2022年10月17日月曜日

みんな昔の仲間、になるか ー第13回田中裕明賞授賞式ー  佐藤文香

10/16(日)は、第13回田中裕明賞授賞式だった。今回は相子智恵さんの第一句集『呼応』(左右社)が、ほぼ満場一致で受賞。受賞挨拶からも、相子さんがこの田中裕明の名を冠する賞にふさわしい作家であると誰もが納得した。

すでにリリースされている受賞の言葉や候補作についてはこちらをご覧いただきたい。


裕明賞の授賞式は吟行句会とセットで、応募者が全員招待されるのが面白い。また、授賞式では全員が受賞者の一句を挙げて一言お祝いの言葉を述べることになっており、それがすべて冊子の電子版に収録されるというのもいい。というわけで、句会や授賞式の中身については、賞の主催者であるふらんす堂から後日刊行される冊子をご覧いただくとして、ここでは個人的な話をする。

私は今回第3句集『菊は雪』(左右社)で応募した。応募したというより、版元が応募してくれた。正直に言うと、本当はもう応募する気はなかったからだ。
私はすでに第6回に第2句集『君に目があり見開かれ』(港の人)で応募し結果に満足していたし(その年の受賞は鴇田智哉第2句集『凧と円柱』(ふらんす堂))、現在の裕明賞の審査員には関悦史がいる。関さんはご存じのとおりここで「翻車魚」を一緒にやっている仲だ。裕明賞では同じ雑誌のメンバーには点を入れないことになっているので、関さんからの点は入らない。別に受賞を目指しているわけではないから点が入らないこと自体はどうだっていいのだが、なんというか恐縮である。

それでも今回、私の句集も俎上に上がってよかったなと思ったのは、やはり4人の審査員が真剣に読んでくださったこと、そしてそれが「活字に残ること」に尽きる。誰が受賞したかも大事だが、どんな句集が・誰の評価を得て・どのような経過で受賞したか、ほかにどんな句集があって、どうして受賞作はそれを上回るとされたか、そういったことが残るというのは素晴らしい。十年後、五十年後に2022年を振り返ったとき、俳句にとってどういう時代だったかがわかる。昨日の授賞式中の相子さんの受賞の言葉も、現在の結社のなかで若手がどう育つかがわかるよう(暗に問題提起として)、今広く・のちのちまで長く・参照されることを意識した素晴らしい挨拶だった。同時代に作家としていられることを誇りに思う。


   火星にも水や蚕の糸引く夜  相子智恵『呼応』

一句挙げてお祝いの言葉、ということで、誰かと重なることを考えて、あらかじめ2パターン用意していた。実際の挨拶は冊子をお読みいただくとして、補欠はこの句だった。行ったことのない火星にも水があることと、蚕の糸引くこの夜は、同じくらい神秘的なこと。暗さのなかにあらわれるひとすじの美のきらめきの「呼応」の一句である。なお、自選30句のなかでは〈湯豆腐の底だぶだぶの大昆布〉も愛唱している。「どうふ」「だぶだぶ」「だいこんぶ」の音がいい。

吟行句会もよかった。第6回のときは授賞式からの出席だったため、通しての参加は初めてであった。アメリカ帰りという肩書き(?)を負った私としては、やはり小石川後楽園の日本らしさを嬉しく感じ、句会に出句した五句以外にもずいぶん句ができた。森賀まりさんと高田正子さんには「案外背が高い」と驚かれた。けっこうよく言われる。

   目のなかに芒原あり森賀まり  田中裕明『夜の客人』

この森賀さんの目のなかに自分も入ったと思うと嬉しい。
吟行中の写真はブログ「ふらんす堂編集日記」をご覧ください。


手を動かして清記するのも久しぶりで、点盛では久しぶりに「いただき!」を言えたのも楽しかった。ものすごく久しぶりに如月真菜さん(前年度受賞者)ともお会いできた。実は私が中学時代にちゃんと読んだ句集は夏井いつき『伊月集』と如月真菜『蜜』だけだ。ほかにも、応募者のみなさん、審査員のみなさん、ふらんす堂のみなさん、みんなにお会いできてよかった。


田中裕明賞は、若手にひらかれた応募制の賞である。田中裕明の享年に合わせて、満45歳までの句集に限られている。さすがに私が応募するのは今回で終わりにしようかなと思っているが、裕明は生前5冊の単行本句集を出しているから、私も45歳までにもう2冊くらいつくってもいいかもしれないと思っている(あと8年)。

   櫻待つみんな昔の仲間かな  田中裕明『先生から手紙』