2019年10月15日火曜日

塚原  佐藤文香

健太郎が塚原と出会ったのは、コマ撮りアニメの制作現場だった。先週末、健太郎が大学の先輩である高橋と久しぶりに飲んだとき、テレビ制作会社を辞めてフリーの放送作家になった高橋が、友達が困ってんねん、と押し付けてきたバイトの現場だ。
健太郎は修論を書ききらないまま修士3年目に入り、大学に行かないならせめてバイトくらいしようと思って、しかし高橋の紹介というのはなんだか怪しいから、転送されてきたアドレスに、1日なら大丈夫です、と連絡した。
当日は午前十時に多摩川沿いの建物の前に集合だというので、行ってみるとデカい女子が一人いて、それが塚原だった。金髪のショートヘアで、眉毛が黒かった。というか、顔がやたらデカかった。

ツカハラユミです、週に何回かバーでバイトしているけどたまには昼も人と会ったりしようと思って、知り合いの紹介だけど内容は何にも教えてくれなかったんだよね、と聞いてもいないのに喋るから、俺もよくわからないです、と言おうとしたら、明らかに健太郎たちより若いと思われる担当者が、ほかにも何人か来るはずなんですがさきに入ってください、と呼びに来て、倉庫のような現場に入った。現場は殺伐としていて、皆睡眠不足の目つきで健太郎たちを見た。
塚原に、「で、お名前は?」と聞かれ、「佐々木です」と言うと「下の名前」と言うので「健太郎」とこたえた。塚原は、「健太郎くんか、かわいい」と言った。別にかわいい名前じゃないだろう。健太郎ははじめから塚原を塚原と心の中で呼んだ。ユミの漢字はわからないが、塚原は一択だったからだ。あと、顔が塚原顔だった。

ふたりに与えられたのは、A3の厚紙に描かれた落葉の絵を鋏で切り抜くという仕事だった。アニメの背景の森の地面にそれを散らすという。落葉には銀杏の葉や紅葉のようなものもあれば広葉樹的な葉も大小あって、渡された厚紙には全部で12パターンくらいの葉がランダムに並んでいた。すべて絵の具で描かれたもののカラーコピーだ。それが30枚以上積んであったので、とりあえずの仕事としては十分だった。
健太郎がだるいな、と思っていたら塚原が低い声で歌いながらガシガシと切り始めたので、なおだるくなり、できるだけゆっくりやろうと思った。すると、「ほかのバイトの子が来てくれたのでー」と、さっきの担当がいかにも愚鈍そうな男を連れてきて、健太郎はそいつと一緒に力仕事のパートへ向かうことになった。健太郎は別の現場で使ったらしい木材を外に運び出しながら、さっき塚原が歌っていたのは井上陽水の「ワインレッドの心」だとわかり、妙に納得した。
愚鈍そうな男は見た目通りの力持ち(それらは両立する)で軽々と仕事をこなし、誰がどう見ても貧相な体つきの健太郎は明らかに落葉の切り抜きの方をやるべきだったと思った。なんなら材木運びは塚原がやった方がよかったとさえ思った。

バイト終了後、これは明日、いや明後日か、確実に筋肉痛がくるぞと、乳酸の溜まった腕で口座登録の用紙を記入していると、後ろから「健太郎ちゃんお疲れ!」と低い声がした。塚原だ。塚原はほかのバイトの人たちを「お疲れさまでした〜」と見送って、健太郎が書き終わるのを待った。
外に出るともう夜ではあるが薄曇りで明るく、四月らしい空気が充満していた。「花見っぽいヤな空気ですね」と健太郎が言うと、塚原は「夜桜見て帰る? 家どっち?」と、サークルの先輩感を出してくる。

「いや、花見は嫌いなんです」
「家はどこなの」
「代田橋ですけど」
「じゃあさ、神田川行こうよ」
「代田橋と神田川関係ない」
「漢字三文字で真ん中が「田」じゃん。近からず遠からずでしょ?」
「場所は別に近くないから」
「てか健太郎くん年いくつ?」
「25ですけど」
「3つ下だ。よし」
「よしの意味がわからないですけど」
「いや、さっきからタメ口で喋ってたから、万が一年上だったらどうしようと思って」
「ああ、そこは案外気にするんですね」
「年上には年上のよさがあるけどね」
「それは知らんけど」

二子新地駅に着き、健太郎は焼き鳥が食べたくなって、焼鳥が食べたいと言った。塚原は即座に、新宿の焼鳥屋に電話をかけた。神田川より焼鳥優先でいいらしい。花よりなんとやら、だ。なんとやらに代入されるのは、焼鳥か、それとも。

健太郎は、そういえば年上の女とも、自分より顔がデカい女とも、セックスしたことねーな、と思った。