2021年9月15日水曜日

パイクのけむりⅨ  ~菊は雪を読む日々日記、その崩壊と逆襲~  高山れおな

 8月15日(日) 
 【雑録篇】 三鷹市美術ギャラリーへ行き、「デビュー50周年記念 諸星大二郎展 異界への扉」を見る。「俳句」誌から依頼のあった大串章句集『恒心』の一句鑑賞を書いて送る。 

 【菊雪篇】 昨日読み終わった佐藤文香句集『菊は雪』は再読しようと思う。一ヶ月半くらいかけて、他のものをいろいろ読みながら、飛び飛びに読んだものだから印象がすっかりぼやけてしまった。まず、書誌的な点を確認しておく。 

著者:佐藤文香 
書名:菊は雪 
出版年月日:二〇二一年六月三〇日 
発行所:左右社 
装幀:佐野裕哉 
編集:筒井菜央 
価格:本体二五〇〇円 

判型はA5変形で、通常の四六判の句集と幅は同じで天地が二センチ程長い。平背の上製本。スピンが付いている。カヴァーは無く、天地の四分の三程におよぶ幅の広い帯がそのままカヴァーの役割を果たしている。句集本体は計百七十一頁。 

本書の書籍設計上の大きな特徴は、句集本体と背中合わせに「菊雪日記」(キクセツニッキと読むらしい)という句集制作のドキュメントが収録されていること。「菊雪日記」は一台=十六頁で、句集本体とは異なる色付きの紙を使っており、テクストは横組み。裏表紙側の扉から左開きに読んでゆく。また、書籍と同日付けで、佐藤と太田ユリのユニット「guca」の「『菊は雪』刊行記念特典ペーパー」が発行されており、句集刊行までのいきさつについて二人で対談している。太田ユリは、編集担当の筒井菜央の歌人としてのペンネームである(今は歌は作っていないとのことだが)。 

表紙は黒に近いグレー。表一の左側過半にはややざらつきのある紙を用い、ここに書名・著者名・版元名を白で刷るが、背景のグレーとの関係で銀色っぽくも見える。表一の右から背、表四にかけては少しゴムのような手触りの紙を使う。表一上右角にAyaka Satoのローマ字の著者名と、Chrysanthemums Like Snowという書名の英訳を刷る。見返しは漆黒。黒に近いグレーの表紙を幅広の白い帯で巻き、次いで黒い見返しが現われ、本文に続く。これにより、本を開閉するたびに、本文の紙の白さがことさらに意識される。『菊は雪』という書名に応じて、雪の白、菊の白を連想させるように仕向けたのが装幀者の意図なのだろう。 

8月16日(月)
 【雑録篇】 午前中、九月号の校了作業。午後、「美術の窓」のバックナンバーをかき集めてコピー取り。夕方から十月号特集の図版構成を一部変更する相談。

 【菊雪篇】 印象がすっかりぼやけてしまって云々と昨日書いたが、目次の前に序句のように置かれた、 

 みづうみの氷るすべてがそのからだ 

であるとか、それに続く最初の一連(つまり目次のすぐあとにある)に見える、

 書き折りて鶴の腑として渡したし
 不器男忌の身にあなたとは闇なるを 

といった句のテンションの高さには、最初から惹き付けられた。しかし、「雫」と題された同じこの一連の中の他の句、たとえば、 

 手鏡や花に発作の咳二三
玉なせる思惟を鳴らせば山桜 

などとの落差が引っかかりになって、一気に読むことができなくなってしまったのだ。単なる地の句としてすなおに流れて行ってくれないと言ったらいいか。再読し始めて、ふたたびこれらの句に対面しながら、急に作者の昔の句集を読み直してみたくなった。昔はどんなふうに書いてたんだっけ、というところを確かめておこうと思ったのだ。

8月17日(火) 
【雑録篇】 会議のあとK君来社、部員に引き合わせる。海外ニュース他の図版の相談。十月号の台割の作成。台分かれの問題で、広告部・特集担当者とあれこれやりとり。 

 【菊雪篇】 というわけで『海藻標本』。 

 少女みな紺の水着を絞りけり
 青に触れ紫に触れ日記買ふ 

何と言ってもやはりこの二句。あきらかに若書きでありながら力みがなく、俳句らしさに自然になじんでいながら月並み臭とは無縁だ。これらほど人口に膾炙していないかも知れないが、

