招待状を受け取ってしまえばこっちのもので、いつもどおりへらへらと「何着てけばいいですかね?」「ドレスと短パン以外ならなんでもいいわ」「澄子さんは何お召しになるんですか?」「私は喪服よ」などとLINE通話したりするわけだが、美容室を予約し、久しぶりに爪を塗るなど、案外ちゃんと考えてもいた。
帝国ホテルに花屋があることを確認し、事務局に電話をかけて「参列者がこう、花束を渡す、みたいな場面はありますか」と聞くと「今年は接触を控えるため、受け付けていないんですよ」と言われた。たまたま贈賞式前日に道で澄子さんに会い、お酒をいただくことになって、ご自宅の玄関を見ると、友人からもらったと見られる花がたくさん活けられていて、自分が贈賞式翌日に届くようにネットで配送を依頼した花をキャンセルした。どうも、私が贈るべきは花ではないらしかった。
道でばったり会うのはもう3回目くらい、それほど澄子さんとは家が近いので、仕事で同じ会場に向かうときなどは丸の内線の同じ車両に、澄子さんは南阿佐ヶ谷から、私は新高円寺から乗り合わせて行ったりする。今回もその予定で、時間に遅れることのない我々は到着時間から逆算した乗車時間を調べて同じ電車に乗ることに決めていたが、「明日に限って雨なのよ」と澄子さんに言われて確認すると、この晴天続きの2月になぜか10mmも降る予報になっている。「タクシーにしましょう、私が乗ってお迎えに上がりますんで」。その方が電車で不特定多数に接することもないから安心だ、その代わり私と濃厚接触になるので万が一私が罹患していたら危険だ、だがしかし、私は一緒に行くのがいいと思った。マスクを二重にして、窓を開けてもらって、だ。
予報通り、朝から雨。15時半、バスで美容室へ。少しやみ始めたかと思われたが、タクシーでいいでしょうとLINEをし、16時。またけっこう降り出した。予定通りタクシーを拾って、澄子さんのご自宅へ。澄子さんを乗せて、マスクを二重にし、青梅街道。込み具合がわからないから、新宿から霞ヶ関まで高速をつかってもらうことにした。高速に乗るころには晴れてきていた。
虹だった。
太く大きく、はっきりとした虹だった。「ちゃんと7色見えるじゃない」「こんなことってあります?」「虹に向かって走ってる!」……そうだった。我々は、雨後の夕晴れを東に向かっているのだ。虹が出るのは太陽と逆方向。すべての条件が揃っていた。私はタクシーの窓を大きく開けて虹を撮った。
霞ヶ関が近づき、タクシーはトンネルに入る。「一生の思い出になりました」「ね。これ、しのぶ会で言ってよ」「ま、20年後ですね」。帝国ホテルでタクシーを下車するとき、小銭だけ私が支払った。虹を追って走った高速道路の区間料金と、ほぼ同額だった。
雨は、晴れは、タクシーは、高速道路は、そして読売文学賞贈賞式は、澄子さんに、私にも、虹を見せた。