2022年4月4日月曜日

パイクのけむりⅩⅤ~春の旅、日記篇~  高山れおな

このブログは、月始めに俳句作品を、月半ばに散文をアップすることになっているが、三月はとうとう文章を上げられず終いだった。四月もようやく三日遅れで俳句をアップしたところだ。しかし、これまで皆勤だったのにここで一回休みにするのも業腹なので、遅ればせながら三月分として以下の文章を掲出する。俳句の方のタイトルを「春の旅」としたが、これは三月中あちこち出かけることが多かったからで、文章の方は同じ旅の記事を日記から書き抜いて、表現を簡単に整えたものです。 


3月3日(木) 

午前1時半就眠、午前4時半出褥。5時半の電車で羽田空港へ向かう。木津文哉氏の壁画の取材で長崎県大村市の本経寺へ行くため。広告部Iさん、写真部H君と7時35分発のJAL便搭乗。9時半、長崎空港着。別便に変更したかと思われたN画廊のMさん、結局、同じ飛行機に乗っていた模様。 

時間が早過ぎるので空港内のスタバでお茶する。そこに朝日新聞のNさんから電話。赤字を入れて選評から削除した添削案、残してはどうかとのこと。それではそうしてくださいと返事する。N画廊福岡店のY氏の迎えでホテルに行く。以後はYさんが乗ってきた車を借り、Iさんが運転して滞在中の脚にすることにする。取材まで時間が余っているため、玖島城跡の大村神社に参拝。3万石弱の小藩ゆえ城も小さいが、本丸の高石垣はなかなか立派。城内には玖嶋稲荷神社というお社もあり、両社の御朱印をゲット。 

昼食後、チェックインして部屋に荷物を置き、本経寺へ行く。壁画、銀箔貼りの力作。当寺は大村家の菩提寺で、歴代藩主の墓塔が異様に巨大なことで知られる。高野山奥の院にも大名の巨大な墓があるが、ここのは最大級のものでは高さ6メートルに及び、ちょっとオベリスクめいた、ことさら高さを強調したデザインになっているのが独特である。忙しいかとは思ったが、帰るまで時間のある時にということで、お寺の事務の人に御朱印帖を渡す。午後4時から木津さん、N画廊の社長夫妻、檀家の役員など集り、壁画の開眼法要。式衆は11人。日蓮宗の法要は初めてだったが、クライマックスでは木剣というカスタネットのような法具を使い、はなはだ壮観。法要後、木津さんと簡単に挨拶。明日のインタビューのことを約す。法要の出席者が食事会をするのと同じ料理屋へ行き、しかしそれとは別に我々だけで夕食。ホテルに戻り、夜9時半頃、ベッドに入るとすぐ沈没。 


3月4日(金) 

午前7時半出褥。入浴。4人でホテルそばの吉野家で朝食。9時半に本経寺に行き、壁画の撮影、ご住職、木津さんのインタビューなど。15時15分の飛行機で東京へ帰る。空港の売店で家人に頼まれた福砂屋のカステラを買う。品目の指定もあったがそれは長崎市の本店と浦上店でしか扱っていないとのこと。待合室にいる時、衝撃的な事実が判明。昨日、私が書いてもらった御朱印にはメインの文字が「妙法」とあったのだが、奥さんに頼まれて御朱印帖を持ってきていたIさんが今日書いてもらった方には、「南無妙法蓮華経」と髭題目がフルで書いてあった。事前にネットで見ていた画像では、やはり髭題目がフルで書いてあったので、昨日、御朱印帖を受け取った時やや不審だったのだが、この期に及んで愕然とする。飛行機、揺れる。3人は空港から帰宅。こちらは会社に寄って多少の作業あり。帰宅後、『尾崎紅葉の百句』2句分の本文を書く。午前3時半就眠。 


 3月7日(月) 

すっきり眠れないまま、午前8時出褥。出張時、全く通常の食事だったため74.1キロ。炭水化物ダイエット崩壊。ヨーグルトひと口食べて家を出る。快晴。南砂町で下車して、江東図書館に寄り、予約してあった巌谷大四『波の跫音 巌谷小波小伝』を借りる。駅の入口に戻ったところで、ティッシュ配りの男からティッシュを受け取る。裏を見れば、例の如き写真を配してキックボクシング&フィットネスの広告。今朝の体重の惨状を見た後なので、やや心動く。 

