平井照敏編の『現代の俳句』(講談社学術文庫 1993年)なども頭にはあったが、これは絶版なので、今も生きているはずの健吉本をとっさに挙げたのであるが、俳句の適当なアンソロジーというのは案外ないものである。もちろん冒頭の虫のいいおじさんは、『極めつけの名句1000』(角川学芸出版編 角川ソフィア文庫 2012年)や『くりかえし読みたい名俳句一〇〇〇』(今井義和編 彩図社 2019年)から読めばよいと思うが、私がここでイメージしているのはもう少し大規模で、明治以降、現存の中堅どころの作者までを作家別で網羅したようなタイプのものだ。
とやこうや思っていたら、最近たまたま図書館で『現代俳句の鑑賞事典』(東京堂出版 2010年)という本を見つけて、なかなか手ごろな感じなので古本を手に入れた。これは収録159人で各30句なので計4770句を収録している。山頭火(明治15/1882生)、放哉(明治18/1885生)、風生(同)らが一番古いところで、小川軽舟(昭和36/1961生)、黛まどか(昭和37/1962生)、仙田洋子(同)、中岡毅雄(昭和38/1963)が下限になる。非常に特徴的なのは、宇多喜代子と黒田杏子が監修で、以下、12人の編集委員が全員女性なのである。監修者と編集委員は作者としても収録されているから、そのぶん女性の層が厚くなる道理で、実際、収録俳人の36パーセントが女性というのは、近代俳句の第二世代からカヴァーしていることを考えると女性率高めであろう。ちなみに健吉本は女性率10パーセント、平井本は19パーセントだ。
『現代俳句の鑑賞事典』は、書店に新刊本で並んでいる頃になんども見かけたものの、その時には興味を引かれず買わなかった。「鑑賞事典」という名前が、なんとなく気に沿わなかったのだが、これは偏見というものだったかも知れません。ところで手許に他に川名大編の『現代俳句』(ちくま学芸文庫 2001年)がある。平井本が1993年刊で107人収録、川名本が2001年刊で126人収録、鑑賞事典が2010年刊で159人収録ということで、だいたい10年間隔で刊行された比較的近い規模のアンソロジーなので、収録作家がどう変化しているか調べてみた。全員はやっている時間がないので、明治生まれ限定です。
高浜虚子★ 1874 平井 川名
臼田亜郎 1879 平井
内田慕情 1881 川名
種田山頭火 1882 平井 川名 鑑賞
前田普羅 1884 平井
尾崎放哉 1885 平井 川名 鑑賞
富安風生★ 1885 平井 川名 鑑賞
飯田蛇笏 1885 平井
阿部みどり女 1886 平井 鑑賞
原石鼎 1886 平井
竹下しづの女 1887 平井 川名 鑑賞
長谷川かな女 1887 鑑賞
久保田万太郎 1889 平井 川名 鑑賞
杉田久女 1890 平井 川名 鑑賞
山口青邨 1892 平井 川名 鑑賞
水原秋櫻子★ 1892 平井 川名 鑑賞
芥川龍之介 1892 川名
高野素十 1893 平井 川名 鑑賞
栗林一石路 1894 川名
後藤夜半 1895 平井
長谷川双魚 1897 平井
篠田悌二郎 1899 平井
三橋鷹女★ 1899 平井 川名 鑑賞
橋本多佳子★ 1899 平井 川名 鑑賞
阿波野青畝★ 1899 平井 川名 鑑賞
及川貞 1899 平井 鑑賞
右城暮石 1899 鑑賞
横山白虹 1899 川名 鑑賞
永田耕衣★ 1900 平井 川名 鑑賞
川端茅舎★ 1900 平井 川名 鑑賞
中村汀女★ 1900 平井 川名 鑑賞
西東三鬼★ 1900 平井 川名 鑑賞
中村草田男★ 1901 平井 川名 鑑賞
山口誓子★ 1901 平井 川名 鑑賞
秋元不死男★ 1901 平井 川名 鑑賞
日野草城 1901 平井 川名 鑑賞
高篤三 1901 川名
皆吉爽雨 1902 平井
富澤赤黄男★ 1902 平井 川名 鑑賞
橋閒石 1903 平井 川名 鑑賞
芝不器男 1903 平井 川名 鑑賞
橋本夢道 1903 平井 川名
星野立子★ 1903 平井 川名 鑑賞
大野林火★ 1904 平井 川名 鑑賞
井上白文地 1904 川名
加藤楸邨★ 1905 平井 川名 鑑賞
平畑静塔★ 1905 平井 川名 鑑賞
篠原鳳作 1905 平井 川名 鑑賞
石塚友二 1906 平井
松本たかし★ 1906 平井 川名 鑑賞
山口波津女 1906 平井
細谷源二 1906 川名 鑑賞
鈴木真砂女 1906 鑑賞
細見綾子 1907 平井 川名
橋本鶏二 1907 平井
中川宋淵 1907 平井
安住敦 1907 平井 川名 鑑賞
相馬遷子 1908 平井
京極杞陽 1908 川名 鑑賞
中島斌雄 1908 鑑賞
藤後左右 1908 川名
石川桂郎 1909 平井 鑑賞
加藤知世子 1909 平井
石橋秀野 1909 鑑賞
田畑美穂女 1909 鑑賞
石橋辰之助 1909 川名
喜多青子 1909 川名
下村槐太 1910 平井 川名
高屋窓秋 1910 平井 川名 鑑賞
仁智栄坊 1910 川名
