紅花油が溢れて、台所の床を水拭きせねばならなくなり、網戸にすることができる勝手口のドアを見やるとこの時間にしては暗いので、手に取ったぼろ布を一度床に置き、勝手口とは反対のリビングにある窓から外を見た。なるほど雨が来そうではあるが、さきほど洗濯物は取り込んだし、部屋ごとの窓をしめてまわるのはもう少しあとでもよさそうだ、ということを確認して、台所に戻る。油の溢れたところをすでにキッチンペーパーでぬぐってあり、しかしそれでは不十分なので、こうして水拭きにかかるわけだが、水拭きをするためのこのぼろ布は、かつて私のTシャツの袖であったものだ。着られなくなった服を我が家では裁ち鋏で切って使い捨ての雑巾代わりにすることにしていて、それがちょうどかつて私の服だった布なのである。半袖の腕部分だったであるとわかるのは、手のひらより少し大きいその布は筒状で、ほぼ同じものが二枚重ねられてぼろ布置き場にあったからで、それを私は感傷的なまなざしで見ないでもなかった。
高校生当時着ていたその大きめの半袖のTシャツは、飽きたといって着なくなってからは母が家着にしていたのだった。それが今ようやくぼろ布としてここにあるということは、母は十年以上もそのTシャツを家で着ていたことになる。私の感傷は、だから同時に、母への感傷でもあった。母は靴下を繕って履く。冬の洗顔に湯を用いない。そういうことは見習うべき節約というより、貧しい時代の残り香のように感じられた。
油をきれいに拭き終わり、いよいよ雲行きが怪しくなったので、窓を閉めにまわろうと、私が着、母が着、ぼろ布として油を吸ったそれを、ゴミ箱へ捨てた。