2020年9月16日水曜日

日記(2020.8.15~2020.9.14)  関悦史

8月15日(土)  
午後1時、第11回田中裕明賞のZoom選考会。選考委員総替え後初めて。5時間近い全冊討議の末、生駒大祐『句集 水界園丁』が意外とすんなり受賞作に決定。
他の賞の選考委員を務めたことは何度かあったが、裕明賞は負担のケタが違っていた。多くの句集から1点だけを残して他は全部落とす作業であり、なおかつ選考委員全員が全ての候補作に言及しなければならないフォーマットなので、ともすればこまごまと短所ばかりあげつらうことになる。前任者の岸本尚毅さんが、鑑賞だけ書いていればいいなら楽しいんだがと言っていたのが腑に落ちた。 

 8月16日(日) 
先日追加分を片付けた作業にまた追加が発生。終わらせる。
アーサー・C・クラーク『宇宙島へ行く少年』、生島治郎『ぎゃんぶるハンター』、開高健『パニック・裸の王様』読了。 

 8月17日(月)  
しんどくて原稿書けず。  
石原慎太郎『太陽の季節』、石川達三『蒼氓』読了。 

 8月18日(火)  
鍵和田秞子さん追悼の短い原稿を書く。  
アルベルト・モラヴィア『1934年』読了。 

 8月19日(水)  
添削を済ませ投函。 

 8月20日(木)  
柿本多映さんと長電話。  
サトアヤとDM。部屋に侵入したコオロギがうるさくて辟易しているらしい。 

 8月21日(金)  
昼夜逆転が直らず、まともに眠れぬ日が続いて疲労困憊。  
ふらんす堂HP用の裕明賞「選考委員の言葉」を書く。  
山崎正和の訃報。  
区費の集金が来る。  
夜洗濯。ベランダにゴルフボール大の巨大蜘蛛が巣を張っていた。  
本読めず、気付け代わりに眉村卓『午後の楽隊』『六枚の切符』『ながいながい午睡』、筒井康隆『将軍が目醒めた時』再読。 

 8月22日(土)  
空気入れを借りようとしたら自転車屋が臨時休業中。  
空気が甘いままサイクリング、途中から散歩。小中学生の頃に本屋へ通った道筋の民家がぞっくり消え、広大な空地となっていた。なまじ生まれ故郷に住んでいると目の前で全てが消され、わからなくなっていく。 

 8月23日(日)  
明け方2時間足らず何とか睡眠をとって、第23回俳句甲子園の表彰式及びエキシビションマッチ審査のため松山へ。  
松山空港で事務局の人に迎えられ、タクシーで松山市総合コミュニティセンターへ直行。今年は当然のことながら高校生は全くおらず、入口では検温された。  
審査員長の控室も三密回避のため分室とされ、私は2階の別室に岸本さんと移らされる。裕明賞の話などする。 
表彰式は受賞者のいる各校や、松山に来なかった審査員長たちをリモート画面で繋ぎまくって進行。自分が何もしていないときも無事に繋がるかが気になり妙にくたびれる。私が個人賞に選んだ句の作者も画面越しに司会と話していたが、本人にも制作動機が説明しにくい句であったらしい。
あと優勝校・開成高校Aと3位の地元校・松山東高校のエキシビジョン・マッチ3句勝負。
星野高士さんは例によってすぐ帰り、他の審査員長はタクシーに分乗して全日空ホテルへ。私以外は皆前泊していた。
組織としての打ち上げはコロナ対策で中止。他の人たちは夕食に出たようだが私は部屋に入るなり睡眠不足が祟って数十分気絶寝。「孤独のグルメ」を気取って出歩く気力もなく、コンビニでパンを買って済ます。 

 8月24日(月) 
凝りがひどく、一晩悶絶。朝6時頃ちょっと寝てホテルで朝食。廊下で中原道夫さんに会ったが、もう食事を済ませて吟行に出るというのでそのままお別れ。
松山から半日がかりで帰宅。審査と講評以外何もしない松山行きだった。 

 8月25日(火) 
買い出し。  
深夜、ツイッターで見た鶏肉弱火放置焼きを作る。 

 8月26日(水)  
NHK「文芸選評」の投句が不在配達になってしまい、本局まで取りに行って至急選句。 

 8月27日(木)  
「文芸選評」打ち合わせの電話。  
柿本多映著/高橋睦郎編『拾遺放光』、今井聖句集『九月の明るい坂』読了。  
柿本多映さんと長電話。  
ツイッターを見たら夜0時にアニメ「まちカドまぞく」2期決定の公式発表があり盛り上がっていた。 

 8月28日(金)  
安倍首相ようやく辞意表明。法的責任を問われてではなく病気理由。  
また「文芸選評」打ち合わせと調整の電話。 

 8月29日(土)  
NHKラジオ第1「文芸選評」に電話で生出演。今年の俳句甲子園の話を最初に振られる台本になっていたので、昨日決まった角川俳句賞岩田奎(21)史上最年少受賞の話も入れ込む。 
何も読めず、深夜気付け代わりに眉村卓『月光のさす場所』『出たとこまかせON AIR』『強いられた変身』再読。 