 スケートの靴熱きまま仕舞はるる 

も同様に、若々しくかつよく練れた印象。 

 水平てふ遠くのことや夏休
 橋に影青々とある日の盛り
 アイスキャンディー果て材木の味残る
 行秋の君は線もて描かるる
 マフラーの匂ひの会話してをりぬ
 焼芋の金を滑りし牛酪(バター)かな
 夏料理鏡の奥のやはらかく
 忘るるにつかふ一日を蔦茂る
 焼鳥の我は我はと淋しかり
 祭まで駆けて祭を駆けぬけて
 晩夏のキネマ氏名をありつたけ流し

これらになると最初に挙げた三句ほど完璧ではないかも知れないが、仮に欠点があっても魅力の方がずっと大きい。欠点というのはたとえば最後から二句目で、若さ元気さの表現がやや図式的な誇張に陥っているように感じられるところ。しかしそうは言っても、この句ではその誇張性や図式性が面白さに寄与してもいよう。また、最後の句では「キネマ」という用語に落ち着きの悪さが残る。が、これまた「映画」にしてしまったら話にならない。

8月18日(水)
 【雑録篇】 夕方、K県立K文庫へ行く。Sさんに深大寺の元三大師像についてインタヴュー。取材を終えて外に出るとすっかり夜。称名寺の森の上に半月が掛かっていた。京急線で横浜まで同車の間、連載の先々の相談。高幡不動の不動三尊像というアイディアが飛び出す。 

9月10日(金)
 ここで日付が3週間以上飛んでおります。日々の日記を綴りつつ、それがおのずから『菊は雪』論にもなっている……といったあたりをイメージして書き始めたのですが、率直に申し上げて、そんな悠長なことをしている場合ではなかったのでした!!! なぜなら、佐藤文香先生は今、紙ヴァージョンの「翻車魚」vol.5の編集を進めておられる。私もそこに文章を出さねばならない。結局、一昨日、八日水曜日の深夜に原稿をお送りすることができましたが、四百字詰換算で五十六枚程になりました。分量だけの問題でなく、ちくちく細かい面倒な原稿でした。その原稿と「菊は雪を読む日々日記」を同時並行で執筆することはどう考えても時間的に不可能(もちろん、現に私がそうであるよりも二、三倍筆が早ければ別ですが)。というわけで、当初考えていた趣向は断念せざるを得なくなりました。しかし、ともかくそちらの原稿は終わったので、あとは普通に感想を書こうと思います。『菊は雪』だけではなくて、他の句集若干についても一緒に。 

そして……まさに今日、前島篤志君から「寝耳」という冊子が届きました。前回の本欄で、表健太郎氏から手製の句集をいただいたことを記しましたが、それは自家製とはいえ印刷はたぶん印刷屋に頼んでおり、製本も本格的なものでした。しかし、「寝耳」は、パソコンのプリンターでA4の紙に句を印刷したものを二つ折りして表紙(これもペラペラのコピー用紙)を付け、ホチキス留めしただけのいたって良い加減な作り(と言っても、前島君は別に怒らないと思います)。寝耳に水の冊子到来、と言いたいところですがそうでもありません。じつは六日月曜日に、前島君と二十七、八年ぶり(!)に会って、冊子の送付も予告されていました。

前島君と私は、かつて弘栄堂書店から出ていた「俳句空間」誌の投稿欄の同窓生です。より正確に言うと、同欄の常連投稿者の作品各百句をまとめた『燿―「俳句空間」新鋭作家集Ⅱ』(一九九三年十二月刊)というアンソロジーにともども入集して多少のご縁が生まれました。まあ、本が出た年かその翌年に、どこだったかのビアガーデンで、やはり入集作者だった岡田秀則君(彼らは秘密俳句結社「俳句魂」のメンバーでした)と三人で一回会っただけですが。

十六人の入集者の中には、すでに亡くなった人や俳句をやめてしまった人もいますが、現在も活動し続けている人としては、五島高資、佐藤清美、水野真由美、宮崎斗士なんかがいます。で、今、その本の目次を見てみたら、高山れおなと前島篤志と正岡豊の名前の上にボールペンで三重丸が付けてあります。要するに読んだしるしですが、他の人は一重丸か二重丸なのでその三人の作品が特に気に入っていたのでしょう(うち一人は自分なわけですが)。前島君の句は、こういうのでした。 

