2022年5月15日日曜日

アボカドと詩人  佐藤文香

アボカドがうまい。やはりメキシコが近いからだろうか。日本で買うといたんでいたり、切ってみたらいい時期じゃなかったりするが、最近のはすべてアタリだ。現在毎度Amazon fresh(アマゾンの食材宅配サービス)で購入しているため、店に長いこと積んであるわけではないのもよいのか、追熟の期間が安定しており、状態もいい。

わさび醤油で食べる。わさびはS&Bのチューブわさびで、これは近所のスーパーでも売っている。こころなしか、日本のチューブわさびよりツーン感が強い気がする。醤油はキッコーマンのものがどこにでもあるが、現在は安いアマゾン醤油で、若干薄い。わさびふりかけをかけるとさらにうまい。

自分にアボカドの句があったかと探したところ、去年の翻車魚ウェブにアップしていた(もう忘れていた)。

天然を憎むに疲れアボカド塗る  ▶︎「意匠から」10句 2021.7

これはアボカドディップの句。「天然」とは、文字通り自然のままの状態と取っていただいていいし、「天然ちゃん」といわれるような人物と捉えていただいてもいい。自分にはどうにもできない、いいものとされている事象に腹を立てる、ことすら面倒に感じる怠惰な精神が、ぐずぐずのアボカドとマッチしてはいませんか。アボカドの色味や油脂には独特の人工物感があり、そこも気に入っている。

ただし、カロリーが高く、食べすぎると太るそうだ。さすが、森のバター。森のバターという比喩からはあたたかな緑と黄色が見えてくるので、アボカドらしくていいですね(大豆=畑の肉、などに比べて)。


親切な方にいろいろと教えてもらい、アメリカの現代詩の詩集をいろいろ買ってみている。まだほとんど読めてはいない。だいたい、アルファベットはすべて模様に見えてしまう。日本語だって字がたくさんあると眺めることしかできない。

なので、視覚詩的な詩が載っているものを好んで買っている。あとは、ひとつの詩が短いもの。装幀はカジュアルまたはクールで、詩集然としていないのがいい。本当は試みに訳して感想でも載せたいところだが、自分の英語に対するモチベーションは、まだそういうところに至っていない。

ただ、中身が読めなかろうが、アメリカの出版文化にお金を落としているという意味では悪いことではない。我が家の口座からお金がなくなっていくだけで。クレジットカードで払うと、円安でえらい引き落とし額になっているが。

配偶者はいくら本を買っても怒らない(他の何にも怒ったことはない)。いや、本に関して言えばよい配偶者は私の方で、経費で落ちないらしい洋書をばんばん購入している相手の書籍代については聞かないようにしている。ある日我が家は破産するかもしれない。


こちらで自己紹介をするとき、職業を濁したりする方が英語力が必要なので、日本の詩人です、俳句っていう短い詩を書いています、ということにしている。Poetはわりと、自分の思う肩書きの雰囲気に近いのでよい。ポエっとしている。

詩、という語の入った句はわりと書いていて、この翻車魚ウェブでは

木瓜が詩となる構文に支へられ  ▶︎「Wi-Fi」10句 2021.2

など、このときの10句はみな言葉や詩についてのものであり、書きぶりはさておき、書きたい対象への気持ちはかなり素直であるといえる(書いた本人としては)。翻って、俳句のことを俳句に書くときは(おなじみの)〈パターンで書ける俳句や敗戦日〉のようなことになってしまい、いまだ長い反抗期にあるようでいささか恥ずかしい。

ボケという音を、あのどぎついピンクを、あるいはそれ以外の一般語を、詩として成立させるための機構みたいなものの開発に興味があり、結果としてできたものが詩になっているならPoetと名乗ってもいいだろうと思うし、べつに自称詩人のイタい酒飲み中年であったとしても、かなり実態と近いのでそれもまたよし、である。