 8月30日(日)  
二見伸明さんから電話。朝日新聞に角谷昌子さんが書いている時評に「俳句界」8月号の拙句が取り上げられていたらしい。 

 8月31日(月)  
脇の道に張り出した枝を切る。  
中原道夫さんから封書で俳句甲子園の審査員長集合写真と冊子『ブキミ文字小辞典』。集合写真は全員マスクありとマスクなしの2バージョン。マスクありの方は何の写真だかさっぱりわからず。  
何も出来ず夜鬱々とモディリアーニ、スーティン等のアート画像収集。 

 9月1日(火)  
「文芸選評」から電話。昨日来ていた選評の書き起こし、修正の締切が昨日中であったらしい。すぐに直す。  
ツイッターは震災忌に合わせ「私は追悼します」という歴史修正主義に対抗するタグがトレンド入り。  
サトアヤとDM。「翻車魚」グッズ制作の件や俳句甲子園の感想等。 
眉村卓『天才はつくられる』再読。松本清張『美しき闘争(上)』読了。 

 9月2日(水) 
松本清張『美しき闘争(下)』、ビュトール『時間割』、おかゆまさき『俺のペット生活がハーレムに見えるだと?』、篠崎央子句集『火の貌』、俳句羅の会『羅作品集Ⅱ』、加藤哲也『概説 中原道夫』読了。 

 9月3日(木)  
昼前、落雷大雨で起床。  
角谷昌子さんがメールで朝日新聞の時評を送ってくれる。  
封書で来ていた俳句甲子園個人賞選評の書き起こしに手を入れる。  
「俳句年鑑」2021年版用の自選5句と「WEP俳句年鑑2021」用の自選7句を選ぶ。  
髙柳克弘『蕉門の一句』、秦夕美句集『さよならさんかく』、國清辰也句集『1/fゆらぎ』読了。眉村卓『終幕のゆくえ』再読。  
神保町辺りに展開していたキッチンジローが2店舗残して閉店の報。 

 9月4日(金)
腹痛。  
ドストエフスキー『二重人格』読了。 

 9月5日(土)  
「土曜俳句倶楽部」出講のため青山のNHK文化センターへ。
帰途、かつて住んでいた東十条を散策してさんざんに迷走。1万歩以上歩いた。
池袋、飯田橋、秋葉原のブックオフも見て文庫古本数点買う。 

 9月6日(日)  
昨日の欠席投句者への講評を書く。  
眉村卓『短話ガチャンポン』『夕焼けのかなた』再読。笹沢左保『美貌の鬼気』読了。 

 9月7日(月)  
村松友視『坊主めくり』、長部日出雄『ハードボイルド志願』読了。
2日連続で東京に出る用が来月あり、ホテルを探したら4,000円で取れた。コロナで値が下がっているのか。
郵便局へ。大雨でずぶ濡れになり米を買いに回れず。
改修されていた市民会館がモダニズム建築特有のコンクリート打ちっぱなしの表面を塗りこめられてしまったばかりでなく、名前も変えられ、ファサードに悪趣味なネームプレートが付けられてしまっていた。隣の石岡市は昭和以前の看板建築物件などを積極的に保存しているのに、土浦市は更地にするような抹殺的改変が多く、平成年間で町の記憶がずいぶん消された。

 9月8日(火)  
夜、買い出し。  
笹沢左保『命売ります』読了。窓の外に不快な広告塔が立てられ、土地ごと買い取ってそれを撤去するべく、非合法な依頼をも受けつつ資金を集める男女のサスペンスで、「かつての眺めを取り戻す」という一見現実離れした動機にかえって深く共感する。 

 9月9日(水)  
「100年俳句計画」の選句選評をやっと済ませる。  
ニュース《「ドコモ口座」を使った不正引き出し相次ぐ》。
笹沢左保『魔性の月光』読了。 

 9月10日(木)  
松本清張『二重葉脈』、森村誠一『花の骸』読了。名探偵が出てくる本格ものが読みたいが積読になっているのが社会派ばかり。 
国勢調査の係員が来る。用紙は次回持ってくるとのこと。 
甲斐のぞみ句集『絵本の山』、宮坂静生句集『草魂』、善野行句集『聖五月』読了。
添削を済ませる。 

 9月11日(金)
ツイッターで眉村卓の遺作『その果てを知らず』来月講談社から刊行の報。
岸本尚毅『十七音の可能性』、宮坂静生『俳句必携 1000句を楽しむ』読了。前者は攝津幸彦、田中裕明がそれぞれ独自に洗練を極めた後の、逆方向の表現の例として私の句が出てくる。 

 9月12日(土) 
坂口昌弘『俳句論史のエッセンス』、佐野洋『贈られた女―佐野洋推理傑作選』、T・イーグルトン『クラリッサの凌辱―エクリチュール、セクシュアリティー、階級闘争』読了。
地元の駅前に古本屋や飯を食える店が複数残っている夢。まさに夢のよう。 

 9月13日(日)
CDプレーヤーのノイズがひどくなった。
野坂昭如『錬姦作法』読了。
ブログに句集抄出記事を10本一気に上げる。 →閑中俳句日記(別館)

 9月14日(月)
佐野洋『轢き逃げ』読了。
諸連絡。