対談の常として話題はあちらへ飛び、こちらへ飛びしたのはもちろんとして、作者として一番名前が多く登場したのは、歌人では斉藤斎藤、俳人ではやはりと言うべきか、高野ムツオと照井翠だったろうか。
津波と原発の二つの主題がどう詠まれ、優劣が傾向としてあったかというのは編集部サイドから触れるように要請のあったトピックスのひとつだが、優劣ということでは、津波というか狭義の震災を詠んだものが勝っており、原発事故を詠んだものが劣っていることは、少なくとも俳句でははっきりしている。これは高野のように、両方のテーマである程度以上の数を詠んでいる作者の作品で比較すればかなり歴然とするはずだ。我々は原発そのものに対してどうしたらいいかわかっていないと同様に、原発をどう詠めばいいのかもわかっていない。この事情は短歌の場合もさほど違いはないようで、川野さんは未完成感という言葉を使っていた。その未完成感を免れているかどうかはさておき、ともかくやり切った感があるのが斉藤斎藤の『人の道、死ぬと町』(二〇一六年 短歌研究社)の連作群で、言及が多くなったのも当然のことだろう。
角川春樹『震災句集 白い戦場』、長谷川櫂『震災句集』、関悦史『回転する六十億本の曲がつた棒』、照井翠『龍宮』、高野ムツオ『萬の翅』などはそれらが刊行された当座に触れていたが、五十句選を作るにあたりあれこれ読んで、特に感銘が深かったのは、小原啄葉の『黒い浪』(二〇一二年 角川書店)と『無辜の民』(二〇一四年 KADOKAWA)、西山睦『春火桶』(二〇一二年 角川書店)、柏原眠雨『夕雲雀』(二〇一五年 KADOKAWA)だった。このうち『夕雲雀』は俳人協会賞も受けており、今さらではあるけれど、それぞれ感銘の作の若干を引く(○は五十句選に入れたもの)。
小原啄葉 『黒い浪』より
帰る雁死体は陸へ戻りたく *「陸」に「くが」とルビ
行方不明者一人残らず卒業す ○
夏の夜や拇印真つ赤に遺体受く ○
瓦礫灼け羽のあるもの何も来ず
同 『無辜の民』より
その高さ津波の高さ揚雲雀
かりがねの空へ村去るクラクション
貸し借りの小銭をかくす蒲団かな
西山睦 『春火桶』より
うぶすなは津波の底に鳥曇
志津川湾再訪 十二句のうち
仮の家の供華匂ひたつ春の雪
津波禍の便器剝きだし苜蓿
海の子は海へ還りぬ辛夷の芽 ○
鮑蜑津波を語りつと消ゆる
海猫渡る万のひとみが沖に照り *「海猫」に「ごめ」とルビ
柏原眠雨 『夕雲雀』より
泣きながら吸ふ避難所の蜆汁
避難所に回る爪切夕雲雀 ○
日盛や津波抜けたるままの駅
町ひとつ津波に失せて白日傘 ○
津波禍の漁船花野に横倒し
津波禍の浜辺に獅子の舞激し
と、ここまで書いたのが一四日の夜で、今は一五日の夜である。今日は夕方に、読売文学賞の贈賞式があって参列することができた。池田澄子が句集『此処』(二〇二〇年 朔出版)によって詩歌俳句賞を受賞したことはご承知と思うが、私を招待してくれたのは池田ではなく『暴流(ぼる)の人 三島由紀夫』(二〇二〇年 平凡社)で評論・伝記賞を受賞した井上隆史先生だった。受賞したみなさんの挨拶はそれぞれ良かった中で、若い軍医だった父君の死についての池田の話には少々驚かされた。池田がまだ子どもの時に、中国戦線で戦病死したことは知っていたが、それはカンコウの陸軍病院でのことであり、チフスが蔓延する中で、医師である父君もついにチフスに罹患して落命されたのだった。カンコウと聞いてひょっとしてと思ったところ、続く池田の「カンコウは武漢にあるんです」という言葉に予想が確かめられた。カンコウとはいわゆる武漢三鎮のひとつ、漢口のことなのだ。
池田澄子 『此処』 より
敗戦日の落ちつつ大きくなる日輪
赤紙という桃色の紙があった
汗臭く少女期ありき敗戦日
読売文学賞の贈賞式が行われるのは帝国ホテルの「富士の間」という大きな部屋で、通常なら数百人が集まり、芋の子を洗うような感じの立食パーティー形式でにぎにぎしく行われる(それこそ高野さんが『萬の翅』で受賞した時もそうだった)。今年はコロナのお蔭で着席形式で、それぞれ四人のみが席に着いた大きな丸テーブルが、ひどく離れ離れに二十卓ほど置かれていただろうか(もちろん卓上に料理はなくミネラルウォーターがあるだけ)。武漢で死んだ若者がこの世に残した娘が、戦争をモティーフにした句も多く含んだ句集で大きな賞を受ける舞台を、武漢から広がったやっかいな疫病がかくも静かなものにしているのだから、不思議な暗合という他はあるまい。式後、お茶を飲んでからホテルのロビーに出ると、まだ八時を少し回ったばかりなのに、まるで夜中の一時か二時といった雰囲気で暗く閑散としていた。フロントの前にホテル開業一三〇周年を記念する赤い薔薇の花の巨大なオブジェが置かれていたので、それをバックにみなで記念写真を撮った。そのあたりは、佐藤文香の記事もご参照ください。
※佐藤は別のところに贈賞式の記事を書くことになりました。