会議その他もろもろ。今日は午後休ということで、昼過ぎに会社を出て東京駅へ。明日の午前休と合わせ、有給休暇を1日分消化する計画である。丸善丸の内本店に寄って『鈴木花蓑の百句』を買う。京浜東北線で日暮里へ出て、京成線特急に乗り換える。ところが、津田沼から先の区間、人身事故で運転見合せとのこと。本来、京成成田からJR成田線にスイッチするはずだったが間に合わない可能性があると判断し、途中で成田空港への連絡線の電車に移る。15時15分、成田空港第2ターミナル着。ここからタクシーで滑河観音へ向かう。途中、小御門神社の前を通る。去年取材した春日大社の花山院弘匡宮司のご先祖を祭る神社で、なかなか森が深い。寄ろうかと心が動いたが、またの機会ということにする。 

ようやく龍正院滑河観音に着く。成田市を南北に縦断する形になってしまいタクシー代6700円。馬鹿馬鹿しい出費だがやむをえない。滑河観音は坂東三十三所の第二十八番の札所ながら、辺鄙な場所にあることもあってひとけもなくひっそりしている。本堂は五間四方でさすがに立派。前面の二間分を外陣とし、正面を扉で塞がない開放的な建物。木鼻や蛙股の彫刻など近世風が強い。外陣の天井には絵で迦陵頻伽を描き、外陣と内陣の境の欄間には透かし彫りでやはり迦陵頻伽をあしらっている。本堂は銅瓦葺だが室町時代の仁王門は茅葺で、巨大な注連縄が掛かっている。注連縄に飾りとして蔦をたくさんぶら下げているのが珍しい。御朱印をもらう時にお寺の人に聞くと、毎年1月8日に掛け替えるのでその時は青々としているが、どんどん乾びてゆく。現状でもまだ青みが残っている方なのだとのこと。 

滑河駅まで20分程歩く。途中、道の右手に石仏らしいものがあるのでよく見ると、青面金剛の彫像と「青面金剛」と文字を刻んだ標柱が、コンクリートの階段を間にはさんで立っている。標柱にある年紀は「寛政十」まで読めたが、その下は「年」で終わっているのか、まだ数字があるのか(寛政は13年まである)よくわからない。階段を登ってみると一面の枯野原で、登りきった部分にコンクリートの叩きのようなスペースがあって、宝篋印塔や板碑のたぐいが10基ほど集めてある。滑河発16時52分の銚子行きに乗る。1時間以上かかり銚子着。駅前が暗く淋しいのは意外なほど。まん延防止措置の影響が強いようだ。ホテルは、駅からすぐだが、住宅街の中にあって妙な感じ。駅前の居酒屋で夕食。屈指の漁港の町と言いながら、刺身など案外うまくもなし。めひかりの唐揚げのみ美味。部屋の灯りも暗いので、読書もせず寝る。 


3月8日(火) 

午前6時半出褥。雨。写真部H君にショートメールしてその旨告げる。11時過ぎに佐原駅で合流して観福寺へ行く予定であったが、今日は当方が下見し、挨拶のみして、H君は明日か明後日に撮影に向かう段取りにする。 

ホテルの朝食の焼魚、ちゃんとしたもので、昨晩の居酒屋の料理より良い。銚子電鉄で2駅の観音駅で下車。電車は2両編成で、当方が乗ったのは折り返しの下りということもあって貸し切り状態だったが、おそらく直前の上りは通学の学生でいっぱいだったのだろう、床が水でびしょびしょになっている。それを若い女性の車掌がモップで拭いているのが鄙びていてよい。飯沼観音円福寺の寺務所と観音堂は別の敷地にあり、寺務所で御朱印をもらう。古帳庵という江戸の遊俳(富商の由)が、銚子の友人たち(これもみな豪商の由)を訪ねた時に詠んだという、

 ほととぎす銚子は國のとつぱづれ 

という発句の碑が立っている。天保12年(1841)の作というから、一茶調の影響もあるのか。説明板に〈今日では銚子を代表する句になっています〉とあるから、地元の人はみんな知っているのだろう。利根川の河口が見下ろせるという川口神社を目指す。地図を見た限りでは歩けると思ったが、案外遠く、道もよくわからない。途中、タクシー会社の営業所があり、1台車もあったのでそれに乗り、川口神社、犬吠崎灯台、満願寺、地球のまるく見える丘展望館を回り銚子駅に戻る。タクシー代7000円。 

