鑑賞と批評を分けて、前者を後者より程度の低いもののように言う場合がある。今、出典に当たる用意がなく、やや曖昧な記憶で述べるので名前を出さずにおくが、高名の詩人で小説家の某教授が、たぶん大岡信の「折々のうた」を批判する意図からそんなことを言っていたはずである。つまり「折々のうた」など、サロン的・微温的な鑑賞にすぎないというわけだ。なるほど「折々のうた」を、批評という基準から云々するなら、いかにも中途半端なものではある。ただ、新聞という場で、一回二百字内外で或る作者と作品を紹介するという条件を考えると、そうした批判は無いものねだりの感じも免れない。それが批評未満の鑑賞の域にとどまるとしても、厳重な制約の中で一般読者に詩歌の魅力を伝えるという目的に資する、一つのスタイルを打ち立てたことは確かなのである。
加えてもちろん、そもそも鑑賞と批評は地続きのもので、不可分なのではないかという思いもある。たとえば、夏目漱石は『文学評論』の序言で、「批評的鑑賞(critico-appreciative)」の態度を推奨している。ある作品について「アアおもしろかった」と述べるのは「鑑賞的態度」だが、それでは〈「いかにして」という問題〉を説明できない。それを説明するには、〈その感情を起す事実を分解〉する必要があるが、〈この分解は批評的な態度ではじめて〉可能になる。批評的鑑賞は、鑑賞的態度と批評的態度の〈中間にあって双方を含むもの〉ということになる。「折々のうた」の二百字という字数は、「アアおもしろかった」と述べる鑑賞的態度の面からはさしあたり十分でも、根拠となる事実について科学的に応答する批評的態度を展開させるためには、たいていの場合は不足であろう。
今さらこんなことを考えるようになった理由その一は新聞俳壇の選評を書くようになったことで、二百字どころか僅々百三文字で、十句中の上位三句について何かを述べなくてはならない。満足な批評的鑑賞が不可能であることは是非もないとして、それでも何か有意義なことを述べる必要がある。そもそもこの場合は何を言うのが読者(短詩型に慣れていない人を多く含むと推定される)にとって有意義なのか、それを考えるところから毎度始めるというのが正直なところである。理由その二は、本連載でも何度かふれた『尾崎紅葉の百句』を書いたからで、本の趣旨からすれば批評的鑑賞の実践であることがもとより望ましい。自分の本については、そうなるよう努力はしました以上のことは言いようがないので、今回は参考に読んだ同じ「百句シリーズ」の本についての感想を述べたいと思う。もちろん、その感想自体、できるだけ批評的鑑賞に近づくよう留意しながら。
このシリーズは、十月一日付けで出た『福田甲子雄の百句』で二十七冊目になるようだ。『鷹羽狩行の百句』を例外として、他はすべて物故者が対象になっている。何冊か読んで思ったのは、論じられる対象者と著者の関係性が、当然ながら記述のありようを規制するなということだ。具体的には、対象者と著者が直接の師弟関係にある場合とそうでない場合の違い。さらに同じく師弟関係と言っても、著者が弟子のうちのワンオブゼムであったか、あるいは師の後継者であるかの違いもある。師弟関係ではない例もいろいろで、直弟子ではないが師系に連なっていたり、ともかく面識や書信の往来はあったケースの一方で、完全に歴史上の人物を相手にしている場合もある。後者の関係にあるのは「岸本尚毅/高浜虚子」「伊藤敬子/杉田久女」「伊藤敬子/鈴木花蓑」「村上鞆彦/芝不器男」で、言うまでもなく「高山れおな/尾崎紅葉」もこのグループに入る。
藤原龍一郎『赤尾兜子の百句』
