俳句の作品依頼は、なぜかいっぺんにくる。
いや、私なんかはそんなに依頼がくる方ではないのだが、それでも年に1度くらいのやつが、なぜか重なったりする。ここから1ヶ月のあいだに、12句作品をふたつ、それと同人誌「鏡」の14句もあるので、計38句必要だ。
そうなると、俳句は急にはできないので(できる方もいるかもしれないが)、生活を俳句書くぞモードに切り替えなければならない。いつもそのモードにしておくのが俳人なのかもしれないが、だとすると(でなくても)私は俳人ってかんじではない。
〆切以外のために俳句を書くのは難しい。そう言っていると本当に書かなくなるので、句会が月に5つほどある。そのうちのひとつは、ほかの句会に出したものなどを計20句持っていくことになっているから、毎月最低20句は書くのだが、最近はけっこうギリギリ20句くらいということも多かった。スランプ、といえるほど真剣でないとすれば俳句に失礼かもしれないけれど、あまり書く気にならなかったのだ。理由は簡単で、10数年ぶりの大学のテストやレポートをがんばったから、というと、じゃあふつうの大学生は、とか、いそがしい社会人は、となる。そう、そうなのである。
私は大学時代まではともかく、その後は、ひまだったからたまたま俳句を書いていた、いや、書くしかなかった、あるいは、書いていることにしていた、気がする。
おととい、同い年の山口優夢と宮嶋梓帆と会った。ふたりは、大学を出てそれぞれ新聞社に勤めている。宮嶋さんについては以前ここでも書いた。→週刊俳句600号に寄せて 宮嶋梓帆のこと ふたりだけでなく、多くの若い人が就職して忙しくなって、俳句から少し離れるのは、言ってみれば当然だと思う。「若い人はすぐやめてしまう」とか「やめずに続けるのが大切」とか、そういうのはなんか違うんじゃないか、と、続けていることをほめられるたびに思っていた。私は、やめる理由がなくて、時間だけがあった。だから、この10年くらいの若手役の一人を、たまたま担当しただけだと思っている。
若者が俳句で稼げる未来、みたいなのに対して、あんまり興味がない、と書くのは不用意かもしれないが、少なくとも俳句作品を書くことだけでやっていくのは、今後どんなに俳句が盛んになったとしても、なかなか難しいだろう。もちろん、他の仕事との組み合わせ次第で、俳人として稼げる可能性はあると思う。私は、組み合わせるほどのスキルがほかになかったし、教えたりするようなことも知識に乏しく、自転車操業に力尽きたから、いったん休憩してインプットを増やそうという気持ちで今はいる。
学生時代俳句に打ち込んで、その後俳句とはあまり関わりのない仕事に就いたとして、はじめ10年くらいすごく忙しくて俳句をつくる余裕がないという人は多いだろう。でも、少し手があいたり気持ちが落ち着いたりしたら、また俳句にぐっと打ち込んでもいいし、たまに句会に出るだけでもいいと思う。そこから俳句読者になるというのもいい。結社に入ると、毎月最低何句かはつくって、自分の句が掲載された結社誌が送られてくるから、忙しくても、転勤しても、そうやって続けるというのも手だ。でも、それすら難しいことだって多い。続けていても、いい句が書けない時期もあるだろう。
私が選んだ『天の川銀河発電所』の作家のなかには、ずっと俳句を続けていくことにはならない人もいるだろうけれども、それは何もわるいことではないと思っている。編集方針を「今、旬だと思う作家」にしたことで掬い上げられた作品があるということだから、そういう人が、俳句というジャンルを通過してくれたことを誇りに思う。逆に、たまたまこの本が出るタイミングで、あまり俳句に関わっていなかった人のことも、大切に思っている。次の10年、その次の10年、ずっと活躍する人もいるだろうし、ある一時期輝く人もいるだろう。どちらも、俳句というジャンルに欠かせない作家となるはずだ。作品をしっかり見ていたい。
また、ジャンルへの貢献という意味では、評論を書く、編集者になるなど、作品をつくること以外にもいろいろ方法があるから、それぞれが得意なやり方で、深く関わったり、ちょっと休んだりすればいい。
私はまずは、目の前の依頼をやります。
ちょうど夏休みでよかった。やっぱり、まとめて書くのはすごく面白い。今のところ。