 府中の猫はこれは嘘だが全て片目
 銀の活字五十銭今日は「な」を下さい
 西表山猫ストも辞さぬ構え
 森に雨 滴りに目が青くなる
 私の感情は電光掲示を流れてゆく 
 
「俳句空間」の投稿欄は総じてそうだったのですが、基本的に季語を気にしてませんね。こだわって無季俳句を作ろうとしているわけではなく、そもそも気にしてないのだと思います、たぶん。私や前島さんが就職したのはバブル崩壊後数年してからで、いわゆるバブル世代ではないのですが、しかしもちろんロスジェネとかゆとり世代にははるかに遠く、気分はほぼバブル世代と違わないのではないかと思います。これらの句の屈託のない才気の炸裂にもそういう世代的・時代的なノリを感じます。では、「寝耳」は……。 

 ロッテリアで魔法を売っているという二つ買った奴もいるという
 磔刑や必ず帰りのバスが混む
 歯を磨かなきや人類も救わなきや
 盛土にも束の間なれど地霊居り
 木犀やゆつくりきいてくるますい

驚くほど変わってない、気がする。

 どこに行ってもドブの臭いがするとすれば俺自身が死んでしまった川なのだ 

とはいえ、ラストの句(=七十五句目)はこのように、かなり暗い中年の自嘲を感じさせるもので(三十五音の超長律!)、そう思って先ほどの五句を振り返ると、『燿』におけるういういしい楽天性はやはり失われているとすべきでしょうけど。 

ところで先ほど、『燿』の十六人の中には、俳句をやめてしまった人もいると記しましたが、前島君なんかはどうカウントすればいいのやら。というのも、彼は今までも数年にいちど、同じような調子で、ホッチキス留めの句集を送ってくれていたからです。俳句界とは縁もゆかりもないまま(せいぜい高山と冊子・句集と年賀状を交換する関係を保っているだけで)、時々興が乗るとこうして句を作る。それでべつだん腕が落ちた感じもしない。彼のことを思い出すと、いつもなんとなく、こちらの方が変なのではないかという反省に陥るのであります。

9月11日(土)
 最近お贈りいただいた句集では抜井諒一『金色』を読んだ。これは並装本だが、ホチキス留めではない、ちゃんとした句集である(あたりまえだ)。

 花火とは別の夜空へ帰りたる
 草の絮あらかた草に引つかかる
 拳からばつたの脚の出てをりぬ
 翻る火のうら暗き野焼かな
 大胆に近づいて来し春の鳥
 黒南風の巡れる地下の駐車場 

堅実な形象の裏にほのかな感傷をまつわらせた句風。ただ、感傷も詩の動機として必要なものだとして、感傷がそのまま小市民風の自己満足に頽落してゆく傾向もまま見受けられてそこは物足りない。〈手花火の明るさ家族ひとつ分〉とか、六十、七十で主宰の長々した序文付きで出す第一句集ならともかく、四十前の期待の作者の句集では見たくないような句がときどき目につく。 

穏健な花鳥諷詠派の抜井とは対照的に文明批評的な姿勢が顕著なのは、堀田季何の『星貌』と『人類の午後』。ただ、無季・自由律の句を主とした『星貌』本体は、あまりピンとこない。自作を説明する際の、自在季・自在律という用語は面白いと思ったが。一方で、同書に附録として収録されている旧作の『亜刺比亜』(初版は二〇一六年、日英亜対訳の海外版のみ)はごく自然に楽しめた。 

 砂吹かれ笑窪たくさん笑みかへす 

砂紋の変容を「笑窪」と捉える把握は新鮮。

 しはぶきて蛇や砂より砂を吐く
 いつさいは駱駝親子の咀嚼音
 告知(アザーン)に雄鶏のこゑ混じりけり 

砂漠の国の動物模様。私はアラビア半島では仕事でカタールに行ったことがある。予定に半日空きができた時に駱駝に乗って砂漠ツアーにも出かけたが、やつらはかなり汚い。馬に比べて乗り心地も悪いし。歩きながらウンコ出し放題なところは、馬も駱駝も一緒だが。咀嚼音がどうだったかは記憶にないものの、二句目の誇張法は、駱駝のある感じ――ぬーぼーとした肉体感みたいなもの――をユーモラスに説得力をもって捉えている印象。 

 インク・汗・血に聖別されてドル紙幣 

青山茂根の〈ドル紙幣とて短夜の傷を負ふ〉を思い出した。海外旅行あるあるという面はあろうが、海外旅行ではパスポートと金(カード含む)だけが頼りゆえ、これらの句のように物としての貨幣が焦点化する気分はよくわかる。 

