2023年3月18日土曜日

小山玄紀句集『ぼうぶら』メモ  佐藤文香

小山玄紀句集『ぼうぶら』(ふらんす堂)を読んだ。

白からはじまる三句。

白山茶花こぼれ太鼓の中の日日
白シャツ著て神の勉強捗りぬ
白い花批判しておいて橋渡る

一句目、最後まで読むと二つのことがわかる。一つは、白山茶花は太鼓の外のものであること。もう一つは、その日々を白山茶花は咲き、散っていくこと。太鼓の中には、太鼓の皮の部分から透けて光が入ってくるだろうか。白山茶花と、太鼓の中の空間との恋、とまで言うと言い過ぎだろうか。
二句目。神という目に見えないはずの(あるいは架空の、偶像の)存在が、私たちの知っている「白シャツ」で「勉強」している。神が我々側に降りてきているとも取れるし、そこにいる君こそ神とも言えるし、雲の上のようなところで我々同様受験勉強のようなことを神たちがやっていることも想像できる。
三句目、見どころが二つ。一つは、「白い花」が季語でなく、「橋」もどこかの○○橋でないという、フラットさ。もう一つは、中八の「しておいて」。「一方で」という意味でもいいだろうが、もう少し加えれば「それは置いておいて」、さらに「そのくせ」とも。この部分の滞空感。

どの句においても白のイメージが目に残る。
きっとそのイメージが、この作家に句を書かせている。

続いて、牛と馬と鹿。

君の牛悲しさうなる溽暑かな
とても長い馬と少しだけ怖い馬
避暑の姉妹それぞれに鹿のイメージ


一句目。君の牛は、君が飼っている牛なのかもしれないが、守護霊のようでもある。
二句目、馬が二頭いる。長い方の馬は、たぶん胴が長い。怖い方は、どこが怖いかはわからない。二頭いると言ったが、本物ではないと思われる。少なくとも片方はとても長いので。ただ、絵というよりは、存在が立ち上がって見えている。
三句目、姉妹の思い出のビデオのようだ。山荘の前をしなやかに遊ぶ二人の像に、鹿の像が重なる。これもやはり守護霊的である。

動物の印象。きっとそのイメージが、この作者には“見える”のだ。
見えるといえば。

揺れてゐるものを尊く思ふなら

思うなら。 
揺れている空間。残像と、そのあとの時間。
イメージが四次元の薄いケースに保管される。
残像は色褪せつつ、しかし華やぐ。

ほかにいいと思った作品。

絶えず鏡へ流込む谷の噂
船頭の歌ふ間に巣は壊れ
宮殿に郵便来り蓮の花
弓の重心雪国の子等真剣に
氷上の旅忽然と典雅なドア