まず大変な力作だと思ったのは、藤原龍一郎『赤尾兜子の百句』だ。著者と対象者の関係は、上の分類で言えば、師弟でありかつ著者が弟子の中のワンオブゼムであったケースにあたる。赤尾兜子のような難物――とにかく普通に意味を取りきれない句が多い――の作者を論じるには、最も理想的なポジションかもしれない。ある程度、内在的に作者の志向を追いながら、それに距離を置くことも可能だからだ。実際、藤原は以前、兜子が自らの方法論として提唱した第三イメージ論について、あるいは虚妄の説であったかもしれない、という趣旨の言葉を漏らしていたと記憶する。直接に、鑑賞本文中に第三イメージの語が出てくる句は、以下のようなもの。他に前衛俳句という言葉で、だいたい同じ方向性を指し示す例はさらに多い。
瀕死の白鳥古きアジアの菫など 『歳華集』
機関車の底まで月明か 馬盥 『歳華集』
帰り花鶴折るうちに折り殺す 『歳華集』
轢死者の直前葡萄透きとおる 『虚像』
戦どこかに深夜水のむ嬰児立つ 『虚像』
葉鶏頭池に沈みし百の蟹 『玄玄』
第三イメージ自体については、機関車の句の本文で、二物衝撃が〈二つの具体物を組合せることにより、新たな事物の関係性を発生させる〉ものであるのに対し、第三イメージは〈具体物ではなく、イメージ二つを配合し、三つ目のイメージを顕在化させるもの〉と説明されている。本書は、百句選であり、鑑賞書であるという枠組のもとにあるため、第三イメージについて否定的な言い方がなされることはない。とはいえ、私などこれら六句のうち、第三イメージに結びつけての藤原の説明(漱石の言う「分解」)に納得しつつ、句を「おもしろい」ものとして受け取れるのは轢死者の句と、戦どこかにの句だけだ(他の句がつまらないと言っているのではなく、第三イメージと結びつけての説明の有効性を問題にしている)。実際、前者の〈轢死者と葡萄と二つのイメージの配合から導き出された透明化こそ第三イメージと呼ぶべきか〉という押さえ方は冴えていると思う。後者は、林田紀音夫の〈死者の匂いのくらがり水を飲みに立つ〉との対比が説得力に富む。紀音夫の句では〈作中の主体が行為として水を飲もうとしている〉のに対し、兜子の句の嬰児は〈実景ではなくイメージ〉であり、兜子は〈第三イメージという方法論を武器にして、実ではなく徹底して虚に付き続け〉たと藤原は述べる。
藤原といえどもこうした説明にいつも成功しているかと言えばそうではなく、先にふれた機関車の句の鑑賞では、第三イメージ論の一般的解説に終始して、句そのものの分析には全く踏み込めずにしまった。それというのも、この「百句シリーズ」の一句あたりの鑑賞文の文字量が二十五字×十行と規定されているためで、兜子の難解句の読解にはこの文字量の制約は時に致命的ということだ。機関車の句の場合で言えば、「馬盥」をバダライと読むかウマダライと読むかさえ示されていないのだが、私自身はバダライと確信しているものの、ウマダライと読む人もいるので(「増殖する俳句歳時記」の清水哲男など)、藤原の見解も是非知りたかった。同様の語釈の不備としては、
鞍馬夕月花著莪に佇つつらき人 『歳華集』
の「つらき人」も気になった。藤原は、〈この「つらき人」とは誰か。兜子自身のことという読みもある〉と言っていて、それが誤りというのではないが、中古文学では「つらき人」と言ったら片思いの相手、つれない人のことである。他の解釈は、少なくともその第一義を押さえた上での話だろう。重ねて言うが、本書は力作。それはとりわけ、赤尾兜子という狷介な精神にどこまでも寄り添おうとする姿勢においてそうなのだが、その一方でごく基本的な語釈の点で、ところどころ遺漏を感じたのだった。
茨木和生『右城暮石の百句』、片山由美子『鷹羽狩行の百句』