 塔のぼる銀河中心部へ向けて 

ドバイにあるハリファ・タワーの展望デッキに昇るシーンか。「銀河中心部」はいかにも大袈裟ながら、高揚感がよく伝わってくる。 

ともあれ、句集としてはもう一冊の『人類の午後』の方がずっと重要だろう。このタイトルには既視感を覚えて、その元は石井辰彦の歌集『全人類が老いた夜』か、いやもっと似たのがあった気がすると思いながら、栞の宇多喜代子の文章を読んだら、冒頭に〈日野草城の最後の句集に『人生の午後』がある〉とあった。そうでした。栞文は、宇多の他には、高野ムツオと恩田侑布子が書いていてそれぞれ読ませるが、中で高野の文章の次の一節は言っておかなくてはならない指摘とは思いつつも、かなり問題含みだ。 

前半の多くの句がそうだが、連作で構成されている点も興味深い。連作は新興俳句が戦争の時代と差し違えるために編み出した苦渋の方法で、無季の可能性もそこに託した。連句を踏まえた構成法である。その復活の野心もストレートに伝わって思わずにやりとしてしまう。

〈連作は新興俳句が戦争の時代と差し違えるために編み出した苦渋の方法〉とか〈連句を踏まえた構成法〉とか、論旨自体やや大胆すぎる感じ。それに加えて、堀田がかつて『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』に寄せている「連作と新興俳句」のことを全く無視しているのも疑問符が付くところ。論文自体、いたずらに理屈をこねくりまわすばかりであまり良いものではなかったことはさておき、堀田はそこで、〈連作と新興俳句の関係性とは、当時の若い俳人たちがモダンな題材や語彙を積極的に導入する上で既存の連作形式を用いた一過性の熱に過ぎない〉とまで言っているのだ。高野の〈その復活の野心〉云々との整合性はどういうことになるのかしらん。また、新興俳句よりずっと後の俳句連作の顕著な事例として夏石番矢の諸作があり、堀田は夏石が主宰する「世界俳句」のメンバーだったこともあるはずだ。さらに近年の作例としては、関悦史の『六十億本の回転する曲がった棒』が連作句集と言っていい内容で、テーマ的にも堀田が意識していないはずはなかろう。

といった連作談義にここで深入りしてもしょうがないから、具体的に堀田の作品を見てみる。すると、前奏・Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・後奏と五章立てになったうち、高野が言う前半(具体的には前奏・Ⅰ・Ⅱ)にはたしかに一般的に連作と呼ばれてしかるべき一連が多く、さらに言えば後奏も三つの連作で構成されていると見てよさそうだ。

   雪女郎、人権なき者。四句
 雪女郎冷凍されて保管さる
 毆られし痕よりとけて雪女郎
 雪女郎融けよ爐心の代(しろ)として
 雪女郎融けたる水や犬舐むる 

たとえばこれはⅠに入っている連作。同じ季語が複数句にまたがって使われるケースは、新興俳句ならずともままあって、それらは連作なのかどうなのかみたいな話が、前述の堀田論文にあった。実際、先に見た抜井諒一の『金色』にはそれに近似の例が多く含まれるが、結論から言えば、抜井作品の場合は少なくとも狭義の連作とは言い難いだろう。他方、掲出した堀田作品は、常識的には連作と言うことになる。それは四句に雪女郎という季語が共通しているだけでなく、雪女郎が「人権なき者」として主題化されているからだ。もっともこの種の主題化が必須かと言えば、新興俳句段階の連作ではそうとも言えず……とまたまた脇道に入りそうになるがやめておきます。いや、堀田のこの雪女郎連作はとにかく面白い。この種の佳品としては他に、宝船の語が必ず詠み込まれた九句からなる一連がⅡにある。四句を引く。

 暗黒の海辷り來て寶船
 寶船すこしはなれて寶舟
 懇ろにウラン運び來寶船
 寶舟瓦解しぬふと日の射せば 

この連作については高野が栞文で、〈宝船は庶民のささやかな夢。だが、人間の欲望の塊でもある〉云々と記す通りだが、俳句形式に対するイロニーと文明批評的な視座を一体化させたようなこうした詠み口は、新興俳句の連作が基本的に持ち得なかったもので、影響関係を想定するならやはり夏石番矢や関悦史の方だろう。しかし、この調子でやっているといつまでも『菊は雪』に戻れないので、ここでは以下、連作云々にかかわりなく、個別に興に入った句若干を挙げておくにとどめる。 