10時24分の千葉行きで佐原へ。タクシーで観福寺へ向かう。ここからは仕事。厄除け大師のご祈祷で、正月の賑わいはたいへんなものとK県立K文庫のSさんから聞いていたが、今日は天気のせいもあって寂しげ。木立深く、雰囲気は良い。佐原は利根川水運で栄えた町で、その繁栄は「江戸勝り」などと呼ばれた。この寺の本堂・庫裡は幕末のものだが、大名屋敷のように雄大豪壮なのは、町の富裕ぶりが反映しているのだろう。そもそも江戸湾(東京湾)に流れ込んでいた利根川を、近世に入ってから東流させ、銚子で海に注ぐように付け替えたわけであるが、これにより東北地方の産品を、危険な房総半島沖を迂回せずに江戸に運べるようになった。すなわち、利根川を関宿まで遡上し、そこで折り返して江戸川・小名木川と下って江戸に入るルートが成立したのだ。お蔭で、ルート上にある佐原や潮来が栄えることになった。 

住職は出かけていて、昼に戻るとのことなので、寺を出て少し行ったところのスーパーでパンとコーヒーを買い、一服。はなはだ寒い。寺に戻り、住職に挨拶。タクシーを呼んで佐原駅に戻り、12時54分の千葉行きの電車に乗る。成田で京成線の快速に乗り換え。あれこれ乗り継ぐ手もあるが、そのまま日本橋まで行くことにする。車中で巌谷大四『波の跫音 巌谷小波小伝』、読了。たいへん面白い。引き続き、昨日買った伊藤敬子『鈴木花蓑の百句』を読み始める。句は良いが、伊藤氏の鑑賞は総じて感心せず。15時20分、神楽坂着。あれこれ仕事。セブンイレブンに入ると、鶏白湯餃子というのが目についたので買う。初めて食べたが、よく出来ているのに驚く。万事世界から取り残されつつ、コンビニの食事だけが進化し続けるというのが日本の現状らしい。夜、『尾崎紅葉の百句』の続きを書く。70句目に達する。3時就寝。


3月12日(土) 

8時起床。建部凌岱展を見に板橋区立美術館へ行く。車中で岩田慎平『北条義時』、読了。西高島平駅でK君と合流して美術館へ向かう。歩いていると高橋睦郎氏から電話があってびっくりする。美術館前の公園、梅が満開。担当学芸員のUさんにご挨拶。玉城司先生は24日にご来館予定とのこと。展示充実。「海錯図」は期待通りの快作。山水は空間の構成に難あり、破綻している。花鳥画の方が格段にすぐれている。蓮乗寺に立寄り東京大仏の御朱印いただく。西高島平駅に取って返してK県立K文庫へ。金沢文庫駅のカフェで軽食。文庫では興福寺のT学芸員が春日厨子について講演中。杉本博司先生ご夫妻も聞いている。Sさんてんてこ舞いのため、なかなか打合せできず。遅くなりそうだったのでK君は展示だけ見させて先に返す。一般内覧会4時半から6時。杉本先生ご夫妻らを送り出して後、Sさんと図書室で相談もろもろ。8時に終わる。Sさんと一緒に館を出て、横浜まで同車(あちらは新横浜経由で小田原まで帰る)。午後10時帰宅。朝日俳壇の選句の残りを済ませ、選評を書く。午前4時過ぎ就眠。


3月18日(金) 

午前8時出褥。西葛西から西船橋経由で佐倉へ行く。DIC川村記念美術館の送迎バスを待つ間、駅前のカフェに入る。バス乗場で、H君、Aさんと合流。ここ1週間程暖かったので2重ジャンパーを1重にして出て来たのだが、非常に寒く失敗。バスが来ると京成線佐倉駅で乗車したK君、乗っている。カラーフィールド展、たいへん素晴らしい。久しぶりでロスコ・ルームも堪能した。3人は撮影を続けるとのことなので、私のみ12時50分の送迎バスで国立歴史民俗博物館へ行き、「中世の武士団」展見る。帰社後、作業あれこれ。 


3月20日(日)

午前4時就眠、同11時起床。7時頃から眠りが断続的となり、さまざまな夢を見る。『尾崎紅葉の百句』を書き続け、百句の鑑賞終わる。夕方、西葛西図書館と江東図書館へ行く。「鎌倉殿の13人」の録画、来週見るつもりだったが、いろいろのなりゆきで今日のうちに観ることになる。中村獅童の梶原景時が本格始動。善児がこんな重要な役であったとは思いがけず。かなり先になるが、阿野全成を殺すのは善児か? もしかして佐藤浩市も殺すのか? 