『右城暮石の百句』と『鷹羽狩行の百句』を書いているのは、いずれも鑑賞の対象者の後継者となった弟子である。しかし、本としての出来栄えには大きな差がある。茨木著では亡師に対する敬愛の念がだだ洩れになっており(こういう本ではあまりないことだと思うが、敬語や丁寧語の使用が目立つ)、自分が書いている文章に対する客観性がほとんど失われている。ある時期以降、常に老師のそばにあって、いちいちの句の制作事情を知っているものだから、本の後半になると、誰それの運転する車でどこそこへ行ってみたいな話が何度も繰り返される感じになる。暮石の句が兜子とは真逆の平明なものだからということもあるが、句の解釈や技術的な部分に言及することは滅多にない。このシリーズは、巻末に総論的なエッセイが付く体裁になっているが、そちらは年譜そのままの事項の羅列に近い。全体にバランスの悪いこうした書きぶりには、茨木自身の加齢の問題もかかわっているかもしれない。余計なお世話だが、茨木に取材をした上で、谷口智行が書いた方がよかったのではあるまいか。
片山由美子の『鷹羽狩行の百句』の方は、作品の措辞の効果、技術的なポイントについての指摘と、作者の個人史や各句の制作事情などにバランスよく目配りがされている。この種の本として模範的な書きぶりと言っていいのではあるまいか。ただし、ところどころ、第一読者(というのはつまり狩行のことですね)の目を意識したような記述が見られるのはご愛敬か。はっきり言うと、句の褒め方が妙にオーバーアクションに見える場合があるのだ。もっとも、こういう感じ方が、こちら側の偏見に由来した錯覚である可能性は否定しない。多少気になったのは、
鶯のこゑ前方に後円に 『月歩抄』 昭和50年
の鑑賞文でふれられている句またがりの説明である。
思い切った発想の句であり、調子もそれにふさわしい。自然に読めば「鶯のこゑ/前方に後円に」となる。「鶯のこゑ」は上五から中七への句またがりで、「こゑ」が強調されるのが効果的である。
片山はこのようにあっさり書いているのだが、私自身は「鶯の//こゑ/前方に/後円に」とそれこそ“自然に”読んできた。「鶯のこゑ/前方に後円に」という切り方は、要するに意味によるものだ。この場合、そのように意味で切っても韻律上の負荷はあまり生じないし、それはそれでありだとは思うものの、私は五七五の音数律のままに切った方がこの場合はおもしろいように思う。「こゑ」の強調という点でも、上五の後に生じたリズムの空白が「こゑ」に掛かるこの読み方がより効果的なのではないかと感じる。句またがりの読み方にはじつはコンセンサスが成立していないので、どちらが正しいという話ではないのはもちろんなのだが。
村上鞆彦『芝不器男の百句』
片山由美子の場合、記述に客観性が失われるようなことはないにしても、自分の店の先代オーナーのことを論じている以上、プロパガンダ臭が皆無とはいかない。村上鞆彦の『芝不器男の百句』は、内容的なバランスの良さの点では片山著にひけを取らない上、対象が個人的な利害関係のない歴史上の人物であるお蔭で、記述態度がよりピュアで気分が良い。言述があまりにも丁寧なためやや生硬な印象も受けるが、緊張感を持って書いていることがよくわかる。不器男の句は、兜子のような前衛俳句的な難解さとは異なるとはいえ、しばしば古語を用いるなど、必ずしも句風平明というのでもないから、一語一語の語釈のレベルからゆるがせにしない村上の緻密な書きぶりはまったく当を得ている。
仁平勝『永田耕衣の百句』
仁平勝の『永田耕衣の百句』を読んで改めて感じたのは、純老人とか新老人といった例の造語癖は別として、耕衣の用語が、狩行や不器男に比べても格段に平易だということだ。この印象は、仁平も指摘するように、〈耕衣が好んで使う季語〉が、〈「春」「夏」「秋」「冬」を他の言葉と組み合わせたもの〉である事実に由来する部分が大きいだろう。ある程度俳句になじむと無感覚になってしまいがちだが、季語は季語であるだけで、俳人ではない人間には難解だ。この点では非常にハードルが低い一方で、もちろん耕衣の句は難しい。狩行や不器男の句を読むことが止まった蠅を打つようなものだとしたら、耕衣の句を読むことは飛び回っている蠅を打ち落とすようなものではあるまいか。