 迷彩の馬驅けめぐる櫻かな
 職場ごと蒸發したる櫻かな
 蝶の胸壓す紙の上から強く
 吾よりも高きに蠅や五六億七千萬年(ころな)後も
 正方形の聖菓四ツ切正方形
 引鶴のゆくへしだいに光増す
 夜濯のメイドしづかに脱がしあふ
 髪ばかり洗ふとばかになりますよ
 人閒を乗り繼いでゆく神の旅
 鮫の皮剝がす全身タイツのごと
 配膳ワゴン全段雑煮隔離病棟へ

私は二年前に出した『切字と切れ』を、〈今や、平成の三十年間がほったらかしにしてきた主題や主体の問題こそが、あらためて議題にあがらなくてはなるまい〉という一文で結んだ。ラストにあって目立つせいか、その後、この件で突っ込まれてたじたじとなることが何度かあったのであるが、先般刊行された髙柳克弘の『究極の俳句』は、主題の擁護という点で明確な主張を持っていて心強く思った。作品としては堀田の『人類の午後』も、髙柳の論と同期する点があろう。もちろん『人類の午後』が完全に成功しているかと言えばそんなことはなく、引っかかる点も少なくないのだが、ともあれ力作・問題作であり、いろいろ考える基盤になる成果には違いない。ここで引いた四句目などは、虎狼難俳句の傑作ではあるまいか。 

9月12日(日) 
東京都現代美術館で開催中の「GENKYO 横尾忠則[原郷から幻境へ、そして現況は?]」展を観に行く。妻を誘ったら珍しくついてきた。展示はたいへん良かったが、もっと早い時間に行くべきだった。 

『菊は雪』を読んでいて、「として」という語法がなにやら気になった。

 書きて折りて鶴の腑として渡したし
 秋近し声はあぶくとして伝はる
 肉塊として起き上がるスキー我
 愛欲や近景としてボートレース
 風船や楡を眠りの枝として
 運河きらめき話者として虹は立つ
 扉を開けて我らは雪の一味として
 日のちらつきは風花の蕊として 

辞書的には「~の立場で」とか「~の資格で」を意味するこの連語は、俳句表現においては「ごとく」や「やうな」に近い働きを持つ比喩のレトリックとみなせよう。実際、〈秋近し声はあぶくのごと伝はる〉〈運河きらめき話者のごと虹は立つ〉〈日のちらつきは風花の蕊のやう〉への言い換えは特に無理なく成立する。「ごとく」「やうに」への置き換えができない場合でも、〈愛欲の近景を過ぐボートレース〉としてもいいのだし、〈扉を開けて我らは雪の一味かな〉も〈一味なり〉もありだろう。しかし、「として」なのだ。「として」とすることの効果はそれぞれの句で微妙に異なるものの、共通するのは分析的・散文的なニュアンスと、その結果としての一種の疎隔感のようなものだろうか。 

9月13日(月)
午前中、十月号の校了作業。午後、十二月号特集の打合せを延々。十一月号特集に入れる四コマ漫画のネームの相談。 

さて、『菊は雪』の「として」問題の続き。この表現は、五百五十句のうち八句に見られるに過ぎず、絶対数としては多くはないが、たぶん少なくもない。他の句集で数えたことがないので正確にはわからないけれど(なお、〈きゆんとして音楽に酔ふ音の玉〉という句もあるが、これはやや筋が違うので例に含めていない)。ともあれ、絶対数が限られるにもかかわらず妙に気になったのは、数の問題以上に、『菊は雪』というかなり主張の強いタイトルに含まれる「として」のニュアンスとの共鳴を感じたからかも知れない。巻軸には、

 ゆめにゆめかさねうちけし菊は雪

という、句集名を受ける句も置かれているが、むしろ帯(とうぜん、佐藤と太田で考えたのだろう)に掲げられた次の言葉を見てもらう方が、私が言わんとするところが伝わりやすいだろう。 

