2022年12月15日木曜日

「隙自語乙」考  佐藤文香

「隙自語乙」とは「隙あらば自分語り乙(お疲れ様)」の略だそうだ。私は自分がまさに「隙あらば自分語り」タイプなので、きっと皆にこう思われているのだろうけれど、自分語りをするのがよくないということがイマイチよくわかっていないため、自分語りをし続けてしまう。

まず、私は他人の自分語りを聞くのが好きなので、自分が先手を打つ、ということがある。たとえば自分が出身地を言えば、相手も出身地を言ってくれることがある。もし言ってくれなくても、私の出身地に来たことがあるとか、特産品とか、話し始めることができる。話が弾むではないか。
なぜ他人の自分語りが好きかと言えば、基本的に他人に興味があるからである(興味のない場合ももちろんあるが)。「隙自語乙」と思う人は、そう思う相手のことが好きでないのはもちろん、好きな相手であってもその人に興味がないなどという謎の現象に見舞われているに違いない。私など、好きな相手でなくても自分語りの方には興味がある場合が多く、一人で飲み屋に行き、しばしば知らない隣の人の身の上話を聞いており、最終的に相手におごってもらってしまうことまである。その身の上話を引き出すには質問をするだけではなく、自分の情報を随時供給し、相手に「自分ばかり話して恐縮だ」と思わせないことが大切だ。
相手のことをたくさん知りたいときも、質問ぜめ、Q&Aになってしまうと相手が疲れてしまう。飲み屋などにおいては相手に話してもらって、少し落ち着いてご飯を食べてもらう時間をつくるために私の自分語りは欠かせない。相手にリラックスしてもらうためには、自分が提供する話が聞き逃してはならない重要なものであってはならない。
また、自分は本を読んだり映画を見たりしないため、感想を共有する、などということになり得ない。唯一のインプット型の趣味ともいえる宝塚でさえ、お芝居よりそれぞれの生徒に興味があるから、言ってみれば身内や友人の話の延長のようなことになってしまう。自分や相手、知っている人の話をするのが好きなのだ。

しかし、はじめにも言ったとおり私の自分語りに興味がない人も多かろう。なんなら、別に自分語りをしたくない、という人も多いと聞く。みんなもっと小説や映画の話をしたいのかもしれない。そういう場合私はその相手とどういったコミュニケーションをとればいいか。

一番いい方法は、相手と自分の1対1ではなく、自分とあと2人、趣味が合いそうな相手Aと相手Bにすることだ。そうすれば、基本的には相手Aと相手Bが話し、それを聞いていられる。自分はドリンクや料理を注文し、たまに「カツオうめぇ!」などと言っておけばいい。尊敬する友人であるAとBの話は自分にとって有益な場合がとても多い。居酒屋であってもメモを取ったりする。ふたりの話がつながらなくなったところで少し私が自分語りをすれば、案外盛り上がったりするものだ。
1対1の場合は、一緒に絵画やライブなどを見に行き、その感想を言い合えばいい。あるいはおいしいものを食べ、飲み、それについて感想を言い、わからないことを質問すればいい。ここ10年くらい、自分の知識や思考はほとんどこういう現場で培われてきた。要するに、自分の持ち札が自分語りしかなくても、相手の話を丁寧に聞いたり、その場で感想が言えたりすれば、学ぶことは多く友達も増えるということである。
何度も同じ相手と飲むときには、自分語りネタが重ならないようにしていかないといけないが、「またあの話か」と思ってくれているあいだは話を雑に扱ってもらうことができるので、案外何度も同じ話をするのも悪くないのではないかと思う。二度目だなと思ったときは、メニューを見て次の料理を頼んだり、トイレに行ったりしてくれていい。話した内容が有益だったかよりも、このメンバーがこの日に集まったことの方を覚えているものである。

後半完全に居酒屋の話になってしまっていたが、それでいい。
こういう文章でさえ、自分語りの一種だろう。しかし、聞き流しても罪悪感がない、というのは、意外に大事なことなのではなかろうか。

  中年に中年やさし鴨せいろ  佐藤文香