そういうわけで、片山著の手堅さ、村上著の誠実さといった印象からは一転(茨木の本についてはコメントを控える)、仁平著に感じられるのは名人芸的なノリに近い。果たして著者が飛んでいる蠅を打ち落とせているものかどうか、いちいちの句についての判定は難しいのであるが、振りかぶったり振り切ったり、飛んだり跳ねたり、はたまた爪先立ちでぐるっと回ったりと、飛んでいる蠅を追い回す動き自体が批評としての見どころになっている。そうならざるを得ないのは、〈耕衣の俳句〉が、〈一般的に「俳句的」とされるパラダイムから外れている〉ためで、パラダイム外の場所で読みを展開するためには、都度そのためのアクションが必要になるのである。
この本では、耕衣的用語・概念のうちでも特に「卑俗性」がメインのキーワードになっている。西洋の詩人なら「肉体は悲し」と言ったところだ。肉体は若い時は若い時なりに悲しいわけだが、耕衣は晩成型かつ非常に長命だったために、肉体は肉体でも老いの側面がどうしても焦点になる。そこに、すでに七十代に入っている仁平自身の関心が重なってくるため、この角度からする言述は本書の中に何度も繰り返される。そのうち、
あんぱんを落として見るや夏の土 『人生』
についての仁平の鑑賞文をまるっと引いておく。
一句の言葉通り、夏の土にあんぱんを落として、それを見ているのである。だからどうなんだ、と思われるかもしれないが、老人にとっては(私の体験からいうと)それがなかなか重大事件なのだ。
老人が日々とくに注意すべきことは、つまずいて転ぶことと、手に持った物を落とすことである。歩行力と握力が衰えているからだ。この句は「土」というから、外で食べていたのだろう。また「夏」だから、落ちた「あんぱん」にはさっそく蟻がたかってくる。「見るや」の「や」という切字には、作者の無念な思いが詰まっている。
本書の中では、特に冴えた――つまり、ことさら名人芸的な――文章というわけではない。また、仁平の言っていることは、それ自体としてはよく了解できる。よく了解できる一方で、では以前から仁平はこのように読んでいたのだろうかという問いがふと心に浮かんだのである。
あんぱんの句は、一九八八年に刊行された『人生』に載る作品で、この年、耕衣は八十八歳、仁平は三十九歳。その時点で、仁平が「私の体験」に基づいて、老いの実感から語ることはあり得ない。ただし、実感は薄くても、人が老いるとどういう現象が起こるかは、一般に共有された知識のうちにあるわけだから、まだアラフォーの仁平はそのような知識によって作者の老いの情景として読んでいた可能性はある。しかし、本当にそうしていただろうかという疑いもまたある。
この句は、仁平も言うごとく、だからどうなんだ感に横溢していながら結構有名な作品で、諸家の文中に挙げられているのを何度も見ているし、現に私も記憶していた。要するに、みなが気になる何かを備えている句なのだ。その何かの「分解」という点で、上記の鑑賞はやや物足りないのだが、それを言いたいがために、ここに全文を引いたわけではない。むしろアラフォーの仁平とアラ古稀の仁平の間に当然あるであろう、読みの差異というものを想像して俄然興味を掻き立てられたがゆえなのだ。そして、この句のこの鑑賞の場合は、それがことさら歴然と露出しているが、これ以外の句についても、耕衣の句が年齢による読みの大きな差異を予想させるということに改めて気づかされたのが、仁平のあんぱん句鑑賞の徳であった。
「百句シリーズ」では他に、岸本尚毅『山口青邨の百句』、瀧澤和治『福田甲子雄の百句』、伊藤敬子『鈴木花蓑の百句』を読んでいるが、今回はもうだいぶ長くなったので、それらについての感想はまたの機会に。