能村登四郎 1911 平井 川名 鑑賞
清水径子 1911 川名 鑑賞
三谷昭 1911 川名
神生彩史 1911 川名
名前の後ろに★印を付けたのは朝日文庫の『現代俳句の世界』の作者でもある人で、この三著には高濱年尾が見当たらず、高濱虚子が鑑賞事典に入っていないのを除けば、他のメンバーは全員皆勤しており、やはり強い。ただし、彼らと同じかそれ以上の猛者であるところの正岡子規が全く登場せず(そもそも明治生まれではなく慶応3年生まれではありますが)、虚子の他、蛇笏や石鼎、普羅、水巴といったところが振るわないのは、ひとつには他で読める(端的に言えば健吉本で手厚く待遇されている)という編者の判断もあっただろう。また、川名本・鑑賞事典については、何時代の生まれかはともかく、活躍期が昭和期以降の人を主として、新味を出したいとも考えたに違いない。この作者は20年の間にだんだん忘れられちゃったんだなとか、この作者が入っているのは編集委員にこの人がいるからだなとか、単なる名前のリストではありますがなかなか味わい深い。
ここで、こういうアンソロジーがあればいいなという妄想を書き付けておくなら・・・
◆範囲は明治期に活躍した人から現在の30代くらいの作者まで(近世はまた別に考える)。
◆作者数は300~400人くらいで作者単位で収録。
◆総句数は1万句くらい。
◆山本健吉や川名大がやっているような鑑賞は不要。作者の略歴の他は、句に特殊な背景があったり、難解な語彙の使用、引用がある場合のみごく簡単な註を付す。
◆選者は7~8人の共同選。現存作者の場合も、まず選者側から句を示して作者と調整。
◆各作者の収録句数はマックス50句(100句?)程度からミニマム数句程度まで幅を持たせる。
手放してしまったので今は内容を確認できないが、独選のアンソロジーでは齋藤愼爾編の「二十世紀名句手帖」全8巻(河出書房新社 2004年)という大著があったにはあった。しかし、私は独選というのはやはり限界があると思いますよ。塚本邦雄の『百句燦燦』のように個性的な選者の独断と偏見を楽しむ本ならさておき、総合的なものを志向する場合は特に。勅撰和歌集だって、古今集と新古今集がとびぬけてすぐれているのは共同選のおかげであるところも大きいにちがいない。「二十世紀名句手帖」は労作だったのにさして読まれずに消えてしまった気がするのは、分類が独特すぎたのをはじめ、全体としていろんな意味で齋藤愼爾的でありすぎたためだろう。マーゴリスという哲学者が価値判断について、「個人的センス」と「支配的センス」に分類してあれこれ言っているそうだが、アンソロジー作りには両者が必要だろうし、共同選の方がそれらを客観化しつつ活発に働かせることができるはずなのだ。まあ、考えるだにたいへんですけどね。
追記
と、いったん書き終えてから、そういえば近年話題になったといえば『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(現代俳句協会青年部編 ふらんす堂 2018年)ではないかと思い出した。これは44人の作者の各100選を収めているので句数は計4400句。作家論・テーマ論など総勢56人で書いているが、各作者の100句選はそれぞれの作家論の執筆者がやっているので、選句という点では共同選には当たらないようだ。
我が妄想のアンソロジーに近いのはこれではなくて、やはり現代俳句協会の編集になる『昭和俳句作品年表』(発売=東京堂)の方で、「戦前・戦中篇」が2014年、「戦後篇 昭和21年~45年」が2017年に出ている。各年次毎に、作者名のあいうえお順に作品が並べられていて、たとえば昭和11年(1936)なら85人の名が見える。「戦前・戦中篇」であれば、山口誓子のような人は当然ほぼ毎年登場してかつ複数句を取られる一方、全体を通じて1句しか採られていない人もたくさんいる。
あまり青き田芹が故につみとりぬ 臼田登代子 昭和8年(1933)
梅雨の灯やつゝましく解く質包 鈴木頑石 昭和10年(1935)
蟬の木を少年揺りて木の青き 中田青馬 昭和14年(1939)
莢豌豆はじく夕雲みづみづし 安井さつき 昭和18年(1943)
壕を出て赫つと陽のある蕨かな 秋山牧車 昭和20年(1945)
編集委員は「戦前・戦中篇」が宇多喜代子以下6人、「戦後篇」が同じく宇多以下8人(交代があったので延べ人数)で、宮坂静生の序文によれば句の採択は編集委員の合議により、〈ほぼ全員がよしとしなければ採択されなかったと聞いている〉とのこと。なるほど、上に引いた一句組の人たちの句を見れば厳選ぶりもわかる。作者は両篇併せて1000人を超えているようだ。若い人たちが編集した『新興俳句アンソロジー』が耐えがたく小さい字で組まれていたのに対して、こちらは目にやさしいのも有り難い。年表を志向しているのだから必要なことなのだろうが、何千の収録句のほとんどを初出誌にあたって制作年を確定させているというのだからびっくりだ。積ん読になっていたが、これを機に読まんとぞ思う。