の生育を示すものだ)が寄り集まってくる。静かであるべきところだが、爪のように道と合体することによってではなく、「わあわあ」と騒ぐことによって怪物化、独立化を果たす点は先の「眼球」寄りだ。「祭あと」の「山」という無生物と結びつくことで、これから「爪の生えた道」のような静かな様態へと育つのかもしれない。
 七句目、《きゃあきゃあと鯖裂く東の寺がある》は僧たちが鯖を裂いていると思しいが、生臭ものはご法度のはずの寺(それも「東の」とことさら未開・神秘の暗黒性が共示された)で殺生が行われているというのが何とも禍々しいが、「鯖」も「東の寺」も今まで見てきたとおり、完結した個体と見るべきではない。どちらも生物であり無生物であり、「きゃあきゃあ」騒ぐ動態にあることもその交通(にして安住)の相なのである。恐怖と愉楽が一体となった「東の寺」は死生、個=群の境を越える騒乱の現場として自足しているのだ。
 八句目、《犬を孕んだ嫁が路上で吠えている》の「吠えている」犬=嫁は因果物めいた救いのなさを感じさせるが、これも西川的存在のひとつのありようだろう。
 西川的存在が、遠近法の狂いを通して通底=合体し合い、内部が外部であり、外部が内部である、生物とも無生物ともつかない怪物として、この世とあの世を同一の場にしてしまう存在であることはこれまで述べてきたとおりだが、この自己であって同時に成仏したに等しいありようが、自己の地獄へ傾くか、成仏へ傾くかは、その膨大な句のなかでさまざまに比重を変え続ける。「南無阿弥陀仏」を唱え続ける主体も没我に徹している時ばかりとは限らず、自己の来し方のあらぬ記憶が心を過ぎる瞬間もあり、その全てを含んだ際限ない反復が西川の句業なのだ。