2020年8月15日土曜日

私は俳句をこうやって読んでいる①『天の川銀河発電所』より  佐藤文香


なんという霧にまかれていて思う  福田若之 


「なんという(こと)……!」、霧にまかれていて、思う。上五で切る。これがナチュラルな読み。
霧のなかのこの世界とは……!、または何かの報に接して、なんという……、と思った。
ここで、作者が思ったことはきっと〜などと推測するのは、この句から離れる。あくまでも、「……!!」の感覚。 

そこに、上五で切らずに「なんという霧……!」、そんな霧にまかれていて(何かを)思う、という読みも併走させる。
さらに、なんという(名の)霧なのか、そこでこの人は何を思ったのか、とも考えてみる。当然、霧に名はない。 

いずれにせよこの句には、霧と、思うことしか出てこない。 

だから私は、霧のことを、そのうちがわにいるこの人の心のことを思う。 
自分の輪郭があやふやになっても、まかれて「いて」思う、この「いて」のところに、存在がある。思っている内容がわからなくても、〈思う〉という心の動きだけははっきりしている。あとは霧。どこの霧かはわからない、どこからも切り離されているようなかんじだけれど、ミストのかんじはわかる。

匿名性と実存。