3月21日(月祝) 

午前4時就眠、同10時半起床。東京駅11時52分発の横須賀線で、鎌倉に行く。小町通り、かなりの人出。コロナ前の休日には及ばないまでも八、九割方は回復した感じ。鏑木清方記念館を覗く。《嫁ぐ人》が出ていた。旧神奈川県立近代美術館が大河ドラマ館になっているのを覗く。映像パネルの類いが多い。大倉御所の模型は面白い。ついでに逗子へ行き、駅前からタクシー。坂東二番札所岩殿寺に参拝。観音堂は高台にあり、海が見えた。午後5時頃、出社。Iさんが来ている。 


3月24日(木) 

午前7時40分出褥。表紙ネームを送っていなかったことを思い出し、慌てて作成し、Fさんに送る。8時40分頃家を出る。9時48分ののぞみで京都に向かう。新横浜から広告部Iさん乗車。正午、京都着。タクシーで東山のホテルに向かう。チェックインしてからホテルを出たすぐの店で昼食。私はホテル横を上がったところの霊山護国神社に参拝し、御朱印を貰う。午後2時少し前、D社の新製品発表会の会場に入る(ホテル別棟地下)。まず、書家・川尾朋子氏によるオープニングアトラクション。「天虫花草」の四文字を揮毫する。新商品のロゴも同氏が書いた。紙はボードに貼って立ててあり、これにかなり太い筆で書いてゆく。点を突き入れるところなど、ドンと音。相当息を止めるらしく、長い画を書いた後など、大きく息をついている。発表会ののち、4時半より5時半まで川尾さんのインタビュー。6時より別棟2階で、着席の懇親会。翌日が早いのでコースが済んだところで、当方は失礼する。入浴して10時半頃、就寝。聞いたところでは、Iさんたちは、D社の人たちと夜中12時まで飲んでいたとのこと。 


3月25日(金) 

午前5時出褥。5時45分にホテルをタクシーで出る。京都駅まで5、6分で着く。6時17分ののぞみに乗る。品川下車、浜松町/大門乗り換えで朝日新聞社へ。9時5分選句開始、12時10分予選終了。今回より小林貴子氏、自宅で選句の由。12時40分、朝日新聞社を出て六本木でTakaishii Gallery、銀座でRicoh Art Gallery、日本橋で西村画廊を見て社へ行く。作業もろもろ。午後10時半過ぎ退社。午前1時、就眠。 


3月26日(土) 

午前8時半起床。10時、家人と秋葉原のヨドバシカメラへ行き、洗濯機を買う。11時頃に別れて、K県立K文庫へ向かう。やや早く着き過ぎたので金沢文庫駅内のカフェで昼食。それでも時間が余ったので、文庫と反対側の駅前にあるショッピングセンターの書店を覗く。たまたま、『若きウェルテルの悩み』の新潮文庫版があったので購入。尾崎紅葉の〈泣いて行くウヱルテルに逢ふ朧かな〉にからんで確認したいことがあったのだが、そのままになっていたからちょうど良い。午後1時半頃、H君と合流。K県立K文庫の収蔵庫前室で、観福寺の銅造懸仏のうち十一面観音坐像を撮影。引き続き、同作についてSさんにインタビュー。7月号特集について相談。午後8時過ぎ、社に出る。作業もろもろ。日下潤一氏に頼まれている「オリジナリ」誌の連載原稿を書こうとするが、興が乗らずやめる。午前2時就寝。 


3月27日(日) 

午前10時半出褥。スーツにアイロンをかける。12時半過ぎの電車で江之浦測候所へ向かう。東京からこだま、小田原で東海道線に乗り換え根府川へ。車中、『若きウェルテルの悩み』を読み続ける。これを読むのは30年ぶりくらいか。当時はわけもわからず、しかしそれなりに面白く読んだように記憶するが、今回は感心もするし、呆れもするといった感じ。 

小田原駅でSさん夫妻と合流。春日社の御遷座、昨晩のはずが、暴風雨で今日になったとのこと。そのため、社殿は目隠しの幔幕で覆われている。桜もちょうど満開だが、それより期待していたのは菜の花の方である。実際、一面黄色に染まり、甘い香りが一帯に立ち込めている。敷地内で採れる蜜柑ジュースのふるまいあり。はなはだ濃厚。ガラス舞台で雅楽の演奏。杉本先生と春日大社花山院宮司の漫談風挨拶あり。その後、春日社に参拝。ふたたび石舞台エリアに戻り、東大寺七重塔礎石の披露。ここでも雅楽。礎石は東大寺を出たのち、大阪の藤田美術館の所蔵を経たものという。午後7時過ぎ、社に立ち寄る。Yさんが来ている。昨日、Sさんが送ってくれたギガファイル便をチェックするが、ファイルがからとの表示。電話して再送してもらう。こんどは大丈夫だったが、入稿用としては解像度不足。午後8時45分頃退社。帰宅後、「鎌倉殿の13人」の録画観る。朝日俳壇の選評を書く。「オリジナリ」の原稿を書く。午前4時就寝。