2021年5月15日土曜日

パイクのけむりⅤ ~最近びっくりしたこと~    高山れおな

 生業が繁忙期に掛かっており、まとまったものを書く時間がない。なので断章形式で。

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結社誌・同人誌の編集後記で、ときどき面白いものがある。以前だと「鷹」の奥坂まやさんのそれが絶品で(まだ藤田湘子存命の頃だ)、毎度、コントのような趣きだった。奥坂さんは狙って書いていたのだろうが、最近読んだ「南風」五月号の(麗加)と署名のある編集後記はそういうものではない。しかし、衝撃だった。 

 先日、森あおいさんと句作の話をしていて「俳句は作り始めから五七五の形」と聞き驚いた。他の人もそうなのかとオンライン句会で質問したところ、あとで推敲するにしてもなるべく最初から五七五の形で作るとのこと。短文を十七音になるまで削っている私とは作り方が随分違うことに感心した。 

短文を十七音になるまで削る……まさか、そんな作り方をしている人がいたとは。いや、もちろんこれは良い悪いの話ではない。作り方など各自好きにすればいいのだが、それにしても意表をつかれたのはたしかだ。ここで思い出したことがある。『省略の詩学 俳句のかたち』という本があるが、著者の外山滋比古はどうも、俳句が一般にこの麗加さんのようなやり方で作られていると思い込んでいる節があるのである。一部の人には名著扱いされている本ながら私には胡乱な感じが拭えなかったのだが、ある時、外山のこの誤解に気付いて、その記述から受ける違和感が腑に落ちた。とはいえ、麗加さんのおかげで、外山が思っているような書き方をしている人も(あくまで例外的な少数派だとしても)いることはいるのだと知ることができた。編集後記恐るべし、である。

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前々回の本欄で、「画期的金子兜太論の出現」と題して井口時男氏の『金子兜太 俳句を生きた表現者』の書評もどきを書いたところ、「藍生」から再録の依頼が来た。同書の特集を組むというのである。特集は黒田杏子氏から頼まれた筑紫磐井の編集のようで、筑紫・井口両氏のメール対談、筑紫の長文の新兜太論、坂本宮尾・橋本榮治・横澤放川各氏による書評などが載っている。衝撃だったのはそれら記事の内容ではなく、筑紫磐井の肩書が「現代俳句協会副会長」になっていたことだ。副会長は十人くらいいるらしいけど、それにしても筑紫磐井は俳人協会の所属だったんじゃないの? 私はどこの協会にも入ってないし、どうでもいいっちゃどうでもいい話だが、まあ、とにかく驚いたので書いておく次第。

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「古志」五月号に、長谷川櫂氏の「俳句は『座の文学』か」という文章が載っている(自身の個人サイトからの転載の由)。大岡信の『うたげと孤心』を引き合いに出しながら、 

 俳句を「座の文学」と割り切ると、座を成り立たせている孤心を見失うおそれがあります。俳句を単純に「座の文学」と考えないほうがいいということです。

と言っているあたりは特に異存もない。びっくりしたのは、「座の文学」という言葉の起こりやそれが広がった背景について述べている部分。なんと、〈俳句におけるマルクス主義の影響の一つが「俳句は座の文学である」という考え方〉なのだという。 

「座の文学」を最初に唱えたのは尾形仂ですが、簡単にいえば、俳句は一人で作るものではなく、みんなで作るものだという考え方です。これは一人で作るものよりみんなで作るもの(共同制作)が優れているというマルクス主義の根本思想に基づいています。 

四年前の蔵書大断捨離のため手もとに尾形の本がなく、冒頭述べた理由で取り寄せしてまで確認している余裕がないが、尾形の「座の文学」は俳諧連歌についての話ではなかったかしら。俳諧連歌の話を現代の句会に適用したのは俳人の側の勝手で、どちらにしてもマルクス主義は関係ないんじゃ……。俳句の世界にもはっきりとマルクス主義を標榜している人たちはいたが、その人たちが向かったのは口語俳句とかの方ではなかったん? 共同制作がマルクス主義の根本思想って、そっ、そうなん? 

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ツイッターをあれこれのぞいていたら、 

くちぶえに鳥の文法なき暮春   抹茶金魚 

という俳句を見かけて、いいじゃんと思って、半年くらい前の「詩客」に作品が出ているということなので遅ればせながら読んでみた。俳号が「抹茶金魚→さ青」と変わったらしい。 

零れつつ躑躅へ岸を這ひあがる   さ青 
明るさと死は航路なき麦畑     同 
不在を言へば傷の卓子に夜の蟻   同 
墨色の鯉のしづんでゆく枯野    同 

「鳥の文法なき」にごく率直に出ている疎外感というか、世界から乖離しているような感覚がどの句にも通底しているだろう。三十年前の深町一夫や桐野利秋(=歌人の正岡豊の俳句用ペンネーム)の作品を思い出したりもしたけど、彼らの句のようなハイなところはなくて、より沈着な抒情性が持ち味にちがいない。 

一句目は、水から出た蛇や蛙が「岸を這ひあがる」なら情景としては自然だが「零れつつ」がそぐわない。人や犬なら「零れつつ」の説明はつく代わりに「岸を這ひあがる」が一種の事件のニュアンスを帯び、「躑躅へ」という細部が浮いてしまう。結局、他に言いようがない感情の比喩としての「零れつつ……這ひあがる」を、「躑躅へ岸を」の具体性が俳句形式に繋ぎとめる――そういうあり方をしている句のように思う。その「零れつつ……這ひあがる」ものを私自身は、デュシャンの《階段を降りる裸体No.2》のような、多重露光的な動きとしてイメージしたりもするのだが、しかしこれは個人的な嗜好の問題かもしれない。

二句目の「明るさと死」の並置には、たとえば「アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ」(太宰治「右大臣実朝」)といった逆説も連想される。麦畑と航路には本来的な結びつきなどないが、麦畑の茫漠たる広がりを「航路なき」という形容によって表現するのはなかなかカッコいい。もちろん「航路なき」は麦畑に掛かるだけではなく、「明るさと死」の述語でもある。初夏の日差しのもと、麦畑に立ち尽くしての放心。それが明るく美しい瞬間であればある程、過ぎ行くもの(航路なきままに!)としての自己へ向いた意識が鋭くとぎすまされてゆくということだろう。

三句目の「不在を言へば」のフレーズはいささか現代詩的な(むしろ戦後詩的な?)ナマっぽさを帯びるが、中七下五ががっちり俳句的なので全体としては安定している。天板に傷があるような古い、または安っぽいテーブルに蟻があがってきた夜の一場面。家族や恋人から神まで(あるいは金や名誉や職でもいい)、あるべきものあらまほしきものが不在であるという欠乏の意識が、蟻が這うテーブルに象徴される貧寒とした実在に固着してしまっている。「言へば」という押し付けるような措辞は、不在自体という以上に、その固着のいらだたしさを伝えるものだろう。 

四句目。「墨色の鯉」というフレーズがありそうであまり見かけないものだし、「スミイロノ/コイ」というしらべも端的に美しい。枯野の中に池があり、のぞいてみたら水底に黒い真鯉がしずかに沈んでいた――そんな情景なら実際にあっておかしくないし、「墨色の鯉しづみゆく枯野かな」であればそう受け取るのが穏当だろう。しかし、この句の場合、「墨色の鯉のしづんでゆく」はあくまで比喩のようだ。夕映えの華やぎもなく暮色が立ち込めてゆく枯野の情感を、そのようなイメージとして捉えたということ。古色蒼然を装いつつじつは斬新という心憎いつくりではあるまいか。