 奇術のごとく
 入れ替わる透明な景のうちに
 菊は雪となり
 雪もやがて消える

ここで述べられているのはつまり、菊は雪「として」あり、雪は菊「として」あるということに他なるまい。どちらが実体で、どちらが比喩とも言えないような関係。「として」はいわばこの認識、全ては仮象だ・仮象にすぎないという認識が、語法的に露頭したものと考えることはできないか。こうした認識自体は、たとえば生駒大祐の『水界園丁』をも覆っている。ただ、生駒がずっと破綻なく、端正かつ念入りにやってのけ、そのぶんいくらか退屈でもあるのに比べて、はるかに雑然・混沌としているのが『菊は雪』の個性であるに違いない。一見優美な書名を裏切って、あちこちに大小の亀裂が、時には亀裂どころか大きな穴ぼこがあいているのだ。八つの「として」がごく小さな亀裂だとすれば、「学園東町」という九句からなる、各句にかなり長い前書の付いた連作などは、さしずめ特大の穴ぼこの一つだろう。

 トケーソー知っとうし触ったあかんとかゆわれてへん
 先生暑(あつ)。もう言えますアコー郡イボ郡
 レガースめちゃくそ臭いこれ汗だけとちゃうんちゃう
  バリおもろいメリやばいメリって何なん寒(さぶ) 

「guca」における太田ユリとの対談で佐藤は、第一句集の頃は、〈「自分のあゆみ」なんて見せてたまるかと思っていた。でも今回は、全部出しです〉と述べている。そうは言っても、句集の他の部分では、いろいろほのめかしは感じられても、それほど明瞭に彼女の「あゆみ」がたどれるわけではない。しかしなるほど、「学園東町」では全部出しとの言葉にいつわりはない。〈神戸の西の方の新興住宅地で育った〉小学生時代を回想する前書と、ご覧の通りの関西弁会話体による俳句の連鎖は、ちょっと驚くような言葉の奔流をなしている。この関西弁俳句の冴えには、高浜虚子の「風流懺法」の一念と三千歳の会話を思い出した。佐藤一流の露悪趣味に鼻をつまむ(なにしろ「汗だけとちゃう」からね)向きもあろうが、これらの句の言葉のパフォーマンスはすばらしく充実していると思う。 

句集終盤に置かれた「諒子」という十五句の連作も美しい。句集前半にある「スキー」というやはり十五句の連作について佐藤は、渡辺白泉の連作「青春譜」を意識したものだと述べており、個人史的な背景についても触れているが、作品の完成度からすると「諒子」の方が「スキー」よりはるかに勝っていよう。 

 雪の今日諒子は私みたく可愛い 

と始まる一連は、平凡な若い男女の冬の日のデートないし散策という枠組みを持っている。そこには奇妙なほど強い切迫感があって、具体的なエピソードに材をとっているらしい「スキー」などよりよほど生々しい佐藤の感情の反映がありそうだ。五句目に、

 諒子は言ふ幽霊烏賊が見たかつたと 

とあるが、一句目の「私」も、諒子やその恋人らしい裕哉を含めた「我ら」(〈扉を開けて我らは雪の一味として〉の「我ら」である)もいわば幽霊的であって、諒子と裕哉がまぼろしのように消えた後に残ったナレーションは、それでは果たして「私」によるものなのかどうか。以下は、連作の最後の四句。 

 君たちの冬 君たちは私のもの
 冬花火まぼろしに見えまぼろしなり
 諒子と別れ諒子のゐない小さな駅
 また逢ふならば喋ることなどない冬だ

男性の名前が、『菊は雪』の装幀者の佐野裕哉と同じであることからすると、あるいはこの一連は句集の制作を背景にした担当編集者の太田ユリと佐藤と佐野の交流をイメージソースにしているのかも知れない。しかし、この虚無感、この寄る辺なさは、そうした制作の契機(仮にそれがそうだったとして)からはるかに遠いところまで達してしまっている。

9月14日(火)
『評伝 ゲルハルト・リヒター』(ディートマー・エルガー著、清水穣訳)、読了。作風転換の多い人だが、自信に満ちて、というわけでは全然ないところが興味深い。午前中から作業と打合せがとぎれなく続く。明日は大阪へ早立ちするので早めに帰宅したかったところ、結局家に着いた時には九時を回っていた。 

というわけで、せっかく『菊は雪』の読みのとば口にかかったような気になりながら、この日記も切り上げねばならない。本句集の核にあるものを一句で代表させるなら、「水」という一連(狭義の連作ではない)にある、

 つまらないことの淋しさ百日紅 

 かもしれないと思い始めている。佳句ではないが、「諒子」に結晶化したような虚無感を、なまな生活感情に落としこむと、さしずめこんな句になるのではあるまいか。